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月末の休日は、今年度最後のパン作り教室の日だった。
先月はテスト勉強のために休んだため、2ヶ月ぶりだ。今年度最後なので、お別れ会も兼ねていつもより時間を長く取り、パンを食べながら自由に歓談する。というのを学園で会ったアニーから聞いていた。
テスト結果が悪く、降格して特待生から外れた私が、和気あいあいとパンを作ってお喋りする気分ではなかったが、参加することにした。
それほど落ち込んでいると認めたくなかったし、最後の日に泥を塗りたくなかったからだ。
でも「最後」といっても今年度最後というだけで、来年度も申し込みをして続けることもできるらしい。アニーは続けたいと言っていたが、受験があるから悩むとも言っていた。
そうか、受験かぁ……何も考えてなかった。魔法学園の卒業生は、さらに専門的な魔法を研究するために魔法大学へ進学するか、親の仕事を継ぐ人が多いらしい。
私はとりあえず魔法学園を卒業することができればいいと考えていたし、今もやっぱりそうだ。おじ様に「とにかく後1年続けて、卒業しなさい」と言われたことが支えになった。とにかくそれだけを目標に、目の前のことをこなそう。多くは望まない。
「トリッシュも受験組? あ、でも国の研究機関からお誘いがあるかもね」
アニーが屈託ない笑顔で言った。
「いいなあ、トリッシュは。将来が約束されてて」
「ううん、実は私、特待生から外れるの。学年度末の成績が悪くて」
焼きたてのパンをちぎって口に放りこんだばかりのアニーの動きが止まった。
慌てて咀嚼して、ゴホゴホ咳き込んだ。
「大丈夫? お水っ」
「んっありがとう。それってもう決定?」
「うん、一昨日の三者面談で」
「そっかぁ、特待生の条件ってすごく厳しいものね。でも特待生じゃなくたってトリッシュは優秀だし、お家は超名門だし、問題ないわよね」
S級から3級に降格したのだから、とても優秀とは言えない。
でもアニーも3級で、世間一般的には十分にエリートだ。ただ、イーノックが認めているのが「2級以上」というだけで。
それ未満の人間は交流する価値がない。イーノックにとっては、私も交流する価値のない人間だ。ただ全くの他人ではないから、ファミリーとしての情がある。おじ様と同様に。
「……もしかして、学園辞めちゃうとか? じゃないよね?」
アニーが心配そうに私の表情をうかがい見た。優しくていい友達だ。
「うん辞めない。ごめん、心配させて。学園は辞めないけど、ラングフォード家を出て行く」
「えっ! 特待生じゃなくなったら追い出されるの!?」
「ううん、特待生じゃなくなっても今まで通りで構わないって、おじ様は。すごく良くしてもらってるの。でもあのお家が立派すぎて、気疲れするっていうか……根っから庶民の私には合わなくて。だったらどこか違うところで暮らしてもいいって、言ってくださったの」
「そうなんだ、なるほどね。あっ、じゃあ寮に入るの? 私の寮と同じならいいな」
アニーが顔を輝かせた。アニーの家は父子家庭で、魔獣の研究をしている父親は定住せずあちこち飛び回っているため、アニーは魔法学園の寮に入っている。
個室完備で設備が整っている、外観も綺麗な寮だ。女子棟と男子棟で分かれていて、門限に厳しいということは聞き及んでいる。
「ううん、学園寮は満室って聞いたわ。来年度の空きも予約でもう埋まっているみたい。だから学園指定じゃない、民間のところで探さなきゃ駄目なの」
それもおじ様が手配してくれるが、私の希望を優先すると言ってくれた。
「それなら、いいところ知ってるよ」
会話に入ってきたのはクリフさんだった。
「あ、ごめんね急に。そろそろお開きにしようかって声かけに来たら、真剣な話してたから」
気づくとパン教室の他の生徒はもう帰り支度をしている。まだ話していたのは隅っこにいる私たちだけで、道具の片づけを終えたクリフさんが声かけに来てくれたのだ。
ベンさんは生徒一人一人に挨拶に回っている。
「うちの近所に女子学生専用のシェアハウスがあってね。オーナーが知り合いで、宣伝を頼まれてるんだ。学園から近くていい場所なんだけど、最近オープンしたばかりだからまだ空きがある」
「えっ、本当ですか!」
渡りに船だ。
「うん。あ、オープンしたばかりと言っても建物自体は古いけどね。古いけど手入れが行き届いてて綺麗だし、防犯もしっかりしてるそうだよ。家賃は庶民的だって」
「いいですね!」
学園寮は空きがない上に寮費が高い。もし入れてもそこが気になっていた。ラングフォード家にとっては痛手ではない額だろうが、本来必要のない経費なのだ。
特待生でなくなり学費もかかる上に、寮費まで。それでもイーノックのそばでウロチョロされるよりは良いとお考えなのだろう。
「一度見学してみる?」
「はい、お願いします」
「あっ、じゃあ連絡先を……ちょっと待ってね、すぐに書いて渡すね」
クリフさんと入れ違いにベンさんが来て、挨拶をした。来年度の講座の案内を渡しながら、良かったら継続してねとにっこりするベンさんにお礼を述べた。
「楽しいんで続けたいんですけど、受験生になるので……」
とアニーが言った。
「だよねぇ。講座に通うのは無理でも、また遊びに来てね」
「はい、パンを買いに来ますね。もうすっかり『クレヌージェ』のファンですから」
「はは、ありがとう。うちのパンは学園の購買部でも買えるから、無理しないでね」
「人気のパンはすぐ売り切れちゃいますもん」
帰りに見送ってくれたクリフさんからメモ書きを受け取った。
「これ、僕のアパートの電話番号。部屋付きじゃなくて、アパートの共用電話。出た人に言ってくれたら、取り次いでくれるから。夜は大抵いるけど、いなかったら伝言してね」
「待て待て、ナンパかそれは」
ベンさんがぎょっとした顔で見咎めたので、事情を説明した。
教室を出て別れ際にアニーがボソリと言った。
「いいなぁ、クリフさんの連絡先ゲットできて」
ハッとした。そうだ、アニーはクリフさんに好意を寄せているのに、私は自分の話ばかりで失念していた。
借り家を紹介してもらういきさつ上のこととはいえ、私だけ連絡を取り合うのは良くない気がする。かといって、クリフさんのアパートの電話番号を勝手に教える訳にはいかない。
「アニーも見学についてきてくれない? その方が心強いし」
「えっ」
「もし無理じゃなかったら」
「行く行く、興味ある」
「じゃあまた学園で」




