第8話 王のお召し
『 国司の代理というのは,とても気を遣うし,それ以上に決定の責任の重さは私を押しつぶそうとするわ。
重罪者をコーロン島におくる決定と,帰りの船に乗せる国司様就任に伴う恩赦の対象者の決定・・・。
そして,人をあやめた者に対する導師達による劫火刑の決定・・・。
いくら命は奪わないと言っても,劫火刑は心に大きな傷を与える刑罰。
心が萎えてしまいそうになる自分を,昨日の涙の記憶が叱りつける。
きっとこれからは,毎日がこんな日々なのでしょうね・・・。
でも,これは誰かがやらなければならない仕事。そして,私は王女様からそれを任されたんだもの,誰にも弱みを見せるわけにはいかないわ。
明日は,クリス様に上奏師達の処分について相談しなければならないし,まだ夕の6刻半(午後8時頃)を過ぎたばかりだけれど,今日は早く眠ることにしよう。昨日も余りよく眠れなかったことだし・・・。
・・・?
・・・??
主室でキリアが何か騒いでいる・・・?
えっ?
王のお召し?
なんで? 何で私を今頃陛下がお召しになるの? 』
刑部日記 統一王歴1926年春の行月25日より
「王のお召しにより,ラミン刑部府司補様をお迎えにあがりました。」
私の房の主室には,王の正使としての飾綬を着けたルーデルさんと,見たことのない女官が二人いた。そしてラミンさんは,あっけにとられる私に深く腰を折って用向きを伝えた。
私は,慌ててルーデルさんを寝房に引っ張り込むと扉を閉めた。この際,無礼だとかはしたないなどと言っている余裕はない。私は,早口でいったいどういう事なのかとルーデルさんに聞いた。
「正直言って,私にもよく分かりません。6刻には陛下のお食事も済み,主寝房にお入りになられたので,私も春宮殿の房に戻りました。ですが,つい先ほど後宮からの使いがあり,慌てて陛下の元に駆けつけますと,陛下はラミンさんを正使により召し出されるようにお命じになられたのです。ですから,もしかすると・・・。」
そう言って,ルーデルさんは口ごもってしまった。
「もしかすると,何なのですか?はっきり言ってください。」
「え,ええ・・・。実は・・・,クリス様は玉の儀式の数日前に,急に陛下とご一緒に朝食をお召し上がりになられました。そしてその際に,新たにお后様をお迎えになられるようにお勧めされたのです。ですから,陛下がお后様候補にと・・・」
ルーデルさんは,最後はうつむき加減になって言葉がしぼんだ。
もっとも,ちゃんとした言葉であっても私の頭に入ったかどうか。
「き,き,后ぃ! だ,誰が・・・?」
「ラミンさんが・・・。」
「な,何をおっしゃってるんです?ほ,本気でそんなこと思ってるんですか?」
「私のこの姿は,王の正使なんです。こういっては何ですが,妾を迎える場合にはこんな格好はいたしません。正使は,陛下が王国の代表者として正式な意志を伝える際にだけ用いられるのです。ですから,おそらくどの立場の官であっても同じ結論に達すると思います。」
ルーデルさんは,申し訳なさそうに答えた。
私は思わず天を仰いだ。
そして大きく息を吸い込むと,目の前のルーデルさんに向き直った。
「な,なぜ? なぜ私がお后様になるというのですか!」
王城内に住んでいたから,王宮の行事などで正殿2階のテラスに陛下が現れた場面は何回か見たことはある。おとといは,王宮広間で壇上にいらっしゃる陛下を拝見した。そして,昨日は,あろう事か同じ壇上に座り,目を合わせた・・・。
でもそれだけなのだ。私は陛下と言葉を交わしたこともない。
「他に,こんな時間に陛下が正使を使って後宮にお召しになられる理由が考えられないからです・・・。ラミンさん,申し訳ありませんが,私の立場ではこの件に関しては何もお助けすることはできません。私は正使の立場ですし,正使には二人の女官が付く決まりなので,このままクリス様に相談に行くこともできません。そして,陛下がお待ちですので,どうかお急ぎください。」
ルーデルさんは,そう言うと呆然とする私に刑部府司補として正装をするように促した。
私は,呆然としたままルーデルさんの先導で後宮に入った。全く周囲を認識できず,後宮3層の主寝房に着いたときも,まだ夢の中のようだった。
しかし,ルーデルさん達は,控えの間まで同行すると,一礼して戻ってしまった。
私は一人きりになると,一瞬で意識を取り戻した。それは,恐怖という感情のせいだった。これから何が起こるのだろうかという恐怖。驚きよりも,不安と恐怖が私に意識を取り戻させたのだ。
私は,手を一度強く握りしめて,主寝房に続く扉を見つめながら,ここ数日自分を叱りつける心の中の呪文を,小声で口に出した。
「全てはクリス様のため。私は,命に代えても悔いはない。」
そして,小さく頷くと,扉に向かい声をかけた。
「ラミン刑部府司補。お召しにより参宮いたしました。」