4
「俺、やっぱり納得いかないっす…」
「あれは流石になぁ…」
「金渡せば問題ないって考えてる殿下も、正直どうかと思います」
騎士団食堂内で、その会話は繰り広げられていた。騎士団には全部で六つ部隊がある。
第一は花形で貴族で構成されているため王族を警護し、第二も同じくほとんど貴族で構成されているため主に城の警護。そして第三から第六までは市民が多く順番で国境警備をしている。
食堂は騎士であれば誰でも利用できるが、貴族たちからすれば小汚いという理由で第一、第二騎士団は別で食事を摂っていた。
第一王子に連れられて視察に行ったのは第三騎士団のある部隊だった。
「確かにマジマは何の力もないかもしれないっすけど、それならただの女の子ですよ!? それを…」
「おい、もうやめろ、下手に噂が広がれば俺たちがあぶねぇ」
「でもっ…」
あの視察から三週間。ついて行った騎士たちは、自国の第一王子がしたことに対して酷い嫌悪感を持っていた。確かに異世界から召喚された聖女には国籍はない。というより、それが各国で取り決められた約束の一つだ。聖女はどこの国にも属さず、自由であれ。そう一番最初に聖女を召喚した人が取り決めた。だからといってあれは酷いし横暴すぎるし、極論過ぎる。
「おい、今の話はどういうことだ?」
「!」
「団長!」
やるせなさに拳を握りこんでいると、背後から声がかかる。そこには厳しい表情をした第三騎士団団長がいた。
「聖女マジマがどうした? 最近彼女を見かけないが、何か知っているのか。今までも時折しか見ていなかったが、それにしてもこうも見ないと聖女としてしっかりなさっているのか気になるな…」
「あ、あのっ…!」
「…そういえば以前、第一王子殿下がランドル隊長を連れて視察に出ていたな?」
「!」
「……ランドルを私の執務室に呼べ。話があるとな」
「は、はい!」
騎士たちは去っていく団長の背に敬礼をしながら冷や汗を流した。今回の件はあの視察に同行した騎士たちしか知らない。つまり、団長にすら報告されていない。本来ならばあってはならないことだが、国の王子に言われてしまえば何も出来ない。だが、団長に感づかれてしまった。
「―――お前の所為だぞ」
「でも! こんなの騎士としておかしいっす!」
「はぁ……畑でも耕す心構えでもしておくかな」
「えっ」
「まぁ、牢屋に行かなければの話だがな」
「!」
一瞬で顔色を悪くする後輩に、騎士はぽんと肩を叩いた。
「隊長を探しに行くぞ」
「……うっす…」
*****
そこは、とてもシンプルだった。天井は高く、人が五十人以上入ってもまだ余裕があるくらいに広い。部屋の中央にはいわゆるレッドカーペットがあり、それは奥の椅子へと続いている。椅子の隣には先ほど会ったメルディスが立っている。
玲子は小さくしか見えない魔王を見た。姿はまるで人のようだ。ただ、人にしては長い耳と頭からは大きな角が生えている。肌は抜けるように白くて、眼は紅玉のように赤い。相反して、髪は漆黒だ。それを見て、玲子は白雪姫をつい思い出してしまった。
『ヴァミリオン』
メルディスがそう言うと、大きな窓が開いてそこからドラゴンがのそりと入ってきた。
『久しぶりにお目通りする、魔王様』
『息災か』
『見ての通りだ』
『そのようだ』
玲子はどうしていいかわからずにいると、前にいるパトリシアが歩きはじめる。それに慌ててついて行くしかできなかった。そして魔王がいる椅子から数段下の階段のところで止まる。パトリシアが膝をついたので玲子も慌てて同じように膝をついて頭を下げた。
『よくきた、客人。話はメルディスから少し聞いている。魔族と会話が出来るというのは本当か』
「! あ、はい! 私は、間島と申します、魔王様」
『マジマ、我が名はイズマール。魔王だ』
「は、はい!」
玲子は緊張のあまり何を言っていいか分からず返事だけした。
『あぁ、緊張しなくてもいい。顔を上げていい』
思ったよりも優しい声音に、玲子はそろそろと顔を上げた。紅玉の瞳と視線が絡み合う。
『ヴァミリオン、其方が連れてきたのだったな。本当に会話をしたのか?』
『あぁ、我も初めてのことだったのだ!』
『マジマ、話してはくれないか』
「え、あっと…ヴァミリオンさん、とは森で会いました。私の境遇を知って、助けてくださったんです」
『境遇?』
そこでようやく、玲子は自分がこの世界の人間ではないこと、召喚された国で聖女となるべくたくさんの訓練をさせられたこと、そして自身の名が隷属の契約とやらで縛られていることを話した。
『最初に会ったとき、マジマは今にも死にそうな顔をしておってなぁ…』
「本当に、ヴァミリオンさんがいなければ私は…」
『いなかったらどうなったのだ?』
「国に戻って、またあの第一王子に痛めつけられるんです…」
『本当に人間はおかしい! このような女子を痛めつけるなど! 我ら魔族はどの種族でも子は守るのだぞ!』
「そうですよね…人は、時に同じ種族でも酷く残酷になれるんです」
『―――本当に会話が成り立つのだな』
「!」
ヴァミリオンと話したことですっかり緊張が解けた玲子は、つい魔王がいることを失念してしまった。そのことを慌てて謝罪すると、イズマールはきょとんと玲子を見た。
『あぁ、気にするな。私が話すように言ったのだ。しかし、大変な思いをしてきたのだな』
「……は、ぃ」
『そうですわ、魔王様! マジマを救ってやってくださいまし! こんなに可愛いのに苦労ばかりしては可哀相すぎますわ!』
『パトリシア、魔王様の御前ですよ。発言には気をつけなさい』
『いい、気にするなメルディス。―――ふぅむ? 私は其方に隷属の契約を上書きすればよいのだな?』
「! い、よ、よろしいのですか!?」
つい、いいんですかと言いそうになった玲子は慌てて口調を正す。ヴァミリオンに提案されたとき、結局隷属する相手が変わるだけと悲観していたが、イズマールであればいい。だって、彼は玲子を労わってくれたから。
『ならば早くにしてしまった方がいいだろう。メルディス、異論はないな?』
『魔王様がお決めになられたことであれば、問題ございません』
『うむ。では、其方の名をもう一度教えてくれ』
それでも、一瞬玲子は迷った。本当に、彼は私を解放してくれるのだろうか。あの第一王子のように痛みを与えたりはしないだろうか、と。そんな玲子の迷いに気づいたのか、魔王は立ち上がると玲子の傍にやってきて同じように膝をついた。
『とても、辛かったのだろう…。安心していい。私は隷属の契約をしたからといって、それを行使することはないとここに約束する』
「―――間島、間島玲子です。玲子が、私の名前です」
『マジマ、レイコ』
次の瞬間、玲子の胸が急に熱くなった。しかし、それはあの第一王子にされたような激痛はなく、ただただ熱いだけ。同時に何かが外され、新たな何かが自分を縛るのを感じ取った。
『―――成功だ。一つ聞きたい、マジマレイコとは人のように家の名前と本人の名があるのか?』
「はい。間島が苗字…家の名前で玲子が私個人の名前です」
『そうか…。名を教えてなくて正解だ。教えていたらもっと酷いことになったやもしれん』
それを聞いて、玲子はあの時の自分の行動を褒めてやりたかった。すると安心したせいか、どっと疲れが押し寄せてくる。
『それにしても魔族や魔王である私と普通に話せる人間がいたとはな…。まぁ召喚者というのもあるのだろうが…レイコ? レイコ!?』
イズマールが何かを話している。しかし玲子はそれ以上自分の意識を保つことが出来なかった。
「――――ん」
目の裏に光を感じて玲子は呻いた。そして寝坊したのだと思い、慌てて起き上がる。すると傍から聞き覚えのある声が聞こえた。
『レイコ! 良かったわ、目が覚めたのね!』
「!? ぱ、パトリシア、さん?」
『嫌だわ、パティって呼んでといったじゃない』
そこには蛇の魔族が玲子を覗き込んでいた。心臓に悪い目覚めだが、すぐさま自分の置かれている状況を思い出せた。
「あの、私…?」
『上書きで疲れたのね。倒れてそのまま丸一日眠っていたのよ?』
「一日も!?」
『とりあえず目覚めてくれてよかったわ、これで魔王様も一安心なされるわね』
「え、魔王様が?」
『もちろん、ヴァミリオンも心配していたしわたくしも心配したわ』
「ご、ごめんなさい」
思わず謝ると、パトリシアは謝らないでと優しく言ってくれた。
『とりあえずわたくしは魔王様にレイコが目覚めたことを報告しに行くわね。食欲はある?』
「はい」
『よかったわ。用意してあるから召し上がって頂戴ね』
「ありがとうございます」
至れり尽くせりで、つい恐縮してしまう。だが腹が減っているのは確かだし、わざわざ用意してくれたものを無駄にするわけにもいかない。玲子はパトリシアを見送るとのそりと寝台から這い出て机へと向かった。
「わ…美味しそう…」
作ってくれた魔族は、玲子のことを気にしてれたのか。あるいはパトリシアが気を利かせてくれたのか、用意されたものは胃に優しそうなものばかりだった。玲子は手を合わせて小さく頂きます、と言うとゆっくりと口にした。
そんな時。
―――コンコン
「? はい」
『メルディスです。入ってもよろしいでしょうか?』
「はい」
扉が開かれ、メルディスがひょこりと覗き込んでくる。
『あぁ、食事中でしたか』
「あ、申し訳ありません」
『いいえ、お気になさらず。しかし少し話をしてもよろしいでしょうか?』
「はい」
玲子は一体何を話されるのだろうと緊張した。正直、初対面の時からメルディスには嫌われているというより警戒されている気がしてならないのだ。そんな玲子を見て、メルディスはくすりと笑った。
「?」
『そのように警戒なさらずとも大丈夫ですよ。それに貴女が魔王様と隷属の契約をした時点で、私は貴女を疑ったりはしておりません』
「どういうことですか?」
『確かに、最初は貴女のことを疑っておりました。いくら魔王様が人間と争いをしたくないと言っても、
人間は言葉の通じない我々を恐れ攻撃してくる。貴女も何かの罠かと考えていたのは事実です』
それは当然だ、と玲子も思った。いくら言葉が通じると言っても、そもそもそれを最初から知っていて利用し、玲子が魔王イズマールに会いに来て斃すことを目的としていると勘繰られてもおかしくはない。
「ち、違います、本当に私はっ」
『ですから、もう疑っていないとお伝えしたでしょう』
「どうして…?」
『貴女が、魔王様と契約をされる際になんともなかったからです』
「?」
メルディスの言っていることが、玲子にはよく理解できなかった。
『思い違いだったのであれば申し訳ないのですが、最初に隷属の契約をされたとき、激痛を感じませんでしたか?』
「! そういえば…!」
『やはり。隷属の契約は魂を結ぶものです。相手が心から同意していなければ無理矢理魂を結ぶので想像を絶する痛みが生まれます』
「だから…」
そうだ、思い出した。玲子は最初に落とされて気分を悪くしている中いきなり契約を結ばれたのだ。相手のことなんて何にも知らないどころか、玲子の状況を一切顧みてくれない態度に腹すら立てていた。だから、あの痛みが生まれたのか。そう納得していると、メルディスはわかり辛いが笑みを浮かべて続けた。
『魔王様と契約をされたとき、貴女は何ともなかった。つまり魔王様を心から信じて身を任せたのだと思っています。そうなれば、貴女が魔王様を裏切ることはないだろうと判断いたしました』
「そうですか」
『それに、私も魔王様と隷属の契約をしております』
「メルディスさんも、ですか?」
『はい。私も随分と若い時に詐欺紛いに隷属の契約をさせられましてね。それを魔王様に救ってもらったのです。…いうなれば、貴女はかつての私と似たような道を進んでいます』
そこで、メルディスは不自然に言葉を切った。玲子がどうしたのだろうと見ていると。
『―――もし、何かあれば、助けになります』
「!」
『貴女がこの世界に来てからの苦労は聞きました。とてもお辛かったでしょう。ですが、ここに…魔王様の元にいるのであれば、大丈夫です』
「あ…ありがとう、ございます」
そんなことを言ってもらえると思ってもいなかったので、玲子は茫然としながら礼だけ伝えた。玲子の胸中を察したのか、メルディスが苦笑しているような気がする。
『レイコ。私のことはメルディスと呼び捨てで構いませんから』
「え、あ…」
『ほら』
「……め、めるでぃ、す」
『はい』
言われた通りに呼び捨てをすると、メルディスは嬉しそうに笑みを浮かべた。