1.異邦対策課隊員「中野優花」
はじめまして、狭衣です。
初投稿となります。よろしくお願いします。
東京のとある街の中心。時計の針は午後六時を指していた。季節は冬でこの日の天気は雨であったため、辺りは既に暗くなっていた。道を歩く人たちは皆傘をさし、一人一人の歩みが大きな流れを作っていた。そのような人々の流れが絶えない道から少し外れた建物の前ではかなりの群衆ができていて、人々は立ち入り禁止のロープ越しから向こう側の様子を見物していた。その人混みの中をかき分けるように前方へ進む者がいた。
「すみませーん、そこ通らしてください」
かなり大きな声で周りに呼びかけると、その周りにいた人達が道を譲るように横に移動した。中野優花は前にできた細い道を低い姿勢で進んでいき、ロープの前まで辿り着いた。ロープの側で監視役として立っていた警察官が優花の前にやってきた。優花は持っていた警察手帳を彼に見せるとその警察官は右腕を上げて敬礼して優花を中に通した。優花はそのままロープをくぐって急いで向こう側にあるテントに走っていった。
テントの中には既に一人の刑事が煙草をくわえながらタブレットに表示されている資料に目を通していた。後ろから足音が近づいているのに気が付くと、彼は振り返った。
「おう、中野か。今日は非番だってのに急な呼び出しとは災難だったな」
千葉敏彦はタブレットをテーブルに置くとからかうように言った。
「そう思ってるならわざわざ私を呼ぶよう部下に指示しないでくださいよ。せっかく体を休めていたのに」
「固いこと言うな。どうせデートとかじゃなくて一人でプラプラしてたんだろ」
「放っといてください…」
千葉の発言に優花は機嫌を損ねて言い返した。この日優花は非番を利用して都内の街を散策していた。夕方になり、そろそろどこかで食事でもしようと考えていた時に事件の呼び出しを電話で受け、急いでここまで走ってきたわけである。そのため、今の優花はスーツではなく私服姿であった。
「それで、今回の事件の内容は」
優花はすぐに仕事モードに気持ちを入れ替えた。呼ばれてきたからにはいつまでも文句を言うわけにはいかない。迅速な事件解決に集中することを自分に言い聞かせた。
「ああ、早速だが…」
千葉はさっきテーブルに置いたタブレットを取って優花に渡した。タブレットを手に取ると、優花は表示されている文書に目を通し始めた。そこには容疑者の個人情報と写真が載っていた。写真には髪の長い、細い顔つきをした男性であった。
「対象は藤原浩人。今日の午後五時半に通行人の一人を襲って殺害し、そのまま逃走。その途中で複数の通行人を負傷させたとのことだ」
「よくある通り魔事件ですね。でもそれだけだと普通は捜査一課の担当じゃないですか」
優花は千葉の簡単な説明を聞いて少し疑問に思った。自分が配属している部署では一般的な殺人、傷害では出動命令は下されない。千葉はさらに情報を付け加えた。
「藤原が通行人を一人殺したってのは今言ったな。その殺し方についてだが、目撃者の証言によると彼が腕を振り下ろした瞬間、その目の前の通行人が真っ二つになったそうだ」
その説明を聞き、殺害の様子を想像して少し気分が悪くなったが、優花は自分が呼ばれた理由を理解した。
「つまり、藤原は異邦者ということですか」
「そういうことだ。まあ、おそらくかまいたちか何かを発生させて切り裂いたんだろ。負傷した何人かの者たちも同じような切り傷があったそうだ」
優花は藤原の情報を一通り確認するとタブレットをスリープモードにしてテーブルの上に置き、藤原が逃げ込んだという区画の方向を見た。暗闇の中でビルの姿がおぼろげに見えていた。
「それで、藤原は現在この区画に逃げ込んでいるってことですか」
「そうだ。そしてこの区画がまた厄介でな。開発途中で廃棄されたビル群で、今は無人区画に登録されているから監視カメラが存在しない。GPS機能もお互いの位置情報は分かるものの、建物の配置や道までは正しく表示されない」
「でも、それって近隣に住民がいないってことだから周りに被害が拡大しないってことですよね。だったらこの区画を包囲して徐々に追い込めば…」
優花がそう提案していた途中で千葉が割り込むように、
「実はそう悠長なことも言っていられない。藤原はここに逃げ込む前に人をさらっていった」
「は!?それって人質じゃないですか」
「目撃者によると二十歳くらいの女性だそうだ。とにかく、事は一刻を争う」
千葉はそう言ってテーブルの横に置いてあった大きめの紙袋を優花に放り投げた。
「うわっと…」
難なく優花はそれを抱えるようにつかんだ。かなりの重さがある。
「そこにお前の服とか武器が一式入ってある。さっさと着替えて来い。お前の準備ができ次第、すぐに俺達も捜査に向かう」
「は、はい」
優花は駆け足でテントの隣にある建物の中に入っていった。
優花が所属しているのは刑事局に属する「異邦対策課(COS:Countermeasure of Outsider Section)」という組織であった。近年、日本だけでなく世界では急速な科学技術の発達と共に異能力に目覚める者が出現していた。それにより異能やオーバーテクノロジーを使用した犯罪やテロが多発し、世界各国の政府はこれらの対策を求められた。そこで、彼らは主に一般の警察や自衛隊では対処しきれない異能による犯罪を対処する専門の組織を新たに編成したわけである。
優花は1年前のに警察庁にキャリアとして入り、このCOSに配属されたわけである。これまでに何度も異能犯罪者の捕獲、始末にかかわってきて命の危険にさらされることも度々あり、この仕事に対して不安に思う時期もあった。しかし現在はこの仕事にも慣れてやりがいを感じている。今日みたいに急に呼び出されて少し文句を言うこともあるが、それでもこの今の社会の治安や人々を守るという役目に、優花は誇りを持っていた。
「よし、行こう」
素早く着替えを済ませると自身の武器である専用の銃を手にとって千葉の元へと戻った。千葉も既に準備を済ましていた。
「準備はできたな。今から行うのは一応異邦者の捕獲だが、場合によっちゃ始末することも考えておけ」
「分かりました」
「行くぞ。既に他のメンバーは藤原を追って区画内に入っている」
千葉についていくように優花は暗闇で広がっている廃棄区画へと向かった。
薄暗い空間だった。本来は運送業者の倉庫として使われるはずだったのだろうか、広々とした空間には何もなく、冬の寒さだけがその空間を包み込んでいるようだった。その倉庫の奥では身ぐるみをはがされて下着姿にされた女性が寒さと恐怖で震えながら横たわっていた。その横では藤原が通信機で何者かと話をしていた。
「標的は始末したのかな?」
通信機から男の声が聞こえてくる。質問の内容と相反するような穏やかな口調だった。
「ああ、ちょろいもんだぜ。異能の前での一般人なんてゴミみたいなもんだ」
「できれば人目のつかない場所で殺ってほしかったんだがね。まあいいだろ。さっさとこちらに戻ってくきなさい。」
藤原はその指示に対し、口端をゆがめて笑い、
「やだね。」
「何だと?」
男は聞き間違いかと思った。しかし藤原は続けて、
「俺はこの異能を使って、今まで惨めな生活をしてきた分好き勝手にやらしてもらうぜ。この異能がある俺は今、誰よりも強い。何者にも縛られない。これからは欲しい物は全て力づくで奪ってやるのさ」
相手の予想外の返答に男はさっきまでの穏やかな口調とは一変して荒々しく声を上げた。
「馬鹿を言うな!私に逆らう気か!?貴様のような社会に何の貢献もできないクズに力を与えてやったのは、他の誰でもないこの私だぞ。その恩をもう忘れたか!?」
「ああ、生憎俺は記憶力のない馬鹿なんでな。俺に異能を与えたことをせいぜい後悔することだ」
「待て!この…」
相手がまだ何か言おうとしていたが、藤原はそれを無視して通信機を空中に放り投げ、腕を全力で振り下ろした。その瞬間、通信機は何の抵抗もなく真っ二つに破壊され、破片は倉庫の床に音を立てて落下した。藤原は女性の方に振り返って近づいていく。
「さてと、待たせたな。さっき言った通りだ。強者となった俺はこれから我慢なんしない。欲しい物があれば力づくでぶんどるし、気に入らない奴はこの異能で切り刻む」
女性の恐怖が増大して震えが激しくなる。しかしそんな彼女の感情など、藤原は気にも留めなかった。
「安心しな、殺しはしない。けどな、気に入った女も俺は力づくで手に入れるって決めたのさ。一度でいいから、生身の女って奴を抱いてみたかったんだよ。喜べ、この俺に選ばれたことをな」
女性の精神は既に限界に達していた。
「いや、いや…やめて…誰か、助けて…」
「さあて、楽しませてくれよな」
藤原は女性の腹部に馬乗りするようにのしかかる。その瞬間、恐怖で満ちた女性の悲鳴が倉庫内に響き渡った。
無人区画といっても人が全くいないわけではなかった。ビルでの壁に囲まれている細い道の隅や廃ビルの中には何人かのホームレス達が生活していた。ある者は寒さを凌ぐためにダンボールで体をくるませて横たわり、ある者は空っぽの酒瓶を片手に持ってふらつきながら歩いていた。
優花は千葉に続くように区画の中を歩いていく。いつ対象に出くわしてもいいように、武器を手にしながら周りを見渡していた。優花が首を動かしながら周りを見るのに対し、千葉はほぼ前を向いたまま、目だけを動かして対象の気配を探していた。
「中野、こっちだ」
千葉に声をかけられると優花は無言で千葉の指示に従ってついていく。もともと千葉は捜査一課の刑事であったが、現場での操作能力と犯人を取り押さえるための対人戦闘が優れていたことを買われてCOSに配属された。本人曰く、捜査一課では浮いていたため厄介払いされたと愚痴っていたが、彼の長年の経験と刑事の感、腕は確かに評価されるものだった。優花もこの仕事に慣れてはきているが実際、現場での捜査や状況判断、分析は千葉にはまだまだ及んでいなかった。
しばらくお互い特に言葉を発さずに区画の中を捜索していたところで千葉が何となく口を開いた。
「そういえば、中野がCOSに入って一年以上経つのか。早いものだ」
「なんですか。いきなり」
捜査中に千葉が雑談してくるのは珍しいことではなかったが、不意にそんなことを言われて優花は疑問に思った。
「いや、配属して間もないころの中野のことを俺は今でも覚えていてな。COSの他、刑事の新米が大勢いた中でお前が一番まっすぐな目をしていたからな」
「はあ、でも実際刑事だけじゃなくて新入社員ていうのはみんなそんなものだと思ってるんですけど」
「確かに、中野の他にもこの刑事という仕事に憧れて入ってきた連中はたくさんいた。だが、この仕事についてしばらくするとほとんどの者が警察組織という階級社会に染まっていって妥協を覚えていった。だから中野もそのうちこの階級制の組織に染まって忠実な人間になるだろうと思っていた。」
優花は千葉の今の言葉に引っ掛かり、
「一応私は、この警察という組織の意向に忠実に従っているつもりですが…」
「ああ、そうだな。けどな、一年以上たった今でも中野、お前の目は曇り一つないあの頃のままだ。まるで、自分の中にある理想というか、なるべきものというか、そういった類のものに近づこうとする者のそれだ。普通この職に就いた奴は大抵どこかで妥協を覚えて少しは目が曇ったりするんだけどな」
優花は返す言葉が思い浮かばなかった。なぜなら、千葉が今放った言葉は自分の中にある他人には言い難い信念というべきもの、形では表すことのできないものに向けているものだったからだ。
「なあ中野、お前、いったい何を目指している。何がお前をそこまで突き動かしている?」
言葉に詰まる。千葉の言っていることは非常に単純な質問だった。学生の頃、よく両親や先生に聞かれる質問に似ていた。あの頃の自分なら何も考えずに答えられたかもしれない。しかし、今の自分には非常に明確な答えがあるにもかかわらずそれを言葉にするのは難しかった。
「私は…」
優花がそう言いかけたときだった。二人が所持していた通信端末装置から声が聞こえた。
「千葉さん、俺だ」
聞き覚えのある声が優花の耳にも届いた。
「御子柴か。どうした」
「旧アスカ運送の倉庫で藤原と誘拐された女性を発見した。現在、藤原がその女性を強姦している」
緊急事態であるはずなのに、落ち着いた声で御子柴和樹が端末越しで現状を報告した。
「まずいな。早く対処しないとその女性の身体や精神に傷跡が残る」
「千葉さん、ここは俺が藤原を取り押さえる。あんたと優花も急いで来てくれ」
「できるか?御子柴」
「お安い御用」
御子柴との通信が終わると千葉は御子柴の位置をGPSで確認する。目的地はすぐ近くだった。
「急ぐぞ。中野」
「分かっています!」
通信端末を切ると御子柴は正面の扉の影から藤原の様子を再度確認した。藤原にはもはや理性などなかった。ただ目の前の獲物を食らう野蛮な獣のように女性に暴行を加えていた。被害にあっている彼女の意識は既に遠のいていて悲鳴すら上げていなかった。全身に力が入っておらず、気を失っている。
「御子柴さん、俺たちで突入しますか?」
後輩らしき一人の刑事が御子柴の横で銃を構えた。
「いや、お前はここで待っていろ。あいつの異能は普通の人間には危険すぎる」
「しかし、一人で大丈夫ですか?」
「まあ、あいつと俺は同類の存在だ。そう簡単に倒されはしない」
一呼吸入れ、御子柴は銃を構えて倉庫の中に突入した。扉の開く音に気が付いたのか、藤原が振り返って御子柴の姿を認識した。
「ちくしょう、もう突き止めたのか」
藤原は立ち上がると、女性を首から横に投げ捨てた。
「…ひでえな。異能をもった途端にそいつを使って人様を傷つけるとは」
御子柴の言葉に対し藤原は悪びれることなく、
「弱者は強者に良いようにされて当然のことだ。社会が俺にそう教えたんだぜ。異能者を狩る強者の立場であるあんたが俺の行動を否定するのか?この国家のハイエナが」
「そうかよ。なら…」
そうつぶやくと同時に御子柴が、十メートルはあった相手との距離を一瞬で詰めた。藤原の反応が遅れる。
「ここで俺に倒されても、恨むなよ!」
御子柴は相手の懐に入り左手で標準を定めた。そして左腕上を滑らせるように右の拳を突き出し、藤原のみぞおちに炸裂させた。鈍い音がした。決定的な一撃だと御子柴は思い、打ち込んだ後緊迫させた表情を少し緩めようと息を吐こうとした。しかし御子柴の思う通りにはいかなかった。
「その程度か?」
異変に気付いて御子柴はとっさに後ろに身を引いて藤原と距離をとった。藤原の表情を確認するとさっきの打ち込みのダメージなど感じていないかのように狂ったように笑っていた。
「ぬるいな。そんな軽い突き一つで俺を仕留められるとでも思ったか」
嘲笑うようにそう叫ぶとともに藤原は右腕を天井に挙げる。
「俺の空撃刃の威力、その目で確かめな」
対象に定めた御子柴に向けて振り下ろした。右腕の軌道に沿って空気で形成された刃がかまいたちとなって御子柴めがけて、コンクリート床をえぐりながら向かってくる。
「くそっ!」
御子柴は素早く横に飛びのいた。飛翔する刃が彼の後方の壁に衝突し、轟音を立てて崩壊した。
「御子柴さん!状況は!?」
異変を察知して扉の外で待機していた刑事が叫んだ。
「みぞおちに一発食らわしたが効いてねえ!あいつ、異邦者の上に身体の一部を改造している!ちょっと厄介だ」
「だったら俺も加勢に…」
「入ってくるな!巻き添え食らうぞ」
御子柴は体勢を立て直すが、藤原は彼に休む暇を与えることなど考えていない。続けざまに空撃刃を放って御子柴に攻撃してくる。御子柴もは何とか避けるが、その度に藤原の空撃刃が倉庫のあちこちを破壊していく。そして倉庫の耐久性にも限界が訪れ、壁の崩壊によって天井を支えるものがほとんどなくなって倉庫全体が揺れ始めた。崩壊する。気絶している女性を除くその場にいた全員が察知した。
「まずいですよ、御子柴さん!このままじゃ俺たちそろって瓦礫の下敷きです!」
「んなことは分かってる!けどな、向こうにはまだ人質の女性がいるんだ」
御子柴は刃を避けながら女性のほうを見た。早く女性を救出しないと落ちてくる天井を構成しているコンクリートが彼女の上に降ってくる。御子柴は焦っていた。
「どうやら脱出に戸惑っているみたいだな。なら、俺がその迷いをなくしてやるさ」
藤原はそう言うと御子柴に向けていた刃をまだ意識が戻っていない女性に向けた。御子柴と彼女との間の距離が離れすぎて、助けが間に合わない。藤原が空撃刃を放とうとしたその時であった。彼の目の前で強烈な閃光が炸裂して彼の動きを止めた。なんとか藤原は腕で目を覆ったため、眼球が焼かれることはなかった。
「和樹、今!」
同僚の声を聞いて御子柴は反射的に人質のもとへと向かった。人質を抱え上げると急いでその場から離れ、その数秒後に天井の一部が女性の横たわっていたところに崩れ落ちた。間一髪であった。御子柴はそのまま彼女を抱えたまま倉庫の出入り口に到達した。
「御子柴、急いで工場から離れて彼女を安全な場所に連れていけ」
扉から千葉が現れて御子柴に指示する。
「けど、藤原の確保は…」
「何、俺と優花に任せておけ。あいつも伊達に一年以上ここで働いていたわけじゃない」
崩れかける工場の中では銃を持った優花と藤原が立ち会っていた。御子柴は少し不安であったが、今はこの二人に任せるしかないと判断した。
「頼むぜ、千葉さん。あの男の異能、ちょっと厄介だ」
「ああ、中野にはよく言っておくよ」
御子柴は部下を連れて女性を捜査本部のテントに連れて行った。それを横目で見ていた藤原は優花のほうに向きなおった。
「やってくれるじゃねーか、スタングレネードを投げてくるとはなかなか卑怯なことしてくれるな」
「罪のない一般市民を傷つける犯罪者に正々堂々闘うわけないでしょ。藤原浩人、殺人、誘拐、及び強制性交の現行犯であなたを逮捕します。おとなしく降伏しなさい!」
優花は銃口を藤原に向けて強く呼びかけた。彼のわずかな良心にかけての呼びかけであった。しかし藤原は笑いながら、
「面白い冗談だ。ここで降伏して連行されたところで、異邦者専用の監獄に入れられて下手すりゃ殺処分がおちだろ。俺はまだまだこの力を使って、今まで我慢してきた分好き勝手にやってやるのさ」
半ば予想はしていたが、やはり投降の呼びかけには応じてくれなかった。優花は即座に方法を変えた。
「そう。だったら、もう遠慮はいらないわね。あなたを力づくで抑えて連行させるまでよ」
「いいね、そうこなくっちゃ。けどな、こんな崩れかけの倉庫を闘技場にするのは味気ないんだよな」
藤原の表情が変わるのを優花より先に扉の前にいた千葉が気付いた。
「今すぐ離れろ!中野」
千葉の緊迫した声が響き、優花はすぐに扉に走った。それと同時に藤原が天井に向けて刃を放って崩壊させた。天井ががれきとなって崩れ落ちていく。優花は間一髪で倉庫から脱出した。藤原も崩れていた壁から外に逃げていく。倉庫が崩壊したのを見て、床と千葉は藤原の姿を探したが、周りにその姿はなかった。また逃げられたようである。
「異能の破壊力だけでなく、逃げ足に関しても優秀ってことか」
「千葉さん、ここは手分けして奴を探しますか」
「ああ、お互い奴を見つけたら通信端末で連絡だ。無理は絶対にするな」
「分かりました」
藤原はまだそう遠くに行ってない。なんとかして被害を最小限に抑えるためにこの区画内で捕まえたいという方針は二人そろって同じだった。優花は千葉とは別の道を走っていき対象の捜索を始めた。さっきまで降っていた雨はすでにやんでいたが、夜空は相変わらず厚い雲で覆われていてビルとビルの間の道は暗闇で明かりというものがほとんど存在しなかった。道の端には電灯らしきものがいくつか設置されているが、廃棄区画で電気が通っていないのでただの飾りでしかない。とはいっても完全な暗闇ではなく、目を凝らせばある程度先のほうまで見ることができたので優花はそんなに苦に感じなかった。
周りに意識を傾けながら移動して十字路に差し掛かった時、気配を察知した。優花はすぐさま横に飛びのいた。自分が今いた位置に高速で空撃刃が通過した。それが飛んできた方向を見ると、予想通りそこには藤原の姿があった。彼は舌打ちし、
「惜しいな。そのままそこにいてくれたらてめーの体を真っ二つにできたのによ」
優花は立ち上がって、
「そんな素人みたいに殺気放っていたら、気づくに決まっているでしょ」
「言ってくれるね。けど、避けられたところでだ。そんなひ弱な体で俺を倒せるとでも?」
相手の挑発に優花は笑みを浮かべた。
「あなたのようなたまたま手に入れた異能で粋がり、他人を傷つける最低野郎、私一人で十分よ」
藤原の眉がかすかに動いた。
「言うね。なら、やってもらおうじゃねーか」
藤原が腕を振り下ろそうとした。しかしそれよりも速い動きで優花は所持していた銃を藤原に向けて発砲した。銃口から光の塊が放たれ、藤原の振り上げた腕に炸裂する。藤原の口からうめき声が漏れる。敵の動きが止まっている隙に、優花は間合いを詰めていった。優花の所持する銃「プラズマ砲」はその特性上、連射ができない。ここは相手が怯んでいる隙に近接戦闘に持っていくべきだと判断した。藤原は接近してくる優花を見てもう片方の腕で空撃刃を放った。やみくもに、ただ目の前の敵を切り裂くためにいくつもの刃を連続で放ってくる。しかし優花にとってそれは大した脅威ではなかった。冷静にそれらを避けて接近していく。いくら強力な攻撃とはいえ、あまりにも単調すぎていたため対処するのにそう苦労しなかった。藤原の間合いに入り、銃身を全力で藤原の脳天に振り下ろす。藤原は何とか動くようになった腕で受け止めた。左腕に衝撃が走る。藤原の動きが鈍り、その隙を見て優花は彼の横っ腹にけりを入れた。藤原が後方によろめき、二人の間に距離ができる。藤原は好機だと思った。
「馬鹿が、間合いに入られなければこっちのもんだ」
藤原が優花に狙いを定めようとした時、優花はすでに銃を構えていた。銃口から膨大な量のエネルギーの光が見えた。
「終わりね」
引き金を引いた。銃口から高エネルギーのプラズマが放たれ、藤原に直撃した。藤原は何の抵抗もなくそれを直接食らった。プラズマが藤原に炸裂し、彼の全身はプラズマによる膨大な熱によって真っ黒になった。
銃の構えをやめ、優花は黒く焼け焦げた対象に向かって歩み寄っていく。藤原は優花の放った高エネルギー波を直接食らい、背中を空に向けて倒れていた。一瞬死んでいるかと思ったが、かすかに呼吸の音が藤原口から漏れていたのでかろうじて生きているようである。優花は彼の側まで行き、意識がないのを確認すると通信端末を取り出して千葉に向けて発信した。
「中野か。どうだ」
「藤原を発見してそのまま戦闘に入りました。藤原は気絶させてしまいましたが、まだ息はあります」
藤原を横目で見て報告して、優花は体の向きを変える。
「まさか、一人で異邦者を仕留めたのか。さっき無茶はするなって言ったろ」
驚嘆と呆れが混同した声が機械越しに返ってきた。
「いきなり襲ってきたので知らせる余裕がなかっただけですよ。それに、私はこの程度の犯罪者に遅れをとりません」
強気な返答が帰ってきて、千葉はそれ以上小言を言うのをやめた。何はともあれ、対象を確保できたのだからそれで良かった。
「まあいい。今からそっちに向かう。お前は藤原を拘束して見張っておけ」
「はい、分かりま…」
そう言おうとした時、背後からおぞましい殺気を感じた。ほぼ反射的に自分の身を投げるように飛びのいた。飛びのいたと同時に刃が空気中を通過する。間一髪であった。あと零コンマ一秒遅れていたら確実に体は真っ二つに切断されていた。優花はすぐに後ろを振り返る。そこには全身を焼かれた藤原が立ち、こちらを睨みつけていた。顔も黒くなっていて表情は読み取れなかったが、自分に向ける怒りと憎悪は十分に感じられた。まだエネルギー波によるダメージは残っているのか口からはかすかに乾いた呼吸の音が漏れていた。
「やってくれるな…、さすがに今のは危なかった…」
優花は目の前で藤原が立っているのが信じられなかった。さっき優花の使用したプラズマ砲が放ったのは高エネルギーのジェットストリームであった。異邦人で体の一部を改造しているとはいえ、直接ビームを浴びた直後で立って動くことなど不可能に近いはずであった。
「そんな、もう動けるなんて…」
「おい、どうした中野!?」
異変に感づいて千葉が優花に聞く。
「藤原が意識を戻し、こちらに攻撃を…」
会話の途中で優花の右腕に激痛が走った。藤原の空隙刃が、持っていた端末機器をはじいたのである。流血した手の痛みを耐えながら優花は目の前の敵の始末に切り替えた。千葉との連絡は途絶えたが、すぐに千葉もこちらに来るはずである。ここは何としても耐えるしかないと言い聞かせた。さっきの射撃の反動でプラズマ砲はまだ使えない。優花は腰につけていた護身用の実弾銃を手に取り、近づいて来る敵に連射した。しかし、狂気で満ちている者とは思えない俊敏な動きで藤原は弾を避けて優花に向かって突進し、その勢いで優花の持っていた銃を蹴りではじいた。優花の手から銃が離れる。
「バカバカ撃ちすぎなんだよ」
藤原は優花の顔面に殴り掛かる。かろうじて軌道上に手を出して防いだが、その威力によって後方に飛んでいく。なんとか受け身をとるがコンクリートによる衝撃のダメージによって動きが鈍った。
「うっ…」
立ち上がろうとした時、首の後ろに痛みが襲う。藤原が優花の首をわしづかみして地面に押さえつけた。押さえつけてもなおその握る力は弱まる気配を見せない。優花は痛みに耐えるように声を漏らす。
「どうだ。強者の前で身動き取れずに這いつくばる気分は。残念だけどな、圧倒的な力の前にお前ら刑事のくだらない正義感てのは何の役にも立たない。これで分かっただろ。この世に正義があるのだとしたら、それは強大な力のことだって」
優花を押さえつけながら藤原が嘲笑いながら語った。
「…黙っててくれない」
「あ?」
痛みに耐えながらも優花が声を漏らす。藤原の表情が変わる。
「あんたみたいな、力を人々を傷つけ、何もかもを奪う奴が正義を語らないで。正義は社会の治安を守るため、人々の生活を守るためにあるのよ。決して、あんたのような行動を正当化するためにあるんじゃない!」
痛みが首から頭部に替わった。藤原が片足で優花の頭を踏みつけて立ち上がる。道端の虫を潰すかのように藤原は優花を地面に押さえつける。痛みがさらに増してく。
「弱い奴が俺に向かって口答えとはな。いい度胸じゃねーか」
「それとね、あんたは強者なんかじゃない。本当に強い人は、力を手に入れても、それを自分の欲求を満たすために使ったりなんてしないのよ」
「くだらない考えだな。せっかく手にした力を自分のために使わないで、一体何に使うってんだ?」
頭部を押さえつける力が強まる。痛みに耐えるのに限界が近づいてきて声が漏れる。それでも、今自分の前に立つ男の考えや行動を認めるわけにはいかなかった。
「私はね、本当に強い人を…知っている…。その人はね、特別な力を持っていたけど、他人を救うために…人々の役に立とうとするために…それを使い続けた。そういう人が、本当に強い人なの。あんたみたいな、力を制御することのできない奴は…ぐあ!!」
最後まで言うことができなかった。右腕に激痛が走る。藤原の空撃刃が優花の腕を切り裂いた。完全に切断されてはいないが、それでも傷口からは大量の血が流れ出ていた。
「悪いな。お前の綺麗事はもう聞く気になれないんでな。言いたいことを言えて満足しただろ。ここで死んでいけ」
藤原が空隙刃を形成する。もう助かる術がない。優花は歯を食いしばり、両目をつぶって死を覚悟した。
異変に最初に気付いたのは藤原だった。突然、自分の頭上で強烈な光が発生した。見上げると、そこには青白い光の塊が空気中で音を立てていた。藤原の意識が優花から遠のき、押さえつける力が弱まる。優花はすぐに彼の足からすり抜けて藤原と距離をとった。その直後、区画内一体に響き渡る轟音とともに光の筋が束となって藤原に接近していった。それは落雷となって彼に炸裂する。さっき優花が放ったプラズマビームとは比較にならないほどの威力であった。藤原の形成した空隙刃が消滅し、彼の改造した体が完全に機能停止した。放電が終わると藤原は何の抵抗もなく倒れ、事切れていた。
「一体何が…」
優花は今自分の目の前で起こったことが理解できず呆然としていた。ようやく我に返って光が発生していた空を見上げたが、そこには雲など一切なく、雨がすっかり止んで、冬の夜空の中で星がいくつか輝いているだけだった。
「中野!」
後ろから声をかけられ、優花は振り返った。そこにはこちらに向かって走っていた千葉の姿があった。千葉は右腕から血を流す優花の姿を見て険しい表情となった。
「おい、その傷…」
「平気です。出血は派手ですが、ただの切り傷なので…」
痛みが残っている右腕を抑えながら優花は千葉を落ち着かせるように言った。しかし、彼は自分が我慢していることを見抜いていた。
「この馬鹿が…。無茶はするなといつも言ってるだろ」
静かな、しかし厳しい口調で千葉は叱責した。ただ、命に関わる程の傷ではないのは本当だろうと判断すると、目線を藤原の死体に移した。
「おい、何があった?ものすごい音がしたから急いで来たんだが」
「それが…」
優花はさっきまでの出来事を千葉に話した。千葉は話を聞いた後、何か知っているかのような表情をして自分の頬を軽く指でかいた。
「そうか。あいつもこの件を調べていたということか…」
「千葉さん?」
「何でもない。そんなことより今は応急処置と死体処理が先だ。傷を見せろ。止血する」
「はあ、ありがとうございます…」
優花は千葉のとった態度に引っ掛かっていたが今はやるべき優先事項が沢山ある。優花は千葉の手当てを受けるために右腕を彼に差し出した出した。
雨がやみ、冬の冷たい風が吹いていた。この区画ではビルの壁によってあまり感じることはできないが、建物の屋上となると話は別だ。冬の冷たい風に当たるのは普段避けていたが、体を動かして体温が上がっているときはこうして風に当たって涼むのが心地よかった。ビルの屋上の端で脚をふらつかせながら座って涼んでいた日立零矢は着信音に気が付いて携帯端末を取り出した。相手は千葉であった。
「もしもし」
「俺だ。零矢、まさかお前もこの事件を調べていたとはな」
「トシさん、久しぶり」
千葉を愛称で呼ぶ。
「藤原を始末したのはお前らしいな。できることなら俺たちは生きたまま捕獲したかったんだが」
「あのままだとあんたの部下の命が危なかったからな。彼女の命を優先させてもらったよ。それとも、藤原の生け捕りを優先した方がよかったかい?」
「いや、感謝する。部下の命を救ってくれて」
「いいさ。俺とトシさんの仲じゃん」
千葉が話題を変える。
「それで、今回お前が調べている件は何だ?」
「大したことじゃないさ。ただの人探し。ただ調査しているうちに、その一人が藤原だって分かった。で、さらにそいつの身元を色々探っていくうちにある組織が関与していることを見つけてね」
「ある組織ね…、GIFTとか武田とか、その辺りってとこか。また厄介なことに首突っ込んだな」
「いつものことだけどね」
楽観的な声が機械越しから聞こえる。相変わらず自分がどれだけ危険なことに関わっているのか分かっていないのではと、千葉は少し呆れていた。形だけでもと思い、千葉は零矢に忠告をした。
「零矢、いつも言っているがな、もう少し身を守ることを覚えろ。お前はいつも巨大な権力、組織を敵に回し過ぎだ」
「ご忠告どうも。けど、そのセリフはあんたの部下に行ってあげたほうがいいと思うぜ。彼女、あのまま突っ走っていたらいつか潰れる」
忠告をそのまま返され、千葉はため息をついた。
「生憎、あいつには既に言ってあるんでな。どうにかならんか悩んでいるよ」
その後、一言二言言葉を交えて零矢は通話を切った。零矢はゆっくりと立ち上がって屋上から景色を見た。廃ビル区画から都市の中心を見つめる。そこにはいくつもの高層ビルが建っていたが、その中の一際高いビルは、まるで全てを手に入れんとする支配者のように重々しく構えているようであった。零矢はそのビルに視点を当てた。
「さて、今回の件、なかなかきな臭いことになりそうだ」
その声には面倒事に関わってしまったことに対する後悔と、久しぶりに大きな獲物を釣れることに対する異様な興奮が入り混じっていた。