(12)存外な展開
「楽なレースはねぇなぁ、やっぱり」
雉川は思ったことをそのまま声に出す。並んできているのが、日本語を理解しないイタリア人なので、わりと大きな声で呟いたのだ。
聞こえてもいいと思った雉川だが、アルフォンソの耳には届かない。スタンドの歓声が消しているのだ。三冠レースに、先週のジャパンカップ。燃え盛ったファンたちの競馬熱は中京でも続いていた。
一気に詰めたアルフォンソだが、交わせるかは疑問に思っていた。ここまでに脚を使ってしまって、シルバーゼットの反応は鈍くなった。相手にまだ余力が残っていれば、置いていかれる。ゼットにさらなる加速は期待できない。
昨年秋の来日時、3つ獲ったGⅠのうちの1つが、このシルバーゼットでのチャンピオンズ・カップだった。実力馬なのだが、地方重賞を転々としていたために印象が薄く、9番人気の低評価だった。なにしろ昨年、中央で走ったのはたった2走。中央のオープンクラスでは1つしか勝っていない。だから人気薄も当然と言えた。しかし、そんな低評価を嘲笑うかのように、ゼットは世界的名手アルフォンソに導びかれてダート王になった。このゼットのGⅠ奪取があったから、この秋、他の有力馬を置いて同じ馬主のシルバータスクに乗ったのだ。
年を越して、もう一つの中央GⅠフェブラリーで5着に沈んだため、ディフェンディングチャンピオンなのに今日は4番人気の評価だった。 アルフォンソはこの馬に愛着を持っていただけに、なんとしても勝ちたいと思っていた。特に今年の来日では、まだGⅠを勝っていない。昨年、一昨年共に3つずつ勝っていたのに、だ。
長い脚を使えることは、昨年の騎乗で分かっていた。直線の坂も堪えない。とにかく無理にでも追いかけて、直線の坂で一気に並ぼうと考えていた。そこでおそらくはバテるだろうが、ともかくそこまではやってみようと思った。
そして思惑どおり進んだ。とりあえず、相手は焦っている。あとはゼットが二の脚を発揮することを願うばかりだ。
プルートーの一人旅と思っていたファンたちだが、意外にも直線マッチレースの叩き合いとなった。圧倒的1番人気と4番人気で配当的妙味はないが、見どころあるレースでファンは盛り上がる。いつも短期免許で来日しては暴れまわるアルフォンソが、12月に入ってようやく目を覚ました。内に雉川のプルートー、外にアルフォンソのシルバーゼット。
ゴールが迫るなか、アルフォンソはゼットの余力を感じていた。バテそうでバテない。やはり昨年の勝ち馬だ。そして自分が気に入った馬でもある。なかなかの底力があった。一応はプルートーと並走していっている。
じわりじわりと、迫る。半馬身、首、アタマ……。ゼットの粘り腰もあるが、伸びるコースにもはまっている。毎年短期免許で来て思うが、日本のコースは伸びるラインが重要だ。それを見抜けば、馬の力を2割から3割伸ばせる。
そしてハナ面が並んだところでゴール。両馬とも、惰性で1コーナーへと流れる。
ジャパンカップ、そして昨日のステイヤーズ・ステークスに続いて、重賞でまたきわどい写真判定。
しかしアルフォンソは、僅かに届いていないと感じていた。ハナ差、届いていないと……。
届かず2着という意識はあったが、不思議にも、さして悔しさは沸いてこなかった。正直、ここまで接戦に持ち込める感覚がなかったのだ。見立てを超えた馬の能力と、たまたまはまったコース取り。この存外な2つがあったからこそ、ここまで迫れただけにすぎない。恵まれなかったら、おそらく、ちぎられていただろう。
雉川は逆に、分からなかった。まさかプルートーがここまで迫られるとは。その原因がよくつかめない。プルートーはよく伸びている。なのにこのきわどい差。きわどいどころか、差されているかもしれない。
原因を探れば、自分の騎乗に考えが及ぶ。一瞬一瞬の判断が遅れ、こうなってしまったのではないか。馬の力量がちがうのに写真判定まで持ち込まれたということは、ジョッキーの力量差ではないのか。自分が意識できないだけで、相当自分の騎乗技術が落ちてしまっているのではないか。
馬を反転させて戻る雉川の頭の中に、「引退」の文字が浮かんでいた。




