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誰が私を飲むのかという件について



 ちゅんちゅんと小鳥の囀る声がする。どうやら朝が来たらしい。

 まあいつも通り私の隣には誰もいないけどね!

 朝チュン? なにそれ? 



 先日青年が遠征に旅立ってから、4日くらい経った。

 結局青年は神級霊薬(わたし)を持って行かなかった。


 今頃彼はどうしているのだろうか。まだ目的地に向かっている途中だろうか。そろそろ標的(ドラゴン)との交戦を開始している頃だろうか。それとも、もう討伐して凱旋すべく帰路についた頃だろうか。


 怪我とかしてないといいな。

 というか、怪我するなら私を持ってけ。そして飲め。


「ふわあ……」


 そんなことを考えていたら、妹ちゃんが起きてきた。時折あくびをしながら、開店準備をし始める。

 彼女がせかせかと動く様子を、私はお店の奥の壁際にある戸棚の上から見守ることにした。


 さて、それではここで改めて自己紹介などをしておこう。


 私は神級霊薬(エリクサー)


 傷を癒すことから毒の除去、果ては魔力の回復まで、癒すことにおいては絶大な効果を持っている……と思われるおくすり。ちなみに世の錬金術師が追い求めて止まない、『不老不死』を齎すエリクサーさんは()違いだ。私にそんな効果はないと思う。だって素材に賢者の石なんて使われてないもの。……たぶん。


 じゃあ大したことないただの回復薬じゃないか、などと侮るなかれ。私はすごいぞ。どんな“瀕死の重傷”からも、“たちまち一瞬”で“万全の状態に回復”することが可能なのだ。

 しかも、傷を癒すだけじゃない。疲労や魔力欠乏、毒麻痺混乱精神異常なんでもござれ、だ。神が顕現を赦したもうた“奇跡”と言っても過言じゃないね。そんじょそこらの回復薬じゃあそんなこと出来ない。あいつらは回復効果もまちまちで、治るまで時間がかかる。大きな傷を癒せるという上級(ハイ)魔法薬ポーションですら、私の足元には遠く及ばないのだよ! はっはっは!


 一度も飲まれたことないけどね!


 薬として、それってどうなの……? アイデンティティの崩壊だわ……。

 うう……それもこれも、あの青年と妹ちゃんのせいなんだ。


 青年と妹ちゃんは私を雫の一滴すら飲む気配はない。というか、この場所から持ち出す気配すらない。


 この『フィラル魔法薬店』は、妹ちゃんがここ王都に構えるお薬屋さんである。

 元々、青年と妹ちゃん(あのふたり)の母親が切り盛りしていたお店だったそうで、今は妹ちゃんがその跡を継いでいる。まだ小さい頃に跡を継いだから、彼女がこのお店の店主になってもう結構経つ。


 私には彼女らの詳しい人間関係など分からないが、それなりに彼女の苦労は知っているつもりだ。なぜなら私が造ら(産ま)れたと同時に彼女らの母は息を引き取ったのだから。


 彼女らの母が亡くなったのが、どうにも私を造ったせいだというのは、青年が言っていたことだったろうか。なにせ私は、“奇跡”の効用を持つ神級霊薬(エリクサー)だもの。精製の代償も結構すごいらしい。造るのだって命懸けなのよ。


 私に自我が芽生えたのもまた、精製されたとほぼ同時である。

 意識を持った直後に初めて見たのが、くすんだ金髪に痩せた頬の女の顔だった。今にも死にそうな表情の女性に見つめられ、そのまま彼女が物言わず倒れ伏したところに、あの青年――当時はまだ少年と呼べそうな背格好だったかな――がやってきた。

 彼はそれはそれは必死の形相で女性を助け起こしたのだが、時遅く、すでに女性は亡くなっていた。


 妹とともに私を見つけた彼は、私のことをきつく睨んだ。


『こんなもののために……!』


 とか、そう呟いて私を封じた瓶ごと床に叩きつけられそうになった時は、もうほんと、肝が冷えた。造ら(産ま)れてすぐ殺されるのかと思って、背液せすじが凍り付く感覚に襲われたものだ。


 私、常温保管だけどね!


『――だめ! おにいちゃん、こわしちゃだめぇ! それ、おかあさんの、おかあさんの最後のおくすりだから、壊したら、おかあさん、もう、どこにも、いなくなっちゃう……』


 振りかぶった腕を止めたのは、幼い妹ちゃんのそんな懇願だった。涙を流しながら縋りつかれては、青年も思い留まらざるを得なかったらしい。

 あの時彼女が青年を止めてくれなかったら、私は今頃床の染みと化していただろう。妹ちゃんは私の命の恩人だ。


 造ったそばから母親が私を飲んでくれさえすれば、癒せたと思うのだけれど。でも、彼女はそうしなかった。そしてそのまま死んでしまった。死んでしまってから口に含まれても癒せない。


 死んじゃったらもう、きっといくら神級霊薬わたしだってどうしようもないのだ。

 後から考えてみれば、私としても飲まれる機会をひとつ失って甚だ不本意である。


 さて、それから数年。

 今日も今日とて、私はこの兄妹のおうち――『フィラル魔法薬店』――の戸棚に鎮座しているわけです。

 そう、ただの一度も飲まれることもなく。



 せぬ。



 自分の境遇に涙が零れてしまいそう。すでに液体だしそんなの出せないけど。零れる隙間もないしね!


 つまり私が兄妹に言いたいことはただひとつ。


 後生大事に飾ってないで飲めよ!


 とまあ、そんな感じ。そろそろ誰かを癒したい今日この頃。私は今日も元気です。


「あ、いらっしゃいませー!」


 カランカランと扉の鈴が鳴り、腰の曲がった老婆がお店に入ってきた。妹ちゃんの大きな声がお店の中に響く。


「おはようございます! ターナおばあちゃん!」

「おはよう、メルちゃんは今日も元気ねえ」

「それだけが取り柄ですから!」


 妹ちゃん、もといメルちゃんは元気な声で自信満々に言った。

 頭の後ろでまとめたこがね色の髪がふわりと揺れる。


 うーん。胸を張れることがあるのはいいことだけど、私と違ってメルちゃんはなにもそれだけが取り柄ってことはないと思うなあ。可愛くて愛嬌があるし、真面目だし、そこそこの魔力にも恵まれて、なにより私を造った女性の娘だけあって、薬の調合の腕も結構いい。さすがにまだ神級霊薬(わたし)を造れる域には達してなさそうだけど。


「今日もいつものお薬ですか?」

「ええ、そうよ。いつも悪いわねえ」

「いえいえ! 私のお薬がお役に立ってるのなら、嬉しいです! いつもありがとうございます!」

「お礼を言うのはこちらよ。メルちゃんの薬のおかげで、こうして痛みもなく歩けるまでになれたのだから。ありがとうねえ」


 このターナという老婆は、月に2度ほどお店を訪れる常連さんだ。

 たしか、いつも足と腰に効く軟膏と服用薬をセットで求めている。軟膏のほうは、沈静成分のある薬草と強壮効果のある陸蜥蜴(ドライリザード)の体液を練り混ぜたペースト状のお薬。服用薬のほうは、緑の魔力水に半月浸したクラの実をすり潰して乾燥させたもので、体内の骨繊維の修復を促す粉末薬。

 腰は曲がったままの老婆だけど、どうやらメルちゃんの薬は効いているらしくほっとする。


 なんだか、娘の成長を見守る母親の気分よね。

 私はまだ産まれて数年だし、語弊があるけど同じ女性から産まれたのだから、正確にはメルちゃんの方が私の姉みたいな存在だけど、それでもメルちゃんはまだまだ幼いところもあるし、放っとけない。私こう見えて、母性本能くすぐられると弱いタイプなのだ。


 仕方ないから、一人前の薬師になるまで私が見守ってあげようじゃないか。死んだ母親もきっとそう望んでいるに違いない。

 彼女の兄だって、私がそれとなく妹を見守っていると知れば感謝することだろう。

 あ、飲まれる機会をくれるならそちらを優先でおなしゃす!


 ちなみに腰痛くらいなら私を飲めばイチコロよ?

 どうかなそこのお婆さん! 私を飲んでみない!? 一回だけ! 一回だけでも! 一口、いや、一滴だけでもいいからー!


「ありがとうございましたー!」


 私の願いなど届くはずもなく、メルちゃんは手を振って老婆を見送った。


 くっ! またしても駄目だったか!

 あ、断っておくけど私、節操なく飲んで飲んで言ってるわけじゃないからね? 私だってちょっとくらいは飲まれる相手を選びたい。まあ、第1希望は青年かメルちゃんで、次点としてその周囲の人たちくらいならべつにいいかな、程度のゆるゆるな基準だけど。


 その後もお客さんが訪れる度、メルちゃんは元気に対応していた。だが、この日の来客は老婆を含め7人しかいなかった。


 このお店は基本的に来客が少ない。一度の処方で数日分の薬を提供するし、各家庭に常備薬もあるだろうから、常連さんも頻繁な来店の必要がない。また、多くの来客を見込む、薬が早急に必要とされるイベントなんて、それこそ先日青年が助言した遠征前の需要増が久々だった。それも遠征が始まった今は落ち着いている。


 それ以前に掻き入れ時と呼べるものといえば、一年前の流行り病だろうか。咳と倦怠感が主症状の、重篤になるのも稀な病で、幸いにしてメルちゃんの持っている薬学の本に症状を緩和する薬の調合法(レシピ)が載っていたそうだ。けれどそれも一過性のもので、あの時は二月と経たず平常の閑散期へと戻った。


 ただ、お客さんが少ないことを当のメルちゃんはあまり気にしていなさそうだ。

 今日もお客さんが居ない時間を見計らって、お店に併設された調剤室で黙々と薬の調合に勤しんでいた。今この時も彼女は調剤室に籠っている。


 残念だけど、この戸棚から調剤室の中は窺えないのよね。私が産まれた場所でもあるから、中の作りくらいは知ってるけど。


 ごめん青年、私、妹さん見守れないみたいだわ! 自分じゃ動けないんだから仕方ないよね!


 まあでも、メルちゃんは真面目でいい子だから、きっと金勘定抜きでお客さんのためにお仕事頑張ってるわよね。


「お兄ちゃん……」


 とか思っていた時期が私にもありました。調剤室のほうから溜息とともに聞こえたメルちゃんの呟きに、私はちょっぴり切なくなった。

 ん? そりゃ聞こえるよ。私、耳はいいんだ。耳なんてないけど!


 メルちゃんが涙声じゃないことを褒めてあげたい。

 お兄さんのこと、心配よね。たった二人の家族だもん。本当なら不安と寂しさに泣き出したって仕方ない身の上なのだ。

 そして母親が私を造ったせいで、青年とメルちゃんはたった二人きりの家族になってしまったわけで、私の胸にも仄かな罪悪感が揺蕩たゆたっている。胸なんてないけど!


 私だってそれなりに青年を心配しているのだ。

 彼まで失うことになったとしたら、メルちゃんが不憫すぎる。どうか何事もなく帰ってきてほしい。


 もちろん、もし青年がこのまま帰ってこなかったら、一体誰が私のことを飲むのだという件について、が一番大きな心配だけどな!



◎登場人物紹介


 主要なキャラクターや新たに登場したキャラクターの簡易プロフィールをこの欄でちょっとずつ紹介します。


神級霊薬エリクサー

 伝説上の存在とされる神級霊薬。

 多くの薬師や錬金術師が精製を生涯の目標に掲げる完全回復薬。

 公式の記録ではいまだ作成できた者はいないとされている。

 このおはなしの主人公。

 自我を持つ薬品。



【メルティナ・フィラル】


 フィラル魔法薬店の店主。

 今は亡き母から受け継いだ魔力と調合センスでお店を切り盛りする若き薬師。

 薬学は母の遺したレシピをもとにほぼ独学。

 生粋のお兄ちゃんっ子。


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