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プロローグ③




とりあえず、確認しておきたいことはこれくらいだろうか?

後は直接自分の目で見て判断すれば良さそうだな。

「ありがとうございました、お姉さん。この世界の事、大分解りました」

「それは良かったです~」

椅子から立ち上がって深々と頭を下げる俺に、お姉さんは笑顔を浮かべる。

「そうそう、最後に、この世界の地形についてお教えしておきますね~」

お姉さんはそう言って、人差し指をくるりと回す。

すると、テーブルの上にA3用紙ほどの羊皮紙に描かれた地図が現れた。

「この世界は、一つの大陸と幾つかの島々によって構成されていて~、大まかに4つの国に分かれています~」

そう言いながら、お姉さんは地図を指さしていく。

「先ず~、現在私たちが居る場所が此処、地図中央の“ミッド・ランド”です~。

そして、ミッド・ランドの上にあるのが“ノウズ帝国”で~、下にあるのが“サウザン王国”~。そして左側が“ウェスタ連合国”~。最後に右側の小さな島々が集まっているところが“イスト諸島皇国”ですね~」


ははは……東西南北で分かりやすいこと。しかし、だ。


「……あの、お姉さん? このミッド・ランドって、どう見てもどでかい内海みたいなんですけど?」

今説明を受けたミッド・ランドの場所を指さしつつ、俺は頬をひくつかせながら尋ねる。

すると、お姉さんは笑顔でこう言った。

「はい~。ここミッド・ランドは、現在では巨大な淡水湖になってますね~。

因みに~、私たちが居るこの場所は、その淡水湖の中央に建っている古城です~」

「なんですとお!?」

お姉さんの言葉に、俺は慌てて室内を見渡す。

あまりにも常識外れな事柄ばかり起きたお陰で、状況確認を完全に怠っていた。

今、俺とお姉さんが居る部屋は、大体20畳ほどの部屋で、壁・天井・床の全てが石造りになっている。

天井の高さは約3m。

天井付近の壁面に明り取りの窓が付いているが、俺の身長(160㎝)では、到底届かない位置だ。

だが、部屋の一面は隣の部屋に続いており、そこから陽の光が大きく入り込んでいる事から、続きの部屋には大窓があると推測できる。

俺は勢いよく椅子から立ち上がると、躊躇う事無く隣室へと駆け込んだ。

「よっしゃ、大窓発見!!」

逆光による眩しさを無理やり抑えつけ、窓枠に手をついて外の様子に目を凝らすと、そこには……

「……見える範囲は全て水面……」

大きく見開いた俺の目に映るのは、水の青と空の青。時たま雲の白。それだけだった。


『『……大地が丸い場合、人の身長から見える水平線・地平線への距離って、確か4㎞くらいだったっけ?』』

『『ここから真下の水面までの高さは……大体40mくらいか?』』

『『落ちたら命がヤバイ高さ』』

『『この高さから見ても、山一つ見えないってことは……』』


「うおーい! どうやって陸地に辿り着けばいいのよ!?」

さっきの地図の縮尺がどうなってるのか解らんが、恐らくこの湖、オーストラリア全土くらいの大きさがあるぞ!?

しかもこの場所、湖のど真ん中だろ!?

東西南北どっちへ向かっても、ほぼ等距離じゃねーか!

「……死ぬる。確実に死ぬる自信がある……」

呟きながら、窓枠に手を掛けた状態でずるずるとしゃがみ込んだ。

大体が、どうやって移動すりゃあ良いんだ?

筏でも作って、オール1本でこの大海原に漕ぎ出せっていうのか?

出来る訳ゃねーだろ!?

俺はどこぞの“金髪の小僧”と違って、「我が行くは星の大海(キリッ」みたいなセリフは吐けねえんだよ!

「あらあら~? ツブラさん、どうしたんですか~?」

打ちひしがれきって体育座りに移行した俺の前に、お姉さんがしゃがみ込んだ。

「……無理です~。俺にはこの大海原を超える手段がありません~」

仮に、何か罷り間違って超えてしまったとしても、絶対に戻ってこれない自信がある。

それは、もう二度と元の世界に帰れない事を意味している。


……いっそのこと、帰る手段が解るまで、ずっとここに居ようかな……


「その事なら大丈夫です~。どこか比較的安全な場所まで、私が転移させますから~」

「……へ?」

目の前でニコニコ微笑むお姉さんに、思わず間の抜けた声を上げた。


『『〇ーラ来た! これで勝つる!!』』

『『空間移動? 時空間跳躍?』』

『『俺ちょっと、イスカ〇ダルまでコス〇クリーナー取りに行ってくる』』

『『おい馬鹿ヤメロ! 艦長が死ぬ!!』』


ちょっと黙っててくれないかな、無数の俺。今、結構大事な所だから。


「転移って……そんなことできるんですか?」

「勿論です~。魔法でちょちょいのちょいっと~。

練習すれば、ツブラさんも出来るようになりますよ~?」

唖然とする俺の質問に、お姉さんは指をくるくる回しながら答える。


……なんつーか、あれだな。魔法ってスゲーわ。

つーか、この人(龍)がスゲーのか。でも……


「いや、転移? して貰えるのは助かるんですが……ここに帰ってくるのはどうすれば良いんでしょう?」

至極真っ当な疑問。行ったは良いが、帰れないんじゃあ本末転倒だ。

しかしお姉さんは「うふふ」と微笑みながら、その長い髪の毛を1本引き抜いてこう言った。

「左手を出してください~」

「? こうですか?」

言われた通りに左手を差し出すと、お姉さんは俺の薬指に髪の毛の端を結びつける。同時に自分の左手の薬指にも反対側の端っこを結び付けた。

「……えーと?」

俺の理解の範疇を超えているお姉さんの行為に軽く首を傾げるが、お姉さんは笑顔を崩すことなく右手の人差し指をくるりと回す。

「っ!? おおおおお!?」

途端、俺とお姉さんの指を繋ぐ髪の毛がシュルシュルと回転しながら巻き付いて行き、薬指の根本で指輪の形に変化した。

「うふふ。私の体の一部を使って、私とツブラさんの間にパスを繋ぎました~。

これでツブラさんがこの世界の何処に居ても、私はツブラさんの事を感知することが出来ます~」

「は、はあ……」

生返事を返しつつ、左手薬指の指輪(元はお姉さんの髪の毛)を繁々と眺める。

飾り気の無い、白く丸いリングの中央に、1本の金色の線が入っている。

触れてみると、元が髪の毛とは思えないほどに金属っぽい肌触りがした。

「あん♪ ツブラさんったら、大胆ですね~♪」

「ふぇっ!?」

突然色っぽい声を出して身悶えたお姉さんに、思わず変な声が出た。

「今言った通り~、その指輪は私の体の一部です~。突然触れられたら、くすぐったいじゃないですか~」

白皙の頬を朱に染めて、お姉さんはもじもじと身体を揺らす。

……なんか、やばいモン押し付けられた様な気がする。

「そ、それで、これがあるとどうなるんですか?」

気を取り直して尋ねると、お姉さんは真面目な表情を浮かべてこう言った。

「私とツブラさんの間にパスが繋がれたことによって~、私は常にツブラさんの位置を把握することが出来るようになります~。ですので~、いつでもツブラさんを転移で呼び寄せることが出来るようになりました~」

「おおう、それは凄い」

お姉さんの説明に、素で感嘆の声を漏らす。

さっきお姉さんは練習すれば俺も転移魔法を使えるようになるって言ってたから、それまではお世話になることにしよう。

「それと~、これは副次的な機能ですが~、この指輪を通して念話を交わすこともできます~。

これで、遠く離れていてもお話できますね~♪」

うふふ、と微笑むお姉さん。

その言葉で気付いたが、この城……俺とお姉さん以外に人の気配が無い。

如何な高位次元存在とはいえ、こんな所に一人きりじゃあ寂しいよな……

「あはは。俺にとっては副次的機能の方が素晴らしく思えますね。

俺で良ければ、いつでもお姉さんの話し相手になりますよ」

「ツブラさん……」

ちょっとカッコつけてそう言うと、お姉さんは小さく肩を震えさせながら俺を抱きしめてきた。

俺とお姉さんの身長差は殆ど無い。僅かばかりお姉さんの方が高いかな。

故に、傍から見ると恋人同士の抱擁の様だろう。

「……ツブラさん。あなたは、本当に良い子ですね~。この数千年で、私をこんなにほっこりさせてくれた人は、一人も居ませんでしたよ~?」

お互いに腕を背に回し、おでことおでこをくっつけて抱き締め合いながら、お姉さんはそう呟く。

「……お姉さんがほっこりしてくれたなら、俺も嬉しいですよ」

お姉さんの呟きに応えつつも、俺は内心、必死で理性のタガが外れない様に踏ん張っていた。


いやね。言わずもがなかと思うけど、おぱーいがね。おぱーいの感触がね! 柔けーのですよ!?


「……も~、あんまりそういうこと言うと、お姉さんその気になっちゃいますよ~?

今の私の身体は人族と同じなんですから~、その……そういう事だって出来ちゃうんですからね~」

俺のセリフを聞いたお姉さんはやんわりと抱擁を解き、頬を桃色に染めつつ唇を尖らせて、とんでもない事を言った。

「い!? ま、マジですか?」

お姉さんの顔色に釣られて俺まで頬が赤くなる。

しかし、お姉さんはそんな俺を真正面から捉えて、

「まじです~。赤ちゃんだって作れます~」

などと更なる爆弾発言をかましてきた。


『『ファンタジーの定番、異種族間交配キマシタワー!!』』

『『わっふるわっふる!!』』

『『わっふるわっふる!!』』

『『わっふるわっふる!!』』

『『もっふるもっふる!!』』


どれだけツイートしても桃色展開にはならんからな!!

あと、最後にボン〇君混ざっただろ!?


「い、いや、あの、そういった事は、もっと時間をかけてお互いを良く知った後に――」

「うふふ。な~んて、冗談ですよお♪」

しどろもどろで正論を解き始めた俺に、お姉さんは小さく舌を出してそう言った。

「――はい?」

キョトンとする俺。

「ツブラさんが私の事を揶揄うから~、ちょっと意地悪してみました~♪」

お姉さんは腰をかがめて俺の顔を下から覗き込むような姿勢を取った後、くるりと背を向ける。

揶揄ったつもりなど一切ない。

しかも、さっきのお姉さんの態度に、ほんのちょっと期待もした。

故に……


「……お、俺の純情を返せーーー!!」

「ぼそっ(でも~、赤ちゃん作れるのは本当ですけど~……)」


力の限りを尽くして叫んだ所為で、俺に背を向けて小さく呟いたお姉さんの言葉を聞き取ることはできなかった……




「落ち着きましたか~?」

「……ええ、まあ」

お姉さんの問いに、視線を逸らしつつ答える。

現在俺たちは、先ほどまで話をしていた部屋に戻り、お姉さんが改めて出してくれたお茶を啜っていた。

さっきまでの事を考えると、多少気まずい感は否めない。

というか、青春真っ盛りの男子高校生にとってみれば、先ほどの一件は特大イベントと言えよう。

それを見事に躱されたのだから、仏頂面を浮かべるくらいは許してほしいものだ。

「うふふ~。ツブラさんは本当に可愛いですね~」

だというのに、お姉さんはテーブルに両肘をついて自らの両頬に掌を当てつつ、ニコニコと笑顔を浮かべながら俺を見つめている(相変わらず瞼を閉じたままだが)。


……これが数千、数万年の時を重ねてきた女性(龍)の余裕というものか……


「(全く……揶揄われてるのは俺の方じゃないか)……と、そうだ」

そんなことを考えていると、ふと思い出した事があった。

「お姉さんが言ってた、お願い事ってなんでしょう? さっきも言いましたけど、俺が出来る事なら何でもしますよ?」

そう切り出した俺に、お姉さんがポン、と手を打つ。

「あらあら、そうでした~。特別、難しい事ではありませんよ~?」

お姉さんは胸の前で手を合わせると、


「――私に名前を付けてください~」


と、笑顔を浮かべてそう言った。



「はい? 名前?」

「はい~。名前です~」

ニュアンスとイントネーションは違うが、互いに同じ言葉を遣り取りする。

「え、でも、『白』さんって呼ばれてるって――」

「そんなの名前じゃありません~! 見た目からそう呼ばれてるだけです~!!」

先ほどお姉さんの口から直に聞いた事を言ってみたら、頬をぷんぷんに膨らませながら怒られた。

「何ですか『白』って。なーんですか、『白』って!

そんなのはただの色です~! 形容詞です~! 名詞ではありません~!!」

可愛らしく両手をぶんぶん振り回しながら力説するお姉さん。

まあ、確かに言う通りだけどさ……日本人の俺からしてみると、『白』って名前も無しじゃないと思うんだけどね。

「一部の人族の方々から、『白龍姫はくりゅうき』なんて呼ばれる事もありますけど~、やっぱりまんまじゃないですか~! やっぱり形容詞じゃないですか~!!」

うーん、確かに。『白龍』の『お姫様』だもんなあ……間違っちゃいないけど、つーか、寧ろ正しいけど、それだけにお姉さんからしてみれば、納得できないんだろうなあ。

「ですから~、ツブラさんには、私の……“私だけ”の名前を付けて欲しいんです~!」

「解りました! 解りましたから、少し離れてください!!」

テーブルに身を乗り出して俺の両手を握り締めるお姉さんとの距離は、MK5(マジでキスする5秒前)まで近付いていた。

全く……このお姉さん、天然でこういう事するからなあ。一歩間違えたら、惚れてまうやろ!?

「にしても、名前……名前、か」

椅子に座りなおして期待に胸を膨らませているお姉さんの様子をちらりと見ながら、俺は腕を組んで考え込む。


出来る限り、お姉さんの雰囲気を壊さないものが良いよな。

んで、このお姉さん、何処からどう見ても日本人じゃないから、あからさまな日本名も却下、と。

そうすると、欧米系でお姉さんの雰囲気を失わない様に……あ。


「……エーデルワイス」

「はい~?」

俯き、ぼそっと呟いた俺に、お姉さんが小首を傾げる。

「“エーデルワイス”ってどうでしょうか?」

「エーデル……ワイス……エーデルワイス」

俺が出した名前を、お姉さんは噛み締めるように何度も呟いた。

「……あの~、この名前には、何か由来があるんでしょうか~?」

不安気に尋ねてくるお姉さんに、俺は微笑を浮かべつつ答えた。

「ええ。エーデルワイスは俺が居た世界に咲く花の名前です。

白くて、綺麗で、可憐で……『高貴なる白』って意味の名前なんですよ? 確か、花言葉は……」


『『純潔、だな』』


おお、初めてまともに量子演算が機能したぞ。


「……花言葉は『純潔』です」

「……白くて、綺麗で、可憐……高貴なる白……純潔……」

俺の説明を復唱するかのように呟くお姉さんは、呆けたように小さく口を開いてぽーっとした顔をしている。


む? 気に食わなかったかな?


「あの――「……ツブラさん」――は……い!?」

ダメだったら次を考えようと思って声を掛けた俺の言葉を遮るお姉さんの頬を、一滴の涙が伝った。

「えええ!? 泣くほど嫌だったですか!? ちょ、ちょっと待ってください! 今、違うの考えますから

――「……違います」――え?」

ぐしぐしと目元を擦って言うお姉さんに、首を傾げる。

「嬉しいんです~。造物主たるこの世界の神に創造されてから幾万年……こんなに心を揺さぶられたことは、一度もありませんでした~」

お姉さんはそう言いながら、椅子から立ち上がって俺の脇までやってくると、徐に俺の頭を抱きかかえた。

「ふむっ!?」

当然の如く、俺の顔はお姉さんのお胸に埋没することになる。

お姉さんの良い香りとお胸の柔らかい感触に、頭がくらくらしてきた。


「……ツブラさん、あなたに感謝を。あなたとの出会いに万謝を。

言葉では尽くせないこの想いを持って、私は今後、エーデルワイスを名乗ります……」


涙声で言いつつ、お姉さんは俺を抱きしめたまま、優しく頭を撫でてくれている。

それだけで、俺の心の中にあった不埒な考えが霧散していった。


『『ふぅぅぅぅっ! ええはなっしゃ!!』』

『『(ハンカチが)足りません。と、ぺんぺん草が言っている』』

『『高位次元存在に、ここまで感謝されるとは……なんというか、畏れ多いな』』

『『素直に嬉しいと言えない俺、乙』』

『『全く、これだから童貞は』』

『『ど、ど、ど、ど、童貞ちゃうわ! いや、童貞だけど……』』


すみません、黙っててください。物凄く良い雰囲気がぶち壊されますので。





「さてツブラさん、準備はいいですか~?」

テーブルと椅子が片付けられた室内で、俺とお姉さん――改めエーデルワイスさんは向かい合った状態で立っている。

まさに今これから、俺はエーデルワイスさんによる転移魔法でこの世界の何処かに送られるところだ。

「準備はオッケーです。とはいえ、荷物はこれ一つですけど」

肩に担いだ45ℓほどの革袋を見やりつつ、苦笑を浮かべる俺。

この革袋の中には、エーデルワイスさんが用意してくれた日常品と幾許かの貨幣が入っている。

とはいえ、貨幣自体、大きな町以外ではあまり使われないらしく、小さな村や辺境地域では、物々交換が主流らしい。

よって、貨幣の種類も少なく、金・銀・銅の三種類のみで、国によっては手形や紙幣が使われることもあるとの事だ。


それはともかく、俺はこれから暫くこの異世界を見て回ることになる。

そうするに当たって、武器の一つも無いというのは余りにも心許ない。魔法に至っては、初心者丸出しだしな。

よって俺は、魔法の訓練も兼ねて、自身が振るう武器を錬成するために、一先ずはある程度質の良い砂鉄が集められる場所に転移させて貰える様に、エーデルワイスさんにお願いした。

完全に無から有を創り出すよりも、媒介となる物があった方が魔法の練習には適しているらしいので。

因みにその話の最中、エーデルワイスさんは「鉄のインゴットくらい、私が出しますのに~」と言ってくれたが、飽くまで練習を兼ねているという旨を説明して折れて貰った。

元の世界でそうだった様に、いつまでも半人前ではちょっと恥ずかしいしな。


「解りました~。それでは転移魔法を構築しますね~。

とりあえず、ツブラさんは目を閉じておいてください~」

「? こうですか?」

言われた通りに目を閉じる。

「はい~。初めての転移の際には、視覚から入る情報の齟齬に因って、船酔いの様な状態になってしまうこともありますので~」

エーデルワイスさんの説明に、なるほど、と頷く。

あれだ。目に見えている光景が突然変化することによって、脳がびっくりするんだろう。

「それでは~、体の力を抜いてリラックスしてくださいね~」

エーデルワイスさんの言葉に従い、肩の力を抜いて呼吸を整える。

この辺は慣れたもので、元の世界で培った武術の鍛錬がものを言った。

「うふふ~……ちゅっ♪」

心静かにその時を待っていた俺の唇に、柔らかい感触が触れる。

しっとりと濡れた感触と、鼻腔をくすぐる甘い香り。そして、俺の胸板に当たる、二つの柔らかい膨らみ。

「んーーーーー!?」

驚いて目を開くと、そこにはエーデルワイスさんの顔がドアップで映し出されていた。

「な、ななな、何を――!?」

「うふふ。これからこの世界に旅立つツブラさんへの祝福です~♪」

慌てて一歩離れた俺に向かって、エーデルワイスさんは人差し指をくるりと回す。


「ツブラさんの旅路に、幸多からんことを~」


少しの悪戯っぽさと、確かな慈愛の籠った微笑みを湛えるエーデルワイスさんの言葉を最後に、俺の視界が一変した。

たった今まで石造りの部屋に居た筈なのに、今俺の目の前には清流の流れる河原がある。

周囲は木々が立ち並び、聞いたことのない鳥(だと思われる)の鳴き声が聞こえ――


「オヴェエエエエ!」


――そこまで確認したところで、俺は盛大に胃の中身を撒き散らした。

突然の視覚情報の齟齬に、脳が悲鳴を上げている。

揺さぶられた訳でもないのにも拘わらず、三半規管がロデオマシーンに乗っているかの如く暴れまくる。


彼女に悪気は無かったと思う。いや、少しは茶目っ気があっただろうとは思うけど、悪気自体は無かったと思いたい。

だって、俺への祝福だと言ってくれた言葉には、偽りが感じられなかったから。


「……だからって、ひでえよエーデルワイスさん……」


orzの恰好で絞り出した呟きは、川のせせらぎによって掻き消された……


蓮沼 円17歳。

異世界探索の第一歩で得たもの:高位次元存在たる白龍からの祝福とファーストキス

失ったもの:胃の中身とファーストキス

今後出会うであろう数々の縁:プライスレス



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「ふむ。旅立った様だな」

円を転移させた状態のまま、その場から動くことなく両手を胸の真ん中で組み合わせ、立ち尽くしていたエーデルワイスの背後から、幼い少女の声が響く。

「……何を勝手に出てきてるんですか、貴女は~?」

先ほどまでの円と会話していた時の様な穏やかさは一切なく、言葉の端々に嫌悪感を込めた物言いで、エーデルワイスは背後を振り返った。

彼女が振り返ったその先には、白と灰色で染め上げたゴシック調のドレスに身を包む、一人の少女の姿があった。

年のころは10台前半。肩まで伸びた灰色の髪と同色の大きな瞳を持つ、美少女である。

「ふむ。これでも気を使って、あの小僧が居る間は大人しくしておったのだが?」

「だったら、そのまま大人しく地の底で埋もれててください~。正直、迷惑ですので~」

淡々とした物言いの少女に対し、エーデルワイスは忌避感を隠すことなく言い放つ。

もしも円がこの場に居たら、現状のエーデルワイスに対してどういう表情を浮かべただろうか?

まるで別人の様な彼女に、恐らく呆気にとられた顔をしただろう。

「ふむ。まあ、仕方がないとはいえ、そう邪険に扱わないで欲しいところだな。我もそなたら龍も、等しく造物主たる神の手によって生み出された高位次元存在なのだから――っと」

そう言う少女の言葉を断ち切る様に、少女が居た場所を不可視の刃が切り裂く。

「あまりふざけた物言いをすると、本気で当てに行きますよ~?」

底冷えするような声音で言うエーデルワイスの瞼が薄っすらと開かれると同時に、そこから金色の光が滲み出た。

「ふむ。間違った事を言ったつもりは無いがな。

秩序と調停を司るそなたら龍の対存在たる、混沌と争乱を司る我。共に神の手により創り出されたことに偽りはあるまい? どうであろうか、『白』よ?」

「……私を『白』と呼ぶのは止めてくださいな~、『魔王』~」

魔王と呼ばれた少女の問いに答える事無く、エーデルワイスはこめかみに血管を浮き上がらせつつ言い放つ。

「……ふむ。エーデルワイスだったか? あの小僧に付けられた――む?」

顎に人差し指を当てながら言う魔王の左腕が、突然根本から断ち切られた。

「気安く呼ばないでいただけます~? 不愉快ですので~」

「……ふむ。どうしろというのか?」

完全に瞼を開き、その金色の瞳で己を睨みつけるエーデルワイスを、魔王は淡々としつつも僅かに困惑した表情で眺める。同時に顎に当てていた指を切り落とされた自身の左腕に向けると、ついっと左肩に向けて移動させる。

次の瞬間には既に魔王の左腕は元に戻っており、ぐっぱぐっぱと左掌を握ったり開いたりして感触を確かめていた。

その様子を無言で眺めていたエーデルワイスの眉間に、僅かに皺が寄る。

「ふむ……それにしてもそなた、人族の事を気に入っているのは以前より知ってはいたが、あの異世界人の小僧には、随分と入れ込んでおる様だな?」

「……あなたには関係のないことです~」

ぐるぐると大きく左腕を振るう魔王に、エーデルワイスは感情を押し殺したような声音で答える。

「ふむ。そんなそなたの態度を見て、少し興が乗った故、暫く覗かせて貰っていたが……確かにあの小僧、面白い力を持っておる様だ。普通、人族などには魔法なぞ使えんからな」

今まで無表情だった魔王の口元に、薄っすらとした微笑が浮かぶ。

同時に、エーデルワイスから途轍もない威圧感が魔王に対して放たれた。

「魔王……ツブラさんにちょっかいを出したら、約定など関係なしに、私の持てる全ての力を以て潰しますよ?」

「ふむ……これは怖い。その口調のそなたは、一切の妥協をしないからのう。どうやら、龍の尾の先を踏んでしまった様だ」

間延びした口調を収め、幾分低い声音で告げられたエーデルワイスの言に、魔王は半歩後退りながらこめかみから冷や汗を流す。

「ふむ。我もそなたらも“死”という概念から外れた存在とはいえども、高位次元体を傷つけられてしまったら、回復には相当の時間が掛かる。今日のところはこれで失礼するとしよう」

「あら~そうですか~? 大したおもてなしもできませんで~」

踵を返した魔王の背中に向かって、エーデルワイスが手を振った。

「ふむ。我の左腕1本では、もてなしに足りんと見える。

だが、努、忘れるでないぞエーデルワイスよ」

去り際に魔王は顔半分でエーデルワイスに振り返ると、相変わらずの淡々とした表情で言った。


「我は必要悪。その役目を以てこの世に創造された。故、そなたら龍やこの世に生きる全ての者どもから忌避される事は我の望むところであり、存在意義でもある。もしも――」

突然言葉を切った魔王に、エーデルワイスは首を傾げた。

「もしも……何ですか~?」

「ふむ……いや、何でもない。詮無きことよ」

そう言い残し、魔王は部屋から出て行った。


「全く……一体何をしに来たのでしょうか~?

先ほどまでのツブラさんとの楽しい時間が、台無しです~」


魔王が出て行った方向を眺めつつ、エーデルワイスは深い溜め息を吐いたのだった……




カツン、カツン、と古城の地下へと向かう長い階段を下りながら、魔王は一人、思索に耽っていた。


(ふむ……我はあの時、何を語ろうとしていたのか?)


先ほどのエーデルワイスとの会話。

最後に告げようとした言葉を、魔王は思い出していた。


(我は必要悪。その役目を以てこの世に創造された。故、そなたら龍やこの世に生きる全ての者どもから忌避される事は我の望むところであり、存在意義でもある。もしも――)


その後に続く言葉。それは――


「……もしも、そんな我に対し、忌避も嫌悪も向ける事無く、ただ我という個の存在を認識してくれる者が居たならば、その者に対し、我はどう対応すればよいのだろうか――」


魔王は呟く。

自身には決して答えが出すことのできない問題を、繰り返し繰り返し。


その姿が、闇に沈むまで――





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