第7話 私の立ち位置
元々の責任感と、王女への思いだけで成り立っています。
いずれ心が折れることは、当然の予想・・・。
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「司補様,おはようございます。本日ごらんいただきたい書類は,机の上に置かせていただきました。」
私が刑部府に入ると,フローラが私に声をかけた。
昨日は書類を見る気にもならなかったため,とりあえず基本的な国法の書を持ってこさせて終日それを読んでいた。さすがにいつまでも執務をしないというわけにも行かないので,どうしても急いで見なければならないものを今朝用意しておくようにと命じておいたのだ。
私は気が重くなったが,それでも見ないわけにはいかない。何しろ私は,王女様のためにこの命さえも捨てたはずなのだから・・・。
私は,本来は正大司用の立派な椅子に腰掛け,目の前に積み上がっている書を見つめた。およそ5センチほど積み上げられた書は,いずれも刑部府長の決裁を要する書であり,重要な内容であることは中身を見なくたって分かる。私は,ため息をついた。クリス様からも,国母様からも「あなたの自由にやってかまわない。」とは言われているけど,それができるほど私の心臓は強くないのだ。
ここは国司専用の部屋なので,今は私が許さなければ誰も入れない。だから,こうしたため息も他に知られることはないだろう。とは言っても,上奏師と下官達を取り持つシングプレートには,次室に待機してもらっている。そうでなければ,何か用事があったとき,広い次室を通り抜けて控えの間まで赴かねばならなくなってしまうからだ。だから,どんなに心が乱れても,「ワー!」などと叫ぶことはできない。そんなことをすれば,すぐに何事かという騒ぎになってしまう。
私はもう一度ため息をつくと,一番上の書を取り上げた。
しかし,その表書きを見た瞬間,私は息をのんだ。
そこには,「玉の儀における不調法に対する上奏師の処分について」とあったからだ。
私は,慌てて中を読んだ。
それは,執政府長であるパディアイランが直接発案したものだった。パディアイラン自身については監督責任として1週間の,執政府司補として儀式進行の責任を負っていたバンブホーンと聖杯を取り落としたドアシェド導師府長には直接的な責任を問い3ヶ月間の,それぞれ謹慎蟄居を明日から命じるというものだった。
(上奏師に対する謹慎蟄居って,官が命ずるべきものなのかしら?)
私は,素朴な疑問がわいた。上奏師は,王が特別の権利を与えた上級の官であり,下官のように他の官がこれを任じることはできないのだ。
しかし,すぐに自分自身でその答えに思い当たった。
(あっ,そうか。私が決裁すれば王命になるということか・・・。でも,本当にそんなことでいいのかしら?)
私は,何となく腑に落ちなかった。
昨日のクリス様の言葉にもあったけれど,執政府が私の決裁で王命に代えようなんていうことを,本当に考えているのかという疑問だ。
私は,席を立つと次の間のシングプレートを呼んだ。
「どのような御用でしょうか?」
ゆっくりと正室に入ってきたシングプレートは,私が椅子に座るのを待ってから声をかけた。
(なるほど。こういう場合には,「何か御用でしょうか」とは言わないんだ。確かに,用があるから呼んだんだし。)
私は,シングプレートの言葉に妙な感心を懐いた。
「この執政府から回ってきている書ですが,中身は読んでいますね。」
「はい。」
「そもそも上奏師を罰するは王の専権だと思いましたけれど,私の考え違いでしょうか?」
「いいえ,司補様のお考えのとおりにございます。」
彼は,丁寧に頭を下げながら答えた。
「それでは,なぜこのような書が官の間を回るのですか?」
「はい。陛下に官の全ての把握をいただくのは大変なご苦労をおかけすることであり,官自身がそのお手伝いをするのが臣下としてのお役目であるという考え方に基づくものでございます。」
何となく分かったような分からないような答えだ。
「具体的には,どういうことなのですか?」
「はい。上奏師という身分の高い方々は,ご自分の落ち度について厳しく自らを律することを旨とされておられます。そしてその内容は,全ての上奏師が納得する内容でなくてはならない,誰もが認める相当なものでなければならない,ということで,5官府全ての長の同意に基づいて陛下に奏上されることになっています。」
「理解できないでもないけれど,それは国法なのですか?」
「いいえ。執政府長様が王国会議でご提案なされ,陛下がお認めになられたものでございます。」
なるほど,もともと上奏師は陛下に直接意見を具申できる立場だし,その意見をあらかじめ5官の間で調整するというのも王権とは何の関係もない。
「では,まだ同意ができてもいないのに,『明日から』というのはどういうことですか。いつ陛下に上奏するというのですか?」
「そ・・,それは・・・。」
はじめて,シングプレートの言葉が詰まった。
「それに上奏師は各官せいぜい三名。それでも陛下がこれを把握できないというのですか?」
私の追求に,シングプレートは俯いたまま固まっている。
やはり,私の決裁で王命とするわけではなさそうだ。
「あなたには,分かりませんか?」
「・・・。」
シングプレートは周囲に目を泳がしながら,必死に言葉を探しているようすだ。
どうやらその理由を分からないということではなく,どういっていいかを必死に考えているらしい。
「分かっていても,私には答えられないというのですか!」
私は,語気鋭く追い打ちをかけた。
シングプレートは,「ヒッ」と体を震わせると,大粒の汗をかき始めた。
そして,しどろもどろになりながら,説明を始めた。
「わ,私は上奏師ではございませんので,確かなことは,申し上げられませんが・・・,執政府長様のお決めになられたことについて,これに異を唱えるお方は,こ,これまで,いらっしゃいませんでした。で,ですから,これは,5官府に,執政府長様のご意見をお知らせする書の役目を・・・。」
最後は,私の顔を伺い見ながらほとんど聞こえない小声となった。
「では,私がこれを保留と判断したときには,どうなるのですか?」
シングプレートは,驚いたように顔を上げて私を見た。
しかしすぐにその非礼を悟って,また頭を下げながら答えた。
「それは・・・,私にはお答えいたしかねます・・・。」
その様子を見て,私は心を決めた。大きく息を吸い込むと,下腹に力を入れてはっきりと声を出した。
「では,この件は本日は保留とします。私が決裁をしてしまえば,王命としての決裁となり,陛下への上奏無くして蟄居謹慎を命じることになります。果たしてそれが陛下の御心にかなうものなのか,国司様とも相談させていただいてから決裁します。そのように執政府に伝えておいてください。」
「わ,わかりました・・・。」
シングプレートは,入ってきたときとは異なり,慌てた様子で正室を出て行った。
その姿が扉の向こうに消えると,私は息を吐いて体中の力を抜いた。
豪華な椅子に体を預けながら,これで本当に良かったのかと自分自身に確認してみた。
私自身これが正しかったかどうかなんて答えは出せないけれど,少なくとも明らかに誤ったことではないと自分に言い聞かせた。
そして,手に持っていた書を机の端におくと,再びため息をついてから次の書を手に取った。
「なんだと? 刑部府が私の書を保留にしただと?」
「はい。下官の報告では,なんでも刑部府の決裁は陛下の決裁でもあるから,少し考えさせてもらうと司補が言っているとのことです。」
時は夕の3刻(4時15分頃),まもなく執務も終わる時間の執政府長の正室で,パディアイランは,執政府ナンバー2のスプリングネクスト執政府司から報告を受けた。
「宮中の掟も知らぬ小娘が何を偉そうなことを!」
「全くおっしゃるとおりでございます,ですが事が事ですし,昨日の件もありますから・・・。」
「わかっている! わかっているが・・・。 全く何もかもが忌々しい。 それもこれも皆あの馬鹿どものせいだ。」
パディアイランは,憤懣やるかたないといった態度で部屋の中を歩き回った。
とても椅子に座って報告を聞く気分にはならない。
「それで! あの馬鹿どもはどうしている?」
「はい。バンブホーン司補もドアシェド大司も本日は参宮すると一歩も自室を出ず,謹慎しております。」
「ふん。ワシの顔に泥を塗りおって!」
結局パディアイランは,下宮の時刻である夕の3刻半(午後4時45分頃)まで,正室の中を歩き回りながら怒りの言葉を吐き続けた。