癒し系の座は渡しません
今日は雨が降っている。
ううん。店内が暗いなあ。メルちゃんの表情も暗い。今日のメルちゃんは調合するでもなく、カウンターの上に肘をついて雨の降る窓の外をぼうっと眺めている。お友達3人組のおかげでいくらか持ち直したけど、青年はまだ帰っていないのだ。多少沈んだままでも仕方ないよね。それに、そうでなくても雨の日は気が滅入るもの。空気もじめっとしてる気がするし……。気がするだけだけど。湿度とか私には分かんないもん。外気に触れない瓶詰だからね!
ああ、メルちゃんの心に癒しを与えてあげたいなあ。一番いいのは青年がさっさと帰ってくることだけど、いざとなったら私を飲んでくれてもいいんだよ?
心は晴れないかもだけど、体の疲れなら癒せるからさ。体が元気になれば心も元気になるってもんよ。
「ひゃあ~」
と、そんなことを考えているとカランカランと入口の鈴が鳴った。
気の抜けるような声とともに駆け込んできたのは、修道服を来た女の人だ。
「あれ、シスターさん」
「わあ~メルちゃんだあ~こんにちは~」
「あ、はい、こんにちは。どうしたんですか、こんな雨の中」
「うん、そうなのよ~。雨、ひどいわよね~」
「え、あ、そうですね」
「ごめんなさいね~突然駆け込んじゃって~」
「いえ、それはいいんですけど……」
「あら~? 今日はメルちゃんだけ~? 一人で店番できるなんてえらいわね~」
「いえ、このお店はもともと私一人だけです……」
噛み合ってない。会話が全然。
緩い語り口のこの人は、王都の隅っこにあるという修道院のシスターさんだ。
彼女はこのお店のお得意様である。よく買っていくのは浄化水。メルちゃんは魔法も使える薬師だから、修道院の司祭さまにお願いされて聖水の元になる浄化水も作っている。水の精霊が棲むきれいな湖で採取した水を、魔法で攪拌、濾過して限りなく純水に近づけるそうだ。しかし、その工程の中で水の精霊の加護が剥がれないようにするには、熟達した技術が必要とされている。
それをやってのけるなんて、さすが私のメルちゃん。で、その浄化水をシスターさんだか司祭さまだか女神さまだか、よく分からないけど誰かが祝福したら聖水の出来上がり。メルちゃんに比べてなんて簡単な作業なのかしら。なんだかメルちゃんの方がよっぽど聖水作りに貢献してる気がするわ。このお店で売ったほうがいいんじゃないの?
あとは、修道院で面倒を見てる子どもたちに生傷が絶えないらしく、シスターさんは傷薬なんかもよく買っていく。
ただ、このシスターさんは極端なマイペースが特徴の変人でもある。厄介な人が来てしまった。今のメルちゃん沈んでるのに大丈夫かな……。この人の相手するの疲れそうだからなあ。
「あらら~もう~服がびしょびしょ~」
「あ、タオル持ってきますね」
「あら~いいのよ~? 気を遣わないで~」
「いえ、水気で駄目になっちゃうお薬もあるので……」
「そうなの~? 大変ねえ~」
「はい。ちょっと待っててください」
大変なのはあんたの頭の方じゃなかろうか。
服やら髪やらからぽたぽたと雨滴が落ちて、お店の入口にちょっとした水溜まりができてるじゃないか。迷惑極まりないな。メルちゃんは文句も言わず対応して偉いね。
しかしシスターさんや、そんなびしょ濡れになってたら風邪ひくよ? 私をいかが? 私を飲んだらその残念な頭もちょっとましになるかもしれないぞ?
「はい、どうぞ」
「あら~ありがとうね~」
「いえいえ」
シスターさんは手渡された布で、がしがしと頭を拭いている。
乱暴だな、おい。
女性たるもの、身だしなみと淑やかさに頓着しようよ。
乱暴に頭を拭くシスターさんを見ていると、手を上にやったことで、ゆったりとした修道服に隠れた身体のラインが浮き出て、大きくて柔らかそうな胸がふるんふるんと揺れているのが分かった。
流動的に動くそのさまは、中に液体でも入ってるのかと勘繰ってしまう躍動感だ。そこには一体何が詰まってるの? 神級霊薬みたいな薬品でも詰まってるのか?
「それで~、今日も浄化水をね~」
「あ、はい。用意してありますけど……ごめんなさい。いつもよりちょっと数が少なくて……」
「あら~? メルちゃんが間に合わないなんて珍しいわね~。なにかあったの~?」
「ええっと……」
そこはほら、なんとなく察しようよ。
今メルちゃんね、とっても気分が沈んでるの。お兄さんのことが心配で心配で、精密な魔法操作が必要な作業になんて集中できるわけないじゃない?
あ、でもこの人、青年の事情とか知らなそう。王都の隅っこに住んでるから情報に疎そうだし、騎士団に所縁もなさそう。
察しろってのはちょっと無理があるかもなあ。
「実は兄が――」
と、メルちゃんは事情を知らなそうなシスターさんに青年の行方をぽつぽつと語った。
それから、それをとっても心配していて仕事に身が入らず、納品の数が足りなくなってしまったと謝った。
「あら~そうなのね~」
「本当にごめんなさい」
「いいのよ~。事情が事情だもの~。急に来ちゃった私も悪いし~、それに~、少ないって言ってもほんのちょっとだけじゃないの~。そんな大変な状況なのに、メルちゃんはすごいわ~」
シスターさんは、メルちゃんが運んできた木箱に詰められた薬瓶をかちゃかちゃと検めながら言った。
ほほう。そうなのか。
メルちゃん、なんだかんだお仕事頑張ってたもんね。青年のことが心配でたまらないのに、それでも出来る限り頑張ったのね。偉い!
私も鼻が高いわ。鼻なんてないけどね!
「お兄さん、心配ね~」
「はい……」
「あ、そうだわ~。メルちゃん、余ってるお花、ない~? できれば、花弁の大きなやつがいいんだけど~」
「お花ですか? 一昨日友達がくれたものならありますけど……」
というと、こないだ来た3人組の、ウィルが置いていったお花だね。
ウィルのおうちは、お花屋さんだ。王都の、この『フィラル魔法薬店』と同じ通りに店を構えているらしい。彼がここに遊びに来るときは、大抵お花を持ってやってくる。こないだ来た時も、しっかり持ってきていた。
メルちゃんはいつも、ウィルに貰ったお花を元気がなくなるまでお店のカウンターの隅の花瓶に挿して飾っている。萎れたら香薬の素材にしているみたいだ。
メルちゃんはその花瓶からお花を一輪抜いて、シスターさんに差し出した。
「あら~マリリスのお花ね~。とってもきれいだわ~」
メルちゃんが選んだお花はマリリスというらしい。
太い茎に、赤い大きな花弁が6枚ついている。大柄な花だ。
「花言葉は“親愛”だったかしら~。お友達からのプレゼントだっけ~? 男の子かな~? メルちゃんもスミにおけないわねぇ~」
「そ、そういうのではないですから! ……たぶん」
「あら~? そうなの~? じゃあそういうことにしておきましょうか~」
「……むー」
含んだような笑みを見せるシスターさんに、メルちゃんは少しだけ頬を膨らませた。
「じゃあ、ちゃちゃっと作っちゃうわね~?」
「え? 作る……ですか? 一体何を?」
「まあまあ、見てて~?」
シスターさんは受け取ったマリリスの花弁を片手で包むように持つと、空いた手を花柄にやり、がくの根元で千切った。千切られたマリリスは、茎と花びらの部分に分かれた。次に花びらを膨らみを持たせたまま丁寧に折り畳んで、最後に折り畳んだ花びらが開かないよう、先端のあたりを茎で器用に結んだ。
「これをこうして~……はい、できた~」
「なんですか、これ?」
シスターさんは「うふふ~」と笑った。
傍目には閉じたお花にしか見えないけど、どんな意味があるんだろう。
「花籠っていうの~。花祝ぎって呼び方もあったかな~。私の故郷だとね~、これをおうちの中に飾って、旅立った人の無事を祈るのよ~」
「へえ~、そうなんですね~」
メルちゃん、口調がうつってるわよ?
「本当は~、旅に出る人が籠の上から口づけを落として完成なんだけど~、私がかわりにやっておくね~?」
「あ、は~い。お願いします~」
それにしても、このシスターさんはほんとにマイペースな人だなあ。でも、たまにはこんなのんびりとした空気もいっか~。メルちゃん、最近、疲れてたからね~。いい息抜きになった気がするな~。
はっ!?
私までつられてしまったじゃないか!
そのあと、シスターさんは宣言通り花籠にちゅっとキスを落としてメルちゃんに託し、いくつかの傷薬を買ってから、浄化水の瓶が入った箱を抱えて帰っていった。
物凄い雨の中を。
ねえ、それだとシスターさんが旅に出るみたいな構図だけど、いいの?
「……ふふっ」
まあ、いっか。
メルちゃんは託された花籠を、その日一日、嬉しそうに眺めていた。
そして、その日の夜。
メルちゃんとお母さんの対話が終わった時、私の隣に花弁を綴じられたお花が並ぶこととなる。
マリリス。花言葉は“親愛”かぁ。
私、同僚をゲットしたみたい。この戸棚、私しかいなかったから少し物寂しかったのよね。口を結んだ真っ赤な姿が可愛らしい。ともにメルちゃんを見守ろうじゃないか。欲を言えば会話できる相手が良かったけど。
それにしても、シスターさんのこと、変な人だと思ってたけど、ちょっとだけ見直した。メルちゃんに癒しを与えてくれてありがとう。シスターさんは癒し系だったんだね。
でも、真の体力回復系の座は渡さんよ?
花遊びに関しては思い付きで書いてます。
似たような風習がきっとどっかにあると信じながら。←
◎登場人物紹介
【シスターさん(本文中に名前未登場のため肩書のみ)】
ほんわかのんびりマイペースな修道院のシスターさん。
修道院が聖水のもととなる『浄化水』の精製をメルティナに依頼しており、その受け取りに店を訪れることが多い。
語尾を伸ばす独特な喋り方が特徴で、いつもにこにこしている。
きょぬう。