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「ふん、結局役立たずだったか」
「そのようです。これが証拠です」
第一王子は椅子にふんぞり返りながら舌打ちをした。
「そのような汚いものを渡してくるな。捨ててしまえ」
「かしこまりました。念のため、血の成分だけ調べておきたいと思いますが、如何でしょうか?」
「好きにしろ」
側近の言葉に第一王子はめんどくさそうにあしらった。そんな王子に、側近の一人が話しかける。腕の立つ側近で、古くからの知り合いだ。
「しかし殿下、どうなさるのです? 折角陛下の許可を得て召喚をしたというのに、何も成果を出さずに死んでしまったことをどう報告するのですか?」
「そこだ…。本当にあのマジマには騙された。こちらが折角丁寧に指導して生活の工面をしてやったというのに、恩に仇で返すような真似をして…!」」
思い出すだけでイライラが止まらない。
正直、初めて見た時から気に食わなかったのだ。先代の召喚者は十代の若い娘だったと記録されている。とても愛らしく、治癒魔法に関しては右に出るものはいないと言われたほどの力を持った聖女。その聖女を伴侶とすることで当時の王子は王になったとすら言われるほどだ。だからこそ、それを期待したというのに。
実際に来たのは十代どころか嫁ぎ遅れの女。こちらの問いかけに満足に答えない可愛げの欠片もない女。こんな女を伴侶にするだなんてふざけているとすら思った。だから何も説明せずに隷属の契約を結ばせた。思ったよりも痛みを感じていないようだが、書物にかかれているのは誇張されているのかもしれないと思った。
「陛下には聖女がまともに使えるようになってからお目通りを願うと言ってある…。どうせなら、もう一度行えばいいだろう」
「殿下?」
いい考えだと王子は思った。マジマの素性を知っているものは少ない。初めはこんな年増を見せられるかと恥から隠していたことだが、今となっては過去の自分を褒めてやりたいくらいだ。
「一度も二度も大して変わらんだろう。それならばもう一度召喚をすればいい」
「ですが、そう簡単に適応者が見つかるとは…」
「アレが適応者だったと? それこそあり得ない。アレが失敗だったのだ。次こそちゃんとした聖女が来るはずだ」
「…」
王子の言葉に、側近たちは考え込む。確かに、マジマは聖女としての能力がなかった。魔力量はかなりあるのに治癒魔法も並みで戦闘能力もまともにない人間を、聖女として認められるはずがない。一回目が失敗だったと思いたくはないが、それでも滅多にされない異世界召喚なのだ。過去の史実にも記載されていなかっただけで、実際はあったのかもしれないと思い始めていた。
「それに今回の一件がバレれば確実にあいつがここぞとばかりに私を馬鹿にしてくる…それだけは回避せねばならん」
第一王子の言うあいつとは、第二王子のことだ。現在、次代の王を第一王子か第二王子かに与するかで国の貴族の派閥は分かれていた。普通であれば長子である第一王子が王太子になるはずだが、第二王子の派閥が予想以外に力をつけていた。その為、現王は今現在も王太子を決めかねているのだ。
「頭がいいからなんだというのだ! 私以上に王太子となるべき者はいないというのに! だというのにあいつめ…!」
実際に一番困っていることがそこだった。頭脳明晰な第二王子は、彼の持てる権力の範囲内で様々な政策を行っている。それらは微々たるものだが、それを知っている民たちは第二王子を推しているのだ。だからこそ、第一王子は功績を求めている。
「あのマジマさえ役に立っていれば、私の名は後世にも語り継がれていたというのに…!」
第一王子は怒りを思い出したのか、ばん、と机を叩いた。
「落ち着いてください、殿下。それにマジマはもういません。死んだことがバレれば間違いなく王太子の座はとれません」
「わかっている! だからこそもう一度召喚をするのだ!」
「わかりました。しかし必要な素材が一部足りません…そうですね、二・三週間ほどお時間を頂ければ何とか。もう一度採集に行かせるよう急いで手配いたします」
「あぁ」
「あと、マジマと共に視察に赴いた騎士たちには特別手当を出すことで口止めをしております」
「仕事が早いな」
「もちろん、殿下が憂いなく王太子になられるためならばいくらでも」
側近の言葉に、第一王子は満足げに頷いた。
「それならば急がせろ」
「は!」
第一王子は対応の早い側近たちによって少しだけ心を落ち着かせた。
「あぁ、そういえば殿下、一つよろしいでしょうか?」
「何だ?」
「万が一にもあり得ないとは思いますが、もしマジマが生きていたらどうされますか?」
側近の言葉に、第一王子はふんと鼻を鳴らした。
「異世界召喚者は二人もいらん。排除に決まっているだろう」
失敗なのだからな、と続けた。その言葉に、側近はかしこまりましたと一礼して、その場を後にした。
*****
『―――おい、―――おい! 着いたぞ! 大丈夫か!?』
「んーーーんぅ…?」
玲子は頭に響く重低音によって起こされて、自分が今どうなっているのかをぼんやりと思い出した。そしてドラゴンに運ばれていたことを思い出し、慌てて身を起こす。
『ぬ? 起きたか。死んだように動かぬからてっきり…』
「す、すみません、最近眠れていなかったので…」
『そうか。寝起きのところ悪いが、魔王様の城に着いたぞ』
「えっ」
玲子は慌てて周囲を見渡す。ドラゴンの両手に運ばれたのが確か現代で言う二時くらい。今はどう見ても夕方だ。三時間ほどで着いたのだろうか。そしてきょろきょろ見ると、背後に大きな建物があるのに気付いた。
「おっ、きぃ…」
『うむ。魔王様の住まう場所だからな。あぁ、人からは見えぬよう隠匿されておる故、簡単に見つかりはせぬだろう』
「そうなんですか」
ドラゴンと話していると、門から誰かがやってくる。
『久しいですね、ヴァミリオン。貴方がこちらに来るなんて』
現れたその姿を認識して、玲子は息を呑んだ。身体は、成人男性のようななりをしている。だが、肩から上が異形だった。ヤギの頭が二つ付いているのだ。
『おぉ、メルディス、久しいな。魔王様はいらっしゃるか?』
『執務をなさっておいでです。……その方、は?』
メルディス、と呼ばれた魔族は玲子をすぅ、と目を細めながら見てきた。その冷たさに玲子の手が微かに震える。
『威嚇するでない、メルディスよ。まだ赤子にも等しいか弱き人の女子だぞ』
『人間…。どうして人間がここに?』
『うむ。話せば長く…ならぬかもしれぬが、魔王様にこの者を保護してほしいのだ』
『保護…? ふむ、隷属ですか。相変わらず人間の考えることはわかりませんね』
玲子は緊張しながらもドラゴンの両手から降りると、メルディスと呼ばれた魔族に頭を下げた。
「あの、いきなり来てしまい申し訳ありません…! 間島と申します。もし、叶うならば魔王様にお会いさせていただければと…!」
『ほう、マジマというのか、我はヴァミリオンだ』
『…自己紹介もろくにせずに連れてきたのですか? ヴァミリオンの子供好きは相変わらずですね』
『色々と急いでおったのだ。それにメルディスよ、気づかぬか?』
『? ……言葉が!?』
メルディスは目を見開くと玲子をまじまじと見た。
『……人間そっくりな魔族、というわけではありませんね。何故貴女は我々と話すことが?』
「あの」
『そのことも含めて魔王様に保護を願いたいのだ。彼女の隷属を一刻も早く上書きしてもらいたい』
『……わかりました。ですが流石にその格好で謁見は無理です。女を寄こしますのでまずは身綺麗にしてからですよ』
そう言われ、玲子は自分の格好を見下ろした。確かに酷い。服は泥や葉がついているし、思えばあの第一王子の元でろくに温かい湯で身体を拭いたことがない。第一王子曰く、役立たずに用意する湯が勿体ないとのことだった。
『パトリシア、聞こえていますね?』
『はい、メルディス様』
すると地面からぬるりと女型の魔族が現れた。下半身は蛇で、髪もそれぞれが蛇だ。シャーというのは警戒音だろうか。びくりと玲子がヴァミリオンの腕にしがみ付くと安心させるように小さく唸った。
『こちらのお嬢さんを綺麗にしてあげなさい』
『まぁまぁ! 人の子!? 大丈夫ですの? 言葉が通じないのでは怖がられてしまうのでは?』
「あ、あの、だい、じょうぶです、わかります」
『!』
玲子の言葉にその魔族は驚いたように目を見開く。しゅるり、と舌が動いた。
『まぁまぁまぁまぁ!! お話出来ますの!?』
「っ、はい」
『素敵だわ!! わたくし、人間と話すのは初めてよ! わたくしはパトリシア! パティって呼んで!』
「あっ、はい、あの、私は間島です」
『マジマ! 珍しい? お名前ね!』
パトリシアは嬉しそうに笑みを浮かべながら玲子の手を握った。蛇だからなのか、ひんやりとしているが玲子の心は温かくなった。
『パトリシア、はしゃぐのはいいが早く案内してやりなさい』
『そうですわね! ごめんなさい、マジマ。早く綺麗にしましょうね』
「あっ、ありがとうございます」
『ヴァミリオンはどうしますか?』
『我も待たせてもらおう。我が連れてきたのだ』
『わかりました。では用意出来次第謁見室にて』
『うむ、あい分かった』
そうして玲子はパトリシアに連れられた。連れてこられたのは客室の一つのようで、すぐさま暖かい湯が用意されていた。パトリシアは洗ってくれようとしたが、元の世界でも経験のないことから必死に断り、この世界で初めて温かい湯船につかった。
「ふぅ……なんか、本当にいい人…たち」
ぽろり、と涙が零れ落ちた。ひくり、と喉が鳴る。
「うっ…うぅ……」
ずっと我慢していた何かが、玲子の中で決壊した。
「っ…お父さん、お母さんっ……」
この世界に来てから、一度も安心できる瞬間も元の世界を恋しがる余裕もなかった。どうして、自分だったのだろうか。どうして、こんな不条理がまかり通っているのだろうか。叶うなら、元の世界に帰りたい。両親に、友人に、皆に会いたい。この世界は、怖い。
「かぇり、たい、よぉ……」
一度流れた涙は止まらず、ぽたりぽたりと湯船に落ちていく。ぐすり、と玲子は鼻を鳴らす。もし、魔王様が元の世界に戻る方法を知っていたのならば、教えてもらおう。どんなに時間がかかっても、玲子はあの世界に帰りたい。だが、もしそれが出来なければ、これからの自分はどうすればいいのだろうか。
玲子は未来への不安から身体を縮こませ、涙を零した。
『マジマ、大丈夫だった? ……あらあら…、目が赤いわ』
「ごめんなさい、長時間入ってしまって…」
ひとしきり泣いた玲子は、気持ちに一度区切りをつけると湯船から上がった。用意されたタオルで身体を拭き、バスローブでこそりと部屋を覗くとパトリシアが心配したように見てきた。しかし深く聞いてくることはなく、玲子をゆっくりと鏡台の前に連れてくる。
『大丈夫ですわ、マジマ。魔王様は本当にお優しい方、きっと貴女のことも助けてくださるわ』
「何から何まで…ありがとうございます」
『気にしなくていいわ。それにわたくしも人とこうして話せるなんて夢にも思わなかったの。あぁ、お洋服なんだけれどね、人用のものがあまりなくて…』
「いえ、着られればなんでも!」
パトリシアはすぐに用意するから、待っていてね、と返してくれる。
『さ、出来たわ。メルディス様にお伝えしてくるわね、ここにあるのは人が食べても大丈夫なものよ。お腹が空いているでしょう? 良かったら召し上がって』
「はい」
見れば卓上には一口大のサンドイッチと果物が用意されている。そこで玲子の腹が鳴った。そういえば、最後にちゃんとした食事をしたのは何時だっただろうか。思い出した玲子は一つ手に取って口にした。
「美味しい」
第一王子が玲子に食事を与えなかったということはない。だが、固いパンと冷めたスープばかりだった。時折思い出したように肉が出されたが、それも冷めていて噛み切るのに苦労した。温かい紅茶らしき飲み物も用意されていて、玲子は体の芯が温まるのを感じた。
『お待たせしたわ、マジマ。魔王様が謁見の間でお待ちよ』
「! はい!」
パトリシアは笑みを浮かべているが、玲子はその瞬間に緊張から身体を強張らせた。
『緊張しなくても大丈夫よ、マジマ』
緊張しないはずがない。だが、今まで会ってきた魔物は誰もが玲子に優しかった。もしかしたら、と希望を胸に、玲子はパトリシアの後について行った。