第13話 韮川 誉 3 おすそわけに
千紫万紅の花壇ならぬ山――この場合、花ではなく葉であるが――そう言って何ら差し支えない。
目の前にこんもりと立つ小山を見上げながら、誉は秋茜を追った。
家に帰ってまず目についたのは、ダンボールに三箱も積まれた、さつまいもの山だった。
「おじいちゃん、これどうしたの?」
日の影で暗い玄関。ひんやりとした空気と、古い家独特の篭った匂い。
それらを嗅ぎわけながら、西日で赤い廊下の奥に向けて、靴を脱ぎつつ問う。
「芋、芋。夕飯は天ぷらにふかし芋、それに芋粥だな。誉、手伝え」
「うん」
嬉しそうな顔をして孫の帰りを迎えた祖父は、やいやいやい、と呟きながら、手を擦り合わせる。
彼がダンボールの蓋を開けると土の匂いが途端に溢れ、不器用に、家の匂いに混じりこんだ。
「太っちょだな。ほら、誉、重いだろ」
そう言って、芋の一つを手渡してくる。
随分と大振りで、片手では持ちづらい。表面についた泥は落とされていないで、時間の経過によって乾いた末に、さらさらと手の平を撫でた。
やむなく古びれた革製の通勤鞄を置いて、両手で持ち直す。
その様を見て祖父がにやりとするので、目を瞑って、首を振った。
「全然」
「全然か」
かかか、と笑って、誉に渡した芋を引っ手繰る。
部屋から持ってきたスーパーの袋数枚に、五つ、六つと分け入れた。
その様子を見ながら誉も家にあがって、余っている袋に同じように分け入れる。
「これが庄司のとこ。これが末松のとこ。高田さんとこは奥さんしかいないわな、少しでいいわ」
「赤間さんは?」
「うん、誉、持っていくか」
「いいよ。ねぇ、これどうしたの?」
「八木一が持ってきてな。そこんとこでとれたって、くれたわ」
それにしては随分多い。
ダンボールをじっと見る孫の視線に気づいたか、祖父も笑った。
「こんなにいらんって言ったらな、ならご近所さんに配れってな。じじいもばばあも芋は好きだがそんなに食わんわ、こりゃ余るぞ」
そう言う顔は、楽しそうだ。祖父は昔から、貰い物が好きだ。
「頑張って食べてもらえば」
「飲河満腹、分相応。器の大きさも胃の大きさも人それぞれ。屁ばっか出ても仕様がないしな。誉も食いすぎるなよ」
齢七十。意気軒昂とした様は昔と変わる事なく、祖父は最後にほれ、と一つを放ってくれる。
誉の手にも包める、小さなさつまいも。
美しい紅色が、くすんだ土衣の向こうに映える。
「友達にも配ったらどうだ。少し持っていけ。どうせ外、出るんだろう」
頷く間もなく、祖父はやはり、やいやいやい、とビニール袋に詰めてくれる。
一袋を預かって、それを愛用のリュックに押し込めると、日課の探検へと出た。
秋小寒、今朝方あった秋霜は、午後にもなれば綺麗に消えている。
高台からゆっくりくだる道を行きながら、隣の空き地のすすきをはたく。
ふさり、とした感触は手に宿り、けれどもすぐに無くなって、零れ落ちる露を思わせた。
幼い手にも、残せないもの。すすきが揺れる。
少年の行く道は、何もなく、ただ広くある。
申し訳程度の坂道はさやさやと揺れるエノコログサに両脇を守られて、傾いた日差し、黄金色の竜の背のような、一本筋になっている。
道の先には一軒二軒、瓦屋根の家があって、うち一軒は友達の家だ。
訪ねてリュックの中身を見せれば、一つ欲しいと抜き取っていった。
芋が六つ入ったリュックも、住宅街にかかる頃には半分に減る。
荷が軽くなれば自然、足取りも早まって、どんすけの頭を撫でるにも、億劫でない。
「お前はさすがに食べないもんね」
薄開いたどんすけの瞳が、背後の空を映す。
秋茜は、通りの家の物干し竿にいた。
誉が見つめていると、視線を嫌うようにぱっと飛び立つ。
透明な羽をはばたかせて逃げるので、後を追う。つまらないくらい薄青い空だ。
後ろでさつまいもがごろごろ揺れると、何故だか一人という気がしない。
そうしてふと気づくと城の近くまで来ていて、茂った木々に、我に返った。
随分来てしまっている。ここらに友達はいない。
背中に残った芋は三つ。さて、どうしよう。
戻ろうかと背後に首を回すも、またも斜陽に目を射抜かれた。
この鋭い矢と対峙しながら延々と来た道を返すのも、気が退ける。
逡巡して、その場で進退を繰り返す。
そのうちふと、思い出すものがあった。プロムナード。
小山の上にちょこんと見える、羽生城の天守閣。
間違いない、この山の下だ。母親のお気に入りの喫茶店、ケーキの美味しいお店、プロムナード。
たまの休みに親子揃って訪れるのが決まりになっている。あそこの青年がクッキーをおまけしてくれて、おじさんとおばさんは親切だし、誉も大好きなお店だ。
クッキー。いつもおまけしてくれるクッキー。あのお兄ちゃん。
なら誉だって、お返しする義理があるはずだ。
さつまいも、とか。
喫茶店に保護者なしで入店するのは、校則で禁じられている。
禁じられてはいるけれど、自分はお茶をしに行くわけではない。
おつかいだ。祖父は友達に分けてこいといった。
言いつけに従うだけだもの、悪いものではあるまい。
決まれば、後は早い。そうして誉は道を進む。
山のふもとの喫茶店は、ここからでは目に出来ない。
店だというのに木陰に隠れて、ひっそりと、木立の影を一人楽しむように在している。
お客さんがそれを見つけると、得した気分になるように。
植物の萎靡はまだ始っておらず、枯れ倒れる前の今年最後の着飾りを、誉の目の前であざやかに行っている。
扉をくぐる時、北風に押された。
鈴がいつもより大きく鳴って、慌てて扉を閉めたけれど、間に合わなかった。
風は隙間からするりと入り込んで、店内を走り、ひゅぅっと音をたてて、絶えた。
「…それは僕にとっても何よりの幸いです」
そう言って顔をあげた青年の髪が、風の手に柔らかく、散らされる。
会話の邪魔をするには至らなかったようだ。それにほっとしながらも、扉に背を押し付けたまま顔を向けると、その青年と目があった。
「誉君?」
柔和な表情が僅かに驚いている。だがそれはすぐに崩れて、元来の人懐こい笑顔が浮んだ。
「風が」と弁明しながらリュックをおろして、中からさつまいもの袋を取り出すと、青年へと差し出す。
「沢山とれたんだって。あげる」
歩み寄った後、つっけんどん、にも取れそうな、簡単な説明。
相手の反応には構わず、中からもう一つを抜き取って、青年の傍ら、窓際の席にいるはずの、あの少女にも――
「あ」
本のお姉ちゃん、じゃない。
いつも彼女が座っていた席に、誰か別の人がいる。
名は知らない。ただ、昨夜のあの筧の音と、障子の影がふと、脳裏に蘇る。
「先日の」
初めて、声を聞いた。