2.新たな事件
Outsiders2話目です。週1回のペースで更新していけるよう頑張ります。
夜中、普段は人がほとんど通らない都内の古びた地下道で足音が慌ただしく鳴っていた。足音のする方向から、暗闇の道が感知式ライトによって照らされていく。その照らされた地下道を、一人の男性が怯えた表情で何かから逃げるように走っていた。相当な距離を走ったのか、息切れが激しく、自分の胸を片手で押さえていた。田井中博也は必死だった。
ふと、彼のすぐ横を通過するように何かが飛んできた。彼の視界に入った瞬間、その物体が音を立てて爆発し、その爆風で田井中の体が吹っ飛んでいく。地下道の壁に強打してその
場でうずくまった。その田井中の目の前に何者かが現れた。その姿は一般人とは思えない、軍人のような巨体を持つ者であった。
「ヘイ、研究資料を持ち逃げするとは、組織の人間としてやってはならないことをしたな」
その大柄の男は左手の骨を鳴らしながら田井中に近づいていく。
「さて、貴様が研究所から持って行った資料、どこに隠したのか言ってもらおうか」
恐怖で震えながらも田井中は、
「無理だ。お、お前たちのやっていることに、私はもう協力などできん。あんなことを研究するために、私は研究者の道を歩んできたわけではない。お前たちの悪事は、必ず私が…」
そう言おうとした時、田井中の隣で轟音が響き、コンクリート壁が崩壊した。男が壁を殴りつけたのである。その拳は人間の皮膚ではなく、明らかに金属類のものであった。
「ふん、あくまで考えは変わらないということか。己の信念を通すとは、殺すにはなかなか惜しい奴だ。だが、今の社会において俺たちの組織に刃向かうことは愚の骨頂だ」
そう言って再び拳を作る。今度は田井中本人に向ける。
「己の愚かさを悔いて、ここで死ね」
そう言って、その男は田井中の顔面を強打した。その瞬間、田井中の顔面が跡形もなく破裂し、肉片となって周りに飛び散っていった。
優花が勤務するCOSは、東京都千代田区に位置する警察庁の地下一階にある。COSに与えられた部屋の広さは刑事部に属する一課や二課の部署とほぼ同じであるが、ここに配属している人員が他の部署よりも少ないため、実際よりも広く感じられた。部屋の中には個人に与えられたデスクワークのための椅子と机が並べられていて、各机にはパソコンが備えられていた。ただ、人数に対してこのような備品が多いためか、数の割に稼働しているパソコンはほとんどなかった。ここはまるで、使わない備品の物入れのようであった。
そんな中、稼働しているパソコンの前で、優花はひたすら指をキーボードの上で走らせていた。一昨日の異邦人確保に加わり、昨日は一日休暇をもらっていたが、作戦途中で異邦者の藤原による攻撃を受けて傷を負ったので、一日中自宅で療養という形でこもっていた。もともと活発的で、休日は外出を楽しんでいた優花にとってはなかなか不毛な一日となった。さらに藤原の一件の事後報告は優花の役目として回されてしまったため、今日は以前の書類整理に加えて報告書を作成しないといけなかった。COSは人手不足というのもあるが、その他にも戦闘要員として配属させられた者が半分以上であったため、結果的に報告書の作成や上司への報告などの事務的作業は優花などの一般人に回されるわけである。
時計が十二時前を示した。優花は朝早くから取り掛かっていた報告書の山を仕上げ、提出する書類のデータをパソコンで転送すると両手を天井に伸ばして大きく全身を伸ばした。ずっと座りっぱなしの状態であったため、すっかり体が縮こまっていた。
(あー、人事課もこっちに事務作業員の一人くらい提供してくれてもいいのに…)
疲れも溜まり、不満が頭の中に現れた。COSという組織ができてから既に十年は経っている。そろそろ人員補充を検討してもらいたいところであった。しかし、COSは警察組織の中でも特殊な組織であった。組織に入るためには他の部署と違い、異邦者を仕留めるための戦闘技術が求められた。そのため、優花のような一般人は、COS専用の対異邦者の訓練を受ける必要があった。訓練は自衛隊の者ですら根を上げるような過酷なものであり、一般人からCOSに入ろうとする者はほとんどいなかった。では、COSにいる人員がどのような者かというと、それはターゲットである異能を持つ者と同じような存在、つまり異邦者であった。COSの人員の半数は、国の幹部からスカウトされた異邦者によって構成されている。彼らは普段、警察庁を訪れることがなく、COSのトップから出動の命令が下された時に直接現場まで行って異邦者の確保、始末を行っている。そのため、優花と面識のないCOSのメンバーも結構いた。彼らは自分のシフトが当たっている時はいつでも出動できるように自宅やその周辺で待機している。警察庁まで来て事務作業をするのは優花や千葉を含めた一般人だけであった。
不意を突くように空腹が襲ってきた。時間的にもそろそろ昼食の時間である。優花は一度パソコンの電源を落とすと、警察庁の中にある大食堂へと向かった。
昼休みということもあり、警察庁の中に設備されている食堂はかなりの人数が並んで列を作っている。なんとか前の方に並べた優花は食券で買ったカレーうどんと付け合わせの小鉢をトレーに乗せ、空いている円卓に座って食事を始めた。この後は千葉と一昨日の事件について話すことがあるため、さっさと済そうと考えていた。カレーうどんに箸をつけたちょうどその時、向かい合う席にトレーが置かれた。
「よっ、事務作業お疲れさん」
目線を上に挙げるとそこにはからかうように笑っている御子柴の姿があった。
「和樹。今日は午前休暇だったっけ?」
「まあな。と言っても、家にいても特にやることがないからな。午前中は自衛隊の訓練所で体を動かしていた」
御子柴はそう言ってトレーに乗ってあるとんかつ定職にがっついた。優花と御子柴は小学校からの幼馴染で、入社の仕方は違うものの同じ年にCOSに配属された同期であった。優花は大学卒業後、国家公務員試験に合格し、さらにCOSの訓練を受けて配属されたのに対し、御子柴は高校を卒業してから数年間実家の店の後継ぎとして働いていたところを警察庁の幹部に引き抜かれてCOSに入ったのである。つまり御子柴は優花とは違い、異邦者であった。
「そんなに暇なら私の事務作業手伝ってよ。和樹もここにきて一年以上経つんだしさ、そろそろ新しい仕事覚えていこうよ」
御子柴は目の前の相手が言った提案に対し、笑って、
「いやいや、遠慮しとくわ。俺は優花と違って、戦闘要員として役人からスカウトされてここに入っただけだ。書類作成みたいな頭使う仕事、俺には無理だし上からも期待されちゃいないよ」
「戦闘要員が事務作業しない分、私らに全部作業が降りかかってくるんだからね」
「いやー、悪いな。恩に着るよ」
御子柴は軽く聞き流して目の前の白米を口に運ぶ。優花は不満そうに眼の前の彼を見ていたが、御子柴にこのことを言っても仕方がない。諦めて自分も食事をすることにした。
御子柴も他の戦闘要員の異邦者と同じく、出動の命令は腕につけているCOS専用の腕時計型の数進端末装置を介して受け、現場に直行する身であった。しかし、彼は他の者と違って、これまでに自分の家から現場に行くことはほとんどなかった。御子柴は自分のシフトが当たっている日は決まって警察庁のCOSの部署を訪れ、そこで一日を過ごしていた。彼曰く、家にいると実家の仕事の手伝いを強引にさせられて、いざ出動の命令が来た時にすぐに現場に向かえないからだそうだ。彼の両親は自分の息子が殺し屋家業のような仕事をしていることにやや反対気味であった。
「それよりも優花、お前、昨日の作戦で藤原の異能で腕を負傷しただろ?切り傷で済んだとはいえ、もう一日休んだ方が良かったんじゃないか?」
同僚のけがを心配する御子柴であったが、その本人は気にしてなさそうな顔で、
「大丈夫。空撃刃で斬られたときは死ぬほど痛かったけど、傷自体大したものじゃないよ。それに、今日休むと担当している書類の量がまた増えて後々面倒なことになるからね」
「しっかりしているな。昔からそうだよな、優花は。夏休みとかの宿題も前半で一気に終わらせていたし」
「その後で和樹が夏休み最後らへんでひたすら私のを写していたよね」
「ああ、アイスとジュースを引き換えにな…」
少し昔のことを思い出してお互い気分が和んだ。小さい頃から共に時間を過ごし、高校は互いに別々となって、多少会う機会は少なくなったものの、それでもお互い身近な存在として、その関係は恋人までは発展しなかったが良好な関係を築いていた。働く場所まで一緒になることは全く予想していなかったので、COSであった時はお互い相手を見て声を上げて驚いていた。
ふと、御子柴が口を開いた。
「それにしても、COSに入った時に優花までいるとは思ってもいなかったな。なんでこんなところに入った?」
「え、何か変かな?」
御子柴の質問を聞いて箸を持っていた手が止まる。
「変というかさ、優花って国立大学を出て、国家試験に受かって、幹部候補で警察庁に入社したんだろ?なんでこんな危険な任務が多いCOSを選んだ?もっと安全でマシな仕事あっただろ」
優花は箸を一旦トレーの上に置いた。しばらく二人の間に沈黙ができる。御子柴が今言ったことは間違いではなかった。優花の他にも、警察官になるために国家公務員試験採用総合職試験を受け、警察庁に入った者はいたが、優花を除く全員がCOSとは別の部局に配属されている。優花のような、国家公務員試験に加えてCOSの訓練を受ける者は一人もいなかった。しかし、国家試験に合格して警察組織に入る前から、優花は既にCOSに入ることを決めていた。自分にとって組織内での出世とか、高収入とかは正直二の次であった。この警察組織に入ったのも、COSで働くことも、自分が持つある理想を実現するための下積み、経験でしかなかった。昨夜、千葉に聞かれたことと少し似ている。言おうかどうか迷っていたが、相手が御子柴であったこともあり、重い口をなんとか開いた。
「…あのね、和樹。小学生の頃ってまだ覚えている?」
「ん?ああ、多少は…」
「私さ、子供の頃から正義のヒーローに憧れていたの。毎週休みの日の朝は早起きしてヒーローの特番を見ていた」
御子柴は何とかその頃のことを頭の中で思い浮かべる。
「そういえば、優花って周りの女子とあまり話が合わなかったよな。幼稚園の時なんてお前、男に交じってヒーローごっこやっていたな」
「うん。それくらいヒーローに憧れていたの。悪の組織から周りの人々を守る、自分の命が危険だって分かっているのに他人を助けるその姿がかっこよかった。その時の憧れは今でも変わっていない。私は子供の頃からずっと、大人になったら多くの人々を救えるヒーローのような存在なりたいって思っていた」
御子柴は黙ったまま優花を見つめた。
「それで、COSにはね、私が目指しているものにとって必要なことが学べるって思った。ここで多くのことを学んで、いつかCOSを出て、世界中を回ってたくさんの人々を助けられるヒーローになろうって決めたの」
御子柴は言葉が出なかった。自分は軽い気持ちで何となく聞いたつもりであったが、目の前の幼馴染から返ってきた言葉は想像以上に重く、固く、強いものであった。小さい頃から優花が正義やヒーローというものに憧れていたことは薄々気づいていたが、まさか大人になった現在でもその気持ちは変わっていないとは思ってもみなかった。自分から話を振ったものの、次にどう言葉を返せばいいか分からなかった。今の優花に軽々しい言葉はかけられない。御子柴は悩んだ末、
「…そっか。なんか、予想を上回る答えが返ってきたな」
決まり悪そうに笑みを浮かべる。
「言っておくけど、同僚や幼馴染のよしみで言ったんだからね。こんなこと、大人になって堂々と口に出せることじゃないよ」
優花は昼食を食べ終わるとすぐに立ち上がって、
「私、この後千葉さんと事件のことで話すことがあるから、先に行くね」
「お、おう」
優花はトレーを持つと、速足で食堂を去っていった。御子柴は優花が見えなくなるまで見ていた。彼女の背中は子供の頃から変わらず小さいものであったが、そこに背負おうとしているものはあまりにも大きすぎる気がした。優花が食堂を出て、見えなくなるのを確認すると、一言、
「…変わってないな。昔からそうだよ」
そうつぶやいて目の前のトレーに乗っている昼飯に手を付けた。
COSの部署に戻ると千葉が自分の席に座ってパソコンの画面上に示されている事件の書類を見ていた。缶コーヒーを片手に、いつもと変わらない、物事の本質を見抜こうとするような鋭い目つきをしていた。優花が戻ってきたことに気付くと、手招きするしぐさを見せて中野を自分の席に呼んだ。
「藤原の事件の資料ですか?」
パソコンの画面を見ると、一昨日の事件の報告書や藤原の個人情報がまとめられた資料が表示されていた。ちなみに、報告書の作成者は優花であった。
「ああ、中野がまとめただろ?相変わらず仕事が早いな」
千葉はそう言って報告書を眺めていった。あの後藤原の死体は警視庁の鑑識班に回され、さらわれた女性は保護された後、メンタルケアや治療を受けていた。
「いつものことですよ。それで、この事件でまだ気になることがあるのですか?」
優花がそう聞くと、千葉は煙草を一本口に咥え、ライターで火をつけた。大きく煙を吸い込むと、
「中野、一昨日の事件についてどう思う?」
「どうと言われても…、よくある異邦者の暴走としか…」
一昨日の事件は優花にとってかなり危険なものであったが、事件そのものは今までに経験してきた、異邦者が自分の異能を私利私欲のために行使した犯罪や、異能を制御できずに暴走した事故的なものだろうと思っていた。実際、藤原と対峙した時、彼の言動や行動からは何も深い考えや陰謀は感じられなかった。千葉は画面を見たまま、
「俺はあの事件、どうにもそんな単純なものだとは思えない」
千葉の発言に優花は疑問を感じた。自分はそんな考えなど、この事件に関しては微塵も持つことがなかった。千葉は手に持っていたマウスを操作して、藤原の個人データが記されている資料を拡大した。
「あの時御子柴も言っていたが、藤原は身体の一部を改造していたことが分かった。それで、その改造に使われた部品についてだが…」
そう言いながら千葉は先程入手した、科捜研の解剖結果が記されている資料を開けてそこに載っている写真を拡大した。その資料には初めて見る正方形の小型チップのようなものが写っていた。
「この機械は…」
「現在も科捜研の連中が専門家と共に詳しく調べているが、どうやら異能を人工的に発動させるガジェットらしい」
「じゃあ、藤原は天然の異邦者ではなく何者かに改造されて、その時に異能を人工的に付与された…。でも、異能を人工的に無理矢理付けることなんて可能なのですか?そもそも異能というのは、本人の意思に関係なく突然現れるものでは…」
優花はこのことの全てを受け入れることができなかった。今まで生きてきて、さらにこの仕事に関わってきて、このようなケースに遭遇するのは初めてだったからである。
「そう驚くことじゃないさ。異邦者が現れたと同時に科学技術も急速に発展している。人工的に異能を付与する技術が開発されていても何ら不思議なことではない」
対照的に千葉はこの事実をすんなり受け入れた。千葉はこの警察組織で生きていく中で数多くの社会の変化を目の当たりにしている。そこはやはり経験の長さの違いというものがあった。千葉は一旦、煙草を灰皿に押し付けると、話の焦点を藤原から変えた。
「俺が考えているのは藤原本人ではなく、一般人だったこいつを異邦者に仕立て上げた奴らについてだ」
「あの事件は、藤原だけによるものではないと?」
「藤原が最初に殺した通行人についてだが、被害者と藤原に接点は全くなかった。最初は通り魔だと思っていたが…」
千葉は画面を変えて、今度は殺された通行人の個人情報が記された資料を表示した。
「被害者の身元が分かった。彼は日本の最大メーカー、武田グループの研究員だった。企業関係者から話を聞くと、彼はかなり優秀だったらしい」
ここまで聞いて、優花は何となく一昨日の事件について千葉が考えていることを理解した。
「つまり藤原が行った殺人は通り魔ではなく…」
「ああ。おそらく藤原を改造した連中が奴に殺しを指示したのだろう」
「でもそれだと、その後に女性をさらった理由は一体…」
「まあ、直感で言わしてもらうと、強い力を得て私欲に走ったんだろうな。あの女性からしてみれば、ただ巻き添えを食らっただけだ」
千葉はそう言って椅子から立ち上がり、
「とにかくだ。この事件は少々厄介だ。普通の人間を異邦者に改造しようとする組織は大体予想できるが、奴らの力は強大すぎる。迂闊に捜査にのめり込むと最悪の場合始末されるかもしれん。中野、お前は特に用心して…」
そう千葉が忠告していた途中で机の上に置いてある固定電話から呼び出し音が鳴った。千葉は舌打ちをして受話器を取り、
「こちら異邦対策課。…はい…はい…分かりました。中野も一緒に連れていきます」
短い対応で電話を済ませると、千葉は椅子に掛けてあったコートを片手に持ち、
「中野、都内で殺人事件だ。行くぞ」
「は、はい」
千葉が言おうとした忠告が気になっていたが、優花は部屋を出ていこうとする千葉の後を追うように急いで準備して駆けていった。
現場は都内の地下道であった。既に警視庁の捜査一課や鑑識課の者らが周辺を調査していた。少し遅れた形で千葉と優花はそこに訪れ、警部らしき人に声をかけた。
「大倉警部」
「千葉か。この前の異邦者の始末や今回の事件での出動、ご苦労だな。COSってところも楽じゃないだろ?こっちに戻ってきてもいいのだぞ」
「ご冗談を。俺をCOSに転属するように上に掛け合ったのは警部でしょうに」
「さて、どうだかな」
目の前で千葉と話しているのは捜査一課の警部、大倉秀昭であった。優花も一課と捜査を共に行うことが何回かあったので、顔と名前くらいは知っていた。千葉と雰囲気が似ていたが、性格上は千葉とは正反対なところがあり、上からの命令に忠実な組織の人間であった。
「昔の話は置いといて、現場を拝見させてもらってもよろしいでしょうか」
「ああ、こっちだ」
大倉はゆっくりとした動作で二人を地下道の奥へと案内した。死体は既に回収されていて、被害者が倒れていた位置には白線で印が付けられていた。その周辺の壁や床には血の飛び散った跡が残っていた。
「事件の詳細は?」
千葉が短く大倉に問いかける。
「今回の殺人事件、被害者は田井中博也。都内から少し離れたGIFT東京第一研究所に勤務する研究者だ。死亡推定時刻はまだ正確には分かっていないが、恐らく昨日の深夜だと考えられている。今日の昼前にここを通った通行人が死体を発見して、うちに通報したとのことだ」
「もう死体は回収されていますけど、発見された時の被害者の状態はどんな感じでしたか?」
「首から上が破裂したように跡形もなく肉片となって辺りに飛び散っていた。一般人に見せられる状態じゃなかった」
「う…」
優花は発見当初の現場を想像して酷く気分が悪くなった。その現場を最初に発見したのが通りすがりの一般人だったのだから、その人を心底気の毒に思った。
「しかし、死体が発見されるのが少々遅すぎやしません?昼前になってようやく通行人が発見したって」
「この地下道は近々廃棄される予定でな。長年整備もされていないし、今じゃここを通る奴なんて滅多にいないさ」
事件の大まかな情報を大倉から聞くと、千葉は次に、大方予想がついていることを念のため確認した。
「それで、今回俺たちが呼ばれた理由というのは」
「まあ、今回の被害者の状態を見て、容疑者は一般人と異邦者の両方が考えられるということだ。万が一異邦者だったら俺達が対応するには少々無理がある。そこでだ、犯人に目星が付くまで、お前たちCOSにも捜査に加わってもらおうってのが、俺の上司の考えていることだ」
大倉はさらに付け加え、
「だが、お前らの人員全てを借りるつもりはない。とりあえず、適当に一人をうちに貸してくれたらそれでいい。COSが人手不足という事実は理解している」
「助かります」
元上司に頭を下げるとすと、千葉は優花の背中を軽く押した。ふいに押されたことで優花の身体が前のめりになる。
「ちょ、千葉さん?」
「警部、ちょうどいい。そちらに中野を送ります。存分に使ってやってください」
「ちょっと千葉さん、そんな勝手に決められても…」
即決した千葉に対して何か言おうとしたが、あっさり言葉をさえぎられて、
「俺はCOS全体の仕事を見ておかなくちゃならないし、他の奴らも事務作業に追われている。御子柴はうちの大事な戦力だし、他の戦闘要員の奴らは少々性格がきついのばっかりだ。一課の人員と面識がある奴で、今手が空いているのはお前しかいない」
そこへ大倉が口を挟む。
「できれば御子柴君を貸してほしかったんだが、贅沢は言えないということか」
「そのへんの心配は不要です。こいつもうちの中じゃ優秀な人間です」
どうやらもう話は進んでしまっているようだ。今更拒否するわけにもいかない。それに、大倉が見せた自分に対する不満そうな目がどうにも気に食わなかった。
「…分かりました。今回の捜査に私が協力させて戴きます」
「決まりだな」
優花は強気な目で大倉の方を見て頭を軽く下げた。それを見て、大倉は
「まあ、こちらの意向に従ってくれればそれでいい。くれぐれも余計な詮索や勝手な捜査はしないでくれ」
そう言って一課の部下の方へと歩いて行った。それを見ながら千葉は優花に忠告を入れた。
「大倉警部は警視庁の古株だ。上からのパイプの数も多い。用心しておけ」
「は、はあ…」
少し気分が重くなったが、決まってしまったことだ。自分の役職に集中していこうと優花は自分の心の中でそう決めた。
東京の街外れに小さな商店街があった。近隣に大型ショッピングモールができてから、この商店街の店の半分以上がシャッターを常時閉めていて、活気というものは全盛期に比べ大幅に落ちていた。今の時代、小さな商店街で物を買うよりも、人々はインターネット通販や、大量生産化されたスーパーを訪れている。時代の変化についていけなくなったこの街の店はことごとく店じまいを強いられていた。
そんな中、この商店街で、細々とではあるが一軒のバーが今でも店を開いていた。繁盛とまではいかないものの、昔ながらの常連客がよくこの店を訪れては酒を飲み、愚痴をこぼしていた。しかし、この店が今でもこうして店をやっているのはバーの経営だけではなかった。この店のオーナーにして唯一の従業員、唐澤亜純美は、表向きはバーのマスターであるが、副業として医者をしていた。医者といってもまともな医者ではなく、裏社会で生きる人間が利用する、いわば闇医者であった。彼女はぼったくりと言える金額と引き換えに、これまで裏組織の幹部や訳ありの者の手術を行ってきた。腕は確かなものであったため、客は莫大な金額に文句をつけることはほとんどなかった。
この日、亜純美はスーツ姿で誰もいない店内のカウンターでグラスを付近で拭きながら店内を流れるジャズミュージックを堪能していた。今日は客も来ないだろうと思いながら、自分用にとっておいた年代物のワインを楽しもうと思っていた。その時、入り口の扉に掛けられているドアベルが穏やかな音を鳴らした。亜純美は入ってくる相手を確認するとグラスを置いて、
「あらー、零矢じゃない。久しぶりねー」
亜純美の呼びかけに零矢は応じて、
「どーも、亜純美さん。今日は客、来てないみたいだな」
「せっかく一人静かに酒でも楽しもうと思っていたのにさ。とんだ邪魔が入ってきたものよ」
「いやいや、その言い方はないだろ。俺も大切な常連の一人だぜ。もちろん、あっちの方もな」
「ろくに酒を飲まないで、ここを甘味処だと勘違いしている馬鹿舌はうちの常連には入らないよ」
辛辣な言われ方に零矢はきまりが悪そうに笑って、
「嫌われているなー、俺って」
そう言いつつも、いつものカウンター席に腰を下ろす。亜純美はそんな客にメニュー表を渡す。
「ご注文は?」
零矢はメニューを見もせず、
「カルーアミルクとローストビーフ、フレンチフライ。後はガトーショコラね」
「メインはどうせデザートの方でしょ」
「さすが亜純美さん、分かってらっしゃる」
亜純美は開かれもしなかったメニュー表を後ろに下げて厨房へと姿を消した。
零矢と亜純美はお互い裏社会とかかわっている者同士として比較的良い関係を持っていた。零矢はここから少し離れた街の通りで探偵業を営んでいた。探偵というよりもどちらかと言えば何でも屋に近く、人探しから事件の調査、時には裏の人間からの危険な依頼も受けていた。亜純美とはこの街に住むようになってから出会い、現在、亜純美は零矢に一定の金銭と引き換えに時々情報を提供していた。零矢も仕事終わりや暇な時間を見つけては、かなりの頻度で亜純美の店に訪れ、自分の家のようにくつろいでいた。
料理が来る前に、頼んだカクテルが出されたので零矢はそれに手を付けた。今日はかなり頭を使ったのか、脳が糖類を欲する感覚がいつもより強かった。
「それで、最近の仕事はどんな感じだい?」
揚げ物を食べ終わって、本命ともいえるガトーショコラに手を付けていた零矢に問いかける。零矢はスプーンの手を止めて少し間を開けると、
「人探しを頼まれてやっているけどさ、どうにもこれが面倒くさいことになってきてさ」
「確か、依頼主は廃棄区画で暮らすホームレスだったかしら」
亜純美には以前話していた。依頼してきたそのホームレスによると、昔からお互い住むところを失ったもの同士で仲良くやっていた仲間が突然音沙汰もなく姿を消したという。さらに、以前からその区画で暮らす者たちの複数が、彼の友人と同じく姿を消して、それ以来戻ってきていないということだ。
「ああ。とりあえずその依頼主からもらった友人の写真や身分証明から身元を特定したけどさ、調査を進めていくうちに過去にあの区画から姿をくらましている人らの情報も得られたんだよ。」
「それで?」
「一昨日街をうろついていた時、その近くで異邦者が暴れていてさ。そいつは周りの通行人を負傷させながら俺の横を通り過ぎたんだ。その時見た横顔が、二か月前に姿をくらましている藤原浩人そのものだった」
亜純美は口を閉じたまま考えるように声を漏らし、
「妙な話もあるものね。行方をくらましたと思ったら異邦者になっていたなんて。実は私、そこから先のことは知っているのよ。あんた、千葉さんの部下をその異邦者から救ったんだって?男前なことするじゃない」
亜純美は茶化すように言って、人が悪そうな笑みを浮かべた。千葉も実はこの店の常連の一人であった。千葉と亜純美は立場上正反対の人間ではあるが、お互い年は離れているものの、昔からの付き合いで仲良くしていた。
「おかげで藤原を殺す羽目になっちまったけどな。せめて情報を吐き出すところまでは生かしておきたかったよ」
「それでも千葉さんから情報はもらったんでしょ?」
「当然。今日の昼に電話がかかってきた。科捜研が藤原の身体を解剖した結果、奇妙なチップが組み込まれていたらしい。トシさん曰く、人工的に異能を発動させるガジェットらしい」
その言葉に亜純美も何かを察したように、口にくわえていた煙草の煙を大きく吸った。
「そんな機械を発明できる連中は一部に限られてくる。今回の件には大企業や資本グループが関わっているって言いたいのね」
「まだ確信は得ていないけど、最近の資本グループ同士の裏での戦争も、徐々に激しくなっているからな。もしかしたら、藤原だけではなく、他の行方不明のホームレスとも何か関係があるかもしれない」
零矢はガトーショコラを食べ終わると、カウンターに万札を何枚かおいて、
「ご馳走様。亜純美さん、また何か情報が得られたら教えてくれ。これは前払いだ」
「あらあら、私を巻き込むつもりかい?あまり組織同士の権力争いに首を突っ込むのは趣味じゃないのだけど」
「俺から話を聞いた時点で既に関わっているみたいなものだよ。空いている時間でいいから、何か情報入ったら教えてくれ」
零矢は口端を上げて笑うと席を立ち、店を出ていこうとする。それを亜純美が呼び止めた。
「零矢、千葉さんも言っているだろうけど、危険なことにあまり関わるのは良くないわよ。あんたと連中に何があったのかはあまり詮索しないけどさ」
零矢はそれを聞いて、少し表情を緩めると、
「心配することはないさ。上手くやってみせる」
扉が閉まり、ドアベルの乾いた音が店内に響いた。店の中、一人となった亜純美は煙草を咥えたまま、しばらく遠くを見つめていた。