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瘴気? 私にとっては軽い毒と同じですが何か?



「誰か! 誰かいないか!」


 がちゃがちゃと金属音を響かせながら、壮年の男がお店の扉を開け放った。軽装に見えるけど、胸当てと腰に提げた剣がおそらく冒険者であろうと推察させた。息を切らして、とても慌てている様子だ。


「おい、誰か! いるなら返事をくれ!」


 声に気付いたメルちゃんが、「はーい」と調剤室から顔を出した。いつものように今の今まで客はなし。つまりメルちゃんは調合中だったというわけ。


「こんにちは。どうされましたか?」

「この店に優秀な薬師が居ると聞いたんだ! ご在宅か!?」

「ええと……優秀、ではないと思いますが、私がこのお店の主人です」

「……君がか?」


 メルちゃんが謙遜しながら名乗り出ると、男は怪訝な顔をした。『こんな小娘が?』って感じの顔。メルちゃんはちっちゃいからね。そう思うのも無理はないんだろうけど、それにしたって失礼すぎない?


 まったく、ウチのメルちゃんの腕を疑うとはいい度胸だねチミ。


「お薬がご入用ですか?」

「あ、ああ。仲間が瘴気にやられた。この店の主人なら、癒せる薬を作れるかもしれんとギルドで聞いたんだが……」


 男は肩を落とした。


「どうやら、でまかせだったみたいだな……。すまない、騒がせた。急ぐのでこれで失礼する」


 そう告げ、踵を返してお店のドアに手をかける。どうやらメルちゃんでは用を為さないと判断したみたいだ。

 なんなのこいつ。大声で呼び出したかと思えば、薬の有無も確認せずに独善的に判断を下して。いくらメルちゃんが若くて小柄でキュートだからって、見た目だけでメルちゃんを推し量るんじゃないわよ。イラっとくるわね。


 と私は憤慨したのだが、メルちゃんはそうでもなかったらしい。お店を出ようとする壮年の男に「待ってください」と声を掛けた。


「詳しくお話を聞かせてください。なんとかなるかもしれません」

「……出来るのか? 君のような少女に」


 メルちゃんの歩み寄りにも、懐疑的な顔。とことん失礼な男だ。メルちゃん、こんなやつ助けなくていいわよ。


「お仲間さんのご容態を伺っても?」

「首筋に瘴気が纏わりついた。徐々に侵食されて、今は背中にまで広がりつつある」

「そうですか……いつからですか?」

「罹患したのは一昨日だ。調査の任を放り出してすぐに帰還を決めたが、間に合わなかった。町の近くまではったんだが、ついに暴れ始めたところを数人がかりで押さえ込んで魔法で眠らせた」

「瞳の色は正常でしたか?」

「瞳? まぁ、異常は感じなかったが……」

「今、どちらに?」

「街はずれの療養所に隔離している。今は魔法で無理やり寝かしつけているが、いつ目を覚ましてまた暴れ出すか分からない。だから、早く治療の手立てを探さなければいけないんだ」


 男はメルちゃんにそう説明したが、メルちゃんをその治療の手立てとは思っていないらしい。言外に『お前に薬が作れるとは思えない』という意味を孕ませている。ほんと、嫌な男だ。


 だがメルちゃんは、男の言葉に安堵の表情で答えた。


「良かった。おそらくまだ初期段階ですね。それなら、お店の在庫で間に合います」

「……本当だろうな?」

「はい。少し待っていてください」


 そう言って、メルちゃんは調剤室のほうへと向かった。ぱたりと扉が閉じると、男は店内をうろうろと歩き始めた。


 挙動不審だなぁ。表情が優れないところを見るに、よほど慌てているのだろう。


 男は右往左往しながら、時折立ち止まり、そわそわと体を揺らしている。まだメルちゃんの腕を疑っているのかな。


「まだか……! 早くしないと、アイツが……!」


 ……いや、瘴気にやられたというお仲間さんが心配で気が気でない、という感じか? 焦燥の色が濃いもの。


 『瘴気』かぁ……。


 私はあまり詳しくないけれど、お店の中で誰かが話してたのを聞いたことがある。


 なんでもそれは、邪神が世界に撒いた歪みだとか、高濃度の魔素汚染による悪影響を受けたものだとか、闇の眷属が生み出す魔の力だとか、邪な感情を糧に育つ負の精神の()()()だとか、いろんな憶測が飛び交っているけれど、実際の発生源は不明とされているらしい。


 ぱっと見た感じは黒いもやみたいな感じだそう。この瘴気というものの一番厄介な点は、生物に纏わりつくことがあるという点だ。基本的には大気中を漂うものらしく、少量を浴びる程度なら問題はないようだが、あまり浴びすぎると体に定着してしまう。


 生物が瘴気を纏ってしまうと、理性を失い、()()が外れて身体能力が跳ねあがる。それと同時に、狂暴性と破壊衝動が増し、とても暴力的になる。全てを傷付け、壊し尽くさんとする存在に成り果てるそうだ。


 男のお仲間さんとやらもそんな状態になったみたいだね。そのあたりの症状については耐性がある種族もいるそうだが、瘴気自体は生物であれば誰しもが罹る可能性のある病のようなものらしい。


 土地に長く滞留することもあるそうで、もしそうなればその地域の動植物が生きてはいけない環境となる。植物は枯れ、動物は殺し合い、土地は痩せ細る。数年で瘴気自体は消え去るそうだが、復興には大きな労力が求められるとのこと。爪痕が尋常じゃない。


 まあ、つまりは自然災害というやつだ。動植物、ひいては人体にも多大な悪影響を起こす厄介な自然災害である。


 怖い怖い。


 漂っている瘴気なら、魔を祓うとされる聖水で体に害がない程度には霧散させられるけど、一度体に染みつくと聖水での浄化では不十分なのだそうだ。しかも、普通の魔法薬(ポーション)類では効果がなく、治療には特別な薬が必要。さらに、その薬でも初期段階での投与でなければ、失った自我の回復は難しいという。だからこの男はこんなに慌ててるんだろうね。


「すみません! お待たせしました!」


 ややあってからメルちゃんが持ち出してきたのは、黄緑色の液体が詰まった瓶。

 あれがその特別な薬なんだけど……瘴気に効くなんて、どんな成分なのかしら? 聖水と共通する部分があるから、たぶん似たような素材が使われてると思うけど。


「こちらが瘴気を剥がす薬で……」


 メルちゃんは黄緑色の薬を男に渡すと、カウンターからもう一つ、透明な液体が入った薬瓶を取り出した。


「こちらは聖水です」

「ふむ……」


 あら、聖水。お店(ウチ)にも置いてあるんだね。知らなかった。シスターさんがお裾分けしてくれたのかな。


「まず薬を飲ませて、その後患部を聖水で清めてください。初期段階ならこれでなんとかなるはずです」

「本当に効くのか……?」


 男は受け取った薬瓶を訝しげに振った。メルちゃんはその反応に困り顔をしている。


 折角メルちゃんが用意した薬になんてことを言うんだ!


「ああ、いや、すまん。疑っているわけではないんだが、君のような少女がと思うと、どうしてもな……」

「それは無理もないと思います。私、こんなですし……」

「とにかく、助かった。代金はいくらだ?」

「いえ、少しでも早くお仲間さんのところへ行ってください。一刻を争うので。それから、その、もし効かなければお代は結構ですので……」

「そうか。分かった」


 男はそう残し、慌ただしく走り去っていった。


 メルちゃんは沈んだ表情でそれを見送った。うん、あんな言い方されたらそんな顔にもなるよねぇ。


 ううーん。それにしても気に食わない男だったなー。

 あいつ、もし薬が効いても戻ってこなさそう。薬ドロボーだ。

 メルちゃんや、ただでさえお店の売り上げが微妙なんだから搾り取っても良かったんじゃない?


「……お母さん。ありがとう」


 そんなことを考えていたら、なぜかメルちゃんが私の目の前に来て、お母さんにお礼を言った。

 ……なんで?


 はっ!? まさか私、ついに思念での会話が可能になったのか!? 隠されてた能力がついに開花したの!? それで今思ったことがメルちゃんに伝わったと!?

 『搾り取っても良かったんじゃない?』に対して『(心配してくれて)ありがとう』と、そういうことか!?


 これはテンションが上がる! 私、メルちゃんに話したいこと、たくさんあるんだから!


 メルちゃん! おしゃべりしましょ!

 いや、それよりとりあえず飲む?

 飲んどく?

 飲んでいいよ!

 私の準備はいつでもオッケー! さあ、おいで!


「……あっ、調合の途中だった!」


 メルちゃんは私に返事をくれぬまま、ぱたぱたと調剤室に戻っていった。

 うん。あれは完全に聞こえてないね。

 だよねー、都合よく念話なんて使えるようになるわけないよねー。

 あははははー。知ってた知ってたー。

 ねっ、マリリスちゃん。


 ……………………。


 私の隣に鎮座するマリリスの花籠は、花弁を閉じたままうんともすんともしない。

 こちらも返事がない。ただのお花のようだ。


 虚しい……。くすん。



* * * * *



「邪魔をする」


 夕刻。


 薬を持って行った壮年の男が再度お店に現れた。


「あ、いらっしゃいませ!」


 メルちゃんは調合が終わって、お客さんもいないからカウンターでぼうっとしてたところ。あれだけ感じの悪かった男なのに、ちゃんと笑顔で出迎えた。

 男は眉尻を下げた顰め面でメルちゃんの方へと歩み寄った。


「……君に訊きたいことがある」

「はい……? えっと、私にお答えできることなら……」


 藪から棒な物言いだが、メルちゃんは首を傾げながらも応じた。


「あの薬は、君が調合したのか?」

「はい。そうですよ」

「聖水も?」

「浄化水までなら私です。お清めからは修道院の方がしてくださいます」

「そうか……」


 男は目を閉じて俯いた。

 具合でも悪いのかな。


「すまなかった!」


 次の瞬間、男は勢いよく頭を下げた。あまりに急で、メルちゃんも「わわ!」と驚いている。


「君の薬のおかげで仲間が助かった! 感謝する!」

「いえ、そんな! あ、ということは、お薬が効いたんですね……良かった」


 突然の謝罪と感謝に困惑した様子のメルちゃんだったが、薬が効いたと知って胸を撫で下ろす。

 顔を上げた男は、ばつが悪そうな表情だった。


「ギルドで聞いた通り、君は優秀な薬師だった。だというのに、私は君を年端の行かぬ少女と侮辱した。実際アイツに薬を飲ませるまで半信半疑だったよ。なんて愚かなんだろうな、私は。本当にすまなかった!」

「い、いえ! 私、気にしてませんから! 大丈夫です!」


 メルちゃんが断るも、男は何度も頭を下げた。なんという掌返し。よほど薬の効果が凄かったのかな。まぁ、ギルドの紹介で訪ねた相手に粗相をしたとなれば、看板に泥を塗る行為に他ならないものね。しかもメルちゃん、ギルドにはしょっちゅう素材集めの依頼を出すお得意さんなんだから。そのメルちゃんの機嫌を損ねたとなったら、ゴンズのおっさんが黙ってないぞ。あのおっさんに何かする力はないだろうけど。


 それに、薬品類は冒険者にとって命綱。もしかしたらこの男の急な心変わりは、優秀な薬師に取り入っておいて損はないと考えたからかもね。そんな大人の打算が見え隠れするけども、私的にはメルちゃんの名誉が無事挽回されたようで悪い気分じゃない。


「あのですね。あれは私のお母さんが遺してくれた調合本レシピに書いてあった薬なんです。だから、私の力じゃないんですよ」


 あ、そっか。あのお母さんへのお礼は、そういう意味だったのかぁ。


「それでも、調合したのは君なんだろう? 調法が分かっていても、瘴気を取り除くほどの薬は精製が難しいはずだ。なにせここを訪ねる前に王都の薬屋をいくつか回ったが、『今は在庫がない』か『作れる者がいない』と突っぱねられたからな」

「そんなことないですよ。まぁ、確かに素材がちょっぴり希少なんですけど、素材を揃えて正しい手順を守れば誰にだって作れるものなんです。だからそんなに畏まらないでください」

「…………そうか」


 そこで一旦会話が途切れた。

 お人好しだなぁ、メルちゃんは。ちょっぴり希少なんて言い方してるけど、あれは絶対とっても手に入りにくい素材を使ってるね。長年近くにいる私が言うんだから間違いないわ。調合も難しいんだろうなぁ。


 男は再び顔を上げ、今度は消え入りそうな声でメルちゃんに問いかける。


「……君はなぜ私に薬を渡した? 先刻の私はとても余裕のない状態だった。失礼な態度をとった自覚はある。言い訳になるが、それほど焦っていた。君ほどの腕前の薬師を侮った私などを、馬鹿正直に救う必要はなかったはず。そうだろう?」


 うんうん、普通はそうだよね。私でもアンタには飲まれたくないと思ったもの。でもね、ウチのメルちゃんは違うんだ。心根がまっすぐな良い子なんだから。

 案の定、その問いにメルちゃんはまた首を傾げていた。


「えぇと、なぜ、と言われましても……病に伏せる方にお薬をお渡しするのが、私のお仕事ですから。理由なんて、それだけで十分ですよ。それに、私も自覚してますから」


 メルちゃんは困ったような、照れたような顔で返した。


「自覚? 何を……?」

「それは、はい、まぁその、なんといいましょう。……いわゆる、『ちんちくりん』的な」

「ああ、なるほど」

「うぅっ! なるほどって……!」


 メルちゃんが述べた自己評価に、男は大層納得した様子。そしてメルちゃんは自分で言ったくせに納得されるのが納得いかない様子。

 自虐して傷つくなら言わなきゃいいのに。


 ひとしきりの謝罪が終わり、男はメルちゃんに代金を支払った。メルちゃんが指定した金額よりかなり多目に払おうとしたみたいで、それに恐縮するメルちゃんとちょっとだけ揉めた。けど、せめてもの詫びと恩返しだと男に押され、渋々折れた。


 男は一度目の来店時よりも穏やかな様子だ。焦りがあんな態度を取らせていたというのは本当っぽい。それほど倒れた仲間が大事だったんだろうな。


「それで、その後お仲間さんの具合はいかがですか?」

「ああ。瘴気は綺麗に体から剥がれたよ。すぐに一度目を覚ましたが、無理をするなと言い聞かせて休ませた」

「経過はちゃんと見てあげてくださいね? 瘴気が体内に残ることもあるそうなので。そうなったらまたお薬を出しますからいつでもお越しください」

「何から何まですまないな。その時はまた頼らせてもらうよ」


 男は最後にまた感謝を伝えてから、お店を後にした。


 人を狂気に走らせる瘴気。それを治せる薬。

 どうやら今は競合他店に在庫がないみたいだし、ウチにまだその薬があるっていう噂が広まったら、良い商機になるんじゃないかしら。瘴気だけに。


 ……瘴気だけに。

 …………む、虚しくなんてないもん。

 

 まぁ、瘴気汚染なんて稀なことだし、これ以上の来客はないかな。

 それに、きっと素材の希少性が高い薬なのよね。それでもメルちゃんのことだからかなり安くしてると思う。あの男は色を付けてたけど、あれで元を取れたかどうか。となると、充分な数を確保できないかもしれない。


 さりとてこのお店には私がいるからね! 私を飲めば初期段階どころか重篤な状態だろうと一発解消である。たぶん。


 だって瘴気それって、毒みたいなものでしょ?


 なら余裕よ。さすが神級霊薬(わたし)ね!


 メルちゃん! 在庫がなくなったら私! いつでも出品可能だからね!




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