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たまゆらの街  作者: 高梨 蓮
103/110

第103話 韮川 誉  30 一週間後 夜道

 誉が母親の迎えに出たのは、夜も十時を過ぎてからだった。

習慣とはいえ秋も深まればいよいよ寒く、パーカーでは凌げない寒さになれば自然足も遠ざかる。

春夏の頃には毎夜に近く通っていた清流荘へも、誉の姿が見えなくなれば「寒くなったものねぇ」なんて、仲居の口にものぼる。


 とはいっても誉自身は寒かろうが母親の迎えには喜んでいく次第だった。

それを阻むのは一重に母親の方で、冬の寒さと暗がりとが、息子を家に留めておきたいと思う所以である。

たかだか家から二十分の距離、この羽生で心配症ねぇ、という年上の同僚もいるけれど、それは彼女の息子がもう大分大きくなって手がかからなくなったからであり、まだまだ爪を切るのを忘れて靴下に穴をあけているような息子では、母親としても安心するわけにはいかないのだ。そう、誉の母親は常々思っている。



 そうしてこの頃になると、迎えにいった先での母親の顔は僅かに渋くなる。

まだ「来るな」とは言われないけれど、少し薄着すぎるんじゃないの、とか、宿題は済ませてあるの、とか、煩い小言で誉を追い払おうとする。

そのたび誉は肩を竦めてやり過ごすけれど、仲居達が誉のあらわれる頻度で季節をはかるなら、その母親ののっぺりした顔に浮ぶ皺で誉は季節をはかっているのだった。


 やがて冬本番になれば遠まわしな言い方が消え去って、直截になる。

「こなくていいって言ってるのに」――それが息子を気遣う心境からとしても、まるで子供のように口を窄める母親に、ふてくされるどころかかえってかわいいとすら思ってしまう。

普段なら叱られて誉がやる仕草を母親にさせているというのは、親子があべこべになったみたいで面白い。



 「明日、お帰りになるんですってね」

 しかし今日の母親が洩らしたのは、とうとう夜の出に羽織るものが必要になったというのに、誉の迎えに対してのお小言ではなかった。

この一週間お世話した、息子が一週間親しくした客についてで、それは名を言わずとも息子にも知れている。

 誉は一瞬俯いて、それからそのまま顔をあげずに頷いた。

 「うん」

 「残念ね。仲良くなったのに。お姉さんが帰ってしまって、寂しくなるわね」

 「・・・うん」

 本当はべつに、と返すつもりだった。

あんなにあっさりと背中を向けていってしまった涼子さん。案外しつこい性格なのか、誉の胸のうちにはまだ悶々とした鈍い怒りがある。

けれどそれとは別に、やはりその背中を思い出すのは寂しかった。

夜の冴え渡った月の下、冬がもう間近まで迫っているのを知る中で、怒りなど急速に絶えてしまうものだ。


 「残念ね」

 息子の声が落ち込んでいるのに気づいて、母親は労わるようにもう一度繰り返す。

 「うん」

 誉はさっきより強く答える。母親と繋いだ手――夜のお迎え時、道を歩いていても同級生に見咎められる可能性のない時分にだけ繋がれる――を、もっとしっかりと握りなおす。そうして訊ねる。


 「一週間って、大人の人には長い?短い?」

 「どうかな。でもお仕事しているとそう長くはお休みとれないから」

 お母さんだってそうでしょう、と母親は尋ね返す。

 「だから今回の一週間っていうお休みは、お姉さんにとっては長いお休みだったんじゃないかしら」


 誉は浅く頷いて、でも聞きたかったのはそんなことじゃない、と心内で呟く。

 一週間が涼子さんにとって羽生を楽しむに充分だったか。ゆっくりできるに足りたか。

自分ことを好きになってくれるのに充分だったか。それが知りたい。

涼子さんは、自分のことを自分が涼子さんを好きなほどには、気に入ってくれただろうか。自分の案内で心ゆくまで楽しんでくれたかな。


 健気といえば健気な思い、そして卑しいもので楽しんでもらえたなら言葉でもなんでも、その証が欲しくなる。

それを確かめるにもすがり付ついて困らせるには歳をとりすぎているし、お兄ちゃんのように何も言わずにその触れ合いだけで満足するには幼すぎる。

小学五年生はやりにくい年頃なのだ。元気ばっかりあって、重要なことは何一つできない年頃なんじゃないだろうか。

なんだかすてばちになってそんな事を考えて、転がっていた空き缶を蹴ると、響くから、と母親にたしなめられた。



 「それで、きちんとお礼とお別れは言えたんでしょうね?」

 ついで殆ど確信を持って訊ねられれば、誉は今度こそ黙してしまう。

 あら、言わなかったの?と、礼儀だけは教えてきたつもりの母親は、これには目を丸くする。

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