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「ねぇ、カイゼル様。私はいつまでこうしていればいいの?」
花音はカイゼルを前に不満を零した。それもそのはず。つい先日、カイゼルの父である王様とその弟と会った。彼らはしかめっ面ではあったものの、花音を聖女として認めたはずだ。だからそのあとすぐにお披露目会をしてくれたのだから。なのに、花音は未だに部屋から出られない生活をしている。
「カノン、君の力はもっと伸びるはずだ。歴代聖女には類稀なる御業にも等しい力があったからな」
「ニコラスの言う通りにしているわ…。それに女家庭教師だって私のマナーを褒めてくれて、十分だって言ってくれたのに…まだ勉強をしなければならないの…?」
花音には戦闘能力はないとニコラスが話していた。その代わり、治癒能力がとても高い、と。だが、それではカイゼルは満足してくれなかった。毎回、歴代聖女と比較され続ければ腐りたくもなる。
「カノン…君にしか話さないことだが、君が聖女としての力を覚醒させたら、私は君に求婚するつもりなのだ」
「えっ!?」
だが、カイゼルのその一言に花音は驚いた。まるでそんな素振りを見せなかったから。
「確かに私には婚約者がいる。幼いころに決められた政略的なものだ。だが、初めて君を見た時から、君しか私の心には住んでいない」
「カイゼル様…」
「だが、いくら異世界召喚で召喚した聖女といえども、確かな功績がなければ王族と結婚することは出来ないんだ」
花音はいきなり与えられた情報の多さに目を点にした。カイゼルが自分を好いてくれているのは素直に嬉しい。見た目がいいし、花音を大切にしてくれる最高権力位にいる。だが、婚約者がいるというのは衝撃だった。
「え…もし、私が聖女としてちゃんと出来なかったら、カイゼルとは結婚出来ないということ…?」
花音がそう問うと、カイゼルは苦渋に満ちた表情で俯いた。
「私はこの国の第一王子だ。いずれ、国王となるだろう。その為に、私は私を持ってはならない。私は、国の為に在らねばならないのだ」
「そんな! その、婚約者の方に好意は全くないの?」
長年付き合ったのであれば、何かしらの情が湧くだろうと花音は思った。もし、少しでも持っているのであればカイゼルは自分に相応しくないとも。
「いや、ない。彼女は常に小うるさくて、私をただの一度もカイゼルという個人で見てくれたことがないのだ。いつもいつも、王族としてしっかりしろとばかり…私なりに頑張っているのだがな…」
「酷い…」
冷静に考えれば、婚約者の言っていることとカイゼルの言っていることに矛盾が生じているのに気付ける。国の為に在らねばといったその口の根の乾かぬうちに、個人を認めて欲しいなどと。
だが、花音はそれに気付けなかった。
「確かに婚約者はとても優秀な女性だ。だが、それを常に見せつけるかのようにしてくる。私は、王族としても男としても下なのだと見下すのだ…。いくら国のためとはいえ、そんな彼女を伴侶にして共に生きていくなど…! そんなときに君に出会ったのだ、カノン。召喚したのは私だが、きっと君は私の為に来てくれたのだと」
「カイゼル様…!」
花音はカイゼルの甘い言葉に陶酔した。そうだ、自分は求められてここに来たのだ。ここが、本来花音が生きるべき世界なのだ。あの、誰も自分だけを愛してくれない世界なんて、まやかしだったのだ。
「カイゼル様…私、頑張ります」
「カノン…だが、君にばかり苦労をさせてしまう」
カイゼルはその秀麗な顔を悲痛に歪ませた。その表情を見て、花音の心が何かで満たされるような気がした。
「いいえ、カイゼル様。私は魔王を斃す為に召喚されたのでしょう? ならばその役目を果たし、そして堂々とカイゼル様の隣に立てるようにしたいです」
「カノン…!」
カイゼルは感極まったように花音の手を握った。正直、抱きしめてくれてもいいのではと思ったが、婚約者でもない異性を抱き寄せるなどあってはならないと女家庭教師が言っていた。そしてそれをちゃんと守るカイゼルに、真摯さを感じた。
「…でも、一度婚約者の方とお話をした方がいいと思います」
「どうしてだ?」
「だって、婚約者の方はカイゼル様と結婚すると思って今まで頑張ってきたんでしょう? いくら私たちが愛し合っているとしても、その方からすれば納得出来ないことだわ…」
あくまでも建前である。前の世界では、王子が婚約者を断罪して逆ザマァされることが多かった。そしてその連座で花音の立場にいる女性も罪を負うことになることがあった。花音は、そんな失敗をしない。だからこそ、相手の女性にも配慮するのだ。
「カノン…! 君はなんて奥ゆかしいんだ…! だが、そうだな…。君の言うことも一理ある。今度、話してみよう」
「もし、私にお手伝い出来ることがあればなんても仰ってください」
「ありがとう、君が傍にいてくれるだけで心強い」
前もって誠意を込めて話せば、きっとわかってくれるはずだ。だって、花音はこの世界に必要な聖女なのだ。反対にその女性は高位貴族だとしても、代わりはいるだろう。花音はこの世界で替えの利かない存在。どちらが大切にされるべきか、わかってくれるだろう。カイゼルの言う通り、優秀なのであれば。
「もし、彼女が婚約解消をしないと言ったら、カノンはどうする?」
「…いっぱいお話し合いをしたいと思います。そして、彼女が納得せざるを得なくなるように、聖女として頑張ります」
悪口や陰口は言われるだろう。だが、そんなもの元の世界で慣れている。花音に必要なのは花音だけを愛してくれる存在だ。その人に権力があればなおいい。カイゼルは満点だ。だからこそ、カイゼルは自分を愛すべきだと花音は本気で思っていた。
*****
「……やっぱり、そうなのね」
その彼女は凛とした表情で告げられた言葉にため息を漏らした。
「はい。第一王子カイゼル殿下は召喚した聖女、カノン・カンザキを王になるために娶ろうと考えておられるようです」
「まぁ、それは彼女に力があれば、の話でしょう? ―――それで、かの御方はどうされているの?」
彼女の名前は、フロレンシア・デイシー。公爵令嬢であり、カイゼルの婚約者でもあった。そしてその表情は憂いをおびていた。
「一人目の―――いえ、本当の聖女様は、魔王の庇護下にいらっしゃるようです」
「確証は?」
「いいえ…。ですが持ち帰られた布に付着していた血液は人のものではありません。すぐさま、こちらで回収し、別のものを置きましたが」
「確か、ドラゴンと遭遇したのよね? それで生きて魔王のところへ? 不思議だわ」
フロレンシアに報告しているのは、公爵家専属の影。デイシー公爵家にのみ忠誠を誓い、腕を振るう敏腕の者たちだ。その存在は、王家にすら知らされていない。本来あっていいはずがないそれは、公爵家が長年王家に忠誠を誓っていたこと、そして三代前に王家の姫が降嫁したこと。さらには裏で王家よりも力を蓄えていることが重なって生まれた。
「我らにも詳細は…。ですが今殿下のお傍にいるのは二回目の召喚された娘です。となれば聖女としての力はありません」
「そうよね…。どうして殿下はわからないのかしら…? あぁ、でも、殿下は聖女様が亡くなられたと思っているのよね。本当に浅慮な方」
フロレンシアは億劫そうにそう零す。
二人の婚約には、もちろん政略的なものしかない。カイゼルは確かに見目もよく、人の視線を集めたり先導するのが上手だろう。だが、考えは短絡的でしかも将来性を考慮しない難点がある。楽観視ばかりして事を起こし、失敗することを考えもしないのだ。だからこそ、フロレンシアが選ばれた。カイゼルより一つ下の彼女は、公爵家に生まれたからと幼少期より厳しい教育を受けてきた。
見た目だけの男に愛情など湧くはずもないが、それでも貴族として生まれた定めと割り切っていた。だが、これはいけない。
「お父様はなんて?」
「以前とお変わりありません」
「そう」
デイシー家は魔王を斃すという考えそのものに否定的な家だった。簡単な話だ。魔王とは人間では敵わない力を持つ存在。そして、その存在のお陰で人間の国家間での争いはない。いうなれば共通の敵がいることで保たれている平和なのだ。魔王がいなくなれば、領地を広げたい国々での争いが起こるのは必須だろう。
唯一、異世界から召喚された聖女だけが別だ。彼女は魔王を斃すことが出来る唯一の存在。そうして今までも幾度か魔王は斃されてきた。まぁ、すぐに別の魔王が立つのだが。それでも魔王を斃したという事実は変わらない。
「これなら、シュナイデル殿下に王位についていただいた方がまだいいわね」
「閣下も同じように」
第二王子シュナイデルは見た目も頭も悪くない。だが、兄を見ている所為か自分が誰よりも優れていると驕っている部分がある。その割に、カリスマ感がないために不興を買いやすいのだ。
「まだお若いんですもの、再教育で何とかなるでしょう」
フロレンシアはカイゼルの婚約者ではあるが、まだ王族ではない。その為、自分の家に利が出るように熟考する。
デイシー家は魔王を斃すことを止めさせたい。そして叶うならば魔王と取引が出来る関係性が欲しい。そうすることで、他国がこの国に手を出そうとすることはないだろう。そうして得られた平和を、子孫に残す。その為ならば不名誉だって甘んじて受け入れる覚悟が、デイシー家にはあった。そして全ての貴族、王族がそう在らねばならないとフロレンシアは教えられてきた。
「それで、あちらの動向は掴めたの?」
「申し訳、ございません」
「そう…。仕方ないわ」
会談のことは父から聞いていた。そしてそれが一か月後を予定していることも。だが、何故あちらの国がこの国と会談をしたいと言ってきたのかの正確な理由がわからない。それが分からなければ、手の打ちようがないと父であるデイシー公爵が言っていた。
フロレンシアは、想像でしかないが聖女の為だろうと睨んでいる。きっと父も同じだろうけれど。対応によっては、魔王がこの国の重鎮を皆殺しにすることだってあり得るとすら考えていた。
「―――そういえば、お兄様方は如何お過ごしなの?」
「相変わらずのご様子です」
フロレンシアには兄が二人いる。一人はレジナルド。第一王子の近況などを探らせ報告させるために送り込んだはずなのに、全く役に立たない十八歳。そしてその上に二十一歳のスティーブがいる。スティーブは次期公爵ということもあり、中立を保つため王弟閣下であるユーリアスの配下にいる。スティーブはまともに公爵家としての仕事をしているが、問題はレジナルドだった。
「全く…聖女召喚をして、魔王を斃せば第一王子からの覚えもめでたくなり公爵家の跡取りにしてもらえると本気で思っているのかしら」
レジナルドごときの浅はかな考えなど、すぐにわかる。本来スペアとして存在するレジナルドは、それが許せないのだろう。だからスティーブを蹴落として跡取りになろうとしているのだ。それは、公爵家の人間としてしてはならないことだった。
「そもそも、本当にレジナルドお兄様が有能ならお父様が次期公爵として指名することもわからないなんて…。だから駄目なのにわからないものなのかしら?」
「私には、なんとも」
フロレンシアは、また憂鬱そうにため息を吐いた。
自身の雇い主であるデイシー公爵が、フロレンシアが女であることを残念がっていることを影の男は知っていた。三人の子供の中で、一番出来がいいのがフロレンシアだった。頭もよく、見た目もいい。そしてなにより幼少期より鍛え上げられた精神が何よりも公爵家として素晴らしいと零していた。男であれば、三人目といえど絶対に跡取りにしただろうと言葉にするくらいに。
そしてそれは影の男も思っていた。もし生涯に渡って仕えるのであれば、フロレンシアがいいと。しかしこの国で女性の爵位持ちは認められていない。だからこそ、公爵は娘を第一王子の許嫁にしたのではないかと思っている。第一王子が王として無能だろうとも、フロレンシアが隣にいれば問題ないだろうと思ったのだ。
だが、事態は誰の予想をも超えていく。まさか、功績に焦った第一王子が異世界召喚をするなどと考えてもいなかったし、更に聖女を放逐するなど誰が想像出来ただろうか。
「―――姫様は、本当に苦労性だ」
男は、今は公爵に忠誠を誓っている。だが、もし叶うならばフロレンシアの嫁入り道具としてもらえないだろうかと考える。それくらい、男はフロレンシアの才能に惚れこんでいた。
「とりあえず…姫様のお眼鏡に適う情報を集めるとするか」
そうして男は暗闇へと溶けていった。
 




