おっちゃんの塒とパンツとクロ
「……ハンターになって儲かるかどうかは、なったヤツの働き次第だな」
俺の問いに、おっちゃんは腕組みしつつ答えた。
「さっきも話したが、ハンターの主な仕事は魔物退治だ。
危険な仕事だっていう分、報酬も高い。勿論、それ以外の仕事も高い達成報酬が設定されているものだってあるがな」
「例えば?」
横目で俺を見下ろしているおっちゃんに尋ねる。
何となくだが、おっちゃんの機嫌が悪い気がするな……
「傭兵任務なんかがそれに当たるな……要は“人斬り”だ」
その言葉に息を呑む。
金を得るために、見知らぬ……いや、事によっては見知った誰かを殺せと、おっちゃんは言っている。
「……坊主の考えてることは解る。
坊主自身とその嬢ちゃんを養うために、ハンターになろうって言うんだろ?」
「……ああ」
おっちゃんの問いかけに、絞り出すような声で答えた。
「……それ自体は悪いとは思わねえよ。
坊主と会ってからの時間は短いが、お前さんが底抜けに優しくて甘い奴だってのは解ってるしな。
だがよ……」
俯く俺に、おっちゃんは膝に手をついて目線を合わせながら言う。
「そんな坊主だからこそ、自分が納得できない人斬りなんて出来ねえだろ?
それどころか、俺の見立てじゃあ坊主。お前、人を斬った事なんて無えだろ」
おっちゃんの質問に、俺は無言で答えた。
そして、この場合、無言は肯定の意味を持つ。
「その辺は、坊主の話を聞いたら解る。お前さんが住んでた所は平和な世界なんだろ?
人なんて斬らなくても、魔物なんて倒さなくても、誰もが普通に生活出来る様な、よ」
俺の顔を見つめるおっちゃんの視線が、僅かに陰りを帯びた。
「羨ましい話だ。俺に取っちゃ、理想的な世界だよ。
だからこそ、坊主はそんな性格に育ったんだろうな。だがな、此処じゃあそうは行かねえ」
目線は俺を捉えたまま、おっちゃんは腰を伸ばして胸を張る。
「此処では生きるために人を斬らなきゃならねえし、魔物を倒さなきゃならねえ。
力の無い奴から死んでいくのが当たり前の世の中。寄る辺なく、たった一人で生き抜くことなんて出来ねえ巷だ」
おっちゃんは一瞬俺から視線を外し、横たわる少女を見た。
だがすぐに俺に視線を戻し、真剣な表情で語る。
「だからこそ、人同士の繋がりが大事なんだよ。
さっき俺は言ったよな? 坊主が一人立ち出来る様になるまで、俺が面倒見てやるってよ」
「あ……」
おっちゃんのその言葉に、思わず間の抜けた声が出た。
あの時のおっちゃんのセリフ。あれは、社交辞令の延長だと思っていた。
右も左も分からないような、迷子に毛が生えた程度のガキを安心させるための方便程度に考えていた。
「俺はな、坊主……いや、ツブラ。冗談や煙に巻く様な事は好きだが、嘘は大嫌いだ。
だから、お前は一言こう言やあ良い。
『力を貸してくれ』ってよ」
その言葉に、不覚にも涙が流れた。
元の世界に居た間、こんな言葉を掛けて貰った事なんて、一度も無かった。
退魔の一族に生まれたというのに、一向にうだつの上がらない俺は、何時だって一人で事を成してきた。
誰かに頼って生きるという事は許されなかったし、俺自身、してはいけないと思っていた。
だが、そんな俺の在り方を、会って間もないおっちゃんは「違う」と言う。
明確に否定した訳じゃない。
おっちゃんの言い分を、俺に押し付けている訳でもない。
ただ、「頼れ」と。
「俺を頼れ」と、おっちゃんは言う。
「……良いのかよ?」
「何がだ?」
目の端を擦りながら絞り出した俺の問いかけを、おっちゃんは薄っすらと口元に笑みを浮かべて聞き返す。
「俺の我が儘を……行き当たりばったりの俺の思いを、おっちゃんに擦り付けちまって良いのかよ?」
下唇を噛み締めながら問う。
だが、おっちゃんはそんな俺の葛藤を鼻で笑いながら、快活に言い切った。
「ったりめーだ、ば~か。面倒見るガキが一人から二人になったくらい、どうってこたあ無えよ。
ガキはガキらしく、黙って大人に負ぶさってろ」
その一言に、深い安心感を感じる。
……ああ、確かにこのおっちゃんの背中は、俺とこの女の子が乗っかっても、ビクともしないだろうな。
「……すまねえ、おっちゃん。宜しく頼む」
「応よ。任せとけ」
腰を折って深々と頭を下げる俺に、おっちゃんはふんぞり返って頷いた。
「そうと決まりゃあ、さっさと塒に向かうとするか」
未だ気絶している少女の腰に制服の上着を巻き付けて、見えちゃ拙い場所を隠す俺に向かって、おっちゃんが言う。
「ちょっと待って……くっ」
「どうした坊主?」
少女を抱きかかえた俺が発したくぐもった声に、おっちゃんは訝し気な表情を向けた。
「……いや、何でもないよ」
そう答えつつも、俺は思った以上に“軽い”少女をお姫様抱っこで固定した。
……軽い。
恐らく、20㎏台前半じゃないだろうか?
いくら身長が低いとはいえ、10歳前後の少女にしては、軽すぎる。
やり場のない憤りの様な感情が、再び俺を支配しようとした。
「……なあ、おっちゃん。なんでこの娘はこんな目に合ってるんだろうな」
俺を先導して歩き始めるおっちゃんの背中に問いかける。
「あー、そりゃまあ、その嬢ちゃんが半獣人だからだろうな」
「? どういうことだ?」
顔半分で振り返りながら言うおっちゃんに、思わず首を傾げた。
「下らねえ話だ。
此処じゃあ“混血”ってのは、それだけで忌避される存在なのさ。
どちらの血を持つコミュニティからも爪弾きにされて、行き場を失う。
行きつく先は、犯罪組織か町や村の裏路地くらいさ」
「そのお嬢ちゃんみたいにな」と、おっちゃんは吐き捨てるように言った。
「……なんだよ、それ? じゃあ、この娘は何も悪くないのに、半獣人だって理由だけでこんな目に合ったってのか!?」
余りの理不尽さに、目の前が真っ赤に染まる。
少女を抱く腕に力が籠るのが解り、慌てて力を抜いた。
「その辺が人の浅ましさってヤツだ。
基本、混血種ってのは、混ざった血筋双方が持つ力の恩恵を得るんだよ。
その嬢ちゃんは犬人族と人族の混血の様だから、犬人族以上に手先が器用で、人族以上に俊敏性や知覚能力に優れているんだろう」
歩調を緩めて少女の顔を覗き込むおっちゃんに合わせて、俺も抱きかかえた少女を見る。
その寝顔は完全に人間の物だが、頭頂部から生えている三角形の獣耳は明らかに人のそれとは違う。
街中で見かけた獣人は“獣人”といった感じだったが、この娘は“獣人(萌え)”という感じだ。
ガチの獣人は腕にも獣毛が生えていたが、この娘の腕はつるつるで、指先も細い。
正に、人の良い所と獣の良い所を併せ持つ、ハイブリットな人種に見える。
「混血種が嫌われるのは、大半がそう言った八束水からだろうよ。
残りはまあ、種の保存とかそういった理由だろうがな」
そんな話をしている内に、俺たちは再び大通りに出てきた。
夕暮れ時に差し掛かった町は、買い物客で賑わいを見せており、あちこちで威勢のいい呼び込みの声が上がっている。
「人が増えてきやがったな……坊主、俺から離れるなよ?
なるたけ歩調は合わせるが、可能な限り俺の背中に隠れる様に着いてこい」
おっちゃんの言葉に無言で頷く。
買い物をメインに行っている人たちはまだしも、物見遊山な輩からすれば、女の子を抱えて歩いている俺は奇異に映るだろう。
故に、おっちゃんはそんな俺たちを隠すスクリーンになってくれると言っているのだ。
「俺の塒までは未だ暫くかかる。お嬢ちゃんをしっかり抱えて着いてこいよ?」
そう言って人波を縫って進むおっちゃんの後ろを歩く俺は、まるで犯罪の片棒を担ぐ下っ端の様だった……
「着いたぞ坊主。ここがこの町での俺の塒だ」
「……」
そのおっちゃんのセリフに、俺は唖然とした表情を浮かべてその建物を見つめる。
敷地は約500坪はあるだろうか?
周囲を高さ5mはあろうかという鉄製の格子に囲まれた洋館。
格子の向こうには良く手入れされた植栽が植えられ、門扉から館の玄関までの間には、お約束的な噴水まで設置されている。
そして約200坪はありそうな、石材と木材によって建てられた館が敷地中央にどどん! と鎮座ましましている。
「……おっちゃん、とりあえず自首しろ」
「何でだよ!?」
無表情に言い放った俺の宣告に、おっちゃんは目を剥いて反論してきた。
「仮にこの館がおっちゃんの持ち物として、だ。
俺の世界じゃ、こんな豪邸に住めるのは、よっぽどの金持ちか悪い事をしてきた、若しくは現在進行形でしている奴だけだ。
おっちゃんはどう見ても金持ちには見えないから、消去法で行けば悪人って事になる。だから自首して来い。今すぐにだ」
「……なんつー言い草だよ」
俺が展開した完璧な理論に、ぐうの音も出ずに頭を抱えるおっちゃんの足を爪先で突く。
「早く自首すれば、情状酌量の余地もある。先延ばしにしたら、どんどん罪は重くなるぞ?」
「だあっ! お前はそんなに俺を犯罪者に仕立て上げたいのか!?
確かにこの館は俺が望んで購入したモンじゃねえが、間違いなく俺の所有物だっての!」
ハリー、ハリーとせっつく俺の爪先を避けつつ、おっちゃんは慌てて答える。
「往生際の悪い事を……嘘は嫌いじゃなかったのかよ?」
ヤレヤレと頭を振る俺に対し、おっちゃんは必死に説明を続けた。
「嘘じゃねえよ! 領主のラングが、いつでも使ってくれって俺にくれたんだからよ!」
『『おいおい、領主から賜ったとか言い始めたぞ、このおっちゃん』』
『『まあ、国王から下賜されたとかよりはマシだな』』
『『益々アヤシイ』』
『『さっき、ここら一帯はロウトラン伯爵領だって言ってたよな? 貴族様相手にファーストネーム呼び捨てとか……不敬罪で打ち首になりかねんぞ?』』
「なあ、おっちゃん。今、領主様を呼び捨てにしたのは俺の心の中に仕舞っといてやる。
悪事が露見することに加えて不敬罪で首チョンパとか、悲しすぎるからさ……」
そう言って悲しそうに俯いた俺に、しかしおっちゃんは鼻息を荒くして捲くし立てた。
「しょうがねえだろ、昔からの知り合いなんだからよ!
つーか、分かったよ! 中に入れば、俺がここの主だって事が解る筈だ。いいからさっさと着いてこいや!!」
肩を怒らせてずんずんと敷地内に入っていくおっちゃんの後に続く。
ぶっちゃけ、この館がおっちゃんの持ち物だっていうのは、なんとなくだが納得している。
ただ単にちょっと悔しかったから、揶揄っていただけなのだ。
長い石畳の道を進み、噴水を迂回して一段高くなった屋敷の玄関に辿り着く。
するとおっちゃんは、徐にデカい両開きの扉を勢いよく開け放った。
『――お帰りなさいませ、クラウド様』
開け放たれた扉の先。
そこは赤い絨毯の敷かれた広いホールになっており、四人のメイドと一人の執事風の男性が頭を垂れていた。
「お、おう……」
その光景に、おっちゃんが一瞬たじろぐ。
さっきまでの威勢は何処へ行ったと聞きたいところだが、空気を読んで黙っていた。
「あー、ゴホン!
暫く留守にしていたが、変わりは無いか?」
取り繕うように咳払いをしつつ尋ねるおっちゃんに、執事風の男性が顔を上げた。
「はい。特段、ご報告致します事はございません。屋敷の管理は、このボイドの名に懸けて滞りなく」
そう報告した後、ボイドと名乗った年配の男性は、その寸分の隙も無く後ろに撫でつけられた薄灰色の頭を下げ、再度礼を取った。
見事な執事っぷりである。
俺の世界でいうところの燕尾服に似た暗色の執事服をかっちりと着熟し、その所作には一片の無駄も無い。
「ザ・執事」の称号を与えたい。
『『執事なのに、セバスチャンじゃないのはどういうことだ!?』』
『『執事の名前がみんなセバスチャンだったら怖いだろ』』
『『この男性は執事というより、家令なんじゃないか? 使用人全体を管理している立場だと思うが』』
『『だから、メイドの人たちは後ろで控えてるのかな?』』
『『メイドは普通、用事を受けない限り、勝手にしゃしゃり出てこないだろ?』』
脳内でそんな会話が続いているが、俺はこの場に居る五人の使用人の方々を観察していた。
家令っぽいボイドさんはザ・執事の称号を俺的に与えたから良いとして、その後ろに控えている四人のメイドさんに目を向ける。
メイドたちの中でも一番前に出ている女性は中年を少し上回ったくらいの年齢だろうか。
紺色の御仕着せを纏い、落ち着いた雰囲気で頭を下げている。
きっと、メイド長とかだ。その佇まいからも、出来る女性の匂いがする。
身長は俺より少し高い様なので、165㎝ほどだろうか。
そのメイド長さん(仮)の背後に居る三人の女性は皆若く、俺と同じか少し若いくらいだろう。
メイド長さん(仮)と同様の御仕着せに、白いエプロンを着けている。
因みにこの御仕着せ、俺の世界の一部で流行っていた萌え系の物ではなく、機能性重視の野暮ったい物である。
「……そうか、礼を言う」
「主の住まう館を維持管理するのは我ら使用人の責務なれど、そのお言葉をいただけたことで、皆報われる事でしょう」
恐らく社交辞令的な意味合いを含めたおっちゃんの言葉に、ボイドさんは慇懃に返した。
「ところでクラウド様。後ろに居られる方々は……」
少女を抱える俺に視線を合わせてきたボイドさんに対し、慌てて頭を下げる。
「ああ、この二人は訳あって俺が引き取った。暫くは客分扱いで此処に住まわせるつもりだ」
そのおっちゃんの返答に、ボイドさんは俺に対して一礼する。
「左様でございましたか……初めまして、お客様。私はこの館の家令を務めさせていただいておりますボイドと申します。
以後、お見知りおきを」
「あ……こちらこそ。俺はツブラと言います。宜しくお願いいたします」
抱きかかえた少女に注意を払いつつ、俺は改めて頭を下げる。
「ふむ。こちらのお嬢様はお顔の色が優れない様子ですな……マリア」
「はい、ボイド様」
俺が抱きかかえた少女の顔を眺めると、ボイドさんは後ろに控えていたメイド長さん(仮)に声を掛ける。
「急ぎ、客間を一つ開放して下さい。アイリスは湯を沸かした後にマリアと共にお嬢様のお世話を。イリヤは浴場が使える様に準備して下さい。
ウェンディは厨房に行って、エドワードに消化の良い食べ物を作って貰っておいて下さい」
『はい、ボイド様』
一瞬の内に各所に手配を済ませたボイドさんの手腕も然ることながら、淀みなくその指示を実行するメイド隊の面々も凄い。
テキパキと行動する彼女たちを呆気に取られて眺める俺に、ボイドさんは軽く頭を垂れて言った。
「畏れながらツブラ様。あちらのマリアがご案内いたしますので、そちらのお嬢様を客間までお連れいただけますか?」
「あ……は、はひ!」
慇懃だが嫌みの無いボイドさんの言葉に、俺は思わず半オクターブ高く返事をして、ギクシャクとした動きでメイド長さん(仮)改め、マリアさんの後ろに着いて行く。
「おい、坊主」
ホールから続く廊下へと向かう俺の背後から、おっちゃんが声を掛けてきたので、足を止めて振り返った。
「俺はこれからハンター協会へ行ってくる。それほど時間は掛からないと思うが、何か用事があったらボイドに伝えておけよ?」
ズボンのポケットに手を突っ込んで言うおっちゃんに、頷きを返す。
「ああ、解った。落ち着いたら少し話を聞かせてくれると有難い」
「おう。じゃあ、後でな」
ボイドさんに付き添われつつ、おっちゃんが屋敷の玄関を出て行く。
その後ろ姿を見送って、俺は再びマリアさんの後に続いて廊下を歩きだした。
「ツブラ様、その娘をこちらに」
案内された客間のベッドに、抱えてきた少女をゆっくりと寝かす。
流石に天蓋は付いていないが、柔らかく上質なベッドであることが良く解る。
手を突くと、恐らく羽毛であるだろうマットは程よく沈み、寝心地が良さそうだ。
「……御髪が随分と痛んでおいでですね」
ベッドに横になっている少女を無言で見下ろしていた俺に、マリアさんが少し沈んだ声で伝えてきた。
「ええ……ここまで真っ当な生活を送れていなかったんでしょう」
マリアさんに答えつつ、俺は少女の額に掛った前髪を指先で梳いてやる。
手入れを怠らなければさらさらと流れるであろう少女の髪は、しかし埃と油でごわついていた。
「……何も聞かないんですね」
黙って俺の行為を見守っているマリアさんに、そう尋ねる。
するとマリアさんは冷静な声音でこう言った。
「お客様のプライベートに差し出口を挟むような真似は致しません。
ツブラ様もこちらの少女も、この館の主であるクラウド様がお連れになられた大事なお客様ですから」
流石はメイド長(俺が勝手にそう決めつけているだけだが)。その在り方や良しである。
『『確かに、この娘が半獣人だってことが解っているだろうに、さっきの破落戸みたいな態度を一切取っていないな』』
『『良し。マリアさんにはメイド・オブ・メイドの称号を与えよう』』
「失礼致します」
そんなことを考えていると、開け放ったままの扉から、湯気の上がったタライを抱えたメイドさんが入室してきた。
確か、アイリスさんだったか。
年の頃は俺と同じくらいで、身長は俺よりも少し低く150㎝半ば程だろう。
色白で、肩まである金髪をポニーテールに結っている。
勝気な様子の蒼い瞳の、美人というより可愛い感じがする娘だ。
そんなアイリスさんは、タライの中に入ったお湯を零さない様に慎重な手つきでサイドテーブルの上に置くと、手ぬぐいをお湯に浸してきつく絞る。
「ツブラ様。今からこちらの少女のお身体を清めますが……ご覧になられますか?」
その様子を眺めていた俺に、マリアさんが真面目な表情のまま冗談めかして尋ねてきた。
「うぇ!? す、すいません。外に出てますんで、終わったら声を掛けて下さい!」
俺はそう言い残して、ダッシュで部屋を出ると後ろ手に扉を閉める。
いくら小さい女の子とはいえ、さすがに素っ裸を眺めるのは色々と拙いからな。
中学に上がるまでは双葉と一緒に風呂に入ってたりしてたから、慣れてはいるんだけど、身内と他所の娘じゃ勝手が違うし。
「……そうだ。あの娘、下着を持ってないんだっけ」
昔の話を回想したことで、思い出した。
こっちの世界では下着は高級品らしいけど、流石に一枚も無いっていうのは可哀そうだよな。
「……作るか」
そう呟いて、俺は扉を背に胡坐を掻くと、イメージを描いて行く。
なに、ガキの頃は俺が家族全員分の洗濯をしてたんだ。
細かいところまではアレだけど、双葉の履いてたパンツをベースにすれば出来なくはないだろ。
「アクセス」
『『魔法行使の目的を』』
(半獣人の少女の下着を作製)
『『完成品の土台は、子供の頃の双葉の下着』』
『『細部のイメージは省略』』
『『材質は木綿。この世界でのゴムの存在が不明なため、左右を紐、若しくはリボンで締める事を推奨』』
『『逆三角形の布地の頂点を繋ぐ形状での作製を提案』』
『『色合いは白。少女には尻尾があるので、必然的にローライズ』』
『『予備も含め、計三枚を作製』』
『『イメージ統一』』
『『イメージ統一』』
『『イメージ統一……完了』』
(オーダー実行。クリエイト開始)
魔法が行使され、俺の手の中に三枚の下着が現れる。
「出来は悪くない……と思う」
出来上がった下着を繁々と見つめて呟く。
正直、自分が履いているトランクスならまだしも、女性用の下着の良し悪しなんて俺には解らない。
因みに、ブラは作っていない。
だって、中学に上がるまでの双葉は、ブラなんてしてなかったもん。構造とか形なんて解んねえよ。サイズもあるだろうしな。
「おや、ツブラ様。どうされました?」
難しい顔で出来立てほやほやの女性用下着を眺めていた俺に、ボイドさんが声を掛けてきた。
「ああどうも、ボイドさん。
いや、実は今、マリアさんたちがあの娘の身体を拭いてくれているんで、終わるまで外で待ってるところなんですよ」
そう、苦笑を浮かべつつ答えた俺に、しかしボイドさんは僅かに眉を潜めてこう言った。
「……一緒にご覧になられないのですか?」
なんでそうなる?
「いや、いくら小さい子と言っても、裸を見られるのは恥ずかしいでしょうし……と言うか、この辺じゃ、そういうのが当たり前なんですか!?」
思い出してみれば、さっきマリアさんにも言われたぞ!?
「ふむ。先ほどクラウド様が、
『あの坊主、どうやらお嬢ちゃんみたいな娘が好みの様だな。俺的にはもっと“ボン! キュッ! ボン!”なお姉さんタイプの方が好きかと思ったんだが……
いや、良く考えてみれば、若い嫁さんを貰えばバンバン子作りに励めるわけだし、間違っちゃいねえのか。ともかく、俺としては坊主の意思を尊重したい。
そういう訳で、ボイド。坊主と嬢ちゃんが良い雰囲気になる様に気を遣ってやってくれ』
と仰っておられたので」
真剣な表情でおっちゃんの言ったことを教えてくれるボイドさんに、俺は思わず頭を抱えた。
……あのおっちゃん、気の遣い方が根本的に間違ってやがるぞ!!
「いや……現状、そんなつもりは全く、これっぽっちも無いんで。おっちゃんの戯言は適当に聞き流してください」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて訴える俺に、ボイドさんは「左様でございますか」と無表情で頷く。
「その件はさておき、ツブラ様がお持ちになっておられる、その布は一体?」
俺が握り締めている作ったばかりの女性用下着を指さしながら、ボイドさんが尋ねてきた。
「ああ、これは――」
「いえ、お待ちください。家令たる者、伺うばかりではその名に恥じるというもの。
極限まで考え、想像し、その上で正解をお尋ねすることにしたいと思います」
口を開きかけた俺を制し、ボイドさんは顎に手を当てて考え込む。
「……その形状、大きさ、左右から伸びる紐から予想するに、肘や膝に当ててショックを吸収するための当て布の一種……いや、それにしては布の厚みが足りぬ。
では、もしや顔に被って使う、マスクの一種か……?」
……女性用下着を顔に被るとか、何処の変態だよ?
「いや、これはですね――」
「あいや、暫く! もう少しで何かが見えて来そうなのです。
……マスクでも当て布でもないとすると、まさか医療器具か? 腕を骨折した際に首からあの紐を掛けて患部を固定するとか……」
パンツで腕を吊ってどうする!?
あーもう!!
「見て判りません? これは下着ですよ」
うんざりしながら言い放つ俺に、ボイドさんは眉を潜める。
「下着……ですと?
失礼ながらツブラ様。下着とはもっとこう、大きく角ばっているものですぞ? そんな小さな布面では、色々とはみ出てしまうではありませんか」
両手の指先を使って大まかな形を描くボイドさん。
「……いや、それは男性用の下着ですよね? これは女性用ですんで、布面積はこれで――」
「なんと! 女性用ですと!?」
俺の説明に、今まで比較的感情を表に出さなかったボイドさんの顔が、驚愕に彩られる。
「いや……いや! それはおかしい。女性用下着といえば、こう、もっとボワッと膨らんで、太腿の半ばまでを覆うデザインであった筈。
その様な機能的かつ扇情的なものでは――」
「……ボイド様。扉の前で何を大声で、下着下着と連呼されているのですか?」
女性用下着について熱く語るボイドさんの言葉を遮る様に、マリアさんが扉の隙間から顔を出して冷めた目つきを向けてきた。
「おお、マリア。いや、これを見てくれませんか?
ツブラ様がこの布の事を、女性用下着だと仰られているのですよ」
マリアさんの冷たい視線に焦るでもなく、ボイドさんは俺の手の中にある下着を指さしながらそう言った。
うおい! 勝手にヒートアップしたくせに、俺を巻き込むなよ!!
「……ツブラ様、失礼致します」
愕然とした表情を浮かべる俺の手から下着をその手に取り、マリアさんは矯めつ眇めつ眺める。
「ふむ……ツブラ様。これはどの様に身に着けるのでしょうか?」
「……はい?」
暫く布面を広げたり紐部分を引っ張たりしていたマリアさんが、俺に聞いてきた。
いや、どの様にって言われても……普通に履いて、腰の位置で紐を結べばいいだけだよな?
『『ボイドさんの言い様からすれば、この世界の女性用下着は、ドロワーズ系しか無いんじゃないか?』』
『『どうやらそれっぽいな。ショーツ系の下着が無いから、履き方が解らない、と』』
なるほど。だからさっきボイドさんは「扇情的」なんて言ったのか。
「あー、えーと……ですね? こう、布面を股間に当てて、この紐を結ぶと――」
などと、何故か俺だって履いたことの無い下着の履き方を教える羽目になる。
正直、恥ずかしい事この上ない。
なんだって罰ゲームでもないのに、女性用のパンツを男の俺が履く事になるんだよ!?
あ、勿論スラックスの上から実演したぞ?
「……なんとも素晴らしいですね」
ホゥ、と溜め息を吐きながらマリアさんが言う。
「はい。この下着ならば、身体にフィットした服を着ても、不格好な事にならずに済みそうです」
そして、いつの間にやらパンツの履き方実演会に参加しているアイリスさんも、両手を頬に当ててうっとりとした表情を浮かべている。
「ふむ。これは一種の革命ですな。これまでの下着事情に一石を投じることになりかねませんぞ?」
顎に手を当てて唸るボイドさん。
……なんだか、大ごとになりかねない予感がひしひしとしてきたぞ?
「あのー、これはあの娘のために用意したものなんで、あまり大っぴらにして欲しくはないんですが――」
「そんな!?」
「……」
「ツブラ様。それは女性にとっては酷と言うものですぞ?」
俺の言葉に、アイリスさんがこの世の終わりみたいな表情で悲鳴を上げ、マリアさんが途轍もなく悲しそう顔をし、ボイドさんは眉間に指を当てて頭を振る。
……いや、俺、そんな酷い事言ったか? なんかもう、完全に悪役だぞ、これ?
「ツブラ様。我々の様な使用人が分を弁えず、この様な事を申し上げる事を先に謝罪させて下さい」
困惑しきった表情で頬を掻く俺に、マリアさんが一歩進み出て深々と頭を下げる。
「ですが、今拝見させていただいた下着は、我々女性にとっては珠玉の一品なのです。
己の浅ましさを重々承知の上でお願いいたします。どうか、その下着を一枚……いえ、型紙でも良いのです。お譲り頂くことは叶いませんでしょうか?」
そのマリアさんの言葉に、アイリスさんまでもが縋るような視線を向けてくる。
……なんなのよ、これ。どういう状況よ?
パンツ一枚で、どうしたらこんなに真剣になれるのよ!?
『『うーん……女心は良く解らん』』
『『あれだな。女性の美へ傾ける情熱というのは、男には決して理解する事の出来ない、永遠の謎なんだな』』
『『もう、何枚か追加で作って、彼女たちにもあげれば良いんじゃない?』』
『『いや、下手にばら撒いて厄介事の種になるのは避けたい。だから、枚数を限って、他言しない事を条件にしよう』』
同感。このままこの人たちに絆されて、のべつ幕無しに配り歩いたら大変なことになりかねない。
「……解りました。俺の条件を呑んで貰えるなら、皆さんの分を用意します」
「っ! 本当ですか!?」
「ああ……ツブラ様、心よりの感謝を申し上げます」
「流石は我が主、クラウド様が認められた御仁ですな」
このまま放っておけば感涙に咽び泣きだしそうなアイリスさんとマリアさんを、まあまあ、と両手を上げて宥める。
「その前に、これをあの娘に履かせてあげてください。左右の紐で調節できる筈なんで、サイズは合うと思います」
「はい! 承りました!!」
背筋を伸ばして元気に頷くアイリスさんに、下着を渡す。
ウキウキとしたオーラを背中に纏わせて、マリアさんと一緒に室内に戻っていく彼女を見送りつつ、俺は扉を閉めた。
「はあ……まさかこんな大事になるとは夢にも思わなかった」
扉の脇の壁に寄り掛かりながら、思わず溜め息を吐く。
「しかし、宜しかったのですかツブラ様?
先ほどの下着を世に出せば、誇張などではなく、莫大な富を得られたかも知れませんぞ?」
自然体にも関わらず、一本筋の通った立ち方をするボイドさんが尋ねてくるが、俺自身、飯テロならぬ下着テロで財産を稼ぐつもりなど毛頭ない。
「良いんですよ。別に俺は大量の金が欲しい訳じゃなくて、普通に生活できて、たまに少しだけ贅沢が出来るくらいの稼ぎを得られれば十分ですから」
「ふむ。ツブラ様はお若いのに、随分と無欲なのですな」
年齢の割に枯れているのは理解している。
だが、元の世界で退魔師なんかやってたお陰で、いつ死んでも良い様な心構えだけは持っている。
そりゃあ出来れば長生きしたいとは思うけど、下手に金持ちになったりしたら、いざというときに剣先が鈍りかねない。
欲目に溺れて判断を誤るくらいなら、初めから持ち物は少ない方が良い。
今までそうやって生きてきた俺だから、目の前に金品をチラつかせられたところで、方向性が変わることも無い。
「はは……無欲というよりも性分なんでしょうけど。
どちらにしろ、俺がこの下着を作るのは、この屋敷のメイドさんとあの娘の分だけにしたいと思ってます」
勝手に広がって行く分には構わないが、その場合は俺の事は伏せておいて貰おう。
変なのに目を付けられたくないしな。
「ツブラ様がそうお望みであれば、我々は従うのみです」
慇懃に頭を下げて言うボイドさんに、苦笑を浮かべる。
流石は「ザ・執事」。胸に片手を当てて首を垂れる仕草が完璧だ。
「――ツブラ様。お言いつけ通りに致しました」
ボイドさんとそんな会話をしていると、扉を開けてマリアさんとアイリスさんが出てきた。
「お着物も新しいものに着替えさせていただきましたので、もうお入りいただいて大丈夫ですよ?」
「ありがとう」
気の強そうな瞳に喜色を浮かべるアイリスさんに、微笑を浮かべて答える。
「えっと、下着の方は今夜にでも用意するんで、希望があったら言ってください。
一応、イリヤさんとウェンディさんにも聞いておいて貰えると助かります」
仲間外れにしたら可哀そうだしな。
「重ね重ね、ありがとうございます。あの二人も喜ぶでしょう」
淡い微笑を口元に浮かべて、マリアさんが頭を下げてくる。
クールな人なのかと思いきや、突然優しいお母さん的な表情を浮かべられて、ちょっとジーンとした。
「じゃ、じゃあ、俺はあの娘の様子を見てますんで、何かあったら声を掛けますね」
「はい。私たちは部屋の外で控えておりますので、いつでもお声がけ下さい」
一礼して扉の脇に侍るマリアさんとアイリスさんに会釈して、俺は客間に足を踏み入れる。
ベッドに目を向けると、半獣人の少女が穏やかな表情で眠りについていた。
「……よっぽど疲れてたんだろうな」
室内にあった木製の椅子を運び、少女の枕元に置いて腰を下ろす。
先ほどまで埃と煤によって汚れていた少女の顔は綺麗に拭われ、彼女本来の肌を見せている。
栄養失調から来る痩せた頬は相変わらずだが、安静にしているからか、心持ちその頬も朱が指している様だ。
時折ぴくぴくと動く犬耳が可愛らしい。
「……しかし、こうしてみると、やっぱり異世界なんだなあ」
元の世界では漫画やアニメ、小説の挿絵でしかお目に掛れなかった獣人(この少女は半獣人だが)が目の前に居る事実。
自らを龍だと言ったエーデルワイスさんは見た目は完全に人間だったけど、目の前で眠るこの少女は、間違いなく異種族として俺の目に移っている。
そして、このバレルの町に足を踏み入れた瞬間に見た光景を、俺は一生忘れられないだろう。
物語の中にしか存在しなかった異種族の存在。
それが大手を振って歩いているこの世界の真の姿が、まさにあの瞬間に俺の中に入ってきた。
あの時俺は、感動と共に思い知らされた。
今、自分が居る場所が、まごうこと無き異なる世界なのだという事を。
遥か遠く……理の壁を飛び越えて、遠い世界に来てしまったという事を。
エーデルワイスさんは、現状では元の世界に帰ることは出来ないと言っていた。
だから俺は、帰るための手がかりを探すためにも、この世界を回ってみようと思ったのだ。
勿論、物見遊山をしたいという気持ちもある。
帰れるにしても帰れないにしても、自分が置かれている現状を知ることが一番大切だと判断したからだ。
彼を知り、己を知れば百戦危うからず。
妖魔がどういう存在なのか解らずとも戦うしかなかった以前と比べれば、自分の目で見て、肌で感じられるこの世界を回るという行為は、俺のモチベーションを上げるに申し分ないことだ。
逸る気持ちが無い訳ではない。双葉のことだって心配だ。
この娘のことが寄り道だなんて思わないけど、遠回りしたとしても、自分の心に嘘を吐いてまで焦って事を進めたくない。
この先も、俺が望み、俺が出来ることをやっていきたいと思う。
「ん……」
そんな益体も無いことを考えていると、眠っていた少女の瞼が薄っすらと開いた。
「……ここは……?」
ぼんやりとした視線で辺りを見回す。
どうやら、自身が置かれた状況を良く呑み込めていない様だ。
……それもそうか。この娘の最後の記憶は、町の路地裏で破落戸どもに足蹴にされていた時だろうからな。
「やあ、おはよう」
「――ひっ!?」
出来るだけ優しく声を掛けたつもりだが、少女は酷く怯えた表情でベッドの端まで身体を移動させた。
「ああ、ごめん。驚かせちまったな」
「……」
頭を掻きながら謝罪の言葉を述べる俺の顔を、上目遣いで見つめる少女。
その顔は、やはり怯えの表情を浮かべている。
「怖がらなくても大丈夫。ここには君を害する様な奴は居ないから」
そんな少女の顔色を見て、俺は肩まで両手を上げながら説明する。
「俺の名前は円って言う。君、酷い目に遭わされてたけど、痛い所とか無いかい?」
「酷い目……あっ」
俺の問いかけに、少女は折れたはずの右足と左腕を見て、驚いた表情を浮かべた。
「……怪我、してない。うそ……あんなに痛かったのに」
自らの身体を護る様に首まで持ち上げていたシーツを下ろし、少女は蹴り上げられた場所を手で撫でる。
呆然とした表情だが、そこからは痛みを帯びている感じは見受けられなかった。
「……良かった。治療は上手く行ったみたいだな」
初めても初めて。医療関係の知識なんて持ち合わせていない俺が行った治療魔法だったので、多少なりとも心配だったが、上手く行った様で一安心だ。
「あの……あなたが助けてくれたんですか?」
ホッと溜め息を吐いた俺に、少女が上目遣いで聞いてくる。
「ああ、まあね。もっと早く飛び込んでいれば、君が怪我をすることも無かったんだろうけど……」
苦笑を浮かべて答える俺に、少女は困惑気味の表情を浮かべた。
「どうしてですか? わたし、半獣人です。人族からも獣人族からも嫌われている、厄介者です。
それなのに、どうして人族のあなたは、わたしを助けてくれたんですか?」
本当に困惑しているんだろう。
泣きそうな顔と連動するように、頭の上の犬耳が、ペタンと伏せている。
きっと、尻尾もしんなりしていることだろう。
「うーん……誰かを助けるのに理由なんて必要ないと思うけど、敢えて言うなら俺の我が儘かな?」
首を傾げて答えた俺に、少女は目を丸くしてポカンとした表情を浮かべた。
「そんな……そんなのありえません! わたし……わたし半獣人なのに、何の理由もなく助けてくれるなんて!」
「……一つ良いかな?」
前のめりになって叫ぶ少女に、俺は人差し指を立てた後、手招きをする。
「な、なんでしょうか……あ痛っ!」
おずおずとベッドの上を近寄ってきた少女のおでこに、軽くデコピンをかます。
「~~~! 突然、何をするんですかあ!?」
「自分を卑下するな」
涙目で両掌をおでこに当てる少女を、真面目な口調で諭す。
「他人と自分を相対的に見て、自分の能力が劣っていると理解する事は良い。
客観的に他者との力量差を見て判断できるっていうのは、大事なことだし普通は中々出来る事じゃないからな。
でも、周りと比べて自分を卑下するのはダメだ。そこから先へ進むことが出来なくなっちまう」
俺自身、自己評価が低いのは、周囲と比べて出来ることが余りにも少なかったからだ。
だからと言って、俺は自分自身を卑下した事は一度も無い。
出来ないなりに上手く回すにはどうしたら良いかと、考え続けてきた。
“出来ない事を出来るようにする”のではなく、“出来ないことをフォローするためにはどうしたらいいか”とずっと試行錯誤し続けて、今の俺がある。
自己評価は相変わらず低いままでも、前を向いて歯を食いしばって来たからこそ、今でも俺は生きていられるんだという自信がある。
故に、この少女を救う事ができた。
自己満足の域を出られない事だけど、俺はそれが誇らしい。
「俺はね、君が例え人族でも岩人族でも……ありえないけど、龍だったとしても助けに入ったよ?
事の成否は関係なく、俺がそうしたかったからさ」
俺の言葉に呆然とする少女の頭を優しく撫でてやる。
今まで迫害され続けてきたであろう少女の心には、俺の言葉は届き辛かったのだろう。
されるがままだった少女は、暫くしてその顔をクシャっと歪めると、声を押し殺して泣き始めた。
「……うっく……うえ……うぇぇぇぇぇん!」
「もう大丈夫だ。ここには君を怖がらせる奴や、虐める奴は居ないからさ。
もし来ても、俺が追っ払ってやるから」
子供の頃、双葉が夜中に急に泣き出した時にした様に、俺の胸に顔を埋めて泣く少女の背中をゆっくりと擦ってやる。
ぶっちゃけ、安心させるために紡いだ言葉も、ほぼ同じだ。
双葉はこの娘と違って、八束水からよく虐められてたけどな。
ともかく、お兄ちゃんスキル免許皆伝の俺からすれば、年下の女の子をあやす事は得意中の得意なのだ。
それを証拠にこの娘も……おや? 中々泣き止まないな。
「うっうっうっ……うえ、うええええん!」
うーむ。どうやら、俺もまだまだ精進が足りない様だ……
「……落ち着いたかな?」
「……うっ、ぐすっ……ごめんなさい……」
少女が漸く泣き止んだのは、体感で10分ほど経った後だった。
「気にしなくて良いよ。色々と我慢してきたんだろ?
感情が昂るっていうのは、心が悲鳴を上げてる証拠だからな。ちゃんと吐き出した方が良い」
ぽんぽんと軽く背中を叩いてやると、少女は恥ずかしそうに「えう」っと声を上げた。
「さて。落ち着いたところで、改めて自己紹介と行こうか。
さっきも言ったけど、俺の名前は円だ。君からすると変わった名前だろうけど、宜しくな」
さっきまでは、期せずして幼い少女を抱きしめていた形だったが、今は二人ベッドに並んで座っている状態だ。
「は、はい。ツブラさん、ですね? わたしはクロって言います」
……おう。名前まで以前飼ってた犬と一緒とか。なんだか、運命的なものを感じるわー。
「あの、それで……ですね? ツブラさんは祈り手の方なんですか? さっき、わたしの怪我を治してくれたって……」
「いや、違うよ?」
上目遣いで見上げてくるクロの言葉に、否定を返す。
「え? で、では、どうやってわたしの怪我を? あの時、気を失う直前に、足の辺りから凄く嫌な音が聞こえたから、絶対に骨が折れたと思ったのに……
あ、でも、わたしの体力では、癒しの魔術を受けたら、命の危険が……」
あれ? あれ? と首を傾げ続けるクロに、思わず吹き出してしまった。
「ははは、ごめんごめん。笑い事じゃないよな」
俺の態度に困った表情を浮かべて俯いてしまったクロの頭を撫でる。
そして、クロと目線を合わせながら真剣な表情を浮かべて俺は言った。
「実は俺、魔法使いなんだ」