表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
たまゆらの街  作者: 高梨 蓮
18/110

第18話 韮川 誉  5 芋の行く末

 芋は無表情に見えたのに、少女の白い手に包まれた瞬間、紅を一層鮮やかにした。

あの細い指がおずおずと、無骨なさつまいもの表面を覆うと、少女、という言葉が脳裏に突き刺さる。

どうしてかは分からない。ただ何もかもが、彼女が女性である事を、その場で唸るように、耳元で囁くように誉に告げるのだった。

 危うさはある意味美しく、落日の中で、それは深かった。

 誉の笑みに、彼女が安心したように、口と頬とを、綻ばせる。



 そうして全ての芋が行き渡ると、誉の満足は大層なものになった。

ちゃんと芋の面倒をみた――彼らはめいめい大事に持ちかえられ、新たな持ち主達の血となり肉となるだろう。

食べごたえがあるのは、時折誉の家の前にも来る、焼き芋屋さんの味でも知っている。

あつあつのお芋にバターをかけると美味いのだ。とろけるバターの香りの、あんまりにもふくよかな事。

正体を溶かしていくそれを垂れ落とさぬよう、上手に食べるのがまた難しい。

切り口から溢れるほどまで厚塗りすると、塩分の摂りすぎだと母親に怒られるのだけれど、祖父がどこ吹く風で食べるから、誉もそれにならっている。


 とにかく、得意になって三つの芋を見渡すと、青年から一つの提案があった。

 芋を、預かるという。

なんで、と瞠目してしまうのは、今日食べてもらえると思っていたからだ。


 どうして預かるのだろう、食べないのだろうか?

 それとも、芋が嫌いで、食べられないのだろうか?


色々交錯させて、それだったらいらないって言えばいいのに、とか、今から持って帰った方がいいのかな、とか、おじいちゃん、分けてこられなかったのを見て、がっかりするかな、とか。

そういった考えを巡らせている間に、青年の言葉はさらに続く。



 「今度皆で、このさつまいもを一緒に食べましょう」



 皆で、一緒に。

ぱっと開いた瞳の奥で、靴音がこだまする。


 去年の秋、校長先生が校庭で催してくれた焼き芋大会を思い出す。校庭の落葉を集めて、全校生徒皆で焼いたのだ。

その年は冷え込みが厳しくて、すでにこの時期コートを着込んでいた生徒も多く、不恰好な影が校庭に集まって、さんざめきながら、落ち葉の爆ぜる音を聞いていたものだ。

北風がぴいぷう言うのと、ぱちぱちと、こそばゆい火の音。あれほど芋を焼くのが、賑やかなものだとは思わなかった。 

 入り日を眺める頃にはもう燃え屑しかなかったけれど、芋の香だけは、まだほんのりと地より立ち昇っていた。

けれどもそのうち風に連れ去られるようにして消えてしまい、今年の春、校長先生も異動になって、あの恰幅の良い、朗々とした声の人は、以後噂一つ、聞かない。


 落陽に染まった廊下を歩く校長先生の、赤い背広。

低い、校舎を労うような靴音。

 ふと思い立つ。

 そうだ、焼き芋をしよう。



 散らかった落ち葉を、いちょう、けやき、朴、柿、つたと、こならにくぬぎ、それぞれ数えて。

いろはみもじとかえで、八重桜の葉はきれいに色づくから、すぐ分かる。

全部集めて、色とりどりの焼き芋をしよう。去年の秋のような、賑やかな、気をつけて食べないと、熱された芋の汁に、舌を焼かれる危険をはらんだものを。

この四人で。



 けれども青年が提示したのは、スイートポテトだった。

誉は驚いて、取り消すように首を振る――代わりに、青年を直視する。


 「ただ焼くだけでも美味しいよ」



 否定したいわけではなかった。プロムナードのスイートポテトは天下一品。

それは誉でも知っているし、間違いじゃない。だから首は振らない。

 でも、このお芋は焼き芋じゃなきゃ駄目だ。


 「そうよ、焼き芋の方が美味しいわよ」

 味方に回ってくれたのはおばさんだった。そしてその手にあるのは、いつもおまけ、と称して戴く、クッキーのつまった瓶だ。

貰うのはいつものことなのだけれど、手渡してくれた人の分までお芋がなかったことが、酷く悲しい。

 「私は良いのよ。うちの滋之が貰った分のお礼」

 滋之は手が塞がってるから、その代わりにね。


 優しい笑みは、少し、母親と被る。

いや、母親よりも、この人の方が笑うのが上手だ。

ナプキンに包まれたクッキーが、母親めいた人の手で大事に仕舞われるのを眺めながら、そんな事を思う。



 「どうもありがとう」

 「お祖父さん達にもよろしくね」

 よく似ている。おばさんと、青年と。

それはとても誇らしいことに思える。

優しいおばさんと、大好きなお兄ちゃんは、親子なのだ。

そうした繋がりが、大事にされる芋と同じように、嬉しい。

 そばかすが赤々とした落日の刺しこみに浮いて、はじけた。



 「それじゃあ、お芋を焼く日を決めましょうか」

明日か、それとも明後日か。

抱えたお芋を店の奥に仕舞うと、青年は手についた土を洗い落として、きれいに拭った。


 「明日だよ。明日は風がないっておじいちゃんが言ってた」

 指先に唾をつけて、風の向きを測る祖父。

靴を投げて、天気を占う誉。

二人の占いの結果、明日は青天、風は穏かもしくは無風の焼き芋日和、となったのだ。

そう告げると青年ではなく、遠野さん、と呼ばれた女性が、面白そうに目を細める。


 「でしたら、明日で決まりですわね。風がないのなら、火の粉が飛ぶ恐れもありませんし――奥本さん、貴女は明日は平気?」

女性の声は、きりりとした眦で想像するより、ずっと優しく、穏かだ。

耳に心地よい、決して高すぎない声は、とおの、という名の音に、よく似合う。

問われた先の少女ははい、と返事をして、誉はすでにこの二人が知り合いであることを知る。



 遠野さんと、奥本さん。

奥本さんは、確かさや、いう名前だったはずだ。

青年が、いつも「さやちゃん」と、そう呼んでいた。

奥本さや。本のお姉ちゃんは、本のお姉ちゃんにぴったりの名前を持っている。



 「いいわね。でも気をつけてね、火の始末はしっかりしなくちゃ駄目よ」

 「ちゃんとやるから大丈夫だよ」

おばさんが青年へと向けた言葉を、代わりに拾う。

青年はにっこりした。

 「そうだね。紗耶さんも、遠野さんもいるし」

 さやちゃん、はいつの間にか、さやさん、になっていた。

奥本さやさん。

遠野さんと同じ、大人の女性になってしまった――そんな印象を受ける。

誉も大きくなったら、誉さん、と呼ばれてしまうのだろうか。


 余りにも似合わないその響きに思わず首を傾げていると、そんな疑問に気づく様子もなく、青年が尋ねる。

 「今日も探検かな?」

誉が頷こうとする、その瞬間を突いて、女性――遠野さんが、目を瞬かせた。


 「探検?」

 「ええ。誉君は、探検が趣味なんです。もしかしたら、羽生を一番知り尽くしているのは誉君かもしれない――それくらい詳しいんですよ」


 他の人が言えば大袈裟な、と思う言葉も、青年の口から出ると、不思議と嫌味でない。

お兄ちゃんに褒められたのが嬉しくて、うん、と胸を張ると、女性が何を思いついたか、涼しげな目元を、また細めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ