第六話
書き直しました。2019
ぼんやりとした意識の中で目が覚めた。
そこは、もうすっかり馴染みのある部屋だった。条国にあてがわれている自室だ。僕は掛け布団を剥ぎ取ると、ぼうっとしたまま這うようにして立ち上がった。
そしてそのまま茫然と立ち尽くしていた。頭がまるで働かない。何があったか、思い出せなかった。それでも、しばらくそうしていると、気だるさと共に記憶が蘇ってきた。
「魔竜がいて、倒せたと思ったら……」
魂の塊。あれは、一体なんだったんだろう?
降り注ぐ光が強くなったと思ったら、魔竜に襲われたときみたいに意識が遠のいて……。でも、魔竜の咆哮みたく苦痛はなかった。
思考をめぐらせる。だけど、まったく答えが見つからない。というか、考えているつもりで、まったく頭が回ってなかった。僕は考えることを諦めて、布団に倒れこんだ。
もやもやを取り払いたくて、「ああ!」と声を発する。そこに、
「レテラ、起きてたんだね」
突然声がふってきて、僕は飛び起きた。
障子からマルが顔を覗かせていた。
「びっくりした」
「ごめんね。物音がしたから起きたのかと思って覗いたんだ」
マルはそう言うと、心底ほっとした表情をした。部屋に入って、布団の前に座る。
「レテラは三日も寝てたんだよ」
「そんなに!?」
驚いた僕を見据えながら、マルは頷く。
「ヒナタもさっき起きたとこだよ。陽空は二時間くらい前に起きて、今鈍った身体を動かしてる」
「燗海さんと、紅説王は?」
「王は二日前に目覚められたよ。燗海さんは王より少し早かったけど、そんなに変わらなかったな。王の三時間くらい前に目覚めたんじゃないか」
マルは記憶を探るように言うと、
「起きたとこで申し訳ないんだけど、一時間後、大広間に来てくれるか。見て欲しいものがあるんだ」
真剣な眼差しでマルはそう告げた。
* * *
一時間後、僕は大広間へ向った。
起きてすぐは身体に力が入りづらくて、歩くのがしんどかったけど、廊下を歩き回っていたらだいぶ慣れた。
ただ、三日も寝ていただけあって、筋肉が衰えているのか、すぐに疲れて眠くなってしまった。これが終わったら、さっさと寝よう。
大広間へ着くと、皆もう既に横一列に並んで座っていた。
僕に気づくと、わざわざ振り返って、燗海さんが優しい笑みを送ってくれた。
「やあ、レテラ。調子はどうじゃな?」
「大丈夫です。ちょっと疲れてますけど」
「そうか。それは良かった。終わったらゆっくり休みなさい」
「はい。ありがとうございます」
お礼を言うと燗海さんは向き直って、今度はアイシャさんが振り返った。
アイシャさんは僕を見ると、少しだけばつの悪そうな表情を浮かべた。多分、アイシャさんが誰にも見せないようにしてた弱さを僕が見てしまったから、気まずいんだろうな。
僕がどうしようかと思っていると、アイシャさんはにこりと笑んだ。
「レテラ。無事で良かったわ」
その声音はすごく穏やかで、優しいものだった。
本気で言ってくれたのが伝わってきて、僕は思わず綻んだ。
アイシャさんは僕に笑みを返して、向き直った。
その背に小さく頭を下げて、一番右端にいた陽空の隣へ座った。
「よう。レテラ。御互い大変だったな」
「だな」
陽空の軽口に相槌を打って、僕はにやっと笑う。
「血、きれいに落ちてるじゃん」
「ああ。起きたらきれいさっぱりだった」
ちょっとからかうつもりだったのに、陽空は乗ってこなかった。
つまんないの、と思いつつ、僕は会話の流れに乗った。
「そういえば、僕もだ」
「俺らが寝てる間に、下男か下女がきれいに拭いてくれたみたいだぜ。俺としちゃ、女子だったら良いんだけどな」
「いや、男だろ。絶対」
呆れた口調を作って突っ込むと、陽空はハハハッと声に出して笑った。
「だろーな。残念ながら」
陽空は笑いながら足を崩した。
僕もつられて笑う。
こいつと話してると、本当に楽しい。軽口を叩き合える相手がいるって面白いことなんだなと思う。ルクゥ国にいたときにも友達はいたけど、全員貴族だったから御上品な関係だったり、家のしがらみなんかがあって、こんな風に心から笑い合ったり、冗談やバカなことを言って過ごしたことなんてなかった。
僕は陽空をちらりと窺い見た。
三日前に死にかけて、その記憶が蘇ってきたとき、思った事がある。
大切にしたい人は、大切にしようって。
陽空もそうだけど、僕にとっていつの間にかこのメンバーは、他国の者じゃなくて、仲間と呼べる。いいや、呼びたい存在になっていたんだ。
僕は改めて横一列に並んだ仲間を見渡した。
アイシャさん、燗海さん、ヒナタ嬢、マル、陽空――。今はまだ来てないけど、紅説王も、恐れ多いけど、仲間だと言いたい。
神経質な顔で、上段の間の後ろに控えている青説殿下とも、いつか仲良くなれたらいのにと、そう思う。
青説殿下は僕と目が合うと、怪訝な表情を浮かべた。
多分、僕の顔は今にやついてるんだと思う。でもしょうがない。だって、なんだか嬉しくてたまらないんだ。
それと、やりたいことはやろうって決めた。
僕は目覚めてから、あの少女を思い出した。
浅葱色の着物を着た、おさげ髪の彼女――晃。あの優しい笑みを、せめてもう一度みたい。そう、心から思った。
不思議だった。
目覚めてすぐに思い浮かんだ誰かが、家族でもなく、仲間でもなく、一度逢っただけの少女だったなんて。
僕はもしかしたら、晃に一目惚れしたのかも知れない。
それを確かめるためにも、この会議が終わったら、街に探しに出よう。
もしも逢えたら、今度はちゃんと自己紹介をしよう。
僕は緊張でざわつく胸を押さえて、決心した。
晃に逢いに行こうって。
そのとき、上段の間の奥の障子が開いて、紅説王が浮かない顔つきを覗かせた。
(どうしたんだろう?)
王は、曇った表情のまま玉座についた。その手には、輝く魂の塊があった。でも光の反射がおかしい。ある一定の距離から内側に向って乱反射している。
魂の塊から、六インチくらいかな。
でも、不思議なことに目を細めるほどの眩しさはない。多分、結界がはってあるんだ。
王は僕らを見回して、にこりと笑った。
「今回のこと、皆ご苦労だったな」
王は僕らを労って、視線をマルに移した。
「円火」
「はい」
マルは快活に言って、立ち上がった。
前に出て、王から魂の塊を受け取ると、「皆、これを見て欲しい」と言った。
見るも何も、魂の塊第二弾じゃないか。
「見て分かるように、魔王には今結界が施されてる」
「魔王?」
僕が怪訝に尋ねると、マルは「ああ」と、調子の外れた声を出した。
「レテラと陽空とヒナタは知らないよね。君達が寝てる間にこれに名前がつけられたんだよ。名付け親は青説殿下」
マルは殿下を振り返った。
殿下は静かに目を瞑って、小さく顎を引いた。マルが歌うように言う。
「魔竜を倒す王なるものって意味で、魔王」
なるほど。
実に、殿下らしい。僕は妙に納得してしまった。
その実、諸外国に『これを造ったのは条国の王である。魔竜を滅ぼすのは条国だ』というアピールと、威厳を保つための名前だろう。
もちろん、マルが説明した意味も含まれてるんだろうけど。
それでね――と、マルは話を元に戻した。
「この結界は、二重にされているんだ」
「だから、乱反射してるの?」
僕の質問に、マルは小さく頷く。
「うん。結界がひとつだけだったら、普通に光を通すけど、二つ重ねると微妙におうとつが出来るからね」
マルは魔王を一瞥して、僅かに苦い顔をした。
「それで、どうして結界を張ったのかということなんだけど」
言い辛らそうにマルはもう一度魔王を一瞥して、僕らの誰を見るでもなく見た。
「絶魂の能力がね、止まらなくなっちゃったんだ」
「それって……」
呟いたのは陽空だった。
僕も同時にはっとして、陽空と目が合った。陽空は合点がいったように目を見開いていた。多分、僕も同じ顔をしてる。
「わしらがつがいの魔竜を倒した後に、何かに意識を奪われたのはそいつのせいというわけじゃな?」
「うん。そういうことになる」
マルは毅然と頷いた。
そして、不意に眉を八の字に曲げて、申し訳なさそうな顔つきになった。
「紅説様と燗海は別だけど、レテラたちは本当に危なかったんだよ」
「え?」
僕は表面上は怪訝に眉を顰めてみせたけど、心のどこかで冷えた思いがした。
「魂っていうのはね、生命活動に必要なエネルギーのことだと僕は考えてる。それを魔竜は糧にしてる。そして、この魔王もそれを吸い出す能力がある」
マルは、整理するように一回言葉を区切った。
「能力者は非能力者よりもそのエネルギーが多い生き物だと思うんだ。でも、それにも個体差がある。魔竜に吸われ、次にこの魔王に吸い出されて、レテラたちのエネルギーは底をつきかけていたんだと思う。つまりは、死ぬ寸前だったってことなんだけど」
ただの実験結果の発表のような口ぶりに、僕はそんな口調で言うなよと憤りが過ぎった。でも、それは一瞬で消え去った。
さっきのマルの言葉を思い出したからだ。
「ちょっと待って、さっき魂を吸い出す能力が止まらなくなったって言った?」
思わず硬い声音になった。
「うん。言ったよ」
マルは端的に答えた。
僕はショックで少しの間思考が止まってしまった。
「じゃあ」
と、言葉を口にしたのは陽空だった。
「……結界を解いたら、ヤバイってことだよな」
慎重な声音だった。僕は陽空を窺い見る。僕だけでなく、皆の視線が陽空に注がれていた。陽空は引き攣った顔をしている。
無理もない。僕の頬も同じように引き攣っているのを感じているから。
あの辛さが蘇ってきて、うんざりしてしまった。〝怖い〟というよりは、もう本当に嫌悪感しか湧かない。僕は、あの苦痛を全力で拒絶していた。
マルは静かに口を開いた。
冷静な口調で、淡々と言った。
「そうだね。この結界がなくなったら、皆死ぬと思う」
めまいがする。
(冗談じゃない)
僕はくらくらする頭を、眉間の間に指をやって止めた。
「どれくらいの範囲の者が?」
アイシャさんが硬い声音で慎重に尋ねる。
「この光が届く範囲の者全てだろうね。おそらくだけど、上空に浮かぶわけだから、十キロくらいは届くんじゃないか。地上にあるのなら、また別だけど。魔王の性質上、結界で遮られない限り浮かぶだろうね」
マルは自身に説明するように言う。淡々と口にしているけど、そんな範囲に被害がおよんだら、一体どれだけの犠牲が出るんだ。もしかしなくても、魔竜よりひどい被害状況になるんじゃないのか。
僕はぞっとした。背中に冷や汗が湧いて出る。そこに、
「更に、まずい事態があるのだ」
深刻な表情で紅説王が割って入った。
「この結界は、長くはもたない」
「え!?」
思わず声を上げて息を呑んたけど、それは僕だけじゃなかった。紅説王とマルと、青説殿下以外、皆が驚愕していた。あのヒナタ嬢ですら、驚いて息を呑んだ音声が僕の耳に届いたくらいだ。
「魔王は、結界を内側から食い破ってしまうのだ。あの魔竜のようにな」
僕の脳裏に、魔竜の最後が浮かぶ。臓物や肉片をばら撒いて死んだあの魔竜のように、結界が砕け散るさまが容易に想像できた。
「でも、安心して」
マルが明るく言う。
「結界は張りなおせば良いからさ。数時間は持つしね」
「そうだよな……」
僕はこくんと頷く。結界がある限り、魔王が悪さをする事はない。
だけど、胸には不安が渦巻いていた。
もう一度、あの痛みを味わうかもしれないという不安が、どうしても僕の心を晴天にしてくれない。
僕達はもしかしたら、とんでもないものを創ってしまったんじゃないのか。
「円火の言うとおりだ」
青説殿下の確信めいた声音にハッとして、いつの間にか俯いていた顔を上げると、殿下はいつもの神経質そうな表情で明言した。
「皆不安はあろうが、今は、魔竜を倒す力を手に入れた事を喜ぶべきだ。結界という対策もある。悲観的に考える必要はない。そうでしょう、兄上?」
紅説王は、伏目がちな瞳を上げた。それは、何かを思い切って吹っ切ったような表情だった。
「ああ。そうだな」
紅説王のきっぱりとした語調に、僕はなんだかすごくほっとして胸を撫で下ろした。
(そうだよな。殿下の言うとおりだ)
でも僕はこの時、失念していた。この解決策の重大な欠点を――。だけど、マルは既にこのとき、気がついていたんだと思う。おそらくは、紅説王も。
それが、あの絶望的な状況に一筋の光を見出すだなんて、僕は想像すらしていなかった。