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刑部な日々  作者: 無名の娘
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第5話 王国を背負う意味

本シリーズにはプロローグ編がありますが、それはここでは掲載しないことにしておりますので、背景については想像力を働かせていただければ、と。

「クリス様! どうしてあのようなことをおっしゃったのですか!」

私は,どう見ても健康優良児のクリス様に抗議した。

ここは,春宮殿にある春宮房の主寝室。

春宮の主寝室だけあって,普通の房の広間よりも広い。

あの広間の騒ぎから既に1刻が経過していた。

私は,女官達に抱えられ,ここ春宮殿に運ばれ導師達の介抱を受けたらしい。

意識を取り戻したときには,部屋にはルーデルさんしかいなかった。どうやら,私が気がつくのを待っていてくれたらしい。私はルーデルさんに感謝を示すと,早速クリス様のもとをたずねたのだ。

「どうしても何も,嘘は何も言わなかったと思うけど・・・。」

クリス様は,どこに問題があるのよっといった雰囲気で笑いながら答えられた。

「なぜ私の言葉が王命になるなどとおっしゃったのですか?」

「あら? 聞いていなかった? 私は,あなた方にしか会わないのよ。お婆さまはおろか,お父様にも。 だから,私の言葉はあなた方を通じてしか官に伝わらないじゃない。」

クリス様は,何を当然のことをという態度で相変わらず笑っている。

「そういうことを言っているのではありません。陛下や王女様に長年にわたり仕えた方達がいらっしゃるというのに,王命という重責を,私のような昨日初めて出仕したばかりで右も左も分からないような者に簡単に与えて,王宮の秩序や前例などの問題はないのですかと聞いているのです。」

私は,必死に王女様に問いかけた。しかし王女様のお考えは,私には及びもつかない視点からのものだった。

「簡単に与えたわけではないわ。」

王女様の言葉のトーンが変わった。そして,いつの間にか笑顔も消えている。

「私はあなた方二人を,この5年間ずっと見てきたのよ。私が全幅の信頼を置ける相手だと思ったからメリッサ様にも会わせたし,王命を任せたのよ。だいたいメリッサ様のお気持ちをあなたたち理解できる?私にはとても無理よ。それでもあなた達には会わせるべきだと思ったから,会わせたのよ。」

そう言ってじっと見つめるクリス様に,私はただ頭を下げることしかできなかった。

千年もの間独りで森に住み,最愛の人の遺志を受け継ぐ見知らぬ王のためにそのすべてを捧げる。

確かに私には想像もつかない世界だ。

でもそれが目の前の王女様のすぐそこに迫る未来でもあるのだ。

私は,無意識に頭を下げていた。

そんな様子を見たからかどうかはわからないが,クリス様はため息をつくと感情を抑えた声で続けられた。

「それに,執政府や導師庁のやり方もよく分かっているつもり。あなた方は,私が言ったように将来の正司ではあっても,今は司補に過ぎない。そんなあなた方に対して,彼らが何もしないと思う? どう,ルーデル?」

そう言ってルーデルさんを正面から見据えた。

いきなり話を振られたルーデルさんは,言葉を選びながら答えた。

「具体的に私たちに対して直接何かをする,と言うことはないのではないかと思いますが,だからといって,私たちのことを考慮して何かをしてくれるということもないのではないかと思います。」

「ふふん。優等生な言葉ね。はっきり言って,あなた達へのやっかみで意地悪をするに決まっているわ。そんな相手は,かまわないから王命でつぶしていけばいいのよ。やる気がないならやらせればいいし,何かを言ってきても自分の思ったとおりにやればいいだけ。そのために王命はあるし,使うべきなのよ。大司だろうが何だろうが,あなた達は気にすることはない。雑音は,どんどんつぶしていってかまわないのよ。全ての責任は私がお父様にとればいいだけなんだから。」

クリス様は,右手を握りしめて力説している。

(王命って,そのためにあるものなの・・・?)

私はあっけにとられて,何も言えなくなってしまった。

ルーデルさんも,ポカンとクリス様を見ている。きっと宮中生活が長い分だけ,王命があまりに軽く扱われることにあきれているのだろう。

ただ,そこまで私達を信頼してくださっていると言うことは,私の心の奥まで染み渡っていった。

「どう? 納得した?」

クリス様は,そう言って笑いながら私に聞いた。

「はい・・・。い,いえ・・・,やはり自分が王命を下す人間であると言うことは,私のような者には納得できるものではありません。そ,それに・・・,」

「『それに』,何?」

いきなり振られた質問に対して言葉に詰まりながら答える私に,クリス様は先を促した。

「わ,私は,今日既に2つも大きな過ちを犯しています。そ,そんな私の言葉で・・・,そんな私の言葉で,王女様に責任をとらせるなどということは・・・,と,とても,とてもできません。」

「あら? 昨日,私を助けてくれると誓ってくれたと思ったけれど,私の勘違いだったかしら? それに,あなたの今の服装は司補をやってくれるという意味だと思うけど,違うの?」

クリス様はいたずらっぽく聞く。

「い,いえ。それはできる限り努力して,やらせていただく決意です。」

「だったら同じことよ。」

私の答えに,クリス様は即答された。

「ラミンはラミンの思った通りやってくれればいいの。それが王命かどうか,そしてそれが正しかったか間違っていたかなんて,今の私にとっては何の違いもないの。あなたがやりたいようにやってもらわなければ,私が自由にならないでしょ。そして,私が将来王になれるかどうかは,運命に勝てるかどうかにかかっているのよ。私が王国をあなた方に任せて自由にできることが,唯一運命に勝てるかもしれない道なのよ。それに今日だって,お父様は何もおっしゃらなかったじゃない。私がやりたいようにやっていいということ,それが最も重要な王命なのよ。あなたも上奏師の一人として,疑問があれば直接お父様に聞いてもかまわないし,あなたがたとえ何を言ったとしてもお父様は何も言わないわ。だってお父様は,お父様よりもあなたの方が私の事情をよく知っているということを今日理解されたはずだもの。全ては,私自身のためなの。」

クリス様は一気にそう言うと,一息ついてから低い声で続けられた。

「それと,二度と『私のような者に』なんて言わないでね。あなたを選んだのは私であり,あなたでなくてはならなかったの。それを良く覚えておいてね。」

そう言って,クリス様は右目をぱちっと瞬かれた。

「それとね・・・。あなたはこれから毎日,事実上の官の頂点に君臨するんだから,王命かどうかなんてことは,現実的にはあんまり問題にならないのよ。」

「え? どういうことですか?」

「ルーデルは,わかるでしょ?」

私の問いを,クリス様はルーデルに振った。

「申し訳ありません。私にも,よくわかりません・・・。」

ルーデルさんは,首を横に振りながら答えた。

「ふーん。ルーデルも司補なんだから,上奏師の序列というのも少しは勉強した方がいいわよ。」

「申し訳ありません。」

ルーデルさんは,クリス様に頭を下げている。

「まぁいいわ。教えてあげる。これまでは,お祖母様という特別なお方が女官長になられているから,例外的に官の頂点にいるけど,本来の官の序列は執政府長が頂点に立ち,騎士団と刑部府がそれに次いで,女官と導師達はその下にあると言うことは知っているわよね。」

「はい。」

どちらともなく話しかけられ,私とルーデルさんは同時に答えた。

いくら出仕経験がない私でも,そのことくらいは常識として知っていた。

「でも昨日私が国司になった。国司は王の代理人と言うべき立場だから,無条件で官のトップにあるの。だから今の正式な序列は,私,お祖母様,そして執政府となるの。わかる?」

「はい。」

今度は,明らかに私の目を見てお話なされた。

「そしてあなたは,刑部府司補。司は任じていないし,正大司である私はこの部屋からでないから,事実上刑部府の長はラミン,あなたと言うことなの。それは,わかるでしょ。」

「はい。」

それもわかる。事実上の刑部府の長として仕えるということは,昨日国母様からも言われたことだ。

「あっ! ま,まさかクリス様!」

突然,ルーデルさんが隣で叫んだ。

「ピンポーン。さすがはルーデルね。そのとおりよ。」

「どういうことですか?」

私には,何のことだか分からない。

クリス様は,ルーデルさんにコクリと頭を下げると,笑って私を見つめた。

「あのね,ラミンさん。重要な政務の書類は,5官のそれぞれの長に回ることになっているんです。そして,現在の5官の筆頭は国司であるクリス様。クリス様が最終的にお認めにならなければ,その提案は認められないということになります。」

分かりますかというように,ルーデルさんは間をとった。

私は,小さく頷いた。

「クリス様の官としての政務は刑部府で行うことになりますから,最終的な決裁権は国王陛下を除けば刑部府にあると言うことになります。」

私は,何となくいやな予感がしてきた。何となく。何となくだがルーデルさんの言いたいことが分かってきてしまったのだ。

「でもクリス様はこのお部屋からお出になられない。そして,私とラミンさんの言葉はクリス様のお言葉であるとおっしゃいました。つまり,私かラミンさんが認めれば,それはクリス様がお認めになられたということだ,と官に対して宣言されているのです。」

いよいよルーデルさんの言葉は,核心に近づいてきた・・・。

「官として国司たる刑部府長を代理できるのは,唯一の上奏師であるラミンさん,あなただけです。つまり,ラミンさんは全ての官の決裁権を国王陛下の次に持つということになるわけです。」

・・・,やはり。やはり,そういうことなの?

「そうよ。でもね,ルーデル。官としてとであれば,あなたもラミンと同様に決裁権者ということになるのよ。」

「え?」

「自分で言ったじゃない。ルーデルの言葉は私の言葉だって。ルーデルだって上奏師なんだから,ラミンが認めなくてもあなたが認めれば,結局は私が認めたってことになるの。なぜなら,国司は刑部府の大司に任じられるだけであって,刑部府大司が国司に任じられるわけではないでしょ。あなたの言葉も国司の言葉なんだから,あなたがお祖母様の代わりに決裁すれば,それは国司が認めたことになるのよ。」

「あっ・・・,ああ!」

私が呆然としている間も,クリス様とルーデルさんの会話は続いた。しかし,結局ルーデルさんも言葉を失ってしまったようだ。

そんな私達に,クリス様は笑みを消して語りかけた。

「私の,いえ,この王国の運命の闘いに巻き込んでしまって,本当に申し訳なく思っているわ。これは王族としての運命だというのに,私はお父様を巻き込見たくなくて,結局あなた達を引き込んでしまった。」

何かを言いかけたルーデルさんを,クリス様は左手を少し挙げる仕草で遮られ,つづけられた。

「どうしても,どうしても,私が運命に立ち向かうためには,王宮の中に私の代わりをしてくれる人が必要なの。残念ながら私には,それをお願いできる人があなた方だけしかいない。そうなの,あなた方を司補に任じたのは,私の勝手なわがままなの。どれだけの苦労をかけるか分かった上で,秘密を知ったあなた方にどれほどの苦渋があるかも分かった上で,あなた方にお願いしたの。そして,そんなことをあなた達にお願いするに当たって,私があなた方に対してできることは,心からの信頼しかない。だからあなた達が気にすることは何もないわ。私は,たとえどんなことがあっても,あなた方に対する信頼は揺るが無いということを約束するわ。なぜならそれが,私がそうしてほしいと願った姿なのだから。」

クリス様はそう言うと,静かに椅子から立ち上がり,北西の窓辺に近づいた。

「あな方がそうしていてくれると信じているからこそ,運命の時まで私はあそこで修行を続けられるという思いと覚悟を持つことができるの。」

クリス様は,窓の外に見えるターマンの方向を見つめながら小さな声で続けられた。

その後ろ姿を見て,私は思わず涙がこぼれてしまった。

この小さな王女様の心は,どうしてこれほどお強いのだろう・・・。

そして,どうしてそこまで,私を信頼くださっているのだろう。

ただ・・・,ただ,この5年間の王女様の外出をお手伝いしただけだという,この私を・・・。

「こんな私を」と言いたくなる心に,先ほどの王女様の言葉が突き刺さった。

『あなたを選んだのは私であり,あなたでなくてはならなかった』。

私は,頬に流れる涙を止めることができなかった・・・。

「あ,ありがとうございます・・・。そこまで,そこまで,ご信頼いただきましたからには,わ,私の命に代えても,ご信頼にお応えさせていただきます。」

私は,歯を食いしばって,自分の気持ちを絞り出した。

隣のルーデルさんは,両手で顔を覆って俯いたままだ。

部屋の中には,静かな嗚咽だけが流れていった。

どれだけ時が過ぎただろう。

クリス様は窓を離れると,ルーデルさんの後ろからその右肩をポンとたたいた。

「さあ,私はもう気分がすぐれなくて寝てしまったから,あなた方もそれぞれ本来の府にお戻りなさい。それと,お昼もいらないし,夜もここで一人でとりたいからこの部屋の外に用意しておくように,とハイリアに伝えてね。」

クリス様はそう言うと,ルーデルさんの腕を引いて立たせた。

私とルーデルさんは,クリス様に押し出されるように主寝室を出た。

でも,その直前。

クリス様は,小声で付け加えられたのだ。

「苦労をかけるけど,本当にごめんね。」

と。

この一言は,私達の心にとどめを刺した。

扉の外で,私もルーデルさんもしゃがみ込んでしまった。

何という王女様・・・。

御年わずか一二歳なのに・・・。

私達二人は,閉じられた扉の前で,再び嗚咽を漏らさずにはいられなかった。


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