お風呂とクロの過去 ~裸の付き合いって大事だよね~
22:35 2018/01/24Wizard~神無き世界の女神様~ 第9話
「うあ~~……」
総石造りで6畳分はあろうかという浴槽に身を沈め、大きく息を吐く。
勿論、手ぬぐいは頭の上だ。
「いやあ……まさか、異世界に来て、こんなに見事な風呂に浸かることになるとはなあ。
まさに、思いもしなかったぜ……」
半目になって天井を見上げつつ、自然と呟きが漏れた。
日本の銭湯と違って“カポーン”なんて音は響いてないけど、その代わりに滔々とお湯の流れる音が室内を満たしている。
浴室内を見渡してみれば、まさに大浴場。
概ね10m四方ほどの室内はほぼ全てが石造りになっており、浴槽は床面とほぼフラット。
入口のある一面を除いて膝丈くらいの位置に木製の樋が這わされていて、そこから約2mほどの間隔で湯が流れ出ている。
文字通り湯水のごとく流れ出るお湯を見ていると、貧乏性の俺からすると大変もったいなく感じるところではあるのだが。
「……しっかし、水圧を利用した、天然の水道技術とはねえ」
この大浴場に来るまでにアイリスさんから説明されたことを思い出して、苦笑を浮かべる。
この大浴場は、館の1階から少し低い位置――半地下に存在していた。
当初、湿気等の問題からの作りかと思ったが、川から引き込まれた水圧を無駄なく使うための処置だと聞かされて、思わず唸ってしまった。
人工的に圧力を加えて水圧を調整するポンプが無いのだから、確かに合理的な作りである。
「まあ、惜しむらくはシャワーが無いってことか。
とはいえ、無ければ無いでしょうがないとは思えるんだけどね……」
この辺は、文明社会で過ごしてきた弊害ってやつだろうか?
「それにしても……っくぅ~~~!」
浴槽の中で大きく伸びをする。
「……っはあ! 四人目のメイドさんは随分と変わった人だったなあ」
呟きつつ、アイリスさんに連れられて浴場の入り口まで来た時の事を思い出す。
「――当館の浴場へようこそおいで下さいました、お客様」
抑揚のない声音で告げつつ、長い銀髪を一本の三つ編みに纏め上げた小柄な少女が、俺に向かって礼を取った。
「あ、どうも。ジャックのおっちゃんから、一番風呂を貰ってこいと言われまして……」
あまりにも綺麗な一礼だったので、俺も思わずペコリと頭を下げる。
「あの、畏れながらツブラ様。我々の様な侍女に対してその様に頭を下げられるのは、如何なものかと……」
横合いから困惑した表情を浮かべつつ、アイリスさんに突っ込まれた。
「あ……ははは。メイドさんが居るなんて生活を送ってきた経験が無いもんで。
今後、俺がなんか変な事したり言ったりしたら、そんな感じで教えて貰えると助かります――? えーと、どうかしました?」
苦笑を浮かべながら頭を掻く俺を、銀髪メイドのイリヤさんがその大きな“紅い瞳”でじっと見上げている。
先ほどの口調と同様、その視線からは彼女の感情が全く感じられない。
かと言って、冷たいといった感じは無く、ガラス一枚を隔てて観察されている様な感覚を覚えた。
「――いえ。
畏れながらお客様。私もお客様の事を、ツブラ様とお呼びしても宜しいでしょうか?」
俺の問いかけにイリヤさんは2~3度頭を振ると、相変わらずの淡々とした口調でそう言ってきた。
「え? それは勿論、構いませんけど……」
突然の質問に、思わずイリヤさんの全身を見つめながら、俺は答える。
……なんというか、西洋のお人形さんみたいな女の子だ。
身長は俺よりも低く、クロよりも高いので、150㎝前後だろうか。
全体的に華奢な体つきで、肌もかなり白い。
エーデルワイスさんも白い肌をしていたけど、この娘はどちらかと言うと病弱な感じの白さだ。
そして一番の特徴は先ほども述べた通り、腰まで伸びる銀髪と紅い瞳。そして、感情を感じられないほどの表情と声音だ。
『『なんつーか……ゾンビか吸血鬼みたいだな』』
『『あー、確かに。生気に乏しいと言うか……』』
平行世界の俺が呟いた事に、否定を向けられない。
エーデルワイスさんが、死者が蘇ることは無いって言ってたから、アンデットの可能性は無いんだろうけど……
「――じーっ」
そんな感じでイリヤさんを見つめながら考え込んでいると、同様に俺を見上げていた彼女の口からそんな言葉が漏れた。
「……あの、イリヤさん?」
「――じーっ」
首を傾げて問いかけてみるが、相変わらず無感情な声で俺を見上げながら「じーっ」と言い続けるイリヤさん。
……いや、あれ? この娘、ひょっとしてお茶目さんか?
「――ぽっ」
「ぅおい! 表情と言葉がマッチしてないんですけど!?」
まるっきりの無表情と抑揚の無い声で言いつつ、白い頬を両手で押さえて視線を逸らすイリヤさんに、思わず全力で突っ込む。
「申し訳ございません、ツブラ様。彼女も悪気があってこの様な態度を取っている訳では無いのです」
「いや、それは言われるまでも無いんですけど」
申し訳なさそうに頭を下げるアイリスさんに答える。
いやね、なんとなく雰囲気で揶揄われてる訳では無いのは解るんだよね。
「彼女はその……感情表現が苦手で。侍女としての実力はマリア様に次ぐほどなのですが……」
「……そうなの?」
アイリスさんの言葉に、思わず呆けた表情を浮かべてしまった。
いや、でも確かに、さっきの礼はとても美しいものだった。
立ち姿もしゃっきりしているし、確かにその通りかも……
「――そんなに見つめられますと、照れます」
しかしイリヤさんはその言葉とは裏腹に、無表情且つ無感動な物言いでそんな事を言っている。
「あー……うん。イリヤさんとの付き合い方が大体わかった気がする」
「――まあ、いけませんツブラ様。私はこの館に仕える侍女。言うなれば、この館の備品です。
だというのに、私とお付き合いしたい等と――「言ってませんよ?」――それは残念です」
最後まで言わせずに突っ込んだ俺に対し、イリヤさんはちっとも残念そうに思えない口調でそう言った。
きっと、彼女は大真面目なんだろう。
よって俺は、大真面目な天然ボケに対し、可能な限りボケきる前に潰すという作戦を取ることに決めたのだった。
「――」
「……」
この作戦、俺はどうしても後の先を取ることになる。
よって、先の先を握るイリヤさんが動かない限り、俺のターンは回ってこない。
先手を切らないイリヤさんのおかげで、千日手になりかけたところに、アイリスさんがタオルを投げ込んだ。
「と、取り合えずツブラ様。入浴の準備をされては如何でしょうか?」
「あーっと、そうですね。よくよく考えてみれば、俺は風呂に入りに来たんだった」
銀髪メイドのイリヤさんとのサイレント・ファイトに集中しすぎて、当初の目的を忘れるところだった。
「じゃあ、失礼して――って、何故に付いてくるんでしょうか、イリヤさん?」
凝った意匠の木製扉を押し開けて室内に足を踏み入れた俺に続いて、イリヤさんが入室してきた。
「――お着替えのお手伝いを――「いや、一人で出来ますんで」――……」
そんな事だろうと思った俺の神速の突っ込みに、イリヤさんは無表情のままで俯いてしまう。
う……何だろう? 無表情なのにも関わらず、凄く悲しそうな雰囲気が伝わってくるんですが。
「――ツブラ様は、私の侍女としてのお仕事を奪われてしまうのですか?」
「いやいやいや! そんな大仰な事じゃないでしょう!? たかが着替えて風呂入るだけですよ!?」
無表情且つ無感情なイリヤさんのセリフ回しではあるが、何故か途轍もない罪悪感に駆られてしまった俺が、両手をぶんぶん振りながら正論を唱える。
「――いえ、主やお客様のお着換えをお手伝いするのは、立派な侍女のお仕事です」
「マジですか!?」
『『……まあ、間違いじゃないが』』
『『確かに、映画とかでも上着を着せて貰ったり、脱がせて貰ったりってシーンは良く見るな』』
(そ、そうか。言われてみればそうだな)
などと納得しかけたところで、イリヤさんがポロっと本音を漏らした。
「――そう申し上げれば、ツブラ様ならば納得していただけると――「さっさと出て行け」――残念です」
扉の方を指さして、イリヤさんに合わせて無表情で吐き捨てると、彼女はクルリと踵を返して歩を進める。
「――それでは失礼いたします」
一礼して出て行くイリヤさんの姿と完全に閉じた扉を確認して、小さく溜め息を吐いた。
「……全く、悪い人じゃないんだろうけどさ」
ボヤキつつも服を脱いで、籐製の籠にたたみながら入れていく。
この辺は元の世界からの癖というかなんというか。
「それでも、メイドさんの中でも一番の曲者かもな、イリヤさんは――「――お呼びでしょうか?」――どわあ!?」
独り言の最中に突然背後から声を掛けられて、脱いだTシャツを掻き抱きながら飛び退く。
振り向いた先には、いつの間に入って来たのか、先ほど同様に無表情のイリヤさんが佇んでいた。
「い、いいい、いつの間に!?」
「――名を呼ばれましたので、参上仕りました」
早鐘を打つ心臓に手を当てながら尋ねた俺に、しかしイリヤさんは平然とした様子で答える。
……いや、そういう問題じゃなくてだな。
「そうじゃなくて!
扉が開いた音もしなかったのに、なんで俺の背後に立ってるんですか!?」
おっちゃんといい、このイリヤさんといい、この世界の住人はみんな忍者か何かなのか!? 「アイエェェェェエ!?」なのか!?
「――用事を承るに当たり、お待たせすることなく主様に侍るのは、侍女の責務です。
一流の侍女となれば、この程度は必須技能かと」
「マジで!?」
凄えな、メイド! 忍者もビックリだ!!
「――というのは冗談で、先ほどツブラ様が振り向いた際に、極限まで気配を抑えて入室しておりました」
「……アンタもう、メイド辞めてスパイにでもなった方がいいよ?」
相変わらずの美しい一礼を極めながら説明してきたイリヤさんに、俺は苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべて言い放つ。
「――滅多な事を仰られないで下さい。私の“侍女心”が、もの凄く揺さぶられてしまいます」
揺さぶられるんかい!?
「――それはそうと、ツブラ様。こちらをお渡しするのを忘れておりましたので」
ギリギリと奥歯を噛み締める俺に、イリヤさんはフェイスタオル大の布と手のひら大の木箱、そして、オレンジ色をした液体の入った小瓶を渡してきた。
「……これは?」
それらを受け取った俺に、イリヤさんは一つ一つを指さしながら説明をしてくれる。
「――こちらの布はお身体を洗う際にお使い下さい。
そして、この木箱の中身は石鹸です。
この瓶は香油になっております」
要は、手ぬぐいと石鹸ね。つーか、石鹸って異世界にもあるんだな……まあ、魔術で作ったんだろうけど。でも……
「香油って?」
最後の小瓶の意味が解らず、イリヤさんに尋ねる。
「――御髪を洗う際にお使いいただくと、とても良い香りがしますので」
そう言われて小瓶の蓋を開けてみると、確かに柑橘系の良い香りが鼻腔を擽る。
なるほど。シャンプーやリンス的に使え、と。
「そっか。ありがとう、イリヤさん」
「――お礼は必要ありません。侍女の務めですので」
そう言って一礼するイリヤさんに向かって笑みを浮かべる。
この人も、真面目にしてると普通のメイドさんなんだけどなあ……
「――と、この良い流れに乗って、ツブラ様のお背中をお流しして――「だが断る」――それは残念です」
ドサクサ紛れにとんでもない事を口走ろうとしたイリヤさんにトラッピングを掛けておく。
まったく……
「いいですか、イリヤさん。
今後あなたに用事があるときは、ちゃんと“イリヤさん”って呼びますから、気配を絶って忍び込んだりしないでくださいよ?」
腰に手を当てつつ人差し指を立てて言い聞かせる俺の目をじっと見つめながら、イリヤさんはこくりと頷いた。
「――承りました。それでは失礼致します」
一礼してから出て行った扉を暫く見つめながら、思わず小さく溜め息を吐く。
脇に抱えていたTシャツを籠に入れ、トランクスに手を掛けたところで、ふと嫌な予感に駆られた。
よって俺は、自分の第六感を信じて行動を起こしてみることにする。
「……いり――「――お呼びでしょう――」――卵」
扉の方を見ながら呟いた俺だったが、誰もいない筈の背後から答えが返ってきた。
振り返ると思った通り、相変わらず無表情のイリヤさんが口を半開きにして佇んでいる。
「――今のはずるいと思いますが、ツブラ様」
「忍び込むなって言った矢先に入り込んでるイリヤさんに言われたくないですね」
口をへの字に曲げて言いつつ、俺はイリヤさんの首根っこを右手で掴むと、猫を運ぶ様にそのまま扉の外へと放り出す。
「まったく。アイリスさん、すみませんがイリヤさんが入ってこない様に見張っててください」
「は……か、畏まりました」
半分据わった目つきでお願いした俺に、アイリスさんはその勝気な目を白黒させながら頷いた。
「じゃあ、お願いしますね」
アイリスさんがイリヤさんの背後から両手を回して拘束するのを確認した後、俺は脱衣所の扉を閉める。
「……ふう。これで漸く風呂に入れる」
そう呟いて、俺はトランクスを脱ぐと、浴室に足を踏み入れたのだった……
「……まったく。何をしているのですか、イリヤさん。貴女らしくもない」
「――」
背中から抱きしめる様な態勢を取りながら呆れた声音で告げるアイリスに、イリヤは無言で俯いている。
「いつもの冷静な貴女とは思えないほどの悪戯っ子の様な態度……一体どうしたというのです?」
「――私は私の仕事をしているだけです」
困惑の表情で問うアイリスに対し、イリヤの答えは素っ気ないものだった。
「仕事って……まさか、ツブラ様を“覗いた”のですか!?」
イリヤの返答に不穏なものを感じたアイリスが、声を潜めつつも真剣な声音で問うが、当のイリヤは相変わらずの無表情でアイリスを見上げながら答えた。
「――当然です。それが私の仕事ですから」
「なんという事を……ツブラ様はクラウド様がお連れになられたお客様ですよ? その様な方に……」
愕然とした表情を浮かべるアイリスの手から抜け出たイリヤは、自分よりも僅かに高い位置にあるアイリスの瞳を真正面から見つめて言葉を続ける。
「――それ故に確認をしなくてはいけません。
クラウド様……ひいてはこの領地を治めるロウトラン伯爵様に対して敵意を持っているかどうかを。
ですが……」
イリヤはそこまで言って、顔を伏せる。
「――何も見えませんでした」
「え?」
呟くような小声で齎されたイリヤの言葉に、アイリスは首を傾げた。
「――何も見ることが出来なかったのです。
私の……“半吸血種”たる私の魔眼を以てしても、ツブラ様の内心が何一つ見えませんでした。
まるで、巨大な壁で遮られているかのように」
「それは……」
漣の様に肩を震わせるイリヤを見つめながら、アイリスは言い淀む。
「――精神的な揺さぶりをかけて、突破口を探してみましたが……全て通用しませんでした。
一体、どれほど強力な精神防壁を備えておいでなのでしょうか?」
それはまあ、魔術ではなくて魔法的な防壁じゃなかろうか? などと心の中で呟くアイリスだが口に出せる訳もなく、曖昧な苦笑を浮かべるのみだった。
「――ともあれ、私の魔眼が通用しないなどという事は初めてです。
ツブラ様……一体、何者なのでしょう? 凍り付いた私の心をこれほどまでに揺さぶるとは、あの方への興味が尽きません」
「ま、まあ、ほどほどにされた方がよろしいのではないでしょうか?」
うつむいていた顔をあげたイリヤの表情は相変わらずの無表情だったが、何か良くないスイッチが入ってしまっているように感じたアイリスが愛想笑いを浮かべて窘める。
「――いえ、やはりここは“40年”という年月を重ねて熟れに熟れたこの身体を使って、色仕掛けを――「逆効果です」――何故でしょうか?」
無表情にも関わらず悩殺ポーズを極めまくっているイリヤに、アイリスは彼女に負けず劣らずの無表情を以て言い切った。
「何故も何も、貴女のスタイルは“つるーん”で“すとーん”だからです」とは口が裂けても言えないアイリスである。
「――解せません。男性は熟れた女性の“ぼでぃ”に惹かれると聞いたことがありますし、私も同感です。
で、あるならば、私の魅力を持ってすれば、ツブラ様を陥落するのは容易いことかと……はっ、まさか?」
「……今度は何ですか?」
表情を変える事無く口元を手で覆うイリヤに、アイリスは半分うんざり気味の表情を浮かべて問う。
「――ツブラ様はもしかして、“幼女趣味”とかいう特殊な性癖の持ち主なのでは?
そうです。そうに違いありません。故に、先ほどまでの私の“もおしょん”に対して無反応だったのです」
天井知らずに盛り上がっていくイリヤだが、それを聞いているアイリスは俯いて肩を小刻みに震わせていた。
そう、彼女は「もしそうだったら、貴女は出会った瞬間に押し倒されていますよ!」と大声で叫びたいのを我慢しているのである。
しかし、メイドとして長きを過ごし、その鍛錬を積んできたアイリスにも我慢の限界はある。
その鉄壁の忍耐力が決壊したのが、次の瞬間だった。
「――いけません、ツブラ様。その様な性癖は世の為になりません。やはり、ここは私のこの“ぱーへくとぼでぃ”を以て、貴方様を常人の道にお戻し致しましょう」
「もう止めてえええ! それ以上、傷口を広げないでええええ!!」
御仕着せの襟元を緩め、脱衣所に吶喊を掛けようとするイリヤに抱き付きながら、アイリスが涙を浮かべて叫ぶ。
「――貴女は何を言っているのですか、アイリス?
私には、貴女の叫びの意味が何一つ解らないのですが?」
突然抱き付いてきたアイリスを見つめながら、イリヤが首を傾げる。
表情は変わらず無表情ではあるが、その全身からは、きょとんとした雰囲気を感じることが出来た。
「――落ち着きましたか?」
「……はい、お陰様で」
落ち着きすぎのきらいがある声音のイリヤの言葉に、アイリスは瞼をひくつかせながら答える。
「全て貴女の所為なのですがね!」と吐き捨てないほどには、アイリスは落ち着きを取り戻していた。
「――結構です。侍女たるもの、常に“くうる”たれの精神を忘れてはいけませんよ?」
人差し指を立てて宣うイリヤに、アイリスは「貴女が言いますか」という台詞を寸前で飲み込んだ。
「――では、改めてツブラ様。イリヤが今、そちらに……? アイリス、なにゆえ私のエプロンの端を掴んで離さないのですか?」
再度、脱衣所に吶喊しようとするイリヤのエプロンを左手で握り締め、アイリスは固い笑顔を浮かべた。
「イリヤさん。これ、何だと思いますか?」
「――? はて、見た事のない布ですね」
首を傾げるイリヤの言葉通り、アイリスの右手には、円がクロの為に作った下着が握られている。
「ふふっ、そうでしょうとも。
手に取って調べていただいても良いですよ?」
勝ち誇った様な表情を浮かべるアイリスの手から下着を受け取り、イリヤは矯めつ眇めつ眺める。
「――良く解りませんね。材質は木綿の様ですが……もしかして、帽子の一種でしょうか?」
「お止め下さい、はしたない」
何の疑いもなく頭に被ったイリヤから、アイリスが慌てて下着を引っ手繰る。
「――? はしたないとはどういう意味ですか?」
コテンと首を傾げるイリヤだが、その顔は相変わらずの無表情。
そんなイリヤに、アイリスは気持ち胸を張って説明した。
「ふふふ。何を隠そう、これは女性用の下着なのです!」
「――何を言っているのですか、貴女は。下着とはこういう物です――「見せなくて良いです!」――そうですか」
徐に御仕着せの裾をたくし上げ、自身の履いているドロワーズを見せつけようとしたイリヤを、アイリスが慌てて止める。
「まったく……良いですか、イリヤさん」
眉間に人差し指を当てながら、アイリスは呆れた表情を浮かべつつも続けた。
「時代は常に動いています。古き概念に囚われ、新しい可能性を否定していてはいけないのです。
それはわたしたち侍女の在り様にも繋がる、重要な事だと思いませんか?」
「――大きく出ましたね、アイリス。
そこまで言うのならば、貴女の言う新しい可能性というものを見せていただきましょうか」
自らの煽りに乗ってきたイリヤを正面から見つめ、アイリスは内心でほくそ笑む。
イリヤのアイデンティティと円の貞操の両方を守るために出た賭けに、アイリスは取り敢えずの勝利を得た様であった。
「宜しいでしょう。では、隣の部屋へ行きましょうか」
アイリスはそう言うと、脱衣所の隣にある、掃除用具などの器具が置かれている納戸の扉を開いてイリヤを迎え入れる。
「――あれだけ吠えたのですから、それ相応の結果を拝めることを期待していますよ?」
「ふふっ。新天地というものを御覧に入れましょう」
無表情でそう言うイリヤに対し、口元に笑みを浮かべて答えたアイリスが、納戸の扉を静かに閉じた……
「あ~~~……しっかしいい湯だなあ」
滔々と流れ出てくるお湯に肩まで浸かり、何度目かの溜め息を漏らす。
心臓に負担を掛けるとかで、最近は半身浴が推奨されている様だけど、俺は断然肩まで浸かる派だ。
『『しかし、あれだよな。こういった温泉とかデカイ風呂に付きもののイベントが無いよな』』
『『あれか? 女の子が入ってる浴室に男が入って来て、「きゃーっ!?」みたいな?』』
『『そうそう、お約束だよな』』
まあ、前提からして違ってるからな。
先に男の俺が入ってるんだから、そのシチュには陥らんだろうよ。
『『男の子なら、一度は嵌ってみたい落とし穴だっていうのに……』』
『『ロマンだよなあ……』』
一歩間違えたら豚箱入りのロマンなんざ、俺はゴメンだがな。
「さて、頭を洗うかね」
呟いて湯舟から上がる。
因みに、身体は湯舟に浸かる前に洗っている。最低限のマナーだからな!
そして、洗い場に向かって歩いている最中に、それは起きた。
「ツブラさん!!」
「どわああああっ!?」
何の前触れもなく突然浴室に踏み込んできたクロに、俺は思わず“まいっちんぐ〇チコ先生”的なポーズをしながら悲鳴を上げた。
『『……まさか男女逆パターンのイベントが起きるとは』』
『『嬉しくないなあ……』』
『『俺が望んだロマンとは、懸け離れすぐる』』
(言ってる場合か!?)
慌てて手ぬぐいで股間を隠すが時既に遅く、俺は生まれたままの姿をクロに拝まれてしまった。
いくら年下の女の子とはいえ、身内でもない娘に突然裸を見られたら、流石の俺も羞恥心全開である。
「こ、こら、クロ! いきなり入ってくるってのは、お兄さんちょっとどうかと思う――「ツブラさん、ハンターになるって本当ですか!?」――はい?」
思わず前かがみになりながら慌てる俺に、しかしクロは切羽詰まった様な表情を浮かべてそう言ってきた。
心なしか、ちょっと怒っている様な雰囲気も感じられる。
「どうなんですか!? 本当なんですか!?」
俺の手を握って、真正面から見上げてくるクロ。
そのお陰で、俺の股間に当てられていた手ぬぐいが落ち、リトル俺が再び露わになった。
「と、取り敢えず、手を放してくれないか――「答えて下さい!!」――え?」
さっきまで大人しかったクロの激しい詰問に、思わず間の抜けた声が出る。
……一体どうしたって言うのか?
ともあれ、これだけ真剣に尋ねているんだから、俺も真剣に答えるとしよう。
「……ああ、本当だよ。俺はハンターになるために明日から鍛錬を積もうと思ってる」
クロの目を真っ直ぐ見下ろして答えた俺の言葉に、彼女の表情が苦渋に歪む。
「どうしてですか? 危ないんですよ? 死んじゃうかも知れないんですよ!?」
「そうだな。クロの言う通り、楽な仕事じゃないのは解ってるよ」
眼尻を吊り上げて、しかし半分泣きそうな表情で俺の手を握るクロに対し、ゆっくりとした口調で答える。
だが俺自身、元の世界で退魔師をやってきた事もあり、既に覚悟は出来ている。
まあ、クロには話していないから解らないだろうが。
「……ですか?」
「え?」
俺の答えに、クロは俯きながら何か呟いたが、俺の耳には聞こえない。
だが、聞き返した俺に、クロは辛そうな表情を上げて言った。
「わたしの所為ですか? わたしがツブラさんに負担を掛けているんですか!?
わたしを……半獣人のわたしなんかを助けたから、ツブラさんは危ない仕事をしなければいけないんですか!?」
「――それは違うぞ、クロ」
今にも泣きだしそうなクロに目線を合わせるため、俺は浴室の床に膝をついて真剣な表情で答える。
「さっきも言ったけど、俺はクロがどんな種族だろうと助けたし、それを重荷に思う事なんてありえない。
今後も同じような事があれば、同じような行動を取るだろうし、その事を後悔するようなことも無い」
「でも……だって……」
俺の言葉に、とうとうクロの双眸から涙が零れ落ちた。
「言ったろ? クロを助けたのは、俺の我が儘だって。
我が儘を張るってのは、俺にとってはプライドを掛けるのと同義なんだ。
だから、俺はこの我が儘を貫き通したい」
クロの頬を流れ落ちる涙を指先で拭いながら、言い含める様に話す。
「それにさ、これ見てくれよ」
そう言って、俺は左腕をクロの目の前に持っていく。
「ッ!? 傷だらけです……」
驚きに目を見張るクロに苦笑を浮かべながら、俺は右腕も見せてみる。
「こっちも……え、え? ツブラさん、身体中が傷だらけじゃないですか!?」
小さな手で俺の傷跡を撫でるクロに、俺は情けない表情を浮かべつつも話し始めた。
「だろ? 俺はさ、故郷でハンターみたいな事をやってたんだよ。退魔師って言ってね。
まあ、半人前で胸を張れるような使い手じゃあなかったけどさ」
自嘲気味に笑う俺を、クロはポカンとした顔で見ていた。
「相手してたのは、魔物と違って目に見えない妖魔って奴らでさ。
ちゃんとした退魔師なら特殊な術で妖魔を視ることも出来たんだけど、俺はほら、半人前だから」
ははは、と笑う俺の顔を見つめるクロの瞳が、再び涙に濡れる。
「……無茶しすぎですよお、ツブラさあん……どうして、そんなに辛い事するんですかあ……?」
「それはさ、俺にとっては妖魔と戦って傷を負う事よりも、親しい奴らが襲われる事の方が辛いからだよ」
クロの髪を撫でながら、諭すように言う。
俺だって、怪我をして喜ぶような危ない性癖を持ってる訳じゃない。
傷を負わずに事を治められれば、それに越した事はないさ。
だが、俺は他の退魔師に比べて圧倒的に地力が足りなかった。
実力の差を埋めるには、その分身体を張らなければいけなかっただけの事。
傷の数だけ誰かを護ることが出来た、なんて偽善的な考えを持っている訳じゃない。
負った傷を戒めとして、次はもっと上手に立ち回ろうとロジカルに考えてきた訳でもない。
俺が“やろう”と思って行動した結果が、俺の身体に刻まれた傷であり、小さな事かも知れないけど“やりきった”という事実なんだと思う。
「……壊れちゃう」
「え?」
クロの髪を撫でていた俺の手に、小刻みな震えが伝わってきた。
「ツブラさんが、壊れちゃいます……」
「クロ……?」
妙な不安を感じた俺がクロの顔を覗き込むと、クロは焦点の合っていない瞳で何か呟いていた。
「壊れちゃう……“お父さんみたいに”魔物に殺されちゃう……!!」
「っ!? クロ、しっかりしろ!!」
胸の前で両手を握り締めながら呟くクロの両肩を掴んで揺する。
「ダメ……そんなのダメ……!!」
過呼吸に陥りそうな程に荒い呼吸を繰り返すクロを抱きしめ、その背中を強く擦った。
「大丈夫、大丈夫だ! 落ち着いて、ゆっくり息をするんだ!!」
「!? ……はっ、はっ、は……」
耳元で強く伝えたことでクロの瞳に色が戻り、呼吸も落ち着いてきた。
……良かった。一時はどうなる事かと思ったぜ……
『『……トラウマ、かねえ?』』
『『どうも、それっぽいな。クロの親父さんは、魔物に殺されたみたいだ……』』
沈痛な雰囲気の思考が、俺の頭の中で幾つも重なる。
……くそっ! こんな小さな娘の心に、特大の傷を残しやがって……
「あ……ツブラ、さん」
「落ち着いたかい?」
未だ揺れる瞳で俺を見るクロに、俺は出来る限り優しく問いかける。
抱き締めていた身体を離すと、クロは力が抜けたように床に膝をついた。
「わた、し……」
「……丁度いいや。一緒に風呂、入ろっか?」
自らの身体を抱きしめる様な態勢のクロに、俺は努めて明るく言った。
「……え? お風、呂?」
きょとんとした顔で見上げてくるクロに、悪戯っぽく笑う。
「おう。背中流してあげよう。ついでに髪も洗ってやるぞ?
俺の洗髪技術は双葉のお墨付きだからな。かなり凄いぞ?」
因みに、誇張でも何でもない。
双葉が曲の家に行くまでは、あいつの髪の手入れは全て俺が行っていた。
ガキの頃から伸ばし続けていた双葉の髪を管理するのは正直骨が折れたが、そのお陰で俺は美容師並みに髪の手入れが上手くなっていた。
双葉のロングヘアのキューティクルを守っていたのは俺であると言っても過言ではないだろう。
「……ふふっ」
お道化た態度の俺を見て、漸くクロが微笑んでくれた。
よしよし。やっぱり女の子は笑っている方がいい。
「はい。お願いします」
「おう、任せとけ。
じゃあ、向こうで服を脱いでおいで」
脱衣所の方を指さして言うと、クロはこくりと頷いてぱたぱたと走って行った。
『『……ふう、なんとか持ち直したな』』
『『ああ。しかし、何とも複雑な事情を抱えてるみたいだな、クロも』』
『『しかし許せんな、魔物。元は魔術の反動とはいえ、よ』』
全くだ。
不干渉を謳ってる筈のエーデルワイスさんたち龍が、ハンター協会に肩入れするのも分かるってもんだ。
詳しい話は解らないけど、クロはきっと、俺たちの世界でいうところの戦争孤児みたいな立場なんだろう。
日本で暮らしていた俺には縁遠い言葉ではあるけど、メディアで多少の知識は持っている。
半獣人として迫害を受けてきたことに加えて、親御さんも魔物に害されていたなんて……くそっ、また頭に血が上りそうだぜ!
「……あ、あの、ツブラさん?」
拳を握り締めて佇んでいた俺に、脱衣所からひょっこり顔を出したクロがおずおずと声を掛けてきた。
「ん? どうした?」
慌てて表情を緩めて尋ねると、クロは困った表情を浮かべてこう言った。
「あの……下着の脱ぎ方が解らないんですが」
「ふわあ……お湯、あったかいです」
クロの背中に木桶からお湯を流してやると、気持ちよさそうにそう呟く。
先ほどのクロの一言からここに至るまで、それなりの苦労があった。
初めて身に付けたパンツの脱ぎ方が解らないというクロに説明し、左右の紐の結び方と解き方をレクチャーした際、本日二度目の“ピュアなクロ”とご対面する羽目になった。
思わず目を逸らした隙に好奇心を抑えられなくなったクロが浴室内に駆け込んで行き、湯舟にダイブしそうになったところを慌てて抱き締めて止める。
その際、クロの慎ましやかな胸部に触れてしまった訳だが、不可抗力として貰おう。
そして、入浴する際のマナーを説明し、今に至るという訳だ。
因みに、この間で俺がくしゃみをした回数は片手の指では足りなかった事を記載しておく。
「わたし、お湯で身体を洗うなんて、初めてですぅ……」
「え、そうなのか? 今まではどうしてたんだ?」
ふにゃふにゃと蕩けた様な声音のクロに思わず尋ねると、とんでもない答えが返ってきた。
「え、と、川で水浴びとか、隊商に付いて移動していた時とかは、頭から水を掛けられたりとか……」
「解った、もういい」
指折り数えて言うクロの言葉を、途中で遮る。
犬や猫じゃあるまいし、頭から水ぶっかけるとか、ふざけてんのか?
……いや、まあ、クロは犬人族と人族の半獣人だけどさ。
「とにかく、これからは俺が居る限り、ちゃんとお湯のお風呂に入れるようにしてやるからな。安心して良いぞ?」
「ふわあ。夢みたいです!」
見上げてくるクロの笑顔を見て、心に決めた。
この屋敷を出た後も、魔法を使ってこの娘を暖かい風呂に入れてやる!
「さて、背中を流すぞ? 痛かったらちゃんと言ってくれよ?」
「はい!」
クロの返事を待って、俺は石鹸で泡立った手ぬぐいでクロの背中を擦る。
自分の身体と違って小さな女の子の背中なので、力加減を考えてわしゃわしゃとしていると、不意にクロが笑みを浮かべた。
「ふふっ……あはは。ちょっとくすぐったいです」
「そうか? もう少し強くしても平気かい?」
声を掛けながら下を見ると、クロの尻尾がぱたぱたと左右に振れていた。
「はい……ん、気持ちいいですぅ」
ほふぅ、と溜め息交じりのクロの答えに、先ほどよりも少し強めに擦ってやる。
なるほど。力加減はこれくらいか。
「ふわ……ふわあ」
一度覚えた力の入れ様で、満遍なくクロの小さな背中を擦る。
されるがままのクロが気持ち良さそうな声を上げるので、俺も調子に乗って肩やその細い腕を洗ってやった。
「どうですか、お客様。痒いところとかございませんか?」
「ふえ? ……えへへ。なんですか、それ?」
わざと鯱張って尋ねた俺に、クロはくすぐったそうに首を竦めて照れ笑いを浮かべる。
先ほどまでの切羽詰まった態度と違い、本当に嬉しそうな表情を浮かべるクロを見て、俺も嬉しくなった。
『『なんとか落ち着きを取り戻したみたいで良かったなあ』』
『『だな。しかし、こんな異世界まで来て、三助の真似事をするとは思わなかったが』』
『『いや、貴重だろ、三助。ちょっと前のBO〇SのCMで、日本で一人しかいないとか言ってたし』』
『『……問題は、小さな女の子の背中を流しているって事なんじゃ?』』
……否定できねえ。
「……よし。じゃあ、お湯を流すぞー」
「ふぁーい」
脳内会議で出た問題を、軽く頭を振って打消してクロに声を掛けると、間延びした返答が返ってきた。
「ほい、終わり。前の方は自分で洗うんだぞ?」
「はーい」
クロの背中をお湯で流し、手ぬぐいを渡す。
温かいお湯の魅力に目覚めてしまった感があるクロの気持ち良さそうな声に笑みを浮かべて、俺はその隣で頭を洗いだした。
「……そういえば」
ふと思い出し、イリヤさんから渡された香油の入った小瓶を手に取る。
これって、直接使うより、石鹸の泡に混ぜて使った方が良いのかな?
「うむ、試してみよう」
石鹸を手ぬぐいで擦り合わせ、少し多めの泡を作ると、その中に香油を僅かばかり垂らす。
すると石鹸の匂いに加え、少しばかりの柑橘系の香りが立った。
「おお、良さげ」
早速その泡で髪を洗う。
俺的には渡された香油の匂いは、そのまま使うにはキツ過ぎたんだよね。
「わぁ……ツブラさん、果物の匂いがします」
わしゃわしゃと髪を洗っている横で、クロの声がする。
ざー、とお湯を掛け流す音が聞こえるので、身体を洗うのは終わった様だ。
「だろ? 後でクロにも同じようにしてやるからな」
「はい! 楽しみです!」
俺の言葉にクロは嬉しそうな声を上げた。
……さっきの“いきなり湯舟へダイブ未遂事件”から鑑みても、多分クロは本来、好奇心が旺盛な性格なんだろう。
それが半獣人っていうことで迫害されて、抑えつけられていたのかもしれない。
「あ、わたしが流してあげます」
そんな事を考えながらお湯を溜めた木桶を取ろうとすると、横合いからクロがそう言った。
「お、そうか。宜しく」
「はい! ざ~♪」
口で擬音を奏でながら俺の頭上からお湯を流すクロに合わせて、俺は泡を洗い流す。
『『なんつーか、双葉と一緒に風呂に入ってた頃を思い出すなあ』』
『『だな。ちょっと懐かしいわ』』
子供の頃を思い出し、ちょっとノスタルジックな感覚に浸る。
まあ、背中に当たる薄いながらも柔らかい感触を胡麻化すための、現実逃避的な意味合いもあるんだが。
『『……考えてみれば、女の子とお風呂でキャッキャウフフ的なシチュエーションなんだよな?』』
『『もしかして、俺ってば大人の階段上ってる?』』
『『ばっか、半分くらいの年の娘だぞ?』』
『『条例が気になります……いや、異世界に条例は無いか?』』
止せ! 変に意識しちまうだろうが!!
ただでさえ、背中に当たる感触が気になってるんだから。
まあ、クロは無意識なんだろうけど。
「あわあわ流れましたよ、ツブラさん」
「お、おう。ありがと」
明るいクロの声に、俺は振り返って答える。
そこには、綺麗に汚れを落とし、思っていたよりも白い肌を晒す笑顔のクロが立っていた。
「――!?」
思わず急いで視線を逸らす。
栄養失調気味で女の子特有の丸みは乏しいけれど、やっぱり女の子には変わりは無い訳で……
「? ツブラさん、どうかしたんですか?」
「いや、なんというか……クロは、恥ずかしくないのかなーと」
きょとんとした雰囲気の声音に、苦笑気味に尋ねてみる。
「恥ずかしい……ですか?」
「あー、うん。ほら、クロは女の子だし、男の俺に裸を見られても平気なのかなーって」
変わらず不思議そうな声音のクロに、思わずしどろもどろで聞く。
するとクロは意外そうにこう言った。
「うーん……あまり。わたし、女性らしい身体じゃありませんし、裸にされるのは慣れてますから」
ぺたぺたという足音を追って、俺は視線をクロに向ける。
俺の視線の先で、クロは湯舟の縁に座って両足をお湯の中に入れていた。
「……どういうことだ?」
洗い場から立ち上がって、俺もクロの隣に腰掛ける。
「えっと、わたしは半獣人ですから。
町の移動とかは商隊の端っこにくっついて行ったりするんですけど、そういう時って、多少の食べ物を貰ったりする代わりに、運営のお手伝いとかするんです」
ぱちゃぱちゃと湯舟の中に入れた足を動かしながらクロは話を続ける。
「でもやっぱり、普通の人族の方たちからは疎まれてますから、此処みたいな立派なお風呂とかは入れませんし、さっきも話しましたけど、頭から水を掛けられるとか。
でも、わたし、服も一枚しか持っていないので、濡れちゃうと風邪ひいちゃいますから……そういうときは早めに脱いじゃうんです」
淡々と話すクロの言葉を聞いている内に、俺の奥歯がギリっと音を立てる。
恐らく、この世界ではそれが普通なんだろう。
いや、多分、俺が居た世界でも、そういった事が普通である場所があったのかもしれない。ただ単に、俺が知らなかっただけで。
「ですから、人前で裸になるのには慣れちゃいました。
人によっては、わたしの裸を見て舌打ちする方も居ましたし……あはは、こんなガリガリじゃ、つまらないですよね?」
苦笑を浮かべながら俺を見上げるクロが余りにも痛ましくて、思わずその身体を抱きしめてしまった。
「ふぇっ!? ツ、ツブラさん?」
「……大丈夫。クロはこれからすっごく可愛く育つ。いや、俺がそうしてみせる」
俺の突然の行動に、クロがびっくりした声を上げるが、俺は確固たる自信を持って言い切った。
「そ、そうでしょうか? わたし、可愛くなれますか?」
「おう、俺が保証する。双葉に負けないくらいの美少女にしてやるからな」
つーか、汚れを落としただけで、ワンランク以上は美少女度が上がったんだ。
これから体力を取り戻していけば、きっと目を見張るほどの美少女になるとも!!
「え、えへへ。わたし、フタバさんに会ったことはないですけど、ツブラさんの妹さんなら、きっと凄く可愛いでしょうね」
「……それはあれかな? 暗に俺が女顔だって言ってる?」
照れ隠しだろうクロの言葉に乗っかって、俺もお道化た表現で返すと、クロは慌てて否定してきた。
「ち、違いますよう! ツブラさんは、その……凄くかっこいいですもん」
「か……かっこいい?」
その言葉に抱擁を解いてクロの顔を見てみると、照れて真っ赤になっていた。
『『かっこいいとか……初めて言われたぞ!?』』
『『ふおおおおおおっ! なんて良い娘なんや!!!』』
『『俺は決めたぞ! クロをこの世界に於ける妹として認定すると!!』』
お、おう。せやな。特別、異議は無いが。
『『しかし、元の世界に帰る時はどうするんだ?』』
『『んなもん、その時に考える!』』
『『そんな、無責任な』』
『『いざとなったら、クロを元の世界に連れて行く!』』
『『承認!』』
『『承認!』』
『『承認!!』』
まあ待て、落ち着け。最終的にはクロの意思を尊重するということで良いだろう?
という訳で、俺は真剣な表情でクロに問う。
「……なあ、クロ。俺の妹にならないか?」
「……はい?」
俺の唐突な問いかけに、クロの目が点になった。
「え……え? いもうと? ツブラさんの?」
余りにも突然の事で、クロの理解が及んでいない様だ。
「ああ、そうだ。俺と家族になろう」
「っ!?」
だが、その俺の言葉に、クロはビクンと反応した。
「か……ぞく?」
「ああ、そうだ」
「わ、わたし、はんじゅうじん……ですよ?」
「知った事じゃない。クロはクロだ」
「でも……ツブラさんに、め、めいわくが……」
「関係ないな。寧ろ、大いに掛けて良し。家族なんだから」
「で、でも……わたしといっしょにいたら、へんなめで……」
「気にならんな。つーか、色眼鏡で見られるのは慣れてるし」
「そ、それから……それから……」
「なあ、クロ」
俯いたまま色々と言い訳じみた言葉を並べるクロの頬っぺたを両手で挟んで、真正面から見つめる。
見下ろしたクロの瞳は、今にも大粒の涙を零しそうなほどに潤んでいた。
「クロは、俺と家族になるのは嫌かい?」
「っ!? 嫌じゃないですっ!!」
俺の問いかけにクロの目から涙が零れ落ちると同時に、彼女は俺にしがみ付いてきた。
「ずっと、ずっと寂しかった……! お父さんとお母さんが魔物に殺されてから、ずっと一人ぼっちだった!
村のみんなも殺されて、わたしだけ生き残って! ずっと一人きりだったんです!!」
俺の胸に顔を埋めるクロの慟哭が、浴室内に木霊する。
ぱたぱたと音を立てて涙が水面を揺らした。
「苦しかった……寂しかった! 誰一人、わたしに手を差し伸べてくれなかった!
半獣人だから……わたしが半獣人だからあっ!!」
嗚咽を漏らしながら吐き出されるクロの心の叫びを、無言で受け止める。
クロの小さな体を抱きしめつつ、俺は彼女の髪と背中を撫で続けた。
「ツブラさんだけだった……ツブラさんだけが、わたしに手を差し伸べてくれたんです!
なのに、ツブラさんはハンターに……お父さんと同じ仕事をするって……」
そうか……クロの親父さんは、ハンターだったのか。
だから、さっきまで俺がハンターになることに否定的だったんだな。
「死んじゃうの、やだ……お父さんみたいに、ツブラさんが死んじゃうのは、嫌なのぉ……」
しゃくり上げながら繰り返すクロの本音を聞きながら、俺は思う。
会ってから数時間しか経っていないのに、クロの中で俺は随分と大きな存在になっちまってたらしい。
なんというか……嬉しい誤算ってやつだろうか?
『『元の世界じゃ、俺自身をここまで必要としてくれたのは双葉くらいだったからなあ……』』
『『そうだなあ……ひょっとしたら他にも居たのかもしれないけど、俺自身が気付けたのは双葉だけだったな』』
『『こりゃあ、絶対に裏切れないよな』』
『『応よ。つー訳で、元の世界に帰るとしても、クロは絶対に連れて行くことに決定』』
『『決定』』
『『決定』』
『『大決定!』』
……解ってるよ。
後先考えずに貫いた俺の我が儘が、これから先のクロの運命を変えちまう結果になるかもしれないけど……
それでも、俺は最後まで責任を取ろうと強く心に決めた。
「ありがとうな、クロ。俺の事をそこまで心配してくれてさ」
俺にしがみ付いて泣き続けるクロの背中を撫でながら、俺は礼を述べる。
「えぐっ……心配、しますよお! だって、だって……ツブラさん、優しいもん。
困っている人が居たら、絶対、助けに行っちゃいそうだもん! それで、怪我しちゃいそうだもん!
こんな……こんなに傷だらけなのに……」
泣きながらも、クロが俺の上腕の傷に手を這わせて怒ったような声を上げた。
「そう……かな?
うーん、そうかもしれないなあ……」
「そんな適当に言わないで下さい!」
引き攣った笑いを浮かべながら答えたら、クロに怒られた。
俺を見上げるクロの顔は……うん、泣きながら間違いなく怒ってる。
「ツブラさんは、もっとツブラさん自身のことを大事にしないといけないんです!」
「は、はい。すみません……」
風呂でお互い素っ裸で、年下の女の子からダメ出しをされて頭を下げる俺。
……非常に情けない画だ。
『『……つーかさ、双葉にも同じこと言われたよな?』』
『『ああ、あったな。ということは、俺ってそんなに危なっかしいってことか?』』
『『会って間もない少女に諭されるとか……』』
『『嫌っ! ハズカチィ!!』』
盛大に赤面モノである。
「あ……ご、ごめんなさい、わたし、偉そうに……」
文字通り赤面して俯いていたら、今まで興奮気味だったクロが突然クールダウンして俺に謝ってきた。
顔を上げると、目の前でクロがシュンとして項垂れている。
犬耳もぺたりと塞いでいた。
「ああ、いや、良いんだよ。
俺自身、突っ走っちまうことは多いし……ぶっちゃけ双葉にも同じこと言われたしな」
「でも……」
苦笑を浮かべてそう言うと、クロは下唇を噛み締めて上目遣いで俺を見た。
まるで叱られた子犬みたいで、ちょっと……いや、かなり可愛い。
「とにかくさ、俺が暴走しそうになったら、今みたいに止めてくれると助かる。
ほら、家族ってそういうもんだろ?」
萎んでしまったクロを元気づける様に少し強めに頭を撫でてやると、彼女は感極まった様な表情をしながら大きく頷いた。
「はい! えへへ……」
ぽやぽやとした笑みを浮かべてすり寄ってくるクロの背中を軽く叩く。
俺の新しい妹は、随分と甘えん坊の様だ。
「――よし。これでいいかな」
あの後クロの髪を洗ってやり、もう一度湯舟で身体を温めた後、俺は脱衣所でクロのパンツを彼女のサイズに合わせて魔法で再調整した。
「わあ、ぴったりです」
さっきまでは半分見えてしまっていたお尻も今ではしっかりと隠されており、尻尾の付け根ギリギリまで布が覆っている状態だ。
ついでに左右の紐も女の子らしく、赤いリボン状に変更しておいた。
やはり、見えない部分のおしゃれも必要かな、と思った次第である。
とはいえ、現状ではその姿を見せるのは俺と、この館のメイドさんだけにして欲しい。
後は貫頭衣しか持っていない(しかも一着のみ)クロに、他の服を作ってやりたいところなのだが……
「……そっちは後だな。先ずは履物か」
上半身裸で嬉しそうにくるくる回っているクロの足元を見やり、俺はそう呟いた。
「これ、クロさんや。いつまでもそんな恰好でいると、風邪引くぞ?
ちゃんと服を着なさい」
「はーい、お兄ちゃん♪」
俺が差し出した貫頭衣を頭からずぼっと被り、クロがにへっと笑う。
先ほどからクロが俺を呼ぶ際の呼称が、「ツブラさん」から「お兄ちゃん」に変わった。
ついでに、やたらと俺に抱き付いたり腕を取ったりと、スキンシップを取ってくる。
今まで甘える事が出来なかった分を取り戻すかのように、俺にべったりになってしまった。
……まあ、俺的には可愛い妹が増えたので、問題ナッシングだが。
そんなことよりも。
「クロ、ちょっとそこの椅子に腰かけてくれるか?」
「? こうですか?」
脱衣所にあった木製の丸椅子を指さして言うと、クロは小首を傾げながらも、ちょこんと腰を下ろす。
「ん。ちょっと失礼するよ?」
そう言って、俺はクロの正面にしゃがみ込みながらその爪先を手に取る。
「え、え? お兄ちゃん?」
その行為に、クロがびっくりしたように声を上げるが、俺は問題ないという様に笑みを浮かべて魔法を発動させた。
「アクセス」
『『魔法行使の目的を』』
(クロの履物を錬成)
『『材質は皮革』』
『『室内用の履物として、サンダル状の物を提案』』
『『足裏を守るため、中敷きには毛足の短い毛皮を張り付けることを推奨』』
『『爪先を露出。踵部分にガードを』』
『『サイズ調整の為にベルトとバックルを付帯。柔らかめの皮革で』』
『『イメージ統一』』
『『イメージ統一』』
『『イメージ統一……完了』』
(オーダー実行。クリエイト開始)
「ふぇっ? ……ふわあ!?」
魔法工程の完了と同時に、クロの足を作製したばかりのサンダルが包み込む。
「な、なんですか、これ? 突然、靴が……」
突然自分の足を覆ったサンダルに目を白黒させながら、クロが驚きの声を上げている。
そんなクロを眺めながら、俺は口元に笑みを浮かべながら嘯く。
「言ったろ? 俺は“魔法使い”だって」
「……ふわあ!」
俺の言葉に、クロは一瞬だけ呆けた様な表情をした後、満面の笑みを浮かべて俺の首に抱き付いてきた。
「凄いです! わたしのお兄ちゃんは、世界一です!!」
「はっはっは。そんなに褒めると、兄ちゃん恥ずかしくなっちゃうぞ、妹よ」
いや、ほんとに恥ずかしい。
何しろ、双葉ですらこんなにストレートに褒めたことは無かったんで。
「んーん。ほんとに凄いもん。お兄ちゃん、大好き♪」
そう言って、クロは俺の首筋にかぷっと甘噛みしてきた。
後で知った事だが、この行為は獣人族にとっては最愛の者に対する愛情行為らしい。
獣人族にとって相手に首筋を晒すということは、自らの命を捧げても構わないという意味を指す。
そして、その首筋に噛みついても命を奪わないということは、その相手を深く愛する証との事だ。
まあ、この時の俺は、クロのその行為に対して「じゃれついてるんだなあ」くらいにしか思っていなかったのだが。
ともかく。
こうしてこの世界で、俺に新しい妹が出来たのだった。