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たまゆらの街  作者: 高梨 蓮
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第02話 城下 滋之 1 『散歩道』の情景

かさり。


葉の触れ合う音に、僕は目を開けた。

実際閉じていたのはほんの一呼吸の間だけで、それは静寂を密やかに楽しむ為の行為だったけれども、風に揺れた木の鳴らした音に静寂の時が終わってしまっていても、風や、木の葉や、音そのものを、責める心算などちっとも無かった。


この世の全てのものは移り行くからこそ美しい。

永遠など無い。

静寂の時も永遠では無く、ほんの一瞬。

だからこそ、目を閉じる気になるのだと。


――嘗て祖母は言った。



『プロムナード』。

羽生城から下りて来る道の途中に、まるで隠れ家を建てたようにひっそりと、僕の仕事場は存在している。

紅葉、ちょうど今の季節には、落ち葉に埋もれてしまいそうな佇まい。

木造の店構えは山の色に良く馴染み、時々、お客様を遠ざけた。

捜して頂けるのは幸い。

お迎え出来る事もまた幸い。

ここは、僕が紅茶を淹れたりケーキを切り分けたりしながらお客様と話をする場であり、僕の母にとっても全く同じ、仕事場となっている。

元々は祖母が立てた店だった。

女手一つで僕の父を育てながら、この喫茶店を切り盛りしていたと言う。

僕にとっても物心付く頃合いから居心地の良い場所となり、その内に迷う事無く、僕はここで働く事を選んだ。


しかしながら、『プロムナード』。

戦前生まれの祖母には些かハイカラな名前じゃないか。

僕はそう思ったけれど、祖母はまるで秘密を打ち明けるように答えた。

「古い小説から貰ったんだよ。暗いくらあい、話だけれどもね」

結局その小説のタイトルを、僕は訊くのを忘れてしまった。


今、この店に祖母はいない。

一昨年、他界した。

最後まで恨み辛みは漏らさず、「ありがとう」を繰り返していた。


この店に祖母はいない。

けれども、彼女の残したものは確かに息づいている。


例えば、店に入ってすぐ、足元にプランターがあるのに気付くだろう。

今はゼラニウムが賑わせている。

祖母が好きだった花の、一つだ。


カウンターにある鉢植えにはリンドウが咲いている。

もうじき、花期を終える。


店の外には金木犀の木が立っている。

お客様をちょうど出迎えるように、店のドアの横に立っている。

その香りを楽しむ為に、祖母は良く、外へ出ていた。



ドアを開ければその上に飾られた鈴が鳴る。

毎朝、祖母が磨いていたお蔭で、今もぴかぴか光る鈴。

今は僕と母と父とが交替で、それを磨いている。


静かな店内。

無人では無いのに静かであるのは、音楽が掛けられていないからだ。

しかし無音では無い。

かさり、と葉の擦れる音。

ひゅう、と風の吹く音。

かちゃり、今聞こえたのは、お客様がティーカップを置いた音だ。


窓から差し込む日の光は温かく、

漂う紅茶の香りは心地良い。

静かな空間で、時折思い出したように交わされる何気無いお喋り。

そして再び、何事も無かったかのように静寂へと戻る。

移ろい行く時。

形を留めずに移ろい行く、何もかもが愛おしい。


この全ては祖母が与えてくれたものであり、

この全てを愛でる心も祖母から受け継いだものである。

目を閉じる、この癖も祖母を真似て始めたものだと記憶にある。

祖母が遺してくれたものを、僕は心から慈しみ、愛していた。

だからここに、祖母はいる。



ただ、一つだけ。

彼女は、時は移ろい行くものだと言ったけれど、

時として僕は永遠を望みたくなる。

一つでも、移ろわず変わらないものがあれば良いと、

そうすれば酷くのんびりとした僕にも十分にそれを愛でる余裕があると、

――そう思う事もあった。

あるがままを受け入れる、その事が非常に難い時が、時としてある。

そんな時は、どうしたら良い?

僕はその事についても聞き忘れていた。一つでは、無かったな。



こつ、こつ、こつ。


道を下りて来る靴音に、母が目を閉じたまま言った。

「お客様がいらしたわね」

僕はドアの上の鈴が揺れるその瞬間を見ようと、そちらに眼を向けた。


りん、と鳴った。

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