異世界の町と胸糞悪い出来事
「……うわあ」
聳え立つ石壁を見上げて感嘆の声を上げる。
先ほど魔物と遣り合った河原から歩いて1時間ちょっと。異世界に来て初めて目にする町の外壁は、高さが約15mほどで、総石造りの建築物だった。
石壁最上部は歩廊になっているんだろう。狭間付きの胸壁がずらりと並んでいることからも、町でありながら籠城戦も視野に入れている様だ。
『『やり過ぎ感が半端ない。王都の城下町か何かかと思った』』
『『魔物や野生動物から町を護るにしても、ちょっと過剰じゃないか?』』
『『おっちゃんはさっきこの辺りは辺境だとか言ってたけど、ここまで通ってきた街道はしっかりと整備されてた。
恐らくだが、この町は流通の要衝になっているのかも知れないな』』
つーことは、戦争になったら真っ先に狙われる場所だって事か。
故に城塞都市紛いの堅固な防壁で覆われている、と。
「おーい坊主! いつまで壁なんか見上げてんだ? 置いて行くぞぉ!?」
一人で腕組みしながら頷く俺に、離れたところからおっちゃんが大声でがなり立てる。
いかんいかん。思わず見惚れちまった。
慌てておっちゃんの元へ駆け出すと、俺たちと同じく街道に沿って進んでいた旅装束の一団からクスクスと笑われた。
……お登りさんに思われたかも知れない。
「わりい、おっちゃん」
おっちゃんの元に辿りついた俺は、照れ隠しに後頭部を掻く。
「何やってんだか。坊主が住んでた処にゃ、壁が無かったのかよ?」
俺の到着に合わせて再び歩を進めるおっちゃんが、呆れ顔で尋ねてきた。
「んな訳ねーだろ。とはいえ、こんなに立派な石壁は、世界遺産レベルだったけどな」
「なんだそりゃ? これまた随分と大げさな話じゃねーか」
俺の答えに、おっちゃんが目を見開いて聞いてくる。
「まあ、文化の違いってヤツだろうけどな。
俺が居たところは、こっちみたいに魔物やら野生動物やらが、自由気ままに闊歩していなかったしさ。
治安だって、国家主導で取り締まる組織が組まれてた。
まあ、それでも犯罪やら戦争やらは、世界の何処かで必ずと言っても良いほど行われてたけど」
横を通り抜けていく馬車に気を付けながら、俺はおっちゃんに説明する。
こうやって見てみると、流石は町の周囲と言うべきか、行き交う人が多いな。
「文化の違い、ねえ?
色々見てきた俺からすれば、何処に行っても、人の本質なんてものは変わらねえと思うがなあ」
空を仰ぎながら呟くおっちゃんに目を向ける。
「競争、争い、貧富の差。良い意味と悪い意味とをひっくるめて言やあ、何処の国や町、村にだって必ずこの三つは存在するぜ?
逆に、これらが無くなりゃあ、それ以上の発展は無くなっちまうだろうしな」
「……それに関しちゃあ、否定できないな」
指折り数えて言うおっちゃんに、眉を顰めながらも肯定を返す。
競争心を失くしてしまえば緩やかに頽廃していくだろうし、貧しさから脱却しようと思って働くからこそ、経済が発展する。
争いに関しては素直に頷きたくはないけど、ある意味、生き物の本能だろうからな。
「平和なのは良い事さ。それに越したことはねえ。
だが、平和であることが当たり前だなんて思っちまったら、いざそれが崩れちまった時に右往左往しちまうんじゃねえか?
自分にとって大切な存在どころか、己自身も守れねえ様じゃ、本末転倒ってモンだろ」
おっちゃんの言う事に、返す言葉が無い。
いくら退魔師なんて一般的には非常識な事をやってきたとはいえ、俺自身は平和な平成日本に生まれた高校生でしか無い。
100年ほど前に起きた世界規模の大戦争を経験した訳でもない身からしてみれば、おっちゃんの言葉に意見するなんてことは、烏滸がましく思えた。
「ま、言ったところで、俺だって坊主の住んでた世界を見た訳じゃねえ。
“此処”とは随分と違うみてえだし、俺の価値観を押し付ける様な真似は出来ねえな」
はっはと笑って俺の肩を叩くおっちゃんに、苦笑を浮かべる。
全く……ダメなおっさんに見せかけて、こう言う所はやっぱりすげえよこの人。
そんな事を話しながら歩いてくると、先の方に大きな門が現れた。
街道を進んできた人たちが、一列に並んでいる。
「……でけえ門だな」
幅は6~7mくらいはあるだろうか。高さに至っては7mほどで、石壁の約半分ほどを占めている。
「まあ、そうかもな。
この国の王都に比べれば見劣りするが、此処、ロウトラン伯爵領バレルの町は、サウザン王国の辺境とはいえ、物流の要衝として栄えてる町だからよ」
「? おっちゃん、並ばなくていいのかよ?」
説明しながら人々の列を離れていくおっちゃんに、俺は首を傾げて問いかける。
「おう。俺たちはこっちだ」
振り返りもせずにスタスタと歩いて行くおっちゃんの後ろを、俺は今まで並んでいた列を振り返りつつも追いかけていく。
日本人ですもの。列があれば並びたくなり、折角並んだ列を離れるのは忍びない気がする。
そんな俺の心情などお構いなしのおっちゃんは、大門の脇にある鋼鉄製の扉の前で足を止めると、ノッカーをゴンゴンと叩く。
「――どうした……って、クラウド様!」
暫くして鉄製の扉が開くと、中から皮鎧に身を包んだ30代半ば程の男性が出てきて驚いた表情を浮かべる。
『『……クラウド“様”?』』
『『字名持ちってのが有名人的扱いなのは、なんとなく気付いてたが……様付けかよ』』
『『見ず知らずのおっちゃん(一見パッとしない)が、実は偉い人っぽかった件について』』
(……無いわー)
「……なあ坊主。なんだかえらく馬鹿にされた気がするんだが?」
「……気のせいだろ?」
眉根を寄せて俺を見下ろすおっちゃんの問いかけに、そっぽを向いて答えた。
「そうかよ。
ああ、休憩中に済まねえな。ハンター協会からの魔物討伐依頼を終わらせて返ってきたところだ。
入っても構わねえな?」
首元からハンター証を取り出して男性に見せるおっちゃんに、その人は背筋を伸ばした後、一礼する。
「勿論です!
……ですが、あの、隣の男の子は?」
「あ、どうも初めまして。俺は蓮……じゃなくて、円って言います」
困惑気味の表情を浮かべて俺を見る男性に、礼儀正しく自己紹介をする。
「……ツブラ君、か。珍しい名前だが、イストの出身かい?」
尋ねられる前に名乗ったのが功を奏したのか、男性は表情を崩して俺に聞いてきた。
「はい、まあ、そんな所です」
「そうかい。僕はこのバレルの町で衛兵をしているクリスという。宜しくな」
朗らかな笑顔を浮かべるクリスさんに、こちらこそと返事を返す。
……手を差し出されないということは、握手という挨拶はこちらの世界には無いのかもしれない。
「しかし、クラウド様と一緒に居るのは何故なんだい?」
「ああ、それはな……」
クリスさんの疑問に、おっちゃんが答える。
「今回の討伐は、東の森にある浄水施設の職員から依頼されたんだけどよ。現場近くでこの坊主が四つん這いでゲーゲー吐いてやがってな。
魔物が出たっつー森で右往左往してやがったから、とりあえず引き取ってきたんだよ」
「おい!」
有ること無いこと捲くし立てるおっちゃんに、思わず突っ込みを入れる。
吐いてたのは間違いないが、右往左往はしてないぞ俺は!
「それは……迷子ですか?」
俺を悲しげな目で見ながら、クリスさんがおっちゃんに尋ねる。
「(まあ、ある意味迷子には変わりねえだろうが……)そうらしいな。詳しい事情を聴く前に、魔物どもが出てきやがったからよ」
そう言いつつ、おっちゃんはクリスさんから見えない所で俺の背を肘で突く。
どうやら、話を合わせろって事らしい。
「え……ええ、そうなんです。旅の途中で獣に襲われまして。街道を外れて逃げ込んだ先が、あっちの森だったもんで……」
しどろもどろになりながらも、とりあえず話を作ってみる。
「それで、全力で走り回って気持ち悪くなったところを、おっちゃん……ジャックさんに助けられたんですよ。ははは……」
頬をヒクつかせながら吐き切った嘘に、クリスさんは神妙な表情を浮かべて頷いた。
「そうか……それは大変だったね。君みたいな若い子が、一人旅とは……
しかし、クラウド様に助けられたというのは、運が良かったよ。何しろ――」
「あー、その辺で良いか? 協会の方にも報告しなきゃならねえしよ」
言いかけたクリスさんの言葉を、おっちゃんが遮る。
「あ、申し訳ありません! どうぞお通り下さい」
しかし、クリスさんは言いかけた台詞を遮られたことに文句一つ言わず、鉄扉の前から身を引いて、俺たちを招き入れてくれた。
「おう、悪りぃな。ほれ、行くぞ坊主」
俺の背を押して扉を潜るおっちゃん。
とりあえず言いたいことはあるが、空気を読んで俺は言われるままに中へと入る。
そこは縦3m、横10mほどの細長い部屋だった。
室内は長さ2mほどの長テーブルが二台置かれており、それぞれに木製の簡素な椅子が四脚付けられていた。
明り取りの窓がある訳でもないのに部屋の中は明るく、室内の壁面の各所に置かれた丸い水晶玉の様なものが光を放っている。
恐らく、魔術によって作られた照明装置かなにかだろう。
換気が出来ない空間で火を灯したりしたら、一酸化炭素中毒になるからな。
魔術師の方々は、中々に良い仕事をしてらっしゃる様だ。
……まあ、頑張りすぎると魔物が大量に湧くらしいが。
後は、何が入っているのか解らないが樽や甕、きっと酒瓶だろう物や槍や剣、盾などが壁面に沿って置かれている。
そして机上には積み重ねられた書類や羽ペンとインク瓶らしき物や、恐らくこの町や町周辺の地図が乗せられていた。
まさに、衛兵の詰め所といった雰囲気だ。
「へぇ……」
「おい坊主、またかよお前は」
初めて見る光景に歩みが止まってしまった俺に、おっちゃんは呆れ顔を向ける。
「ははは。一般の旅人は、衛兵の詰め所を訪れる様なことは滅多に無いでしょうから。
まあ、犯罪を起こして調書を取られるなんてことでもない限りは、ですが」
俺たちの様子を見ていたクリスさんが、苦笑を浮かべつつそう言った。
「犯罪って……じゃあ、拘留用の牢獄とかもあるんですか?」
「ああ、勿論。見せてあげることはできないけど、続きの部屋の向こうにあるよ」
興味本位で尋ねた俺に、クリスさんは親切に教えてくれる。
つー事は俺の世界基準だと、この場所は小型の警察署みたいな感じかな。
「クラウド様が連れてきたんだから、君は大丈夫だと思うけど……此処の厄介になるようなことが無い様に気を付けるんだよ?」
そう言って、クリスさんは俺の肩にポンと手を置く。
「あはは……ありがとうございます。気を付けます」
「いや、ホント頼むぜ坊主」
苦笑を浮かべて答えた俺に、おっちゃんはげんなりした表情を浮かべた。
……解ってるよ。あんまり言うと、フラグが立つだろ。
「じゃあ行くぞ。モタモタしてると日が暮れちまう」
入ってきた扉の正面にある扉を開けて、おっちゃんが俺を手招きする。
長机の隙間を縫っておっちゃんの元に移動すると、俺はクリスさんに一礼した。
「じゃあ、失礼します」
「うん、気を付けてね」
朗らかな笑顔を向けるクリスさんに、俺も微笑を浮かべて答える。
……うん、いい人だ。
衛兵……しかも門兵なんて、もっとガラの悪い人を想像してたけど、礼儀正しい好人物じゃないか。
そんなことを考えながら扉を潜ると、そこは正に異世界の町だった。
「うおお……すっげえ」
目の前に飛び込んできた光景に、感嘆の溜め息が出る。
木と石材で作られた街並みと、そこを行き交う人々。
ここに来るまで普通の人間にしか会わなかった(龍除く)が、街中には異種族の方々が当然の様に闊歩していた。
犬や猫の顔をした二足歩行する人種や、俺の腰くらいの身長しかない人種。
厳めしい顔をして長い髭を生やす小柄な人種や、人の肩に乗って楽しそうな笑顔を振りまく羽の生えた、どう見ても妖精にしか見えない人種まで。
『『……あれ、ドワーフだよな?』』
『『うわ……絵に描いたような獣人じゃねえか』』
『『あれは子供……? いや、耳が微妙に長くて尖ってるってことは、ホビットとかか?』』
『『某指輪の世界だな……』』
『『エルフ! エルフはよ!?』』
頭の中で、俺じゃない俺が好き勝手言っているが、俺自身も感動しているので窘めることはしない。
それほどまでにこの光景は幻想的で、心にクるものがあった。
「……幻想郷だ」
「そうかい。俺に取っちゃ、日常だがな」
万感の思いを込めた俺の呟きを、おっちゃんの一言がぶち壊す。
「あのな、おっちゃん……人が気分良く浸ってるところに水を差すなよ」
「ハン。そいつぁ悪かったな。そんなことよりさっさと行くぞ」
唇を尖らせて文句を言うが、おっちゃんはそんな俺を鼻で笑って歩き始めた。
「何処へ行くんだよ? ハンター協会って所か?」
人波を縫って先へ進むおっちゃんの背中を追いかけつつ尋ねる。
「いや、そっちは後でもいい。先ずは坊主の得物をどうにかする」
「俺の剣を?」
おっちゃんの言葉に、ずっと手に持ったままの剣に目を向ける。
「応よ。いつまでもそのままじゃあ、危なくてしょうがねえ。さっさと鞘を作ってやらなきゃな」
おっちゃんはそう言うと、大通りから一本外れて脇道に入り、建物と建物の間を縫って奥へと向かう。
……なんつーか、逸れたら絶対に元の道へは戻れそうにないな。
慣れた様子で裏道を進むおっちゃんの背中を追って、速足で付いていくと、おっちゃんは一軒の建物の前で足を止めた。
裏通りにありながら少し開けたスペースに、総石造りの建物があった。
屋根には太い煙突が立ち、そこから煙が立ち上っている。
重厚な鉄扉には、ハンマーと金床の意匠が彫られ、この建物がどういう物なのかを現わしていた。
「おっちゃん、もしかしてここは鍛冶屋なのか?」
「おう。俺が使ってる鍛冶屋だ。腕は申し分ねえよ」
俺の問いかけに、おっちゃんは胸を張って答えつつ、鉄の扉を開ける。
重たそうに見えた扉だが、想像した様な軋みは無く、スムーズに開いた。
おっちゃんに続いて店の中に入ると、小ぢんまりとした室内は思ったよりも整頓されており、様々な鉄製品が陳列されていた。
それこそ包丁から両刃斧、籠手から全身板金鎧までが並んでいる。
「すっげ……博物館みてえ」
「おいコラ小僧。ウチの商品は見せかけだけのお飾りじゃねえ。全部が実用に足る業物揃いだ」
品揃えを眺めて感嘆の溜め息を吐く俺を、低い声で窘める人物が居た。
「おう、久しぶりだなダグ」
「……なんでえ、クラウドじゃねえか。いつ帰って来たんだ、テメエ?」
その人物におっちゃんが片手を上げて話しかけると、長い髭に隠れた口元を僅かに吊り上げてそう答えた。
「……ドワーフだ」
呟いた通り、その人物は俺の胸元ほどの背丈に長い髭、筋骨隆々な体つきで、厚手の皮グローブと同様の前掛けをしていた。
恰好だけ見ると、“ザ・鍛冶職人”といった出で立ちである。
「あん? なんだ「どわあふ」ってのは? 俺っちは岩人族のダグってもんだ」
目の前のドワーフ――もとい、岩人族のダグさんは、眉を顰めてそう言った。
『『どうやら、この世界のドワーフは、岩人族っていう種族らしいな』』
『『本来、ドワーフやエルフ、ホビットって呼び名も指輪関連のものだろ?』』
『『版権問題か?』』
ちげーよ……多分。
「で、クラウドよ。この小僧は何モンだ?」
ダグさんは俺に親指を向けておっちゃんに尋ねる。
「ああ、こいつは俺が面倒を見ることになった、ツブラってヤツだ」
答えたおっちゃんに、ダグさんは「ヒョッ」と変な声を上げた。
「こいつぁ珍しいこともあるもんだ。あの“ザ・クラウド”がガキのお守りとはな!」
ヒャッヒャッと腹を抱えて笑うダグさんに、思わずジト目を向ける。
……俺はちっとも面白くねえよ。
「まあ、そう言うな。こう見えて、腕はそれなりに立つぜ?」
「ほう! お前さんがそう言うからには、それなりなんだろうな……うん?」
苦笑を浮かべるおっちゃんに、ダグさんはニヤリとした笑みを向けた後、俺が持つ剣をじっと見つめる。
「小僧、随分と身の丈に合ってねえ得物を持ってやがるな。ちっと俺っちに見せてみろ」
ダグさんはそう言うと、了承する前に俺の手から剣を引っ手繰った。
「……こいつぁ、珍しい拵えだな。刀身から柄までが一括りの鋼で打たれてやがる。
強度……いや、剣自体の粘り強さを上げるためか?」
カウンターの上に置いて、矯めつ眇めつ全方向から眺めながら、ダグさんは顎髭を梳いて唸った。
「叩くよりも、切り裂く用法を重んじた作りだな。これだけ長い刀身にも拘わらず、刃は剣先から四分の一ほどのみ。
振るった際に一番速度と重量が乗る位置に配置したってことか。なんとも玄人好みでおもしれえ拵えじゃねえか」
ダグさんは再びヒャッと短く笑う。
「しかも、鍛造の仕方がまた良い。幾度叩いて折ってやがる? 千や二千じゃねえ。万に近い折り返したあ、俺っちからしても恐れ入るぜ。
こいつを打った鍛冶師は、相当な手練れだなあ、おい」
パン! と膝を叩いて笑うダグさんから、そっと目を逸らす。
……スイマセン、それ、俺が作りました。
しかも、うろ覚えの知識を広げに広げて、頭の良い俺にサポートして貰いながら打った、イメージだけが先行した素人の一品です、それ。
事情を知っているおっちゃんも、流石に空気を読んでか微妙な表情で口を噤んでいる。
「中々に眼福だった。しかし、なんで剥き出しなんだ? 小僧、鞘はどうした?」
「その鞘を作るためにここに来たんだよ」
不思議そうな顔で俺に剣を渡しながら言うダグさんに、代わりにおっちゃんが用件を話す。
「なんでえ、だったら早くそう言え。小僧、やっぱりその剣俺っちに渡せ」
再び俺の手から引っ手繰られる剣。
行ったり来たりで忙しないことこの上ない。
「興が乗ったから、大急ぎで作ってやる。明日の昼頃に取りに来い。
なーに、俺っちの矜持に掛けて、半端なモンは作らねえから安心しな。クラウドの弟分だってんなら、余計によ」
俺の剣を持ったまま、いそいそと店の奥に入っていくダグさんを、呆気にとられた表情で見送る。
……なんか、もの凄いパワフルなおっさんだな。
「つーか、言葉を挟み込む余裕が無かったんだが?」
「ま、諦めろ。ダグがああなったら、誰にも止められねえよ」
唖然とした呟きを漏らした俺に、おっちゃんが肩を竦めてそう言った。
「……しかし、腹減ったな。なんか食っていくか」
ダグさんの店を出て開口一番、おっちゃんがそう言った。
「そう言やあ、俺、随分長い間、腹に食い物入れてなかったわ」
こっちに飛ばされる前は、夕方だった。
で、エーデルワイスさんと会ってこのサウザン王国に来てから、体感時間にして半日ほど何も食ってない。
思い出した途端に腹が鳴る。
「……何でもいいから、手っ取り早く食える所に案内してくんない? 割と限界っぽいんで」
「さもしいこと言ってるな、お前さん」
両手で腹を押さえる俺を、呆れた目つきで見下ろすおっちゃんに対し、恨みがましい視線で見上げる。
「こちとら成長期なんだよ。枯れかかってる年配の御仁と一緒されても困る――」
途中で言葉を切って、俺は耳を澄ます。
微かだが、今、悲鳴が聞こえた様な……
「……坊主にも聞こえたか?」
「ああ……ってことは、間違い無さそうだな」
眉を潜めるおっちゃんに答えて、俺は再度耳を澄ました。
「――!」
「っ!? あっちだ!!」
僅かに聞こえた声の方向に向かって駆け出す。
通った事も無い裏路地だが、そんなことは一切気にならなかった。
俺は以前からよく“お人好し”と言われてきた。
困っている人が傍に居れば、可能な限り手を貸した。
物心付いたころからそうだったので、何かに影響されたのか、それとも俺自身の性分なのかは分からない。
別段、正義の味方を気取ったつもりもない。気が付いたらそうしていただけのことだった。
ただ、双葉と一緒に居た時にそういう場面に出くわした際、人助けをする俺を見て、あいつがとても優しい笑顔を浮かべていたのが今でも印象的だ。
もしかしたら、双葉は俺も知らない俺の深い部分を解っていたのかもしれないな。
「――めて、やめて下さい……助けて……」
微かに聞こえていた声を追ってきた俺は、漸く“その現場”に辿り着いた。
路地の奥、建物と建物に囲まれた行き止まりで、二人の男に足蹴にされている少女の姿。
少女が纏っているのは粗末な貫頭衣で、所々が煤け、裾はボロボロになっている。
そして少女自身も薄汚れて、艶の無い黒髪が無造作に伸びていた。
地面に横倒しにされている少女の周りには、散らばった銅貨と食べ掛けの平べったいパンの様なもの。
そんな少女を見下ろす二人の男の顔には、嫌悪とともに嗜虐を湛える下卑た笑いが浮かんでいた。
「お前みたいな“半端モン”が町の中をうろついてると、普通の奴らの迷惑になるんだよ。分かるよなあ?」
「! ご、ごめんなさい! ごめんなさい!!」
貫頭衣の裾から伸びた太腿に足を乗せられた少女が、恐怖に怯えた声で謝罪を告げる。
――なぜ、謝ってる? 君は被害者だろう?
余りの状況に、俺は頭の中が真っ白になっていた。
こんなものは、虐めなんていうレベルの問題じゃない。虐待だ。
日本で良くニュースになっていた、幼児虐待問題。
よく聞いた話題ではあるが、俺自身、壁の向こう側の問題だと思っていた。
何日も子供に食事を与えず飢えさせる親。
子供の肌に煙草の火種を何度も押し付けて、火傷させる大人。
躾と称して、実の子に殴る蹴るの暴行を働く両親。
頭のどこかで「そんな親居ねーよ」と、俺はフィクションだと信じようとしていた。
血を分けた肉親に対し、そんな悪逆を働くことのできる人間なんて居る訳が無いと思っていた。
いや、肉親に限らず、小さな子に人としてそんな真似ができるなんて、到底信じられなかった。
だが今、目の前で“それ”が行われている。
「あー……謝るだけじゃ、何も解決されないんだよ、なっ!!」
踏みつけていた足が上げられた次の瞬間、男の一人が少女の太腿辺りを力一杯蹴り上げた。
「ぎゃうっ!?」
魂消る悲鳴を上げながら、少女の小さな身体が宙を舞う。
その瞬間、俺の中で何かがブチ切れた。
「っの、クソ野郎があっ!!」
「がぁっ!?」
一気に走り込んで、少女を蹴り上げた男の顔面に、飛び膝蹴りを食らわす。
メキッと音を立てて、数本折れた歯と血を撒き散らしながら、男が地面に倒れた。
「なんだこのガキャあ!?」
突然現れた俺と地面に倒れた男を交互に見やりながらも、もう一人の男は俺に向かって殴りかかってきた。
が、俺はその男の腕を左手で巻き込むように捌き、左足から始まる螺旋運動から全身を通して集めた力を右掌に集めて、踏み込みと同時に一気に相手の腹に向かって押し込む。
「ぐぼぁ!」
俺の一撃を食らった男は、醜い呻き声を上げながら背後の壁に向かって吹き飛んで行った。
「こ、このガキ……魔術を使いやがるのか!?」
石畳みに膝をつきながら、先ほど飛び膝蹴りを食らった男が憤怒と驚愕が混ざった様な表情でがなり立てる。
「あ? 魔術だぁ?」
だがしかし、俺はそいつを蔑んだ目つきで見下ろしながらこう言った。
「テメエら如き相手すんのに、そんなもんに頼る必要があるか。今のは“魔術”じゃなくて“技術”だ、クソが」
よく勘違いされるが、“発勁”というのは歴とした打撃技である。
何やらモヤっとした気の塊が飛んで行って相手を吹き飛ばすとか、外側を傷つけずに内蔵そのものに打撃を与えるとか言われているが、そんなことは無い。
大体が素手による格闘技術というのは、武器を持つことが許されなかった人たちが、武器を持って襲い掛かって来る相手に対抗するために編み出した技術だ。
基本、得物有りと得物無しで戦えば、当然得物有りが勝つに決まっている。
打撃力で圧倒的に劣る素手格闘では、武器を持つ相手には到底勝ち目など無いのだ。
故に、素手による格闘――武術では、如何にして最大効率の一撃を打ち込めるかで勝敗が決まる。
そうして生まれた技術の一つが、発勁と言われる打撃技術である。
全身を使って溜めた力を、一点に集中して打ち込むという、とても分かりやすいロジック。
言葉にするのは簡単だが、実践するのは勿論難しい。
俺だって、本当に小さい頃から鍛錬を続けて、漸く会得した技なのだ。
俺みたいな小兵が大柄な相手と遣り合うには、発勁はどうしても必要な技術だった。
故に、必死になって練習して我がものとしたのだ。
閑話休題。
「……くそ。ガキが調子に乗りやがって」
俺が発勁で吹き飛ばした男が、腰に帯びていた小剣の柄に手を掛けながら、ふらふらと起き上がる。
「おっと、それを抜くんなら、俺も黙って見てられなくなるんだがな」
流石に武器を抜かれたらヤバイなと俺の全身に緊張が過るが、突然背後に現れたおっちゃんが、比較的のんびりした声でトラッピングを掛けてきた。
「んだ、テメエは!? そこのガキと一緒に始末されてえのか――」
「っ!? 馬鹿、ヤメロ!!」
小剣の柄に手を掛けたまま啖呵を切る男に向かって、口から血を流して蹲っていた男が慌てて声を掛ける。
「ああ!? なんで止めるんだよ!?」
完全に頭に血が上っている状態の男は、しゃがみ込んでいる男に対して噛みつく様な表情で文句を言った。
しかし、言われた男の方は青ざめた顔で呟く。
「あの大剣とあの形……あいつ、ザ・クラウドだ」
「げっ! マジか!?」
その一言で、小剣の柄から慌てて手を放す男。
……うーむ、おっちゃんの権威は相当なものみたいだな。
「解ったら、さっさと散りな。次は衛兵に突き出すぞ?」
そう手をぷらぷらと振りながら話すおっちゃんの言葉に従って、破落戸の二人は這う這うの体で裏路地から去って行った。
「ったく、下らねえことで時間掛けさせやがって……」
そうぼやきながら肩を竦めるおっちゃんを無視して、俺は倒れた少女の元に駆け寄る。
「……酷え事しやがって」
しゃがみ込んで確認すると、少女は気絶していた。
悪いとは思ったが倒れている少女の身体を触診してみると、右大腿骨と左前腕の骨が折れているのが解った。
「……あー、なるほど。“これ”が原因か」
俺の背後から覗き込んできたおっちゃんが、得心したかのように言う。
「何がだよ?」
少女の状態を見た俺が、奥歯を噛み締めながらくぐもった声で問うと、おっちゃんは俺の背中越しに手を回して、少女の頭を指さす。
「ほれ、この嬢ちゃん半獣人だ」
おっちゃんが示した少女の黒髪の天辺。そこには、一対の犬耳が生えていた。
「……ケモミミだ」
状況が状況だと言うのに、思わず俺の口からそんな言葉が零れる。
「あん? 何だか解らんが、この嬢ちゃんの場合、半分っつーよりも四分の一って感じだな。
人族の血の方が濃いみてーだ」
その言葉に、俺は改めて少女を見下ろす。
確かに、さっき街中で見た獣人族に比べると、顔つきは完全に人のそれだ。
身長は140㎝くらい。双葉とほぼ同じだな。
年のころは10歳前後か?
年齢からすると仕方無いのだろうが、その慎ましやかな胸部からも我が双子の妹を彷彿とさせ、俺に更なる庇護欲を掻き立たせるというか何というか。
そして、良く見れば、貫頭衣の裾から髪と同じく黒い尻尾が出ている。先端は白いが。
そう言えば、右耳の先っぽも白いな。
ガキの頃に家で飼ってた雑種の小型犬みたいだ。
……っと、そんな事よりも、だ。
「とりあえず、祈り手のところに連れて行かなくちゃ」
「待て坊主」
立ち上がる俺の肩を、おっちゃんが掴む。
「何でだよ? このまま放っとけって言うのかよ?」
「そうじゃねえ。だが、今この嬢ちゃんを祈り手のところに連れて行ったら、この嬢ちゃん間違いなく死ぬぞ?」
怪訝な表情で見上げると、おっちゃんは真剣な顔つきで答えた。
「な……」
「良く見ろ、衰弱が激しすぎる。真面に食ってないんだろうよ。祈りの魔術に耐えられる体力がある様には見えねえ」
おっちゃんの言う通りだった。
粗末な貫頭衣から伸びる手足は細く、苦痛に歪められた頬はこけてしまっている。
治療するに当たって体力を消耗するらしい祈りの魔術では、確かにこの娘の命が危ない。
そんな事にも気付けないほど、俺は焦っていた様だった。
「じゃあ、どうすれば……」
「とりあえず、俺が応急手当をする。骨折した箇所に当て木をして骨を固定して……」
少女の脇にしゃがみ込んでぶつぶつと呟くおっちゃんを見下ろしつつ、俺は両手をきつく握りしめた。
こんなに痩せ細って体力が落ち切った子に応急で治療をしたところで、元通り歩けるようになるのか?
骨の固着が綺麗に行かずに歪んだ状態で治癒しちまったら、真っ当に動くことも出来なくなるだろう。
ただでさえこんな身なりで最底辺の生活をしている様な子が、そんな状態になったら……生き続ける事そのものが難しくなるに違いない。
それは嫌だ。
こんなものは俺の我が儘でしかないけど、小さな子供が苦しんで生きて行かなくちゃならないなんて……それを見ている事しかできないなんて、我慢ができない。
『『だったら、俺の我が儘を貫き通そう』』
『『おう。そのための魔法だろ』』
『『エゴをぶつけて世界を改変させるのが魔法なら、まさにここが使い時だよな』』
平行世界の俺も、皆同じ考えの様だ。
だったら、やるべき事はただ一つ。
「……おっちゃん、ちょっとどいてくれ」
「あん? どうした坊主……って、まさか」
怪訝な表情で俺を見上げるおっちゃんが、頬を引き攣らせる。
「ああ。俺の魔法でこの娘を治療する。だからおっちゃんは他人が近寄ってこない様に見張っててくれ」
町の裏路地の奥まった行き止まりとはいえ、誰か来ないとも限らない。
魔法を使った際に派手なエフェクトが出る訳でもないが、用心に越したことは無いだろう。
「……へいへい、分かったよ。ったく、この坊主ときたら、本当に……」
億劫そうに立ち上がるおっちゃんだが、その声に嫌がる素振りは感じられない。
なんだかんだ言って、このおっちゃんも大概お人好しみたいだ。
俺たちから少し離れて立つおっちゃんの背中を確認して、俺は少女に向き直る。
「――アクセス」
『『魔法行使の目的を』』
(目の前の少女の治療を)
『『患部を診察。磁力の波を当てて、状況を確認する事を推奨する』』
『『その後、骨折した骨を正常な位置に戻し、結合。周囲からカルシウムを集め、接合の補助とする』』
『『最後に炎症を起こしている箇所から溜まった熱を外部に放出。患部を冷却する』』
『『以上を対象の右大腿部及び左前腕部に同時に行う』』
『『イメージ統一』』
『『イメージ統一』』
『『イメージ統一……完了』』
(オーダー実行。オペレーション開始)
左右の掌を少女の右太腿と左前腕に翳すと同時に、張れあがっていた箇所が見る見るうちに治まっていく。
心の中で謝りつつ、少女の患部に手を触れて確認すると、熱は既に引いていた。
「……はぁ、良かった」
安堵の溜め息と共に少女の顔色を見ると、先ほどまでの苦痛に歪んだ表情は治まり、穏やかな寝顔が見て取れた。
その表情を見て、自然と微笑みが浮かんでくる。
やっぱり、女の子は穏やかな顔の方が良いに決まってるよな。
「……っと、服の裾が捲れちまってたな。直して――はい?」
治療の際に患部を露出させる都合上、女の子の貫頭衣の裾を僅かに捲り上げていた。
それを直そうと手を伸ばした時、僅かに身動ぎした彼女の行動により、その奥が見えてしまった。
履いてなかった。
それはもう、見事に履いてなかった。
少女のピュアな部分が丸見えだった。
「な――!?」
不埒な事を考えるよりも先に、血の気が引いて行く。
まさか、さっきの奴らに乱暴をされたんじゃ――
「おっちゃん!」
「あ? もう終わったのか……って、どうした坊主!?」
血の気が引いた俺の顔色を見て、振り向いたおっちゃんが険しい表情を浮かべる。
魔法が失敗したのかと思っているのか、真正面から俺を見つめてくるおっちゃんに、俺は慌てて尋ねた。
「おっちゃん、その辺にこの娘の下着が落ちてないか!? この娘、下着を着けてないんだよ!
もしかして、さっきの奴らに乱暴されたんじゃないか――って、おっちゃん?」
俺の言葉を途中まで聞いたおっちゃんが、額に手を当てて深い溜め息を吐く。
「あのな坊主……この嬢ちゃんの形を良く見てみろ」
言われた通りに、改めて少女を見る。
「裕福そうに見えるか? 見えねえだろう?」
「それは、まあ……」
だから何だって言うのか?
今一つ、おっちゃんの言っていることが良く解らない。
「お前の所じゃどうだか知らねえが、こっちじゃ下着ってのはある程度高級品なんだ。普通の暮らしをしてる町民だって何枚も持ってる訳じゃねえ。
そんな物を、どっからどう見ても極貧層のこの嬢ちゃんが着けてると思うか?」
何と! 新事実発覚。
この世界の下着は、嗜好品の部類に属するらしい。
『『ということは、エーデルワイスさんもノーブラ・ノーパン?』』
『『いや、あの人の事だから、ブラはともかく、パンツはシルクとか履いてそう』』
『『お金必要ないしね。魔法で出せるしね』』
『『み・な・ぎ・っ・て・ま・い・り・ま・し・た!!』』
漲るな。
「そっか……いや、びっくりしたよ。俺はてっきり、さっきの奴らに性的悪戯でもされたのかと……」
「勘弁してくれよ“性少年”。俺はてっきり治療に失敗したのかと思ったぜ?」
頬を掻きながら言う俺に、おっちゃんは腕組みしながら微妙な視線を向けてきた。
……つーか、“青少年”のニュアンスが少しおかしく感じたんだが……?
「それはともかく、これからどうすんだ?」
眉を顰めて問うてくるおっちゃんの言葉に、俺は沈黙で答える。
おっちゃんの言いたいことは解る。
この娘の処遇をどうするかって事だ。
こんな路地裏の奥まった場所で、一人寂しくパン擬きを齧っている様な子だ。恐らく、親類縁者は居ないだろう。
ここで何事も無かった様に捨て置けば、きっと今回と同じような状況に陥って、次は恐らく命を落とすことになるに違いない。
かと言って、一緒に連れて行くにしたって、誰がこの子の面倒を見る?
この世界の生活基盤が整っていない俺には到底無理だし、俺の我が儘が生んだ結果を、おっちゃんに背負わせる訳にも行かない。
それだけは絶対にダメだ。
じゃあ、やっぱりここに置き去りにして、見て見ぬ振りをするか?
違うだろ。
そんなことをするくらいなら、初めから助けなけりゃ良かっただけだ。
だったら、答えなんて一つしかない。
「……なあ、おっちゃん。
ハンターってのは儲かるのか?」
俺が出した答え。
それは、この世界での俺自身の生活基盤を早々に整えるという事だった。