★滅んだ村と遠征軍の誤算
3人称クロード視点。
遠征軍は、大きな被害があったという村に辿り着いた。
「これは……一体、どういうことだ」
「さあねえ。少なくともこれは、『被害が大きい』で済ませられるものじゃないわね」
クロードが漏らした呟きに、アナスタシアが反応する。
前日に引き続き、彼女は今日の行軍中もクロードに付き纏っていた。途中から雨に降られ、クロードをはじめとした騎士たちの足取りが重くなる中、杖に乗って悠々と進む彼女にクロードは軽い憤りを覚えたものだ。自分だけ雨避けの魔法を使っており、透明なヴェールに守られていた彼女の衣服は一滴も濡れていない。
雨の中でも気にせず話しかけてくる彼女に、半ば諦めの境地で付き合いながら歩き続け、クロードはたった今この村に辿り着いたところだ。
そして、そこには何もなかった。
いや、ところどころに家屋や柵などの燃え残りや、何かが黒焦げたような残骸が残っている以外は何もなかった……というのが正しい。
「これを、レッドドラゴンが?」
「その可能性は高いけど……こうも徹底的に燃やし尽くすものかしら。見たところ、焼かれてからそれなりの時間が経っているようだけれど」
クロード達よりほんの少し先に到着していたであろう第1騎士団の騎士たちが、焼けた村の中を捜索している。第3騎士団の面々もそれに加わるよう指示し、クロードとアナスタシアは村の外れに設営を始めている第1騎士団の天幕を目指した。
クロードとアナスタシアは、騎士たちが天幕を張る作業をしている傍ら、雨除けのために簡易的に張られた布の下で、卓を囲んでなにやら話し込んでいる者たちに近づいていく。
すぐに彼らはクロードたちに気が付いたようだ。議論を止め、そのうち一人が振り返り一歩進み出て、クロードたちをじっと見つめる。
クロードは彼の前に辿り着くと、騎士の礼で頭を下げた。
「殿下。第3騎士団、ただいま到着しました」
「魔術師団も、到着したわ」
「うむ。氷刃と……アナスタシアか」
彼はカジフ・ディ・イル・レーハン。第1騎士団を率いている、この国の第2王子だ。アナスタシアと同じ薄緑の髪。その珍しい髪の色は、彼らが王家の血筋である証でもある。なんでも、王族として生を受けた直後に王家に伝わる秘術が施されるそうで、髪色はその副作用らしい。その秘術にどんな効果があるのかは、クロードは詳しく知らないが。
しかし、王家の内情や政には詳しくなくとも、カジフ王子が第2王子ということくらいはクロードも知っている。数居る王の子の中で、飛びぬけて優秀であるということも。王自身も推しているらしく、アナスタシアが言うには、そんな彼が第1王子を押しのけて立太子に至るには、今回のドラゴン討伐は欠かせぬらしい。
正直なところ、この継承権争いという点に関しては、クロードはアナスタシアと同意見だった。正直どうでもいい。誰が次期国王になろうと、上官が変わらなくては自身の周囲の環境も変わらないと確信している。それに、確かに第2王子が優秀であるとの声が大きいが、他の王子たちが無能だとか暗愚だとか、そういう話はついぞ聞かない。
「それで? 状況の説明をしてくれる?」
「そう急くな。私もお前たちと同様、到着したばかりだ。部下の捜索が終わるまで待て。村内に生き残りが居るならそれに話を聞く方が早かろう」
「……あ、そ」
アナスタシアとカジフの会話はそれで終わった。
クロードはアナスタシアの淡泊な態度が気にかかったが、一国の王子と姫君を相手に、込み入っていそうな事情を図々しく訊けるわけがない。
居たたまれなくなり視線を逸らすと、さきほど遠目に王子を囲んでいた者たちの姿を視界に捉えた。
数人は騎士だ。顔見知りの第1騎士団団長もいる。ここにくるまでは雨のせいで視界が悪く、足並みも乱れたために途中からその姿を見失っていたが、全員無事に辿り着いているようだ。強面の団長に簡略的な敬礼をした後、その隣にいる異彩を放つ4人組が目に留まった。
「彼らは?」
「ああ、氷刃は初対面か。彼らは今回の協力者だ」
「金等級冒険者パーティ『踊る狩人たち』。私はリーダーのブリュイです。あなたがかの高名な騎士、“氷刃”様ですか。お噂は我々冒険者の耳にも聞こえていますよ」
4人組の一人、長身で細身の男が歩み寄り、クロードに手を差し伸べた。
クロードは、冒険者の間にまでその通称が届いていることを歯がゆく思いながら、その手を取った。
「あなた方が、ドラゴン討伐に実績のあるという……。俺は王都第3騎士団副団長、クロードです」
握手を交わし終えると、ブリュイは他のメンバーの紹介を始めた。
刃渡りが人一人分ほどありそうな大剣を背に、鈍色の鎧を身に纏った女性はナナ。黒い魔導士服を着て、銀色の仮面を付けている男性はカラス。緑の色調の軽装で、腰に軽弓を提げている女性はリーフィ。
ブリュイも背に大弓を背負っているため、剣士一人、魔術師一人、弓士が二人という面子らしい。
『踊る狩人たち』というパーティ名だけあって、中々に偏った編成だなとクロードは思った。
どうやら彼らはさきほど、カジフ王子を交えて今後の方針について意見を出し合っていたそうだ。
「ぜひ氷刃様の意見も聞きたいのですが」
「そうだな。なにか進言があれば忌憚なく言ってくれ」
「買いかぶりです。俺みたいな若造が口を出すことじゃないでしょう」
「意見くらい言ってあげたら? 行軍中にディグベアに襲われた時だって、副団長くんの判断と対応力で早々に討伐できたじゃない」
「アナスタシア様……余計なことは」
度を超えて向いていると思われる期待に辟易とするクロードは、口を挟んできたアナスタシアに『余計なことは言わないで頂けませんか』と言いかけた。しかし隣にいる彼女の顔を見ると、いつもクロードを勧誘する時のような愉快そうな笑みはなく、無表情のままクロードを見返すのみだった。
カジフ王子と対面してからというもの、アナスタシアはどこかおかしい。あまり見ないアナスタシアの態度に、クロードの調子も狂いそうだ。だが、カジフ王子の方はそうでもないようで、アナスタシアの言葉に「ほう、そうなのか。さすが氷刃だな」と感心するように言った。
クロードはひとつ頭を振って、ブリュイに向き直った。
「……ちなみに、皆さんはどんな提案を?」
「このまま一息にドラゴンの潜む洞窟へ奇襲をかけるという案と、状況を見定めるためにしばしこの村に留まるという案が出ています」
「ドラゴン討伐の経験がある彼らでも意見が割れていてな。どうしたものかと頭を悩ませていたところだ」
「そうなのですか」
意見が対立しているのは、『踊る狩人たち』の女剣士ナナと仮面魔導士カラスらしい。
曰く、
「この雨は天恵である。利水ありし今、微温火操る竜など恐るるに足らず。目指す山麓は目と鼻の先。いざ攻めゆかん」
との言が、カラスのもの。
また、曰く、
「この雨の中、村ひとつ無くなってんのよ? ただのレッドドラゴンじゃない可能性が高いっての。まずは状況確認、安全の確保が第一。偵察もしておきたいわね」
と、これがナナのもの。
二人の意見を中心に据え、改めて今後の方針を議論することとなったのだが。
「安全の確保? 何を弱気な。今はまたとない好機ぞ」
「だぁからさぁ、相手が本当にレッドドラゴンかも分かんないのに、危険すぎるっての」
「ふん。なんという惰弱な娘か。これだから女子は」
「ハァン!? あんた今なんつった!? 女舐めんじゃないよ! 男のクセにこそこそ魔法打つくらいしか能がない臆病モンが!」
「慮外なり。肉で身を堅固するしか出来ぬ粗忽者の分際で我が崇高なる魔術を愚弄するとは」
「誰が肉だ!」
「まあまあ、二人とも落ち着けよ」
再び卓を囲んだ途端にこれである。ブリュイが二人の間に入って宥めているが、いがみあう二人の熱は収まらない。今にもどちらかが手を上げそうだ。このままでは議論どころではない。
ナナとカラスは馬が合わないみたいで、ことあるごとに対立しては、よく口論をしているんです――と、仲裁に入っているブリュイが周囲に向けて言い訳する。言われずとも、それくらい端から見ていてすぐに分かる。
残るパーティメンバーの一人、女弓士のリーフィは、無言でドラゴンがいると思しき山のほうを見つめていた。我関せずとでもいった態度である。クロードは、こんなのでよくパーティとして成立しているものだと呆れてしまう。
「人語を解さぬ無骨な輩には罰が必要であるな」
「おーおーあたしは獣と同類ってか? 上等だこらぁ! 表出ろぃ!」
この場には王族もいるというのに、ついにはそんなことまで言い出す始末。とはいえ、王族がなにか言ったとて二人は止まりそうもない。そもそも、冒険者は往々にして権威を嫌う。それを判っているのだろう、カジフに関与する気はなさそうだ。
そしてアナスタシアはというと、二人の口論が始まった途端に「……あほらし。副団長くん、あとヨロシク」とクロードの耳元に囁いてから、行軍中のように杖に乗り、空に逃げた。腕を伸ばしても届かない位置にまで上昇し、足を組んでクロードたちを見下ろしている。高みの見物を決め込むらしい。
いずれにせよ、このままじゃ埒が明かない。
この村はレッドドラゴンが棲みついたとされる山の麓にある。ドラゴンが再度飛来する可能性は十分にあるのだ。しかも、そのドラゴンは村ひとつ焼き払うほどの強大な相手。せめて今後の方針くらいは早めに決めておきたい。
クロードは腰に手を伸ばし、氷紋剣の柄を握った。魔力を送ると、氷紋剣は甲高い音で嘶いた。
「……氷壁」
「えっ?」
「むっ!」
ぴき、ぴきと音を立て、騒ぐナナとカラスの間に、薄い氷の壁が出来上がる。目の前に人間一人分くらいの高さの氷の塊が突然現れ、二人は驚きの声とともにクロードのほうへ向いた。
「意見の対立があるのは分かりました。しかし、だからといって内輪で争っている場合じゃない。ここはすでに戦場です。お二方とも、お控えください」
「……で、あるな」
「……そうだね、悪かったよ」
お互いの姿を氷の壁で遮られたからか、双方とも物分かりの良い返事だった。
気を取り直して、クロードは卓を囲む面々を見る。
「では……不肖ながら、俺の考えを述べます」
副団長といえ、第3騎士団団長の代理でもある。持論を述べればその義務は果たしたと言えるだろうし、最終的な判断はカジフに委ねればいい。クロードはそんな軽い気持ちで切り出した。
カジフの目からやけに真剣な眼差しを感じることに、少しばかり萎縮しそうになったが。
「まず、カラスさんが言うように、一刻も早い討伐が求められるかと。すでにこうして一つの村に大きな被害が出た以上、近隣にも同規模の襲撃の危険性が発生しました。迅速に事を運ぶ必要があります。雨という有利な条件下で戦えるならそのほうがいい」
カラスを見ると、意を得たりとでも言うようにうんうんと頷いていた。氷壁を挟んで隣にいるナナは、苦虫を噛み潰したような顔だ。
「しかし、ナナさんの言うように、敵を知ることも非常に重要です。目撃情報のあったレッドドラゴンは竜種でも特に狂暴。それが村ひとつ焼き払うほどの相手だとしたら、侮れば足元をすくわれかねない。出来得る最低限の確認はしておくべきです」
今度はナナが勝ち誇ったような笑みを浮かべた。カラスは顔の上半分を覆う仮面のせいで表情が分からないが、口元が不愉快そうに歪んだ。
両者をともに納得させるのは難しそうだ。だが、落としどころを見つけなければまた対立することは明白である。
クロードは慎重に言葉を選んだ。
「結論としては、村の捜索を急ぐこと。山へは身軽な者を数名偵察に出しましょう。そして、ある程度調べたら、情報の有無に関わらず疾く出陣を。行軍中にも先遣をやり、周囲の状況を逐一確認しながら山へ。ドラゴンであるにせよそうでないにせよ、ある程度山に近づいて探知魔法を使えば敵の所在はすぐに割れます。お二方の意見を総合的に考えると、これが最善であり最短かと」
言い終えてから、ちらりとカジフの様子を窺うと、彼は鷹揚に頷いた。
「私に異論はない。諸君はどうだ?」
「殿下と同じく、異論はありませぬ。ただ一点、この村は拠点として活用できるよう、第1騎士団から数名を配置し設営と哨戒を任せましょう。もしもの時に王都へ早馬も出せます」
クロードは強面の第1騎士団団長の提案に、「助かります」と応じた。
続いて、『踊る狩人たち』が口を開く。
「私たちも氷刃様の案に従います。二人も、いいよな?」
「ふむ。そのあたりが妥協点であるか」
「あたしもそれでいいよ。“氷刃”っていうくらいだからもっと冷たくて頭の固い奴かと思ってたけど、案外話の分かるいい男じゃん」
カラスは深く頷き、ナナはクロードに向けてぱちりと片目を閉じた。
『踊る狩人たち』からも同意を得られ、なんとか義務は果たせたかと胸を撫でおろすクロードだったが、ふと浮遊しているアナスタシアを見ると、さきほどよりも不機嫌そうに唇を尖らせていた。
やはり、アナスタシアはいつもと少し違う雰囲気である。彼女は常に飄々とした笑みを浮かべているような女性だ。こうまで悪感情を表に出しているアナスタシアは、クロードの記憶の中には存在しない。なにがそこまで彼女の気に障るのだろうか。
などと、クロードが後で彼女に事情を聴くべきか悩んでいると、カジフがクロードの後を引き取り、卓を囲む会議を続けた。
「では、改めてそれぞれの役割を確認しておこう。私が第1騎士団を率い、『踊る狩人たち』とともに先頭を往く。斥候も我々が受けもとう。後ろが第3騎士団と魔術師団だ。飛翔するドラゴンへの攻撃手段は限られる。接敵後には遠距離から魔術での援護を任せたい」
「では、偵察に向かう者は私のほうで選別しましょう」
「頼む。ああ、それと近隣の村にも人を遣ろう。被害がどこまで及んでいるか調べたい。ただ、この惨状だからな。無理はするなと伝えろ」
「御意に」
「村に残す人員の選任も任せるぞ。そなたのほうが適材適所を承知しているだろう? なにかあれば王都に伝令を送れる手筈を整えるように。それから、荷を――」
「――待って」
と、これまで一言も言葉を発さなかった『踊る狩人たち』のリーフィが、カジフを遮った。王族の言葉を不躾に遮るなど、本来なら断罪ものである。しかし、この場では誰も咎めなかった。彼女の表情と、そのたった一言に含まれていた緊迫感がそれを拒んだのだろう。
「……来る」
一拍置いてリーフィが呟いた直後、雨音の中に轟音が響いた。大気を切り裂かん程の振動が全身に伝わってくる。びりびりと鼓膜が焼き付く感覚に、クロードは思わず耳を塞いだ。
「なんだ!?」
「おい! あれ、見ろ! 山!」
「来やがった!」
騎士たちの叫ぶ声につられて山腹の空を見ると、降りしきる雨の中、赤黒い竜がその身をうねらせながら天へ立ち上っていた。怒号のような咆哮を上げて。
ドラゴンはその顎を閉じると、まっすぐにこちらに向かって飛行を開始する。
「まさか、遠征軍に気が付いたのか……? あんな距離で……」
クロードをはじめ、カジフや周囲の騎士、『踊る狩人たち』の間に、一瞬にして緊張が走る。
「ふん。まさか、向こうから来るとはな」
「殿下、号令を! 隊列を組んで迎え撃ちます!」
「ああ。わかっている」
カジフが村内に向けて「皆の者!」と叫ぶ。騎士たちに捜索を切り上げさせ、即席の陣を形成していく。
クロードもその声に従い、第3騎士団の騎士たちをまとめるべく動き出す。内心歯噛みしながら。
奇襲を、などと言っていたこちらが奇襲される格好になった。これはとてもよろしくない。ただ、迎え撃つのは精強な騎士たちだ。浮足立って壊滅などという事態にならないことを祈るほかない。
「あらあら。大変ねぇ」
気が付くと、いつの間にかアナスタシアがクロードの隣にいた。
だが、クロードの目線にまで降りてきてはいるが、杖に乗ったままである。
「アナスタシア様、非常事態です。貴女もすぐ応戦の準備を――」
「ねぇ副団長くん」
クロードは、この段になってもどこか他人事のような調子の彼女を咎めようとしたが、アナスタシアの呼びかけに遮られる。その声色には普段の彼女から考えられない険があり、反射的にクロードは身を強張らせた。
「あのドラゴン、見えた?」
「……? え、ええ。この雨ですし、まだ距離もあるので、それほどはっきりとは見えませんが……」
「そう。見えたのね。どう思った?」
「どう……とは?」
「色よ」
アナスタシアは山脈の空から迫りくるドラゴンを見上げる。クロードも彼女に倣い、その姿を改めて視認した。
ドラゴンはまだ遠く、おぼろげだ。雨の影響もあって判別が難しい。しかし、徐々に近づいて次第にその姿が鮮明に見えてくる。色を意識して注視すると、あのドラゴンの体表には赤色と黒色が斑に入り混じっているように見えた。割合としては、黒のほうが若干多いかもしれない。
「赤と……黒?」
「そ。黒いわ。黒い。とてもね。“レッド”ドラゴンなのに、“赤”だけじゃないのよ、ねぇ」
クロードは、彼女が何を言わんとしているのかを即座に理解した。
こちらに迫りくるドラゴンは、赤と黒が混じったような色をしている。だが、あれは元来赤色の鱗なのだろう。となると、黒く見えるものは何なのか。
「……濃い瘴気を纏っている。あれはおそらく、かなり手強い」
「そゆこと。とっても大変そう」
アナスタシアは、「嗚呼、気が滅入るわ」と気怠そうに嘆いた。
◎登場人物紹介
【カジフ・ディ・イル・レーハン】
若く有能な第2王子。薄緑の髪に玲瓏たる声。人間離れした美しい雰囲気を纏う貴公子。
見目麗しく、剣の腕は一流で、卓越した政治手腕と図抜けたカリスマ性を持つ。
王自らがその才を認めており、次期王にと推している。
しかし、目立った戦功がなければ長子のほうが継承権が強いため、王の指示で今回のドラゴン討伐を率いることとなった。
【踊る狩人たち】
剣士、魔術師、弓士、弓士という偏った編成の金等級冒険者パーティ。
過去、ギルドの依頼でドラゴンを討伐した実績を持つ。
一部キャラがとてつもなく濃ゆいが、脇役である。