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「カノン、すまないが私の婚約者が君に会いたいと言っている」
「え…それってあの政略結婚の?」
「そうだ。カノンの負担になると言ったのだが、同性同士の方が話しやすいこともあるだろうと…。父上もそれを許可なさってな」
「え…私、怖いわ…」
「大丈夫だ。当日私も同席するつもりだ」
花音はカイゼルの言うことに渋々頷いた。ここで嫌だと粘り過ぎれば面倒な女だと思われるだろう。それに、一度本当の貴族令嬢というものを見てみたかったという気持ちもあった。
そしてその日はあっという間にやってきた。
「えっ、カイゼル様来られないの…?」
「申し訳ない、カノン。殿下は急遽用事が出来て…」
「聖女である私より、大事な用事なのね…」
花音は目に涙を浮かべる。この国で自分より尊い存在はいないはずだ。だからこう言えばカイゼルが来るだろうと思ったのに、帰ってきた言葉は花音が求めたものではなかった。
「本当にすまないと殿下も言っていた。ただ、陛下からの御用だからな…」
「そっか…仕方ないよね…お父様だものね…。ねぇ、なら誰が一緒に来てくれるの? マックスが?」
マックスことマクシミリアンはカイゼルの側近の一人だ。とても強いらしく、ガタイもいい。だが考えることが苦手なようなのが玉に瑕だ。
「本当に済まない、カノン。俺もレジナルドもニコラスも一緒に行くことが出来ないんだ…」
「え!? 私一人で行くの!?」
流石に想定外の出来事に、花音は悲鳴のような声を漏らした。マクシミリアンは本当に申し訳なく思っているようで、眉を下げている。でも一緒に行くとは言ってくれない。
「い、嫌よ…私、怖いわ」
「大丈夫だ、フロレンシア嬢は悪い人ではない」
「でも! カイゼル様の婚約者なのでしょう? きっと私が目障りになったんだわ…!」
どうにかして行かないようにしたいと泣く花音だが、その願いは聞き届けられないらしい。
「護衛の人間は数人いるから大丈夫だ。みんな用事が終わればすぐに向かうと言っていた」
「っ……本当に?」
「あぁ…だから済まないが、少しの間頑張ってくれないか?」
「……わかったわ」
マクシミリアンの様子を見るに、花音はどうしてもそのお嬢様に会わなくてはならないことに気づいた。行きたくないのは本音だが、行かねば自分の心証が悪くなるだけだろうと判断する。
「待ってるから、早く来てね…?」
「! もちろんだ!」
花音がそう願うと、マクシミリアンは気合に満ちた返答をくれ、すぐさま用事を済ませるべくその場を後にした。別に、マクシミリアンに粉をかけているつもりは花音にはない。他の側近たちにもそうだ。ただ、自分のような綺麗な女の子に頼られて嬉しくないはずがない。だから頼ってあげている。花音の本命はカイゼルただ一人。カイゼルだけが花音を一番に愛し、花音を幸せにしてくれるはずなのだから。
そして迎えに来た護衛二人に守られながら花音はお茶会に挑んだ。
「お初にお目にかかりますわ、カノン・カンザキ様。私はフロレンシア・デイシー。父は公爵をしております」
「初めまして、カノン・カンザキです」
花音が行った先には、既に一人の女性がいた。彼女は花音を視界にいれると、すぐに席から立ち上がって綺麗なお辞儀をした。そのことに、少しだけ苛っとする。まだ花音には出来ないからだ。
「今日は無理を言ってしまい、申し訳ありません。どうぞおかけください。とても美味しいと有名な茶菓子を取り寄せましたの」
「ありがとうございます」
そして正面に座った彼女は、あぁ、なるほどと思った。
彼女、フロレンシアは確かに綺麗だった。青い目に金色の髪。花音には縁遠いものだ。だが、目が少し吊り上がっていて優しそうという感想からは程遠い。花音がか弱いと印象付けられるなら、彼女は強そうという印象を抱かせるだろう。だからカイゼルは苦手に思っているのだと花音は思った。
「それと私の愚兄もお世話になっているそうで」
「ぐけい…?」
「兄のことですわ。レジナルドは私の兄ですの」
「そうなの!?」
レジナルドからはそのことを聞いてない。それにカイゼルからも。どうしてそんな大事なことを教えてくれなかったのだろうか。
花音が驚きに目を見開いているとフロレンシアは手を口元に当てながら少し困ったように微笑んだ。
「ごめんなさい。兄といってもほとんど話したりはしませんの。とても忙しいようですから」
「あ、そうなんですか…そうですよね、カイゼル様の側近なんですもんね!」
花音はあえてカイゼルを名で呼んだ。昔見た小説だと、婚約者にそのことで詰られるからだ。しかしフロレンシアは綺麗な笑みを浮かべたままだった。
「カンザキ様は、聖女様と伺っております」
「そうですけど…」
更にいきなり別の話をされる。一体何を話したいのだろうとフロレンシアを見ると、彼女は綺麗な笑みを浮かべていた。ただ、目は一切笑っていない。
「殿下とはお会いしていないので詳細を伺っていないのですが、まだそのお力を発現できていないとか…」
「! な、何のことよ!?」
花音はその言葉に過剰に反応した。今一番言われたくないことだったからだ。それを知っていたのか、フロレンシアは先ほど浮かべた笑みから表情が変わらない。
「いいえ、もし本当に発現できてないのであれば、カンザキ様は聖女様ではないのではないかという噂が」
「誰よ!? そんなこと言ってるのは!!」
カッとなり、教わったはずの淑女教育の仮面が簡単に剥がれ落ちる。フロレンシアからすれば稚児にも等しい拙さだったが。
「私たちにとって聖女とはかけがえのない存在にございます。魔王を斃すという存在意義以外にも、私たちの罪の深さが関連します」
「? 何を言っているの?」
「父母の元から無理矢理引き離され、親しき友人たちとも二度と会えないようにしたのですから、罪深いこととは思われませんか?」
「思ってないわ。だって、この世界こそが私のいるべき世界だもの」
「―――何故、そのようにお思いに?」
花音はまだ十代で、さらに言えば世間の汚さはおろか人間の駆け引きというものを凡そ理解していなかった。だから、簡単にそれを口にした。
「だって、私だけを愛してくれる人がいるんだもの」
「は、い?」
花音の一言はフロレンシアにとっては想定外だったらしい。初めて表情が変わった。そのことに気を良くした花音は続ける。
「カイゼル様は私を愛してくれているの。私だけを愛しているのよ。私の存在を求めて、異世界召喚までしたの。だから私が彼と一緒に幸せになるのは当然でしょう?」
「―――そう、ですか」
「そうよ。だから私が聖女としての力を発揮したらカイゼル様と結婚するのは私なの。あなたじゃなくてね」
「そう、殿下が仰ったのですか?」
「そうよ!」
花音は自信満々に言い放った。だって、フロレンシアは愛されていない。カイゼルが結婚したいのは愛している花音なのだと知らしめたかったからだ。しかし花音の予想とは裏腹に、フロレンシアは落ち着きを取り戻していた。
「左様にございますか…。もちろん、カンザキ様が聖女としての力を発現されたのであれば、私は婚約者の立場を引かせていただくつもりです」
「え! 本当に!?」
「もちろんです」
てっきり駄々を捏ねられるかと思ったがあっさりと言うフロレンシアに、花音は初めて好感を抱いた。一瞬のことだったが。
「ですが、カンザキ様が聖女でなければその話はなかったことになるのでしょう?」
「私が聖女じゃないなんてあり得ないでしょう!? 何言ってんの!?」
フロレンシアの言い方に一々腹が立った。何が言いたいのかはっきり言えばいいのに、とすら思った。
「では、カンザキ様、貴女よりも先に召喚された聖女様がいることをご存知ですか?」
「は?」
それは、寝耳に水だった。この女は何を言っているのだろうか。
「もし、その聖女様がご存命であれば、貴女は聖女ではありません。いくら頑張ろうとも聖女としての力が発現することはないでしょう。さらに言えば、多重召喚は禁忌の一つとされています。仮にもし、殿下がそれを理解して行ったのであれば、罪に問われることでしょう」
「な、に、言ってんの…意味わかんない…」
いきなりの情報に、花音の頭は考えることを停止した。そんな花音を、フロレンシアは憐みに満ちた表情で見つめてくる。どうして、自分がそんな目で見られなくてはいけないのだろうか。本当なら、この女は私に対して怒りや憎しみを持った表情で詰ってくるはずなのに。
「お可哀想に…。都合のいい駒扱いですのね…。だから何も教えてもらっていないのですわ」
「―――嘘よ! カイゼル様が私をそんな風に扱うはずないわ! だって、私と結婚したいと言っていたもの!」
そんなはずないと花音は立ち上がって叫んだ。その瞬間、見えないところにいたらしい護衛が姿を現す。そんな彼らにフロレンシアは視線だけで止めた。
「そうよ、きっとあなたにはわからないんだわ! カイゼル様が本当に欲しがっているものが! 私なら、あげられるの!」
「いったい何をでしょうか」
「愛よ!」
この女にはわからないだろうと花音は思った。政略結婚でしかない二人に愛なんて生まれるはずがない。自分という存在を求めて異世界から召喚するほどには、カイゼルは花音のことを思っているはずなのだ。きっとそのことに嫉妬しているのだろう。だから、こうして揺さぶりをかけてくる。カイゼルが花音を都合のいい駒だと思っているはずがない。
しかしフロレンシアは動じないで静かな瞳で花音を見ていた。そのあまりの静けさに、花音は一瞬言葉を詰まらせる。
「愛、ですか。そうですね、私には差し上げられないでしょう。私たちの婚約は国の利益のことを考えてのこと。私たちの為人などは二の次、三の次ですわ。ですが、本当に殿下は愛を欲しておいでなのですか?」
「当たり前でしょう! その為に私を召喚したんでしょう!」
花音は忘れていた。一番最初の頃にカイゼルから言われたことを。
召喚された聖女は魔王を斃せる唯一の存在。だから魔王を斃して欲しいと言っていたことを。
花音の中では順番が逆になっていた。愛している人を召喚した、そしてそれが聖女だった、だから魔王を斃して欲しい。自分たちの明るい未来の為に、と。
そんな花音を見たフロレンシアは、小さくため息を吐いて立ち上がった。
「わかりましたわ。大変失礼なことを申し上げました。国のことを思ってのつもりでしたが不必要なものでした」
そう言いながら頭を下げる。
「試すような物言いをして失礼いたしました。ですが殿下とカンザキ様の愛を微力ながらお手伝いさせていただきたいと」
「…試したの? 私を?」
「申し訳ありません。歴代の聖女様が国の中枢のものと婚礼を上げることが多かったのですが、稀に良くない方もいらっしゃいまして…独断でカンザキ様がそうでないかと確認してしまいました」
「……それならそうと言ってよ!」
「申し訳ありません」
「そう…なら私とカイゼル様が結婚できるようにしてくれるってことでいいのよね?」
「もちろんです。私にはカイゼル様の婚約者という立場は重くありました。愛してもいないので…もし、カンザキ様と殿下が愛し合っておられるのであれば、そしてカンザキ様が良きお人であれば助力したいと思い、このような場を設けさせていただきました」
先ほどとは打って変わった態度に花音は留飲を下げる。そしてやはり自分こそが求められた人間なのだと思った。
「ならいいわ。じゃあこれからはよろしくね」
「はい」
そうしてフロレンシアは楚々と去っていった。その後姿を見送ってすぐにカイゼルが駆け込んでくる。
「カノン! 大丈夫だったか?」
「カイゼル様! はい、大丈夫でした! 思ったよりもいい人でした」
「そうか…何を話していたのか教えてくれるか」
「はい!」
そうして花音はカイゼルに連れられてその場を後にする。その様子をフロレンシアは少し離れたところから見ていた。
「話にならないわね」
持っていた扇で口元を隠しながらその目は蔑みに満ちていた。何も知らされていない都合のいい傀儡だというのに、それに気付こうともしない馬鹿な娘。そして王太子になりたいばかりに愚行ばかり犯す第一王子。
「如何されますか」
「どうもこうも……あれでは話にならないのよ。あれが王になれば国は荒れるわ。我が領地も何もなくということにはならないでしょうね。それにしても、あの愚兄もあんな馬鹿な娘のどこがいいのか…」
フロレンシアは見切りをつけていた。カイゼルが王太子になられては困る。あれなら第二王子のほうがまだマシだ、と。廃嫡にする為にはどうすべきかを考える。
「会談次第になるかもしれないわね」
未だに魔王が会談をしたいと言った理由はわからない。だがフロレンシアの勘が告げる。何か、とてつもないことが起こるだろうと。
「私はそれまで大人しくしていましょう」




