剣とおっちゃんと魔物
「うあ~……酷い目にあった」
もうこれ以上何も出ません! というまで胃の中身をぶちまけた俺は、清流の水を手で掬って口を濯ぐ。
「全く、どこぞの武装した錬金術師のキメ台詞じゃねーんだから……これ以上は本気でハラワタぶちまけることになりかねねーぞ?」
手の甲で口元を拭い、腰を伸ばす。
後ろは振り向かない。
だってそこには、たった今ぶちまけた汚物がモザイク掛かって展開しているんだから。
「さて……先ずはやる事をやっちまおう」
自分に言い聞かせるように声に出して、俺は精神を集中すると、両手を前に突き出した。
「(高速思考開始、量子演算起動)」
自身の内に埋没し、世界を変革させるために魔法を行使するためのキーワードを唱える。
エーデルワイスさん曰く、慣れれば問題なく魔法の行使が可能らしいが、初めの内は自分自身が世界の理を変革させるための下準備として、集中しやすい様に自己暗示をかけると良いと言っていた。
よって、俺は自身への自己暗示のためのキーワードを「アクセス」と設定したのだ。
何故この言葉にしたかというと、平行世界の俺自身へ「今から魔法を使うから、演算能力を借りるぞ」と問いかけるのに分かりやすいと思ったのと、「今から高速思考を使う」という意思を表すのにも都合が良さそうだったからだ。
……何れはこんな思考のタイムラグを生まずに魔法を使えるようになりたいものだけど。
まあ、俺の都合はこの際置いておいて、とりあえず砂鉄を集めよう。
『『魔法行使の目的は?』』
(とりあえず、砂鉄5㎏分の収集)
『『その後は?』』
(インゴットの精製。一度高熱で溶かして不純物を取り除く)
『『それから冷却。再び過熱。圧縮を掛けて折り曲げながら、イメージ通りの形に成型していく』』
『『鍛造。熱を加え、叩き、冷やし、また熱を加えて叩いて冷やすを繰り返す』』
『『工程速度を高速化。イメージを統一し、齟齬を消す』』
『『さあ、俺が望むオーダーは?』』
(全長170㎝。刃渡り130㎝。柄は40㎝。刃幅は10㎝。刃厚1.5㎝。中央を扁平に。鍔は不必要。剣先に向かってやや先細り。両刃大剣。カッティング・エッジは剣先から40㎝。刀身と柄は一体成型)
『『イメージ統一』』
『『イメージ統一』』
『『イメージ統一……完了』』
『『オーダー了承。我が愛剣を鋼にて打ち直す』』
流石は平行世界の俺。元の世界で使っていた、俺の概念武装をモチーフにしたイメージを直ぐに理解した様だ。
『『錬成開始……終了』』
『『鍛造開始……完了』』
『『錬成及び鍛造の全工程完了を確認』』
(了解。魔法工程を終了する)
閉じていた目を開けると、俺の目の前には陽の光を反射して輝く、一振りの大剣があった。
僅かに震える手で柄を握り、正眼に構える。
ズシリとした重みが心地良い。
5㎏の砂鉄を集めたが、錬成過程で不純物を取り除いたことによって、凡その重量は3~4㎏程になっている。
試しに幾度か虚空に向けて剣を振ってみた。
「……うん。重心は問題ないな」
言葉に出して呟いた後、脇構えに変えて大きく振り抜く。
これも重心の問題はなさそうだが、鋼むき出しの柄では僅かに手が滑る。
「滑り止めを考えないとダメか……あと、流石に刃むき出しは拙いよな」
「じゃあ、柄にこいつを巻いておけ」
横から差し出された薄手の皮ベルトを受け取る。
「おお、こいつは良いものだ。薄いのに丈夫だし、表面のざらつきも丁度いい」
「ああ、俺のお勧めよ。それと鞘は専門家に任せた方が良いぜ? それまではこっちの皮ベルトを巻いて持ち歩いとけ」
先ほどの物よりも厚みと幅の広い皮ベルトを受け取って、刀身に巻き付ける。
カッティング・エッジをメインに覆う様に巻き付けると、なるほど、簡易的な鞘の役割を果たしてくれそうだ。
「うーむ。良いな、この感じ。そこはかとなく、流浪の剣士って見た目になってきた」
皮ベルトを巻き付けた剣を眺めながら、俺は満足げに頷いてみせる。
「はっ。そいつは良かったな」
「ああ、色々とありがとう――って、誰ーっ!?」
盛大なノリ突っ込みを行いながら、大きく飛び退る。
「おいおい、ご挨拶だな坊主。人が親切心から世話焼いてやったってのに」
腰に手を当てつつ片眉を顰めるその人物を、俺は油断なく観察する。
背丈は190㎝を超える位にデカく、年の頃は40台前半といったところか。
肌は陽に焼けて浅黒く、後ろに向かって撫でつけた髪も、その肌と同じように濃い茶色だ。
俺を眺めるその瞳は、今は片方を顰められているが、日本人の俺と同じく漆黒。
地球の基準に照らし合わせれば、ラテン系だろうか?
長身と言ってもひょろ長い訳では無く、その体つきは筋肉質。しかも、“魅せる”ための筋肉ではなく“動かす”ための筋肉であることが見て取れる。
そして、その背中に背負った大剣。
先ほど俺が魔法で鍛造した剣に比べても一回り大きく、分厚い。
重量に至っては、倍近くあるんじゃないだろうか?
某「剣の範疇を超えた鉄の塊(鉄板焼きにも使用可)」に比べれば軽いだろうが、それにしたって、人が振り回すにはデカすぎるだろ? あんなの、掠っただけで肉ごと骨を持っていかれるぞ?
だが、このおっさんに関しては、問題はそんな見た目なんかじゃない。
一番の問題点は、俺が“一切このおっさんの気配に気付けなかった”って事だ。
まあ、確かに俺は半人前退魔師だったし、元の世界で「達人」と呼ばれる武芸家の人達は殺気やら何やら、気配を抑える術に長けてはいたけど、こんな直ぐ脇に居たのに「空気と同レベル」で気配を感じさせない人物なんて、お目に
掛ったことは無かった。
……一体、何者なんだよ、このおっさんは?
「なんだあ? 今度はだんまりかよ?」
「あ、いや、どうもありがとうございました」
フンスと鼻息を荒くするおっさんに、とりあえず頭を下げる。
「おう。なんだよ、ちゃんと礼儀は弁えてんじゃねえか」
ちゃんと礼を取ったのが功を奏したのか、おっさんは口元を歪めて笑った。
未だ得体の知れないおっさんを前にして心臓が縮む思いをしている俺だったが、その表情を見て、少し緊張が解れた。
「ところで、あなたはどちら様でしょうか?」
自分でも硬い問い方だとは思うが、ここで警戒心を解く訳にも行かない。
だが、おっさんは俺のそんな心配を他所に、手をぷらぷらさせながらこう言った。
「あー、硬え硬え。もっと気軽に話せや。坊主くらいの年の奴なら、もちっとフランクに話すもんだぜ?」
「はあ、そうですか……じゃなくて、そうかな?」
おっさんの言う通り、少し砕けた物言いをする。
「そうそう、そんなんで良い……っと、俺の事だったか?」
満足げに頷いた後、おっさんは自身の顔に向かって人差し指を向けながら聞いてきた。
そのジェスチャーに対して俺が無言で頷くと、おっさんは軽く肩を竦めつつこう言った。
「俺は通りすがりの“ハンター”で、名前は、あー……「ジャック」ってモンだ」
「……えーっと、偽名?」
「なんでだよ!? 本名だよ!」
胡散臭げに言った俺の言葉に、おっさんが目を剥いて反論する。
……だってなあ。
「つーか、なんで偽名だって思うんだよ? 前にどっかで会った事でもあるのか?」
「いやあ……なんか、名乗る前に微妙に間が開いたし? 目線も泳いだし?」
慌てるおっさんの質問に、俺は半眼で答える。
「くっ……この坊主、しっかりこっちを観察してやがる」
悔しそうに歯ぎしりするおっさん。
つーか、「通りすがりのハンター」って何だよ? 狩人か?
その無駄にデカい大剣で、猪でも狩るのか?
「ったく、食えねえ坊主だぜ」
相変わらず胡散臭げに見据える俺に、おっさんは渋い顔でボリボリと頭を掻く。
「言っとくがな、ジャックは本当に俺の本名だ。
俺の場合、本名よりも通り名の方が有名なんでな。さっきはどっちを名乗ろうか迷ってたって訳だよ」
「へえ、通り名ねえ……なんか、カッコいいじゃん」
いいね、中二病的で。
「閃光の○○」とか、「紅蓮の○○」とか。男心を擽るぜ?
「そんないいモンじゃねえがな。色々メンドクセエ事とか背負うことになるし、行く先々で厄介事押し付けられるし。
あとメンドクセエ」
ちょっとワクワクしている俺に、おっさんは深い溜め息を吐きながら心底面倒臭そうに言った。
「2回もメンドクセエって言うなよ……で、おっさんの通り名って?」
「おっさん言うな! 地味に傷つくじゃねえか。
……ったく、聞いても驚いたりビビったりすんなよ?」
いったい何に驚いたりビビったりすればいいのか解らんが、おっさんは深い溜め息を吐きながらこう言った。
「……「クラウド」だ。「ザ・クラウド」が俺の通り名――“字名”だよ」
「クラウド……雲、ねえ。なんか、見た目に反して妙にフワフワしてない? しかも定冠詞までとか……って、なんでそんな変な顔してんの?」
おっさんの告白に正直な感想を述べた俺に対し、当の本人はポカンとした表情を浮かべている。
「坊主……お前、俺の字名を聞いて、何も思うところは無いのか?」
思うところて。
「いや、感想は言ったぞ? 見た目に反して妙にふわついた感じだって」
「そういうことじゃなくてだな……うあ~。お前、どこの田舎から出てきたんだよ?」
地球の日本という田舎からですが、何か?
「だがまあ、変に身構えられるよりはマシか。俺としても、気楽でいいや。
とにかく、だ。そういう訳だから、俺の事は「ジャックさん」と呼べ」
「何だか良く分からんが、宜しく“おっさん”」
苦笑を浮かべながら言うおっさんに答える。
「おっさんじゃねえって言ってんだろ!」
「悪い、ジャックのおっさん」
ギャーギャー喚くおっさんに対し、敢えて冷静に答える。
……当初の印象よりも、揶揄い甲斐のありそうなおっさんだという事が良く分かった。
「はあ……もういい。好きに呼べよ」
あーだこーだ(最後には必ず「おっさんじゃねえ!」と言っていた)喚き散らしていたジャックのおっさんは流石に諦めた様で、河原の大きめの岩にドッカと腰を降ろして頭を掻く。
「そーか。じゃあ親しみを込めて“おっちゃん”で」
「大して変わってねえじゃねーか……」
胸を張って言った俺に、おっちゃんは深く溜め息を吐きながら項垂れた。
「で? 坊主の名前はよ?」
「え、俺?」
疲れ切った顔で尋ねてくるおっちゃんに、キョトンとした顔で返す。
あれ? 俺、まだ自己紹介してなかったっけ?
「坊主、お前……散々俺の事おっさんおっさん言っといて、自分の名前を言ってないこと忘れてたとか言うんじゃねーだろうな?」
「悪い、忘れてた」
苦虫を噛み潰した様な表情のおっちゃんに、素直に頭を下げる。
「いーよ、もう……で、坊主の名前は?」
呆れたように手を振るおっちゃん。
「ああ、俺の名前は蓮沼 円。未だ見ぬ新天地を目指して突き進もうとしている、ピチピチの17歳だ!」
ぐっ! と自分に向かって親指を突きつけ、胸を張る。
開拓魂を忘れた大人達よ、刮目して見よ!
「ハスヌマツブラ? 随分長ったらしい名前だな、おい。
……つーか、17だと!? 10かそこらかと思ってたぞ!?」
驚愕の表情を浮かべつつ叫ぶおっちゃんの言葉に、俺のこめかみにビキリと血管が浮かんだ。
「うるせえ! 身長が無えのは解ってんだよ! あと、童顔で女顔なのもな!!
にしたって、中坊に間違われたことはあったけど、小学生に間違われたなんて、流石に初めてだぞ!?」
先ほどまでとは立場が一転し、俺はおっちゃんに向かってギャーギャーと喚き散らす。
「あと、ハスヌマツブラじゃねえよ! 蓮沼が苗字で、円が名前だ!」
何だよ「ハスヌマツブラ」って! ヒンドゥー教あたりの神様かよ!?
「あん? 苗字だぁ?
……坊主、お前、貴族なのか?」
眉を潜めて尋ねてくるおっちゃんの言っていることが、びた一文わからない。
どう見たら俺が貴族に見えるんだ? 水晶体が曇ってるのか? 白内障か?
『『テンプレ的な中世ヨーロッパ事情なら、普通、一般人は苗字なんて持ってないぞ?』』
『『日本だって、昔は農民なんかは名前だけだった』』
『『一部の商人や武士階級だけだっけ? 氏を名乗るのが許されたのって?』』
(おっちゃんだってクラウドとか名乗ってるじゃん)
『『あれは通り名だろ? 字名とか言ってたし』』
『『ニックネームとかそんなん』』
『『おっちゃんの言いっぷりからすると、もっと重要な感じはするけどな』』
「……なあ、おっちゃん。この辺じゃ、貴族以外は苗字が無いのか?」
脳内会議で集めた情報を元に、おっちゃんに尋ねてみる。
「ったりめーだ。苗字持ちなんて、貴族の輩以外はまず居ねーよ」
「……そっか。俺が住んでたところじゃ、普通にみんな名乗ってたけどな」
肩を竦めるおっちゃんに、俺は顎に手を当てつつ答える。
……なるほど。この世界のパンピーは、苗字が無い、と。
「で、ツブラだっけか? 見たところイストから来たみてーだが……こんなサウザン王国の辺境くんだりまで何しに来たんだ?」
不思議そうな目を向けてくるおっちゃん。
イスト……イスト諸島皇国、だっけか? エーデルワイスさんから聞いた限りじゃあ、東の諸島国家だったよな?
つーか、俺の見た目からそう言ったのなら、この世界にもモンゴロイド系の人種が居るって事か。
それよりも……
「サウザン王国? おっちゃん、ここはサウザン王国なのか?」
「はあ? 何言ってんだお前さん? 当たり前だろうが」
俺の問いかけに、呆れた表情でおっちゃんが言う。
……そっかー。南に飛ばされたのかー。
エーデルワイスさん、何処に転移するって言ってなかったもんなあ……
きっと今頃、
『あらあらうふふ。お姉さん、失敗しちゃった♪(てへぺろ☆)』
とかやってるかもなあ……
「なあ坊主、お前……本当に何者なんだ?」
頭の中でエーデルワイスさんがペ〇ちゃん顔になっている姿を想像していた俺に、おっちゃんは幾分声を低めて尋ねてきた。
「何者って言われても……」
「その剣を錬成していた魔術にしても、普通じゃなかった。
“陣”も“触媒”も無しに物質変換するなんざ、普通の魔術師には到底ムリな話だ。しかもお前、呪文も唱えていなかっただろ?」
……あのタイミングで出てきたんだから、まあ、見られてただろうなあ。
「あのな、おっちゃん。いつから見てたんだよ?」
質問が“詰問”に変わりつつある。なんとなく嫌な雰囲気になってきた。
「あぁ? そりゃお前、坊主がゲーゲー吐いてたところからだよ。
つーか、話題逸らそうとしてんじゃねえ」
あ、やっぱりダメか。
それよりも、初めっから覗いてたのかよ! って突っ込みたかったが、おっちゃんの目が凄え鋭くなってきたんで、とりあえず飲み込んだ。
「“詠唱無し”で中級以上の魔術行使が出来る様な奴が、誰でも知ってる様な事が解らねえときた。
見た感じも話した感じも、腹に一物抱えてる様な野郎には見えねえが、事と次第によっちゃあ……」
っ!? ……くそ、なんて殺気ぶつけてきやがるんだ、このおっちゃんは!?
危うく剣の柄に手が伸びるところだったじゃねえか。
「ちょ、ちょっと落ち着けよ、おっちゃん!」
じゃりっと半歩下がって両手を上げる。
それでもあの大剣の間合いから外れたとは思えないが、今後の選択肢を広げるためにも、今は少しでもおっちゃんから離れておきたかった。
「……」
そんな俺の思惑に気付いている様で、おっちゃんはかなり据わった目つきで油断なく俺を見据えている。
『『当てられてるプレッシャーが半端ない』』
『『間違いなく達人レベル……いや、下手すりゃもっと上だぞ?』』
『『やべえな……下手に動いたら、ずんばらりんと行くな、俺が』』
……縁起でもねえ。
「ほぉ……俺の殺気に反応するくらいには“デキる”ようだな。
だが、解ってると思うが、“そこ”は未だ俺の間合いだぞ?」
「言われなくても解ってるよ……」
口元を歪めるおっちゃんの言葉に、俺の頬を冷や汗が伝う。
ああもう! なんだっていきなりこんな剣客商売みたいな展開になってるんだよ!?
ただでさえ足場の悪い河原で、相手は確実に格上。
対抗するにも、作ったばかりの剣は、試し斬りすらしてねえと来たもんだ。
しかも、俺は木剣や模擬剣での鍛錬はしたことがあっても、真剣での斬り合いなんざやったことは無え。
いくら退魔師だって言っても、法治国家日本で人間同士の命の取り合いするなんてのは、ヤの付く自由業の方々くらいだぞ!?
「で、どうすんだ坊主? お前の正体と目的をゲロっちまうか、それともここで俺と遣り合うか?
どっちにするかは坊主が決めな」
おっちゃんは腰かけていた大きめの石から立ち上がると、鷹揚にそう言った。
さっきまでのフレンドリーさは欠片ほども残っちゃいない。
完全な人殺しの目だ、あれ。
「その二択を突きつけてくるのは解らんでもないけど……言ったところで、おっちゃんは信用しないと思うぞ?」
「そんなモンは聞いてみなけりゃ解らんが……そのセリフが出たってことは、“手っ取り早い”方で良いってことだな?」
そう言うおっちゃんの顔から表情が消える。
目線、顔の筋肉、眉の位置。それら全てから剣筋を看破されない様に、完全な無表情を作っている。
……チクショウ。このおっちゃん、完全な昼行燈じゃねーか。
「先に言っとく。俺に魔術は通用しねえぞ? 生まれながらにそういう体質なんでな。
まあ、呪文詠唱させる暇なんかやらねえけどよ」
「っ!?」
言うや否や、鉄塊の様なダンビラが振り下ろされた。
速すぎる。抜いた手なんて、一切見えなかった。気付いた時には既に刃が目の前にある。
だが……
(おっちゃん。俺が唯一あんたを出し抜けるとしたら、あんたが俺の事を“魔術師”だと勘違いしてるって所だ!
アクセス!!)
『『魔法行使の目的を』』
(目の前の鉄塊を遮る盾の生成)
『『材質は鋼』』
『『却下。鋼程度の強度では、あの凶器は防げない』』
『『ならば、空気を圧縮。不可視の防壁の生成を提案』』
『『了承。空気の圧縮層にて攻撃を防ぐ』』
『『展開範囲は体の正面から240度。剣圧の巻き込みを考慮』』
『『受けた衝撃は全て後方へ。正面から受けると、ノックバックの可能性がある』』
『『了解。イメージ統一』』
『『イメージ統一』』
『『イメージ統一……完了』』
『『魔法工程の演算完了』』
(オーダー実行!)
この間、身体は一切動いていない。思考のみが加速し、世界の理を変革させるための演算が行われる。
その結果……
「な……にぃ!?」
俺の身体に当たる寸前、おっちゃんは刀身を横に寝かせた。
恐らく刃の腹で俺の肩口を殴って、骨を折ろうとしたのだろう。
だが、その剣は俺に当たることは無く、俺の肩から5㎝ほどの空間で止まっていた。
そして次の瞬間、俺の背後に向かって“ボッ!”なんていう、聞いたこともない様な音と共に、空気の塊がもの凄い勢いで流れていく。
「馬鹿な……魔術障壁で俺の剣が止まる訳が……」
「――何を言ってるのか良く分かんねえけどな、おっちゃん。俺は“魔術師”じゃない」
呆然とするおっちゃんの間合いからゆっくりとした歩調で離れつつ、俺は上着の埃をパンパンと払いながら言う。
「俺は“魔法使い”だ」
「魔法使い……だと?」
おっちゃんの両目が更に大きく見開かれる。
「ああ。とはいえ、まだ初心者もいいところだけどな」
おっちゃんから向けられる殺気は無くなったが、それでも気を抜く訳にはいかない。
俺はそう答えながらも、油断することなく全身に緊張を漲らせていた。
「マジか……いや、あの物質変換といい、今の障壁といい……詠唱すら無し……」
大剣を地面に突き刺して、おっちゃんが何やらブツブツと呟いている。
「……おい坊主。今の障壁をもう一度出してみろ」
自分の世界に入り込んでしまったおっちゃんを怪訝な表情を浮かべて眺めていた俺に、おっちゃんは突然そう言ってきた。
「あん? ……まあ、いいけど」
さっき使った圧縮空気の防壁なら、いざというときには身を守れるしな。
「――ほれ、張ったぞ?」
一度使った魔法なので、イメージの構築が楽だ。
頭で思い浮かべただけで、俺の目の前に防壁が完成した。
「……ちょっとそのまま動くなよ?」
そう言いつつ、おっちゃんは俺に向かって右手を翳しながら近付いてくる。
そして、さっきと同様に俺の身体から5㎝ほど離れたところで止まった。
「……破れねえ。マジで魔術じゃなくて魔法かよ……」
唸る様に呟いたおっちゃんはその場でしゃがみ込むと、両手で頭を抱えた。
なんだか良く分からんが、おっちゃんにとっては随分とショッキングな出来事らしいな。
「よく分かんないけど、もう良いのか?」
「……あー、そうだな。もういい。理解した」
何が何やらチンプンカンプンな俺を、おっちゃんが疲れ切った表情を浮かべて見上げる。
そう言われてみたものの、念のため防壁は展開したままにしておこう。
何しろ、問答無用で鎖骨を折られそうになったんだからな。用心に越したことは無い。
「っと……坊主が魔法を使えるってことは解った。
だがな、その事は俺以外の奴には言うんじゃないぞ?」
「……? なんで?」
立ち上がりながら真面目な表情でそう言うおっちゃんに、思わず首を傾げる。
「何でって、お前……」
はあ……と盛大な溜め息を吐きながら、おっちゃんは頭を掻いた。
おいおい、そんなに呆れられる様な事なのか?
「いいか、坊主? 俺の知る限り、この世の中で魔法を使える奴は、ただの一人も居ねえんだよ」
……なるほど。呆れられてもしょうがない事だったらしい。
「……嘘だろ?」
さっきまでとは逆に、俺は呆然とした表情でおっちゃんに問う。
「嘘じゃねえ」
だが、おっちゃんは渋い顔でそう答えた。
「いや……ただ単におっちゃんが知らないだけかも知れないじゃんか」
それでも食いつく俺に、おっちゃんはゆっくりと首を振って言った。
「坊主……いや、ツブラ。俺はな、こう見えても結構大きい力……権力って言ってもいい。そんなモンを持ってるんだ。情報に関してなら、ぶっちゃけ国家機密レベルの案件だって知ってることもある」
腰に手を当てて嘯くおっちゃんに、こっちは言葉もない。
「そんな俺が、“魔法使い”なんて輩を知らないってことは、そんな奴らは存在しないって事と同義なんだよ。
……ああ、正確にはもう一人いたっけな」
「ほらみろ。やっぱり居るじゃねえか」
顎に手を当てながら明後日の方向を見やって呟くおっちゃんに、俺は胸を撫でおろした。
流石に世界で一人とか、ちょっと無いわー。
「馬鹿言ってんじゃねえ。そのもう一人ってのは、“失われた都”に住む白龍姫の事だよ」
『『もう一人の魔法使いは人外だったでござる』』
『『うわー……エーデルワイスさん、そんなこと一言も言ってなかったよな?』』
『『基本、“それが出来る”人ってのは、“それが出来ない”人の事を理解することが難しいそうだが』』
『『龍だしな』』
『『ああ、龍だもんな』』
『『龍じゃ仕方ないよな』』
(エーデルワイスさんーーーーーっ!?)
思わず心の中で大絶叫した。
つーか、そういう大事な事は教えておいて欲しかったよ、本当に!
『『とはいえ、魔法の特質上、一般人には使うことができないというのは、既に確認したことだったと思うが?』』
だからって、俺以外は龍くらいしか使えないなんて思わなかったし。
『『異世界転移して来る様な輩は、一般人ではない』』
『『普通に生きて、普通に暮らし、普通に死んでいくのなら、魔法なんて必要ないしな』』
『『俺が普通ではないと言っている俺ガイル件について』』
『『異世界転移して来る様な(略』』
うるさいよ俺。
「そういう訳で、現状この世の中で魔法を使える人族なんてのは、坊主一人だけなんだよ。
ここまで言えば、さっき俺が言った事の意味は解るな?」
「……俺が魔法を使えるってことが解れば、周りから厄介事が寄ってくるって事か……」
おっちゃんの言葉に、思わず呻き声が出る。
なんてこったい。便利なチート能力かと思ったら、下手に使えば厄介事の種になるとは……
「そう言うこった。まあ、俺の口からは絶対に言わないから安心しろ」
『これ以上、厄介事を背負いたくないしな』というおっちゃんの呟きを、俺は聞き逃さなかった。
「ともかく、だ。坊主が“訳あり”だってのは良く分かった。
だが……お前、まだなんか隠してるだろ?」
フンっと鼻から息を吐いて、おっちゃんが俺を見る。
さっきみたいな剣呑さは無いが、いいから全部話しちまえっていうオーラがひしひしと感じられる。
『『何となくだが、このおっちゃんになら話しても大丈夫そうな気がする』』
『『とりあえず、エーデルワイスさんの事を隠して説明することに一票』』
『『あー、それ賛成』』
『『この上あの人(龍)と知り合いだなんて言ったら、このおっちゃんどうなるか解らんからなあ』』
『『現状で数少ない、異世界に於ける知人を増やすという意味で同意』』
『『さっきの言いっぷりからして、異世界の情勢に詳しいと見られるので、情報源としても有用かと』』
そうだな。このおっちゃんと友誼を結ぶにあたって、本当の事を話しておくべきかも知れない。
「……分かったよ。さっきも言ったけど、恐らく信じて貰えないとは思うが、全部話すことにするわ」
俺はそう前置きをした後、ここまでに起こった成り行きを話し出したのだった……
「……ツブラ。お前、疲れてるんだよ」
エーデルワイスさんの事を誤魔化しつつ説明した俺に対するおっちゃんの第一声がそれだった。
「おい、そのス〇リーみたいな物言いは止めろ」
「誰だよそいつは……つーか、お前それ、本気で言ってるのか?」
互いに向き合って河原の石に腰を下ろしつつ、俺とおっちゃんは仏頂面を交わし合う。
「当たり前だ。今までの説明に、嘘偽りは一切無い」
話していない事があるだけだ。
「に、したってなあ……異世界だと? なんだそりゃ? 俺の理解の範疇を超えてるぞ」
「それに関しちゃあ、俺だって同じだよ。俺に取ってみたら、この世界が異世界だからな」
本日何度目かの頭を抱えるおっちゃんを眺めながら、俺は溜め息を吐く。
必要最低限の知識はエーデルワイスさんから教えてもらった。
だが、それはやっぱり必要最低限でしかない。
今回のおっちゃんとの邂逅みたいに、俺の常識とこの世界の常識が乖離していた場合、この先もきっと同じような事が起きるだろう。
それは避けたい。可能な限り避けたい事案だ。
「うあー……魔法使いの異世界人とか、特大級の厄ネタじゃねえか。
かと言って、このまま放っぽっちまって良いもんでもねえしなあ……くそ、協会の依頼も残ってるっていうのによ」
「? 教会って……おっちゃん、その形で聖職者だったのか?」
おっちゃんのボヤキの中から気になるワードを拾った俺が尋ねると、おっちゃんは呆れた顔を向けてきた。
「俺の何処を見たら祈り手に見えるんだ? 協会ってのは“ハンター協会”の事だよ」
「ハンター協会? なあ、おっちゃん。そもそもそのハンターってのは――っ!?」
おっちゃんの言葉に質問を重ねようとした俺の背筋に、ゾクリとした怖気が走る。
尋ねようとした質問を途中で投げ出し、俺は勢いよく立ち上がると同時に、背後を振り返った。
「ほお……“奴ら”の気配が解るとか、坊主。お前面白えな」
「何故だ……」
皮肉な雰囲気を漂わすおっちゃんの言葉には答えず、俺は“その気配”がする方向を睨みつける。
“それ”は、良く知った気配――
「いいか坊主。今こっちに向かっている奴らが、“魔物”って呼ばれてる存在だ」
――元の世界で散々遣り合った、妖魔の気配だった。