第101話 韮川 誉 29 韮川家の月見
秋の夕暮れを縁側で楽しむ誉に、祖父が台所でつまみをつくる音が聞こえてくる。
ヒグラシが鳴き薄闇がおち、垣根のない庭から街の影がいっしょくたになっていくのが見える。
相変わらず月は白いまま僅かに高度をあげ、そういえば涼子さんと別れる直前、月の話が出たのを思い出した。
「おじいちゃん、お月見っていつだっけ」
「もう終わった」
あちちち、と舌打ちと囁きを同時に混ぜて台所から祖父が応える。
どうせ魚の焼き加減を見るのに直接手で触ったのだろう、彼は焼き色ではなく渦中の食材を摘みあげ触れることで焼き具合を測る。
熱くないの、と誉が尋ねるといつも平気な顔してうん、と頷くくせに、誰も見ていないとこうして舌打ちも憚らない。
「月がきれいだよ」
「ほう、そうか。そんなきれいに焦げ目がついたらいいわな」
「魚の話じゃないよおじいちゃん」
「魚じゃなくて茸きのこ」
途端にぷんと、芳醇な、独特の香りが流れてくる。
相変わらず照明のついていない居間の奥、煌々と白色の電灯に彩られた台所で祖父が取り出したのは、大きな茸だった。シルエット以上にその鼻を突く匂いで分かる正体に、誉は振り返ったまま顔をしかめる。
「それ、きらい」
「罰当りな奴だな。お前には食わせんぞ」
まつたけを皿に盛った祖父は同じように顔をしかめて、もう寒いから閉めなさい、と添えた。
そうして居間にもとうとう電気を点す。せっかく薄闇に沈んでまるで外のようだった室内は翳りを失って、誉はちょっと落胆した。
息を浅くついてから、祖父の言葉に逆らって庭に降ろした足はそのまま、だってくさいんだもん、と反論する。
祖父は皿に移したまつたけを持ってやってきた。近づく匂いに思わず顔を遠ざける誉の横に膝ついて、本当だなぁ、とガラス戸の隙間から顔を出す。
「本当に良い月だなぁ。月見にでも行くか」
途端に誉がむっとする。
「行かない」
匂いがきついのかさらに眉をしかめて、行かないよ、ともう一度零す。
祖父が不思議そうに顔を向ける。
「どうした。何かあったか」
「……何にもない」
「ふてくされて」
鬱陶しそうに肩を払うと、さらに顔を覗き込んでくる。うん、と顎で促すので、それでもむっつり黙り込んでやった。
良い月なのになぁ、と零す祖父の傍らで、もう案内なんかしてあげないんだ、と誉はいまだに膨れている。