プロローグ②
――龍。
俺の知る龍は、架空の存在だ。
日本やアジアで言うところの龍は、水を操り雨を降らすといわれており、昔の人々の大いなる自然に対する畏怖や尊敬を象った神のような存在。
欧米では主に破壊や厄災を司どり、最後には必ずと言っていいほど英雄により討伐される、悪の化身の様な存在。
世界の西と東で扱いは変われども、どちらも強大な力を持つ不可侵な存在として描かれている。
俺だって、少なからず少年の心を残している男の子だ。
龍とかファンタジーなお噺は嫌いじゃない。いや、寧ろ好きな方だ。
力ある存在、龍。
だというのに目の前の女性は、どこからどう見ても綺麗なお姉さんなのにも関わらず、自らを龍であると言った。
「……えっと、龍って龍ですか?」
「はい、そうですよ~?」
両掌を合わせて、ぱかぱかと閉じたり開いたりして龍の顎を模写する俺に、お姉さんはにこにこしながら応える。
「……ドラゴン? がーって火を噴いたり?」
「はい~、ドラゴンですぅ。私は火を噴きませんけど~」
頭の悪そうな質問を投げかける俺に、『何しろ白龍ですから~』と言って大きな胸を張るお姉さん。ぽよんと大きく揺れた。
「……俺には、綺麗なお姉さんにしか見えませんけど?」
「あらあらまあまあ! 綺麗だなんて、そんな~。うふふふふ♪」
俺のセリフに反応して、もじもじとするお姉さん。
……とてもじゃないが、龍には見えない。
「いや、どう見ても人間でしょ。鱗とか無さそうだし」
椅子から立ち上がって、現在進行形でもじもじし続けるお姉さんの周りをぐるっと一周してみるが、艶々した白い肌にはシミ一つ見つけられず、もちろん鱗の一枚も存在しなかった。
「それはそうですよ~。この次元上に存在する私の“器”の構成物質は、人族と同じものですから~」
俺の「綺麗なお姉さん」発言がよっぽど嬉しかったのか、お姉さんは白い肌をうっすらと紅潮させつつ人差し指を立てる。
「は? この次元上?」
「ええ。私“たち”龍は本来、この3次元よりも上位――11次元に存在している、高位次元存在です~」
11次元? 高位次元存在? なんだそりゃ?
『『ありていに言えば“神様”だな』』
『『異世界転移や転生ものに不可欠なファクター』』
『『スキルとか加護とかたんまりくれる、アレですネ? わかります』』
ちょっと黙ろうか、君たち。しかし……
「……そんなのもう、神様みたいなモンじゃないですか」
唖然とした俺の呟きに、お姉さんは真面目な表情で手を振る。
「とんでもないです~。神様なんて烏滸がましい~」
そして、更なる爆弾発言を投下してきた。
「この世界に“神様は居ません”よ~。正確には“居た”というのが正しいのですが~」
お姉さんの話を纏めると、こういう事らしい。
その昔(数万年前との事)、この世界を創った神様が居た。
その神様は、地上に住まう数々の生き物を創り、最後にこの世界を管理・調整し、観測する役目を担う龍種を創造した後、この世界を離れたらしい。
行先は不明。
お姉さんの話では、この世界と同様に、新しい世界を作り続けているのではないか、との事だ。
『『……スケールでか過ぎだろ』』
『『宛ら、“神無き世界の代理神”というところか?』』
『『便利なスキルはよ!? 無双できるステータスはよ!?』』
『『チ・ー・ト! チ・ー・ト!!』』
スケールのでかさや代理神の件は認めるが、後半の馬鹿発言をかましてる俺は認めたくない。
「そういう訳で~、私たち龍はほぼ全能ではありますが全能ではなく~、限りなく全知ではあっても決して全知ではない存在なんです~」
限りなく神に近しい存在。
それがこの世界の龍ということか……
「なるほど。だから日本語を話すこともできるし、俺の世界の知識もあるってことですか」
お姉さんの言葉に対して腕組みしながら頷いた俺だが、お姉さんは小さく舌を出してこんなことを言った。
「それは~……さっきツブラさんが落っこちてきた時に~、ちょーっとあなたの記憶と知識を覗かせて貰った結果だったり~……」
「どさくさ紛れに頭の中覗かれてた!?」
あれか? おぱーいに埋もれた時か!?
「仕方ないじゃないですか~。見ず知らずの人族が、突然現れたんですから~。
『何だろう?』って思うのが人情、というか、“龍情”ですよお」
いや、そんな突然むくれられても。
あと、勝手に言葉を作らないで下さい。何ですか、「龍情」って?
「ま、まあ、それに関しては、こうやって普通に会話が出来るんで、文句は言いませんけど。
でも、そうすると、俺はお姉さん以外には普通に会話することも出来ないってことですか……」
異文化コミュニケーションの道が閉ざされてしまった。
まあ、早いところ元の世界に帰りたいって思いがあるから、この世界に長居するつもりは現状では無いけど。
「その辺は大丈夫です~。魔法を使って、ツブラさん自身が言語を変換すれば良いだけですから~」
事もなげなお姉さん。
でも、魔法なんて便利なものがあるんだから、そういうことも可能なんだろう。
「じゃあ、早速その魔法をお願いします」
背筋を正してお願いする俺に、しかしお姉さんはきょとんとした表情を浮かべてこう言った。
「? 何を言ってるんですか~? ツブラさんが自分で魔法を使うに決まってるじゃないですか~」
『『「白龍のお姉さんの言っていることが、まるで意味不明な件について」』』
全俺の意思が統一された瞬間だった。
「あらあら~?」
「いや、『何を言ってるんですか』はこっちのセリフです! 俺みたいな平凡まっしぐらな人間が、魔法なんて使えるわけがないでしょうが!?」
右手を頬に当てて小首を傾げるお姉さんに、俺はテーブルに両手を叩きつけながら叫ぶ。
お茶のカップが一瞬浮き上がってガチャン! と音を立てた。
「あらまあ。ツブラさん、気付いていないんですか~?」
「何を!?」
ほふ、と溜め息を吐いたお姉さんに、俺は涙目になりながら問うが、彼女は真剣な表情でこう言った。
「ツブラさん……あなた、魔法を使う下地は既に出来てるんですよ~?」
『『チート能力、キタコレ!!』』
『『なんだよ、ちゃんと無双系の加護もらってるじゃないの!』』
『『まったく人の――いや、龍の悪いお姉さんだぜ』』
勝手な事を言っている、どこかの俺。
いや、そう言われても、正直まるっきり自覚が無いんだが?
「うふふ。まるで分らないという表情ですが、ツブラさんが魔法を使うことが出来る要因の一つが、今まさに行っている“量子演算”行為です~」
「……はい?」
なんだそれ? 量子演算?
「先にもお話した様に~、魔法とは“使用者自身の願望・希望・心象”を“高位次元を通し”て“規定次元上に具現化”し、“変革を齎す”行為です~」
目が点状態の俺を放置したままで、お姉さんはつらつらと説明を続ける。
「これを行うには、起こりうる結果を規定次元上に鮮明にイメージすることができる自我と、規定次元より上位の次元に干渉するための演算力、更には変革を起こす事により発生する“規定次元上の矛盾”に対抗できるだけの高速思考能
力が必要になります~」
早い、早いよお姉さん!!
俺の理解が追い付けないよ!?
『『……つまり、“世界を騙すほどの思い込み”を持って、“スパコンなんて問題にならないほどの演算力”で、“世界が矛盾に気付くことが出来ないほど一瞬の内”に、“自分の望みを具現化”しろってことか?』』
『『大体あってる』』
『『大体あってる』』
『『大体あってる』』
『『大体あってる?』』
「大体あってますね~」
「俺の脳内会議に参加してきた!?」
いやもう、何でもありかよ、この人(龍)!?
「はい~。私、これでも龍ですから~」
あらあらうふふと、にこやかに微笑みながら嘯くお姉さんへジト目を向ける俺。
……いいやもう。気にしたら負けっぽいしな!
「そ、それはともかく、百歩譲ってその……量子演算? は出来るとしても、もう一つの高速思考能力だか何だかは、俺には使えないというか……」
「……ツブラさん。あなたはこちらの世界に転移してきた時のことを覚えていますか~?」
しどろもどろな俺の言葉に、お姉さんが質問を被せてきた。
「はい? えーと、確か、目の前が光って……〇ーラ・ロードが開いたとき?」
「オ〇ラ・ロードではありませんが、その時です~」
俺のボケにしっかり答えてくれるお姉さんは、とても律儀だと思う。
……つか、そんな知識まで俺から引っ張ってたのかよ?
「うーん……確か、あの瞬間に幾つもの俺の思考が重なって、疑問に思ったのは覚えてますけど……」
そう。あの時初めてお姉さんが言うところの量子演算行為が起きたんだった。
「その時ツブラさんは、どれくらいの時間、光の中を漂っていたと思いますか~?」
「えーと……」
お姉さんの質問に、俺はあの時交わした(?)思考を思い出してみる。
「……1~2分程度かな?」
「残念、外れです~」
俺の答えに、お姉さんが人差し指を左右に振った。
「実際は一瞬……ツブラさんの世界風に言えば、ナノとかピコ秒ほどですね~」
「なん……!?」
お姉さんの言葉に愕然とする。
でも、確かあの時、どこかの俺がそれっぽい事を言っていた様な気も……
「つまり、次元転移以前の段階で、ツブラさんは量子演算も高速思考も、自身の内に備えていたことになります~」
「……そんな、馬鹿な……」
わなわなと震える自らの両手を見ながら呟く。
「じゃあ、なんで俺は、元の世界であんなにうだつが上がらなかったんだ……?」
「さあ、そこまでは~……でも~、その力はツブラさん本人のものであるのは間違いありません~。
今まで使えなかったというのであれば、何らかの要因があるのではないでしょうか~?」
要……因?
「いや……要因と言われても、別に……」
――そうだ。
“アレ”は、要因だとか原因だとか、そういった“モノ”じゃない。
だって、そうしなければ■■は、あの時点で■■■しまった筈だから。
俺の■■である■■を■■ことに比べれば、こんな■を失うくらい、どうってことはなかった。
だからあの時、俺はこの■を■■に――
「――さん? ツブラさん?」
「……へ? 何ですか? って、近い近い!!」
ふと我に返ると、テーブルに身を乗り出したお姉さんの顔が、俺の目の前にあった。
「どうしたんですか、急に~? 突然黙り込んで~。
私が問いかけてるのに、返事もしてくれませんし~」
『も~、おこですよ~』などと頬を膨らませるお姉さんの顔から少しでも離れる様に、俺は椅子の背もたれ限界まで仰け反った。
「いや、ははは……ちょっと考え事をしていたみたいで。
……あれ? 何を考えてたんだっけ?」
直前まで考えていた事の内容が思い出せない。
おいおい、痴呆には早いぞ、俺?
「も~、しっかりして下さいね~?」
そう言いながら、お姉さんは身体の位置を元に戻した。
「まあ、この際なので、要因云々の話は脇に置いておきましょうか~。
それよりも、折角魔法が使える土台があるのですから~、ツブラさんは魔法に慣れるところから始めましょう~」
「はあ……」
お姉さんの言葉に、生返事で返す。
とはいえ、魔法に慣れるって……どうすればいいんだ?
「では先ず、ツブラさんがイメージできそうな物をここに出してみてください~」
そう言って、テーブルの上を指先でコツコツと叩くお姉さん。
「いきなり無茶振りかい!?」
ノリ突っ込みで叫ぶ俺だが、お姉さんはちっとも気にした様子も見せずにこう言う。
「何事も習うより慣れろです~。
さ、さ。やってみましょう~?」
このお姉さん、のんびり天然系に見せかけて、実はもの凄いゴーイング・マイウェイ且つスパルタ主義らしい……
「……で、できた……漸く……」
疲れ果てた俺の目の前には、1個のリンゴが鎮座している。
いや、それは正確ではないな。
テーブルの上には、“リンゴの様なモノ”が溢れんばかりに所狭しと並ばっている。
「どれどれ~……うん。これは間違いなくリンゴですね~。味もちゃんとリンゴです~」
お姉さんは、俺の目の前からたった今作り上げたリンゴを取り上げると、暫く矯めつ眇めつした後、指の一振りでリンゴうさぎに切り分けたかと思うと、徐に小さな口でしゃりしゃりと食べ始めた。
「そーですか……それは良かったです」
げんなりした表情で、そんなお姉さんを見る俺。
まあ、さっきまでの“リンゴの形をしたレモン”とか、“みかんの形をしたリンゴ”とか、“バナナの形をしたパイナップル”とか(既にリンゴじゃねえ)に比べれば、確かに及第点だわな。
「うふふ。この短時間でここまで形に出来たのならば~、十分ですよ~?」
体感時間的には2時間といったところか。
ひたすらにリンゴをイメージしまくった。
形・色・味・重さ等々を延々と。
……もう、暫くはリンゴを見たくない。
『『むぅ……確かに魔法にはイメージが重要だと言っていたが、予想以上だな』』
『『この作業を呼吸するかの如く行う龍という存在……流石は高位次元存在と言うべきか……』』
『『つーかコレ、イメージ出来ない事は具現化出来ないってことだよな?』』
「その通りです~。如何な魔法とはいえ、確実なイメージが整わない事柄については具現化できません~」
リンゴうさぎの最後の一切れをふりふりしながら、お姉さんが言う。
俺の脳内会議に入り込んでくる不条理さには、もう慣れた。
「それ以外では、この世界の不文律に干渉することも出来ません~」
「世界の不文律?」
お姉さんの言葉に、首を傾げて尋ねる。
「はい~。幾つかありますが~、最も重要なところでは、「死者は決して蘇らない」と「時間を遡ることはできない」
でしょうか~」
『『ザオ〇ク無いのかよ!?』』
『『〇イズも!?』』
『『まあ、神様の居ない世界らしいからなあ。僧侶が居なけりゃ神聖呪文みたいなのも無いのは当然か』』
『『回復呪文が無いなら、怪我や傷の治療はポーションと薬草頼みか?』』
『『(お金が)足りません。と、ぺんぺん草が言っている』』
なにそれ怖い。死と隣り合わせっぽい異世界で、回復手段が自然治癒のみとかだったら、どんな無理ゲーよ?
「回復呪文ならありますよ~?」
「マジですか!?」
お姉さんの言葉に、思わず椅子から立ち上がる。
「はい~。人族の中には、“祈り手”と呼ばれる人たちが居まして~。神の御業を以て怪我や病気を治療することができるという――」
「ちょっと待った。
この世界、神様居ないんですよね? なのに、どうやって神の御業とか?」
矛盾どころの騒ぎじゃねえ!
どうなってんだよ祈り手!?
「ええ、まあ、それに関しては、私たち龍もびっくりなんですけど~」
困った表情を浮かべるお姉さんだが、続いた言葉はそれ以上に困った内容だった。
「ずっと昔に人族の方々が、思い込みで神様を創っちゃったんですよね~」
『『「なんっじゃそりゃああああああ!?」』』
全俺の叫びが時空を超えて木霊した――
その昔(お姉さん曰く、数千年前)、世界全土に及ぶ程の大きな戦争があったらしい。
その戦争によって、世界人口の3割ほどの犠牲が生じ、同時に作物の不作による飢餓、圧倒的な戦死者を弔いきれないことによる伝染病の蔓延などの災厄が立て続けに起こったそうだ。
そうした世界情勢の悪化により、この世界に住まう人々の精神は疲弊の一途を辿ることになる。
『なぜ、自分たちはこんな苦しい日々を過ごさねばならないのか?』
『なぜ、誰も自分たちを助けてくれないのか?』
『なぜ、この国の権力者たちは自分たちに手を差し伸べてくれないのか?』
『なぜ、目の前にいるこの人は、自分を打ちのめそうとしているのか?』
『なぜ、周りの人たちは自分を嘲笑っているのだろうか?』
『なぜ』
『なぜ』
『なぜ』
世界全体が、そんな負のスパイラルに陥っていたとき、一人の少女が発した呟きがあった。
『誰か助けて……神様、助けて……』
『神……?』
『そうだ、神様だ』
『……神様に祈ろう!』
『そうだ! 神様が、こんな自分たちを見捨てる筈が無い!!』
『みんなで神に祈るんだ!!』
『『神様……私たちをお救い下さい!!!』』
たった一人の少女の発した呟きは爆発的に周囲に広がり、海を、山を、大空を超えて、一気に世界全土に浸透した。
そして、この世界に住まう、ほぼ全ての人々が同一の願いを持ったその時――
――神は生まれた。
何の力も持たない、ただ人々の心の中に存在するだけの、偶像ですらない、神が。
「あの時は驚きました~。全龍が一堂に会して会議を行ったのは、後にも先にもあの時だけですから~」
ふぅ、と憂い気な溜め息を吐きながら話すお姉さん。
因みに俺はというと、開いた口が塞がらない状態で椅子の背もたれに体重を預けている。
口からエクトプラズムが出てもおかしくない状況だ。
「あの時に赤龍さんが言った言葉……『スゲエなあいつ等! 思い込みで神様作っちまったぞ!?』は、今現在でも龍名言集の一番初めを飾る言葉として残っています~」
「神格創造の感想がそれかよ!?」
軽すぎるだろ、龍!?
「まあ、神様と言っても~、形も定まっておらず、現実に干渉することも出来ませんし~。
ただ“在る”だけの存在ですから~」
それだって、その神様に祈ることによって癒しの力を使うことができるのだから、人々にとってみれば大助かりだろう。
“力”が有ろうが無かろうが、“存在するか否か”に勝ることはできないと思う。
「とはいえ、回復呪文が存在するなら、怪我や病気で亡くなる人々は減るんじゃないですか?」
元の世界で出来損ない退魔師をやってた俺からしてみれば、負った傷を即治療できるなんてのは、夢の世界のお話だ。
羨ましいことこの上ない。
「そうとも言えませんよ~?
祈り手の方々が使う“祈りの魔術”は、怪我を負った方の細胞を無理やり活性化させて傷口を塞ぐのであって、その分、対象の方の体力を消耗しますので~」
「……は?」
お姉さんの言葉に、俺の目が点になる。
「……それってつまり……」
「はい~。極端に体力を消耗している方に祈りの魔術を使用すると~、最悪の場合は死んでしまいます~」
『『なんだそりゃ!?』』
『『怪我が治ったと思ったら、体力使い果たして死んだでござる』』
『『なんという理不尽! なんという片手落ち!!』』
『『怪我が原因で死ぬか、怪我が治っても生命力が尽きて死ぬか。これぞ究極のオルタネイティブ!』』
「……ヒットポイント回復するのにバイタリティ削られるって、何そのMプレイ?」
「あらあら、上手い表現ですね~」
頭を抱えて呻く俺に、お姉さんが笑顔で拍手を送っている。
褒められたというのに、これほどまでに嬉しくないのも珍しい。
「じゃあ、仮に致命傷を負った状態で癒しの魔術のお世話になっても、死ぬ可能性の方が高いってことか……」
「致命傷の時点で死んでしまう可能性が高いとは思いますけど~。そういうことですね~」
さもありなん。
思ったより使えねえな、癒しの魔術。
「まあ、ツブラさんの場合は~、魔法で治療すれば良いだけですから~」
「え!? 魔法で治癒できるんですか?」
事も無げに言い放つお姉さんへ、驚愕の目を向ける。
「当然です~。今までの説明でお分かりかと思いますが~、魔法と魔術では行使できる可能性の幅が段違いですから~。
そもそも、魔術とは魔法を使えない人々が、限りなく魔法に近づけるために編み出した理論ですので~」
魔術は魔法の劣化版だとお姉さんは言う。
「先ほど私が魔法でお茶を出しましたが~、魔術であれと同じことを行おうとすると~、幾つもの工程を重ねる事になります~」
そう言って、お姉さんは指折り数えだした。
「先ずは、お茶の葉を作り出して~、次にティーポットを作ります~。そして適温のお湯を生成したら~、ティーポットにお茶の葉とお湯を入れて~、相当の時間お茶の葉を蒸らし~、その間にティーカップを作るんです~。最後にカッ
プにお茶を注いで出来上がり~という感じですね~」
「……それってもう、普通にお茶淹れた方が早くないですか?」
お姉さんの説明に、げんなりした表情を浮かべつつ突っ込んだ。
「ツブラさんの仰る通りですね~。しかも、ここまでの工程を行ったところで、美味しいお茶を作れるとは限りませんし~。精神力と集中力を注ぎ込んで作ったお茶を飲んでみたら、泥水の味がした~なんてこともあるみたいですよ~?」
何そのセルフ拷問。無駄っていう言葉が可愛く思えてくるんですけど?
「この辺りが世界に認めさせた上で変革を起こす魔法と、物理現象を歪めて事象を改変する魔術との差ですね~。
要は、魔術では“絶対不変の一”を起こすのが難しいんですよ~」
「でもそれじゃあ、途轍もなく不安定じゃないですか?」
俺の疑問に、お姉さんは大きく頷いた。
「そうですね~。故に“魔術師”と呼ばれる人々は、誰が使っても同一の結果を起こせるように、世界に語り掛ける方程式――即ち“確定呪文”を使って魔術を行使します~」
「……ああ、こういうことですか?」
お姉さんの説明から俺なりに理解した解を言葉にしてみる。
「魔術は結果の振れ幅が大きいから、少しでも安定させるために呪文によって確立の変動を抑える、と。
その結果、大失敗や大成功がなくなった代わりに、効果も全て一定になった……?」
「正解です~♪」
ぱちぱちと拍手するお姉さんに、ほっと小さく息を吐く。
良かった……合ってた。
「魔法の成否や威力は、使用者のイメージ力に左右されますが~、魔術に関しては呪文を間違えない限りは必ず成功するんです~。そうなる様に、魔術師の方々が日夜研究を重ねているのですけど~」
なんか、お姉さんの話を聞く限りじゃあ、魔術師って元の世界の研究者とか技術者みたいだな。
魔術をより使いやすくするために、日々努力と研鑽を続けています! みたいな。
「なるほど。
でも、そうやって考えると、魔法よりも魔術の方が一般的且つ汎用性に富んでいるように感じられますね」
「そこはその通りなんですけど~……魔術には副作用がありますから~」
おいおい、何だか不穏なセリフが飛び出たぞ?
「はい? 副作用?」
「ええ~。先ほども言いましたが、魔法と違って魔術は規定次元上の物理現象を歪めることによって事象改変を行っていますので~、どうしても現実との齟齬が生まれてしまいます~」
……ん? 魔法だって似たようなものじゃないのか?
『『違う。魔法の場合は起こそうとする現象を上位次元から順に規定次元に降ろしてくることによって、現実との齟齬を極限まで減らしている』』
『『そうそう。分かりやすく言うと、どれだけ理不尽な指示でも、上役から命令されれば下っ端は従わなければならないっていうこと』』
『『人それをパワハラと呼ぶ』』
『『ブラックだな~、異世界』』
(止しなさい。聞こえの悪い)
「まあ、概ね間違ってませんね~」
認めちゃったよ、この人(龍)!?
「ブラック企業云々はともかく~、そうした齟齬はそのまま現実世界への瑕疵になります~。
本来、在りえざる現象を起こした結果の齟齬が生んだ瑕疵は~、その現象を起こした存在に対して攻的意思を持ちます~」
「……え?」
嫌な予感がひしひしと感じられるぞ? まさかと思うけど、それって……
「そう。ツブラさんの世界風に言うと、“魔物”と呼ばれる存在ですね~」
『『やっぱり居るのか、モンスター!』』
『『俺の大剣が唸るぜ!? 溜め3ぶち込んだる!』』
『『よっしゃ! ひと狩り行こうゼ!?』』
いや、一先ず落ち着けおまいら。
この世界のモンスターが、素材剥ぎ取って装備に変えられるかどうかなんて未だ分からんだろうが。
「あら~。残念ですけど、基本的に魔物は倒すと消えちゃいますよ~?」
『『全俺が泣いた!!』』
『『泣いてない! 泣いてないもんね!!』』
『『うわ~……異世界の魔物、旨味無いわー』』
そら見たことか。
そうそうゲーム的なシチュエーションなんて、ある筈も無かろうよ。
「飽くまで魔術の使用に対する反作用的な存在ですので~。3次元上に存在する以上、物理的な攻撃は効果がありますが~」
視覚として捉えることが出来て、普通に殴って倒せるなら、妖魔相手よりもやり易そうだな。
「但し~、魔物の厄介なところは~、何処にでも現れるところです~。それこそ~、平原のど真ん中から、村や町のど真ん中まで~、のべつ幕無しに突然湧き出ます~」
「なんじゃそりゃ? 安全圏無しですか!?」
前言撤回。なんだその危なっかしい奴らは!?
「何故かオープンスペースでしか顕現できないので~、建物の中に居れば大丈夫ですよ~?」
落ち着いた雰囲気のお姉さんの言葉に、とりあえず一安心する。
に、しても……
「“何故か”なんて、お姉さんにしてはあやふやな物言いですね?」
「ええまあ。先ほども言った通り、私たち龍は、全知全能ではありませんので~。分からない事もままあります~」
俺のセリフに苦笑を浮かべて答えるお姉さん。
あ、いや、困らせるつもりは全く無かったんだが。
「と、とにかく。魔物は見つけたら倒す方向で良いんですよね?」
誤魔化しも兼ねて、俺は声のトーンを半オクターブ上げつつ確認を取る。
倒した後で、「あーあ、やっちゃった」なんて言われたら、とんでもなく気まずいしな。
「はい~。そうしていただけると、私たちも助かります~」
こちらの雰囲気を読んでくれたのか、お姉さんは淡い微笑みを湛えつつ、そう言ってくれた。
なんか、この時点で異世界探索する気満々な会話ではあるが。
まあ、折角(?)異世界くんだりまで飛ばされてきた訳で、早々に元の世界への帰還が叶わない身としては、な。見聞くらい広めたいじゃん?
「しっかし、魔物かあ……じゃあ、やっぱり魔王とかも居るんですか?」
「はい? まおう?」
何気なく振った話題に、お姉さんが小首を傾げた。
「いや、魔王って言ったら魔物の王的存在で、人の世に災いを齎したりとか――」
そこまで言った時点で、背筋にゾクリとしたモノを感じて言い淀む。
何か、目に見えない圧迫感の様なものを、目の前のお姉さんから感じるんですが……?
「うふふ。嫌ですね、ツブラさん~。そんな存在が居る訳ないじゃないですか~。
仮に居たとしても、そんなワールドブレイカーな存在を、世界の調停者たる私たち龍が許すと思いますか~?」
笑顔にも拘わらず、お姉さんは背後に『ゴゴゴ……』という擬音を纏わりつかせてそう言った。
『『魔王死すべし。慈悲は無い』』
『『アイエェェェェェッ!?』』
『『……この反応から察するに、以前は居たのかも知れんな、魔王』』
『『そして完膚なきまでに始末された、と』』
『『しかし、魔王がダメで、魔物は良いという理由が解らんな』』
「それは勿論、魔物に関しては魔術を使う人たちの自業自得ですから~。
私たち龍は世界の調停者ではありますが、人類の守護者ではありませんので~」
デスヨネー。自分のケツは自分で拭くのが当たり前ですよねー。
引き攣った笑顔で冷や汗を流す俺だった……