表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
たまゆらの街  作者: 高梨 蓮
8/110

第08話 遠野 涼子 3 木々のせせらぎを背景に

 りん、と鈴が鳴る。


 その喫茶店のドアを開けて中に入ると、間髪入れず歓迎の言葉を聞くことになった。

 「いらっしゃいませ。」

 女性の明るい声。

 「いらっしゃいませ。」

 落ち着いた男性の声、…マスターだろうか。

 彼女は、ドアを音を立てず閉めた。

 気ぜわしい大きな音は、どうやらこの店には似つかわしくない。


 落ち着いた雰囲気の店内には、他に2,3の人がいる。

 音楽のない静かな店。

 良く片付けられた、だが、樹のぬくもりのする店の雰囲気が遠野はとても気に入った。

 彼女は店内を一瞥し、真っ直ぐに窓際の一人席のひとつへ向かう。

 理由などなくても、店に入った瞬間、気に入る席というのは分かるものだ。

 彼女はそこへ腰を下ろすと、手に持ったままであった羽生の地図を再び広げた。


 「いらっしゃいませ、メニューをお持ちしました。」

 そう、声がかかる。

 先ほどの男性だ、小さな喫茶店、若く見えるがきっとマスターなのだろうと彼女は思う。

 それが誤解であることを知る術はまだ無い。

 やさしい、柔らかな顔立ちをした人だと思う。

 まるでこの羽生の街のように。


 彼女は差し出されたメニューに目を通す。

 お茶は様々な種類があったが、彼女はフレーバーティーなどの香りの独特なものより、ごく普通の紅茶の方を気に入っていた。

 「温かい紅茶をお願いします。茶葉は…アールグレイで。」

 「畏まりました。」

 注文を終わろうとした瞬間、ふとあることに気付き、メニューをもう一度開く。

 「こちらは、ケーキがご自慢のお店なのですか?」

 メニューの中にケーキがとてもたくさんある。

 青年が胸を張る、にこやかに。

 それが彼にとって、的を得た質問だったのだろう。

 「そうです。」


 ケーキが自慢の店に立ち寄ることになって、それを味あわずに立ち去るのは勿体ない、と彼女はケーキも注文することにした。

 お勧めを尋ねると、アップルパイだと、闊達な女性が答える。

 それを注文することにして、彼女は今度は窓の外に視線を移した。

 地図を見て、大体城から降りてきたこの辺りだろうと、見当はつけた。

 が、この店は地図に載るような大きさではない、むしろこの店の雰囲気からして、掲載してやろうと言われても断るのではないかと思った。


 窓の外に見える樹はまばらな雑木林、思い思いの色に紅く色づいている。

 その瞬間風が通ったらしい、樹から何枚かの落葉があった。

 自然林の、とりどりの紅葉。


 「お待たせ致しました。」

 そして、紅茶が運ばれる。

 茶葉の、良い香りがした。

 「ありがとうございます。」


 どうやら青年は、彼女の持っていた地図に目を留めたようだ。

 「羽生城をご覧になられた帰りですか?」

 その通り、堂々と観光地図を広げていれば誰にでも分かるだろう。

 「ええ、この辺りを散策して来た所です。」

 「観光の方でしょう?」

 「そうなんです。ここは静かで、良い所ですね。」

 お世辞ではなかった、彼女にとってこの街はひどく居心地がよい。


 会話は、青年と彼女のものだったはずだが、嬉しそうな相づちはよそから来た。

 最初に「いらっしゃいませ」と言った、年配の女性。

 「良い所でしょう。のんびりしているし、景色も綺麗だし。

 散策する場所もたくさんあるし…。

 この辺りは特に、お散歩には最適ですものね。

 夕暮れ時も綺麗なんですよ、お暇がありましたら、是非。」

 不愉快ではない鷹揚さで、ごく自然に語られる羽生の良所。


 「是非、ゆっくりしていらしてくださいね。」

 彼女が本心からそう言っているのは確かなことで、最後の言葉は微笑みとともに彼女に向けられた。

 だが、ほんのわずか、青年の口の端に苦笑が浮かぶ。

 言うべき言葉を全て先駆けられてしまっては仕方がないだろう。

 青年は、それでも心のこもった様子で、最後の言葉を継いだ。

 「当店でも、是非ゆっくりしていってくださいね。」


 素敵なお店だこと。

 彼女はそう思った。

 「ええ、どうも、ありがとうございます。

 …ええと、マスター…?」

 礼を言おうと思って疑問系になったのは、青年がマスターであるという確信がなかったからだ。

 本来のマスター、青年の父親はケーキの販売の方へ入ってしまっており、姿が見えなかったため、遠野はこの青年がマスターかと思ったのだ。

 「あ、いえ、あの…。」

 「…あら。」

 遠野が言葉を発した瞬間、青年に表情にわずかに困惑が浮かび、年配の女性が立ち働きながらも、面白がっているような悪戯っぽい表情を浮かべた。


 どうやら何か間違ったらしいわ。


 遠野はそう思ったが、訂正はせず、成り行きを見守っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ