第6話 初めてのお仕事
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私達のその様子は,あっという間に宮中に広がっていった。
それはそうだろう。
朝の広間の様子は,宮中だけではなく既に城下にまで広がっている。そして,主寝室から出てきた王女様のお気に入り二人が,そのまま扉の前で泣き崩れているのだ。
春宮房の主房にいたのが,部屋付きのハイリアだけならばこのようなことにはならなかったかもしれない。しかし,間の悪いことに,ちょうど掃部や殿司の女官,女童達もいたのだ。まだまだ出仕したばかりの幼い女童が,二人の姿を噂にしないはずがない。
「王女様のお加減は,相当悪いらしい。」
「あれほど活発であった王女様が,王宮どころか,お部屋からお出になれる状況ではないらしい。」
「お食事もほとんど召し上がらないらしい。」
「あまりのご様子に,お気に入り達も正視できないらしい。」
等々。
しかし,私はそれを気にしている余裕はなかった。
春宮房を辞去したとき,私は二度と弱みを見せないと心に誓った。
あの王女様に,臣下として,そして信頼を受けた者として,これ以上の心痛をかけてはならないのだ。
私は,春宮房の前でルーデルさんと別れると,刑部府に向かった。そこが今日からの,私の仕事場になるのだ。
刑部府は春宮殿3層の北側に置かれ,その長の房は北端にある。位置的にはちょうどクリス様の房の真下に位置しているのだが,春宮殿の4層と5層は男子禁制である上に,特に許された者以外は入ることを許されていないため,警備の都合から南側にしか階段がない。このため,大回りしなければならない。しかし,その距離も,自分の決意を確かめるにはちょうどいい距離だった。
長の房に続く控えの間に入ると,私に四〇歳前後の男の官吏が声をかけてきた。
「ラミン刑部府司補様。お待ちしておりました。刑部府大夫シングプレートと申します。あちらがフーレン大進,隣がフローラ小進です。この3人で,ラミン様のお手伝いをさせていただきます。実務的な部分を担当する小官達の執務は正殿で行われておりますので,もし御用があれば私どもに何なりとお申し付けください。」
そう言って,シングプレートよりもやや若い男性と30前後の女性を紹介した。
シングプレートは,それなりに宮中生活が長いせいか,私をどう思っているのかその態度ではみじんも感じさせなかった。それに比べると,フーレンとフローラは,明らかに私を値踏みしているような目だった。
本来の刑部府は正殿2層にあるが,国司が任じられている間だけこの春宮殿に上奏師たちの執務が移ることになっているそうだ。さすがに国司に春宮殿から正殿に来いとはいえないので,奏上できる者達が赴くという建前のようだが,私のように右も左も分からないものにとっては好都合な定めだ。
「ラミンです。宮中はまだ二日目で,国法に通じているわけではありません。ですから,私に書類を回すときには,必要と思う国法を付けてください。その上で,もし私の言葉に国法に触れるものがあったら,遠慮せずに言ってください。ただし,これだけは誤解しないでください。私が言葉を改めることもあるかも知れませんが,必要であれば勅命を以て国法を変えることもいたしますし,執政府に命じます。刑部府は,官の筆頭,国司様の府であり,なにがこの王国にとって正しいことなのかを決める場所であることを忘れないでください。」
私は,3人に向けて毅然とした態度ではっきり挨拶した。
シングプレートは,静かに腰を折って「承りました」と答えたが,どこか冷めた目で見ていた2人の顔色は変わっていた。まさかそこまでのことを,私が言うとは思っていなかったのだろう。でも,私は決めたのだ。あの王女様の信頼に応えるためであれば,たとえ逆賊と呼ばれることになったとしてもかまわない,と。
そして,本来であれば,司補は刑部府長房の次室で執務をとるのだが,あえて大司専用の部屋である正室に腰を落ち着けた。司補という身分ではあっても,国司の代理人でもあるからだ。シングプレートは,ただ「分かりました」とだけ言って,殿司の女官に正室の用意をさせた。
こうして,私の刑部府司補としての人生が始まった。
『 今日は,ずいぶんと泣いちゃった。
ルーデルさんも泣かせてしまったし・・・。
でも,もう泣くのはこれでおしまい。
クリス様の信頼に応えるためであれば,私がなんと言われようと,この身がどうなってもかまわない。王女様に言われたとおり,私がたとえ逆賊と呼ばれるようになったとしても,私の邪魔をする者を踏みつぶしていくわ。
王女様が運命の闘いに勝利されるまで,私には泣いている暇なんてないの。 』
刑部日記 統一王歴1926年春の行月24日より