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たまゆらの街  作者: 高梨 蓮
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第14話 遠野 涼子 4 思い出すことなど

 「…奥本さんは、このお店にはよくいらっしゃるの?」

 穏やかに、遠野は問うた。

 その質問は、あくまで少女に向けられたものであったが、答えは違う方向から来た。


 「そうです。良く来てくれるんですよ。」

 答えたのは先ほどの「マスター」、本来なら会話に割り込まれるなど遠野は好まない、だがそれがごく自然に受け止められたのは、先ほどのこの青年と青年の母親とのやり取りを見ていたせいかもしれない、人なつっこい、よく似た親子だという印象が遠野の頭の片隅を掠める。

 遠野は僅かに笑みを浮かべ、それから少女へ視線を移した。

 「それじゃ、常連さんでいらっしゃるのね。」

 「ええ。」

 問いかけは反語の形で、それも答えは青年から来た。

 それが嫌味を含まないのは、いっそ会心の客を誇っているような様子であること、青年の物腰のやわらかであるためかもしれなかった。

 「そうなんです。」

 少女は、答えを青年に預けきりにはせず、きれいな発音ではっきりと答えた。


 遠野が次の言葉紡ぐ前に、青年がそこへ、ぽん、と言葉を落とした。

 「貴女の座られている席、紗耶さんもお気に入りの場所なんですよ。」

 意外な言葉だった。

 遠野は瞬間驚く、そして、少女はもっと驚いたらしい、弾かれるように顔を上げた。

 問いかけるように少女の視線が青年に向く。

 遠野は訝しみ、少女を顧みて、そして呟く。

 「そう…でしたの?」

 青年の真意が読みとれなかったが、問いただす前に、青年は再び誇らしそうに言葉を続けた。


 「お客様。

 貴女はこの店に入られて、直ぐにこちらの席に着かれましたよね?

 まるでお気に入りの場所をご存じであるかのように、迷いが無かった。」

 それはそうだ、好きな場所は大抵一歩を踏み入れた瞬間分かる。

 「そのお姿を拝見した時、思ったんです。

 紗耶さんが好きな場所と同じ席をお選びになられた、

 貴女と紗耶さんは、きっと同じ眼を、お持ちなのだろうな、と。」


 同じ眼、なのか、どうか。

 だが、同じものを慈しめると言うことはとても素敵なことだ、そして続く言葉で青年が誇らしげにそれを語る理由が分かる。

 客が店を選ぶように、少女も店の気に入りの客なのだろう。


 そして光栄にも、遠野は一見にしてその席を手に入れたらしい。


 青年がはっきりと少女へ視線を向けながら語る。

 「紗耶さんの物を見る眼、僕は好きなんです。」

 それは、彼自身がそれを誇らしく思っていることを表している。

 「貴女も紗耶さんのように、

 この店にいる時間を楽しんでくだされば、

 それは僕にとっても何よりの幸いです。」

 彼がそう言って微笑んで会釈をする。


 遠野が会釈を返そうとしたその時、ドアの鈴が大きく鳴った、誰だろうと一斉に三人が視線を向けた。

 風邪が吹き込む、既に夕の時刻か。

 「誉君?」

 青年が入ってきた人物の名らしきものを呼ぶ。

 どうやら知り合いらしい。


 入ってきたのは少年だった。

 その少年に遠野は見覚えがある。


 ふと、思い出した。


 昨夜。

 宿で月を見ていた、その時廊下で、きゅ、と床を擦る音がした。

 誰だろうと好奇心が沸いて、障子を開け廊下に身を乗り出すと、少年の姿があった。

 泊まり客の子供かと思ったが、夕食の手配をしていた仲居の姿が共にあり、それが噂の通勤鞄の子供と知れた。

 叱られていたのか

 「誉、早くいらっしゃい。」

 そう言って、仲居は遠野へ会釈する。

 遠野も会釈を返したが、笑みは少年へも向いた。

 通勤鞄で通学する子供の話を聞いたばかりだ、印象に残っていないわけがない。


 「誉。」

 「うん。」

 少年は母親に連れられ行く。

 ほんの悪戯心。

 きびすを返した彼に届くように、遠野は、きゅ、と床を擦った。

 遠野は少女のころにもそう言ったことを試したことがない、少年のものと違い、その音はあまり響かなかった。


 音に、少年が振り返る。

 きゅっきゅ。

 教えてくれるつもりなのだろうか。

 きっとそうだろう、それならばこのように。

 遠野は少年にならって、きゅ、と床を擦った。


 わざわざと、床を擦ったのは初めてだ。


 きゅっきゅ、と、古い床の良い音がし、少年はそのまま母親に連れられて去った。

 戻った部屋から見た月は、やはり美しかった。

 ほんの僅か位置を変えて。



 その昨夜のこと。


 その昨晩のことを遠野は思いだした。

 あの少年、母親に誉と呼ばれていた、間違いない昨日の今日で見間違うわけもなかった。


 「風が。」

 少年はそう言ったが、少年の次の行動は風とはなんの関係もなかった。


 背負ったリュックを降ろし更に袋の中から何かを取り出す。 

 「沢山とれたんだって。あげる。」

 何が取れたのか。

 見ればそのまんまさつま芋だった。

 言葉は少ない、青年の手に有無を言わさぬ勢いで芋のひとつを乗せると、少年はこちらの席に向かってくる。


 窓際の席。

 袋の中から、取りいだしたるのはもうひとつ、さつま芋だ。

 案外な大振り、良い収穫のようだ、そして彼はやっとこちらに気付いた様子で、

 「あ。」

 そう言葉を発した。

 「先日の。」

 遠野はそう少年に笑う。

 通勤鞄の、とはつけなかった、それはおそらく少年の知らぬところでのうわさ話。


 さて、少年は誰を目指したろう、この席を目指したならここにいつも座る人物だろうが。

 遠野はそう思ったが、少年の反応は意外だった。

 「…お芋、食べる?」

 そう屈託なく差し出された見事なさつま芋、受け取るべきか否か。

 「ん。」

 少年がさしだした芋は遠野の目の前にある。


 「…どうもありがとう。」

 遠野はその芋を手のひらに乗せてみる。

 生だ。

 さて旅先で生の芋をどうするべきか。

 だが、多少の困惑はよそに、不思議と迷惑という気分にはならなかった。

 青年も生の芋を持ったまま少しだけ困ったように笑っている。

 それでも彼は芋の調理法くらいは持ち合わせているだろう、何しろここに家があるのだから。


 遠野は芋を受け取った後、真っ直ぐに少年を見た。

 少年はあとひとつ、リュックからさつま芋を取り出している。

 リュックが軽くなった様子が目に見えた。

 どうやらあれが最後のひとつ。

 少年はあれをどうするつもりか、興味深げに見ていた遠野は、少年の視線が何かを捜すげに店内を一巡した後、遠野のひとつ置いた席に座っていた少女へ留まったことに気付いた。


 なるほど、そもそも遠野の席はいつもは少女が座る席だ。


 少年は、取り出した芋を屈託なく、少女にもさしだした。

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