表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/22

第三話

書き直しました。2019

 昨夜、大広間に現れた五人は、憔悴しきったようすだった。着衣に乱れはあるものの、外傷はみられなかった。ただ、疲労感だけはすごく伝わってきた。燗海さんだけは、そこまでではなかったみたいだけど。


 生き延びた兵士の殆ども、外傷なく帰還した。

 アジダハーカに魂を抜かれるとき、やつらは咆哮を上げ、その咆哮によって虚脱感に襲われるらしい。


 紅説王一行は、魔竜の巣で、一匹の魔竜に遭遇した。そして、数名の犠牲を出しながらも、魂の塊を餌として、魔竜の体内に入れることに成功したらしい。


 しかし、術は発動せず、魔竜の咆哮によって多くの犠牲を出しながら、燗海さんとヒナタ嬢の活躍によってその魔竜を仕留める寸前まで追い込んだ。だけどそのとき、新たに二匹の魔竜が現れ、数多くの命をやつらに吸われる事態となり、撤退するしかなかったらしい。


 結局、実験は失敗。一匹もやつらを殺せないまま、撤退という苦渋の結果となってしまった。


「この敗走をうけて、新たな計画の立案と、改善点などについて話し合いたいと思う。諸君、何か思うところはないか?」


 大広間にて、良く通る声で紅説王が告げた。大広間には、僕を含めて八人いた。紅説王、青説殿下、燗海さん、アイシャさん、ヒナタ嬢、陽空、そしてマルだ。


 マルはどうやら、魔竜研究の第一人者として呼ばれたらしい。横一線に並んだ僕らの前にマルが座っている。

 皆が周りの出かたを窺う空気をかもし出す中、陽空がすっと手を上げた。


「確認っていうか、質問なんですけど、良いですか?」

「良い。申せ」


 紅説王は小さく頷く。素朴な疑問というように陽空は尋ねた。


「操相の呪符は何で発動しなかったんですかね?」


(良くぞ訊いた!)

 僕は心の中で親指を立てる。


「憶測になるが――」

 考え込むように言って、王はマルを一瞥してから、

「魂の中に入れたことで、術の発動を疎外されたのかも知れない」

「じゃあ、魂に入れずに、直接魔竜に貼り付ければ、それで済んだんじゃ?」


 陽空の問いに、王はまた考えるように眉間にシワを寄せた。

 それをフォローするように、マルが少し身を乗り出して答えた。


「それはもう試してる。でも、魔竜の鱗は硬くて刃を通さないうえに、ぬるっとする粘液に覆われてる。貼り付けるのは無理だったのさ」


 そうか――と、陽空が軽く頷くのを見届けて、マルは体制を戻して紅説王へ向き直った。


「紅説様。やはり、吸魂竜の研究をすることが、魔竜討伐に近づくと思います」

「うむ」


 マルの意見に紅説王は静かに頷いた。それを、冷ややかな目で見る人物が一人。


「その研究とやらは微塵も進んでいないようですが」


 青説殿下は棘のある声音で冷たく言った。

 マルは涼しげな表情をしていたけど、紅説王は申し訳なさそうに微苦笑を浮かべていた。

 そこに、ヒナタ嬢が例の如く敬語も使わずに、ぶしつけに切り出した。


「計画なんていらないだろ。あたしとそこのジイさんが組めば、殺してまわれる」


 ヒナタ嬢は、燗海さんに目線を送った。送られた燗海さんは微動だにせず、毅然と前を見据えている。


「あの魔竜だって、魂の塊なんか入れようとしなきゃ、殺せてたんだ」


 あんな使えないもの――と、ぼそっとヒナタ嬢は呟いて、僕は一瞬胃がつかまれたように縮み上がったのを感じた。


(故郷のことも少しは考えて発言してくれよ!)

僕がフォローに出る前に、マルが反論した。


「あんな使えないものだって? あれは、王と僕がろくに寝ずに完成させた術だぞ。いいか、魂を結合させるのに、磁力使いだけで出来るわけがないだろう。魂の定着は出来たとしても、一つに纏まらせるには、複雑な術式が必要――って、おい! 聞いてるのか!」


 心ここにあらずといった感じで、ぼさっとしていたヒナタ嬢に、マルは鋭い突っ込みをあびせた。ヒナタ嬢は煩そうに眉を顰めてマルに目線だけ投げた。


「だから、そんなご大層なもんがなくたって、あたしとジジイで殺せた言ってるんだけど」

 ヒナタ嬢はイラついたように棘のある声音を出す。


(めずらしい……)


 彼女が怒るとしたら、ジャルダ神を侮辱されたときくらいだろうと思ってた。それくらい、ヒナタ嬢はあらゆることに無関心に見える。

 

 緊迫した空気が当たりを包む。

 そこに、やわらかい声が投じられた。


「お嬢さんは随分、殺すことにこだわるんじゃのう」

 燗海さんはヒナタ嬢に、何故? と問うように優しく視線を投げる。


「当たり前だ。それがあたしの本分だ。ジャルダ神に血と命を捧げる。戦場こそが、あたしの生きる場所だ」


 僕は、微弱な電流に打たれたような、微かな痺れを感じた。久しぶりにヒナタ嬢の熱のこもった瞳を見た。初対面のとき以来だ。


(なるほど。彼女が戦場へ出る理由はそれか)


 内心でほくそ笑む。

 紅説王にも、全てを包み込むようなオーラがあるけど、彼女にもやっぱり、吸引力がある。さすが、神官だ。


「……御立派なことだけど――」


 僕の隣で、アイシャさんが呟いた。その声音は少しだけ冷たかったような気がしたけど、次に彼女が出した声音には、そのような感じは微塵もなかった。いたって普通といった感じ。


「ヒナタさん。ここは会議の場です。意見を述べるのは、とても良いことだと思いますけど、現実的に考えて貴女の提案はありえないと思います」


 僕の隣で、無言で眉を釣り上げて、あからさまに不愉快そうな顔つきを作ったヒナタ嬢に、アイシャさんは冷静に告げた。


「昨日、貴女と燗海さんがいても、撤退を余儀なくされたではありませんか。一匹だけならば、貴女と燗海さんで倒せるでしょうけど、数匹のアジダハーカに囲まれたら、いくらお二人でも難しいのではありませんか?」

「ああ。やられるじゃろうな」


 ヒナタ嬢の代わりに燗海さんが即答した。当の本人は、不快そうに片方の眉を跳ね上げて、押し黙った。


「ましてや、魔竜はつがいで行動すると言われているドラゴンですよ」


 アイシャさんがダメ押しの一言を告げると、このあと誰かが発言することもなく、何一つ決まらずに、この日の会議は終わった。


 * * *


 大広間を出ると、縁側をスタスタと歩いていくヒナタ嬢をアイシャさんが呼び止めて駆け寄って行った。

 僕はこそこそと後をつけると、アイシャさんの背後で立ち止まった。


「ヒナタさん。会議の場――というより、王の前で、あの態度は改めた方が良いわ。以前もあったでしょう。ほら、初対面の日に、王にあんな口をきいて。ああいうのは、良くないわ。お節介かも知れないけど、貴女はルクゥ国の代表としてきてるのよ。少し態度を改めないと、祖国の恥じになるわ。もう少し、礼節を持たないと」


 アイシャさんは気にかける表情で、ヒナタ嬢を叱っていた。アイシャさんは、真面目な女性なんだと、僕はすごく好感を持ったけど、ヒナタ嬢は違うらしい。迷惑そうな素振りでアイシャさんを睨み付けた。


「言ったろ。あたしにはそういうのは関係ないんだ。あたしは、戦場に出られさえすればそれで良い」

「随分と、わがままに育ったのね」


 アイシャさんは呆れたように言って、子供に言い聞かすように少し語調を緩めた。


「貴女だって、組織の一員でしょう。神官だって、序列はあったでしょう? 紅説王が奇特な方だったから良いようなものの、あんな態度、別の国の王にしたら、貴女、食客といえど、ただでは済まないのよ」

「序列?」


 ヒナタ嬢は侮蔑するように、鼻で笑った。


(なんだ、あの態度は!)

 傍から見ていてイラッとした。僕は断然アイシャさんの味方だね。


「人間は皆、ジャルダ神の下に等しくにあればそれで良い。それに、孤立は大歓迎だ。あたしは物心ついた時からずーっと孤立してる。ここに来たのだって、上からやっかまれただけだからな」

 ヒナタ嬢はつまらなそうに言って、ぼそっと呟いた。


「まあ、あたしは感謝したいくらいだったけど。正直拍子抜けだ。もっと血の臭いのするところだと思ってた」


 ヒナタ嬢は落胆した表情を見せて、踵を返した。

 僕はその背を見ながら、ふと、疑問が過ぎった。

(そもそもどうしてヒナタ嬢はジャルダ神を妄信するようになったんだろう?)


「ヒナタさん」


 僕は気がつけば声をかけていた。

 ヒナタ嬢は振り返って眉を顰めた。


「ヒナタさんって、どうしてそんなにジャルダ神が好きなんですか?」

「……好き?」

 ヒナタ嬢の目に鋭いものが走った。だけど、僕は質問せずにはいられなかった。


「だって、ゴートアール家って上流貴族じゃないですか」


 普通、ルクゥ国の上流貴族は神官職には就かない。

 神官職は修行僧となって、最低でも五年は家族の許を離れて修行しなければならない。言い方は悪いが、貴族、特に上流貴族に生まれれば、ぼうっとしていても良い職に就くことが出来る。だから、わざわざ厳しい修行を行う神官になどなろうとする変わり者はいない。

 生まれ、というてんではヒナタ嬢はちょっと違うけど。


「確か、ヒナタさんが修行僧を終えて、巫女の位についたとき話題になってましたよね。ゴートアールの息女なのにって」


 主に悪い噂だったけど。神戦巫女として名を上げるようになってからは皆、手のひらを返していたっけ。


「そこまでして、ジャルダ神に仕えるのってどうしてなんですか?」


ヒナタ嬢は不意に瞳を伏せた。

 一瞬の間をおいて、僕の頬を風がかすめた。

 何が起こったのか分からなかった。

 それを理解したのは、ヒナタ嬢が顔を上げた時だ。

 彼女は、無感情な瞳のまま腕を前に突き出した。何かが鋭く風を切る音が耳をかすめ、それは彼女の腕へと戻った。チャクラムだ。

 頬が、微かに熱い。何かが流れ出ているのがわかった。おそらく、血だ。

 僕は、ヒナタ嬢の目から視線を外せなかった。


「殺すぞ」


 ヒナタ嬢は、おそろしく静かな声で呟いた。

 その瞳には怒りが滲み出している。

思わず息が詰まった。


「ヒナタ!」


 アイシャさんが僕の隣で、悲鳴めいた声を上げた。

 彼女は本気だ――。僕がそう悟った瞬間、ヒナタ嬢は指を弾いた。

 それは、一瞬の感覚だった。


 僕の目の端に赤い液体が映り、体内から何かが引っ張られる感覚があったかと思うと、突然甲高い音が響いて、僕は我に帰った。

 目の前には燗海さんがいた。


 燗海さんはヒナタ嬢に刀を押し付け、ヒナタ嬢はそれをチャクラムの刃で押し返そうとしていた。


「ヒナタ。武器を下ろせ」


 燗海さんが優しく諭すように言うと、盛大な舌打ちが聞こえ、双方が武器を納めた。

 僕は、ほっと胸を撫で下ろす。

(……怖かった)


「殺されるところだったな。レテラ」


 振り返った燗海さんの表情は優しいままだったのに、口調は何故か僕を責めているように聞こえた。僕の胸に、もやっとした不満が沸き起こる。被害者は僕だそ。


 当の本人、ヒナタ嬢は、僕を見向きもせずに、踵を返してすたすたと歩いていってしまった。


 僕は、怒りを込めてヒナタ嬢の背を見据える。

 そこに、


「あまり、良い類ではないわね」


 ぼそっと呟いた声が聞こえた。

 振り返ると、アイシャさんと目が合った。彼女は、困ったように笑う。


「レテラ。今の言い方は、あまり良くなかったんじゃないかしら」

「え?」


「まるで、好奇心のままに不躾に人の心に土足で入っていったように思えたわ。あなたにはそんなつもりはまるで無いとは思うんだけれど」


 アイシャさんは苦笑して、前を見据えた。


「私、少しヒナタと話してくるわね」


 そう言って、小走りで駆けて行く。僕は呆然とアイシャさんを見送った。


「レテラ」

「はい」


 僕は燗海さんを振り返った。


「好奇心を持つということは、とても良いものだとワシは思う。けれどな、今お前さんの中に、ヒナタを敬う心はあったのかな」


 敬う?


「ワシは、ヒナタの過去に何があったかは知らん。だが、女だてらに厳しい修行をし、荒れ狂う戦場に立つというのは、相当な覚悟がいるものだと思う」


 燗海さんは、三日月のような目をそっと開いた。

 真剣な眼差しで、僕を見据える。


「レテラ。お前さんは、ヒナタに何があって神に仕えるようになったのか、推察することが出来るのではないのかな? じゃが、お前さんはそれを、ヒナタの口から聞きたくなった。それを、ヒナタは察したんじゃろう」

「……」


 僕の胸が重だるく沈む。

 多分それは、図星だからだ。


「人にはそれぞれ、過去というものがある。それは得てして、人に詮索されたくはないものだ」


 自分から話すのならまだしもな――燗海さんはそう呟いて、にこりと笑んだ。燗海さんが柔和な面立ちに戻って、ほっとした自分がいた。


 燗海さんはそのままもう一度微笑むと去って行った。

 僕はしばらくの間、その場に佇んでいた。

 

 ヒナタ嬢に逢ったのは、パレードの日が初めてだ。

 だけど、ヒナタ嬢のことを僕はずっと前から知っていた。

 常に貴族や民衆の間で、彼女は話題になっていたからだ。

 だから僕は、彼女の生い立ちを知っている。


 あくまで噂話だったけれど、かなり正確なものだと思う。

 彼女は、養子だ。

 ゴートアール家の本当の子供じゃない。


 ゴートアール男爵家は、歴史的に見ても名家だった。でも、残念ながら三代続けて容姿には恵まれなかった。

 

 現当主、ヒナタ嬢の養父であるアヒリア男爵は、自分の容姿がかなりコンプレックスだったらしい。その妻であるユーシャン夫人も、家柄は確かだが、美しいとはいえない容姿だった。子供は長女、長男と二人いて、僕は幼い頃に五つ年上のご息女に御会いした事があるけれど、美しい容姿だとは思わなかった。ただ、醜いわけでもない。至って普通。それが、僕の印象だった。

 

 それでも貴族の社交界では、噂の種だったんだ。

 家柄も立派、男爵自身も名のある城主。御子息は当時、若くして官職に就いていて、御息女もまた若くして名家に嫁いだ。

 

 非の打ち所のない家族を貶すには、その容姿しかなかったのだ。

 社交界という場は、煌びやかな衣装を身に纏い、豪華な食事を口にして、優雅に踊る。その一方で、相手の腹をさぐり、貶め、嘲笑する場でもある。

 

 実は僕は、それが嫌いではなかった。むしろ、その噂話を率先して聞きに行っていた。噂を口にするのは好きではなかったけど、人の話を聞く事は好きだった。それを書き留めるときに、僕は至福を感じていたんだ。

 

 そんな泥沼の嫉妬を、男爵は長年真に受けて過ごしたのだろう。

 

 あるとき、美しい少女がゴートアールの姓を名乗ったと僕の耳に入ってきた。

 養子になったその少女は、男爵が国中の娘を見てまわり、買い取った子供なのだという。国中を見て回ったというのは眉唾な気がしたが、実の親に売られたというのはどうやら本当らしかった。

 

 僕はその話を聞いた時に、好奇心に駆られて調べた事がある。当時僕は十二歳だったけれど、ラッキーなことに一度だけ男爵の屋敷の使用人が、僕の屋敷へ使いで来た事があった。その使用人から話を聞いたから、確かだと思う。


 僕はそのことを書き記したことで満足し、すっかり忘れていた。――いや。それは言い訳だ。僕は、確かにその事を頭の隅で覚えていた。


 そして、その売られた少女がヒナタ嬢だということも知っていた。

 僕は燗海さんの言うとおり、ヒナタ嬢が何故神職に就いたのか、察しがついていたんだ。


 子供が親に売られるということは、ルクゥ国では大して珍しいわけでもない。

 でも、貴族に養子に入るということは珍しすぎるくらいに珍しい。それに加え、あの容姿だ。ヒナタ嬢にも例の如く社交界の闇は降り注がれただろうし、まだ年端も行かない子供が、本当の両親でない者を両親だと思えるはずが無い。


 きっと、ゴートアール家では何かしらの問題は起きただろう。

 僕は、それを聞きだしたかったんだ。

 そしてそれを、ヒナタ嬢は察した。


 彼女は多分、僕が貴族だということは知っていただろう。貴族ならば、自分の生い立ちを知っているだろうことも、分かっていただろう。


 彼女は常に、人々の好奇と羨望の眼差しにさらされていたのだから。

 そしてそれは、僕も含まれていたことに今更ながら気がついた。


「そうか、そうだよな……」


 僕は小さく息をついた。

 ヒナタ嬢に初めて逢った日、ジャルダ神を語っていた瞳を思い出した。


 まだ幼い少女が、両親に売られた現実を受け入れる強さも無い少女が、強さの象徴である軍神に心を通わせたのは、自然の成り行きだったのかも知れない。


 僕は、生まれて初めて自分の〝悪い癖〟を、本当に悪い癖だと思った。

 後悔は重苦しく圧し掛かり、重いため息は僕の心を少しも軽くしてはくれなかった。


 * * *


 それから二ヶ月の月日が流れた。

 季節は移り変わり、春を迎えたけれど、まだ肌寒い。

 僕は薄暗い部屋の中で、上着越しに腕を擦った。


 あの日、僕はそのままヒナタ嬢の部屋へ赴いて頭を下げた。

 ヒナタ嬢は、「なんのことだ」と、一蹴して戸を閉めた。


 頭を下げていたから、ヒナタ嬢の表情は分からない。でも、彼女なりの許しだったように思えた。ただ、そう思いたかっただけかも知れないけど。


 それでも翌日からは、彼女は無愛想で不機嫌で、手持ち無沙汰の、いつものヒナタ嬢だった。少なくとも、僕を殺そうとはしないし、僕に対しても何に対しても、特に興味もないようだった。


 ただやっぱり、魔竜との戦いの話になると、瞳がぎらついて活き活きとしだしたけど。

 魔竜といえば、まだその退治方法が決まらずにいる。


 ヒナタ嬢はさっさと殺しに行けば良いものを、とよくイラついている。それをあやすアイシャさんの姿をよく見かけた。


 二人は、あの日以来どことなく距離が縮まったような気がする。

 ヒナタ嬢は相変わらず人と距離をとっているけれど、なんとなくアイシャさんと燗海さんにだけはほんの僅かに心を開いているように見えた。


 魔竜の巣で燗海さんも活躍したようだったから、そこで何かあったのかも知れないけど……。


「ああ。気になるなぁ……」


 僕は盛大にぼやいて、畳に寝転がった。

 文机にちらりと目をやる。


「返事はまだ来ないよなぁ」


 僕も魔竜討伐についていけるように話をつけてくれないかという内容の書簡を一週間前に送っていた。当たり前だけど、まだ返事は来ていない。祖国にはほんの二,三日前に届いたばかりだろう。


「……はあ」


 僕は大げさに息を吐く。

 本当だったら書簡を待っている間にも、各国の英雄達から祖国ではどんな風な暮らしぶりだったのか、どんな風に戦っていたのか、どんな物を食べていたのか、聞きたい事は山ほどあった。


 紅説王にもどうやって術を開発しているのか尋ねたりもしたかったけど、この前のことがちらついた。


 踏み入ってはいけないところまで入ってしまったらどうしよう。

 傷つけるのも嫌だったけど、殺されかけるのもごめんだ。まあ、彼らがそんなまねをするとは思えないけど。


 僕は鬱屈した気持ちを晴らしたくてもう一度ため息をついた。

 そのとき、陽光を何かが遮った。障子に誰かの影が映る。


「レテラ、ちょっと良いか」

「陽空?」


 何の用だろう。


「良いよ」


 僕が返事を返すと、陽空は障子を開けた。


「よう」

「うん。どうしたんだ?」

「ちょっと付き合えよ」

「またナンパか?」


 自分が苦い顔をしたのがわかった。この一ヶ月、何回ナンパの通訳に借り出されたことか……。本当、よく飽きないよなコイツ。

 陽空はにやりと笑いながら、「まあ、そんなとこ」と、軽口を叩いた。


 * * *


 陽空が通っている居酒屋の席につくと、陽空は条国の言葉で、「いつもの」と頼んだ。

 その口調は流暢で、発音も完璧だった。


「お前、結構上達したな」

 僕が感心を込めて言うと、陽空はへへっと笑って得意顔をした。


「まあな。俺には秘密の特訓があるからよ」

「へえ。どうせ、女だろ」


 図星だったのか、陽空は目を丸くした。


「すげえ。なんで分かったんだよ」

「いや、予想はつくだろ」

 僕は苦笑を送る。


「まあ、言葉を覚えるには現地に恋人を作るってのが一番らしいからな」

「確かに。それはそうかもね」

 僕が同意すると、陽空は意外そうに言った。


「マジか。お前が言うか」

「どういう意味だよ」

「お前、俺からしたらちょっと堅物っぽく見えてたからさぁ」

「僕からしたら、陽空は軽すぎだけどね」

「言うねぇ」


 陽空は嬉しそうに笑って、酒が注がれてきていたコップを軽く掲げた。小さい陶器のコップは猪口というらしい。

 僕も猪口を持って、乾杯をする。キンッと甲高い音が鳴って、二人同時に口をつけた。


「昔読んだ本に書いてあったんだよ」

「なんだ。んなことか」

 陽空は何故か残念そうな顔をして猪口を置く。


「お前も恋人の一人や二人、作ったらどうだよ。レテラ。お前だって、お年頃ってやつだろ?」

「余計な御世話だね。僕は恋人を作るより色んな知識や物事を知りたいんだ」


 こっちにくる前も、両親に散々言われてた。

 あの令嬢はどうだとか進められたり、庶民との恋愛はしても良いけど結婚はダメだぞ、とか。僕は微塵もそんなつもりないのに。


「お前ってもしかして、童貞か?」

 陽空は若干嘲笑まじりの笑みを浮かべた。

「……だったらなんだよ」

「まぁじかぁ!」


 不満顔の僕を見て、陽空はにんまりと頬を緩めた。

 絶対バカにしてるだろ。むかつく。


「なんだよ。童貞じゃなかったら偉いのかよ。大体僕はまだ十八だぞ」

「いやいや。十八っつったら結婚してるやつの一人や二人はいるだろ」

「うるさいなぁ」


 僕は軽く陽空の脚に自分の脚をぶつける。

 口では鬱陶しがったけど、水柳国でもそうなんだと関心が湧く。

 ルクゥ国の男子は、十八から二十五歳くらいが結婚適齢期と呼ばれるものだった。ちなみに女性は十五歳から二十歳までがそうだ。

 陽空は脚を軽く撫でながら、


「でもよ、気になってんじゃねぇの? ヒナタちゃんのこと」

「は?」

 僕はあんぐりと口を開けた。


「だってお前、なんかヒナタちゃんのこと意識してんじゃん」

「ああ……」

 そうか、コイツはあの一件を知らないから。


「陽空」

 僕はなるべく真剣な声音を出して、陽空を見据えた。


「それはない」


 きっぱりとした僕の否定に、今度は陽空が口をあんぐりと開けた。


「確かに、ヒナタ嬢にはすごく興味を惹かれるし、とてもきれいな人だと思う。でも、僕が彼女を好きになる可能性はゼロだよ」

「なんで?」

 あんなに可愛いのに。と、陽空は理解しがたい様子で眉を顰める。


「それは……怖いからだよ」

「あん? 怖い?」

「怖いだろ」


 なにせ僕は、自業自得とはいえ殺されかかったんだからな。


「じゃあ、どんなタイプが好きなんだよ」


 陽空はするりと話題を変えた。

 僕は意外な心地で陽空を見る。

 もっといじられると思った。

 多分、突っ込んでこなかったってことは、陽空にも思い当たるふしはあったんだろう。


「う~ん……。僕、恋愛感情として人に興味持ったことないから」

「マジかよ」


 陽空はあからさまに引いた顔した。

(そんなに引かなくても良いだろ)

 僕は内心でちょっとすねながらも、すましてみせた。


「その人がどんな人生を送ってここまできたのかとか、そういうことには物凄く興味が湧くんだけど、誰か一人を好きになったとかいうことはないんだよ。別にそれが悪いことだとは思ってないしね」

「まあ、確かに悪い事ではないわな」

「だろ?」


 僕が同意を求めると、陽空はうんと頷いた。


「でもさ、じゃあ何でお前、ここのところ元気なかったの?」

「え?」

「てっきりヒナタちゃんに振られたんかなぁとか思ってたんだけど、俺」

「そんなわけないだろ」


 僕が苦笑を浮かべると、陽空はじゃあどうしてなんだよと促すような顔つきをした。


「この前、ヒナタ嬢に突っ込んだこと聞いて殺されかかったんだよ。それで、気まずさとか申し訳なさとかがあってさ。本当は研究所に入り浸ったりとか、燗海さんとかアイシャさんとかにも祖国ではどんな暮らしだったのかとか聞いたりしたいんだけど、ちょっと踏み出せなくなっちゃったんだよな」

「ああ、なるほどな」


 僕が愚痴をのべると、陽空は相槌を打った。

 酒を一気に飲み込んで、僕に向かい合う。その瞬間、僕の心臓は小さく高鳴った。陽空の瞳が真剣だったからだ。

 一瞬、魅入ってしまった。


「まあ、その気持ちは分かるわな。でも、それでお前が萎縮すんのは違うんじゃないか。相手がいるなら、そいつに対する配慮ってのは必要だけど。お前が好きなことを我慢する必要はねぇだろ。微塵もな」

「……うん」


 僕は気の抜けた相槌を送った。

 ちゃらんぽらんだと思ってた陽空がそんなことを言うなんて、すごく意外だったんだ。それに、にやついてない陽空を見たのも初めてだった。


「お前さぁ、初めて逢った時、めっちゃ目輝いてて子供みたいだったんだぜ」

「子供って、なんだよ」


 僕は出来るだけ険のある感じで言ったつもりだったけど、照れくささと嬉しさで思うように声にならなかった。

 陽空がなんで今日僕をここに連れてきたのか、解ってしまったから。


「お前はそういうのが似合うぜ。レテラ」


 こいつは、本当に……。

 飽きずに女口説いてるだけあるよ。この、人たらし。


(んなこと言って、恥ずかしくないのかよ)


 僕は心の中でわざと毒づいた。

 じゃなきゃ、僕は顔を上げれない。上昇してくる赤面は、毒づく事で低下した。


「……うるせっ」


 僕は低声で言って、陽空の肩を小突いた。

 陽空は声を上げて笑って、店員に酒を注文した。

 僕は小さな声で、「ありがとう」と呟いたけれど、陽空に聞こえたかどうかは分からない。


 * * *


 それから一ヶ月が経っても、相変わらず魔竜を倒す計画は中断したままだった。会議は毎日のように開いているけれど、対策が見つからないまま時が過ぎていた。

 でも、他の事では変化があった。


 最近、ヒナタ嬢と陽空が条国の言葉を話せるようになったんだ。

 ヒナタ嬢は片言だけど、何故か話せるようになっていた。

 どうしてなのか聞いたら、知らないと返事が返ってきた。


 僕は陽空とバーで話しをしてから、また以前のように好奇心に任せてあれこれと聞いたり調べたりするようになっていた。もちろん、行き過ぎないように心がけてはいる。


 だけどヒナタ嬢だけはやっぱり別で、他の人ほど突っ込んで聞けないでいた。

 彼女は元々あれこれと詮索されるのが好きではないようだし。


 だから何故話せるようになったのかは分からないけれど、アイシャさんから聞いた話では、本人が言うように特に何をしたというわけではなく、自然に覚えたようだった。


 戦いの天才は、言語の天才でもあったわけだ。

 本能で行動しているから、言葉も覚えやすいのかも知れない。言い換えれば、素直ってことなんだけど。


 陽空は恋人に教えてもらったり、居酒屋で女性に教えてもらったりして覚えた。

 僕と行った居酒屋にも通っていたけど、女性がついて晩酌をしてくれるような店にも行っていた。


 どうやらアイシャさんも巻き込んでいたらしい。城内で質問していたのを見た事がある。そのときは僕もまざって教えたけど、会話を聞くに、アイシャさんはずっと前から教えているようだった。アイシャさんは優しい人なだなぁと感服してしまう。

 

 ちなみに、陽空は恋人とは既に別れていた。浮気性が理由で振られたらしいが、本人は意にも介していない。昨日もナンパにくり出していったようだし。

 あいつらしくて、呆れるよりも感心してしまったくらいだ。

 

 僕は、文机に座ってこれらを書き記したメモを清書していた。

 文机に向う場合は、正座と呼ばれる座り方で書くのが一番書きやすい。けれど、すぐに足が痺れて痛くなってしまう。祖国では文机と呼ばれるものもなかったし、椅子に座っていたので、わりと不便だったりもする。


 大体、三週間分の出来事を清書し終わったとき、縁側から誰かが声をかけてきた。


「レテラ・ロ・ルシュアールはいるか」

「はい」

(誰だろう?)


 僕は返事をして立ち上がり、障子を開けた。

 すると、そこにいたのは珍しい人だった。青説殿下だ。紅説王とは、研究室で御会いするけれど、殿下とは会議の場でしか会った事が無い。

 殿下は、眉間に深くしわを寄せたまま言った。


「大広間にきなさい」

「……はい」


 僕は怪訝まじりに返事を返した。

 大広間に行くと、馴染みのある後姿があった。


 白銀の鎧、条国や驟雪、水柳に住む人に比べて白いうなじ、この特徴はルクゥ国の人間である事を物語っている。


 軽くうねった金色の髪が、開け放たれた障子から入ってきた風に揺れる。金というよりは、白に近い色か。

 屈強な体躯を持った彼は静かに振り返った。


「……ミシアン将軍」


 僕は、仰天した。

 思わず息が止まってしまったほどだ。


 ミシアン将軍は、僕と目が合うとにこりと笑んだ。

 彼は、ルクゥ国ではヒナタ嬢の次に有名な人だった。


 若くして将軍となり、数々の戦果を上げている勇猛果敢な将軍で、その評判とは裏腹に甘いルックスを持っている。性格も穏やかだともっぱらの評判だった。


 式典や凱旋パレードなどで遠くから見た事はあったけど、実際に御会いしたのは初めてだ。ちなみにヒナタ嬢は式典やパレードに参加した事は一度も無い。ルクゥを出る時が初めてなんじゃないかな。

 僕はすっかり舞い上がってしまった。


「うわあ……感激です!」


 わき目も振らずに駆けていって、ミシアン将軍に握手を求めた。将軍は嫌な顔一つせずに、僕の手を握り繰り返してくれる。

 将軍の手は優しそうな外見とは正反対に、大きくてごつごつしていた。


「キミがレテラかな」

「はい!」

「今度の魔竜討伐からついていける事になったから、きちんと仕事をするようにね」

「え?」


 きょとんとしてしまった。

 あまりのことに、思考が追いつかなかった。


「元々、こちらとしてはキミに戦況の報告もしてもらおうと考えていたんだ。ほら、ヒナタはああいう性格だろう」


 将軍はふふっとおかしそうに笑う。

 確かに、ヒナタ嬢が報告書を送るなんてことするはずがないもんな。


「でも、こちらにはうまく伝わってなかったみたいなんだ。まあ、それはキミも同じだったみたいだけど……。それを、キミの書状で知ってね」

「それでわざわざおいでになって下さったんですか?」

「書状で済まそうという意見もあったんだが、せっかく転移のコインもあることだしね」


 僕は上段の間に座っている紅説王を見た。

 紅説王は笑顔だったけど、なんとなく硬いような気がした。


「もちろん、転移のコインの使用許可は条国から取ってあるよ」


 言って、ミシアン将軍は青説殿下を一瞥した。

 僕もつられて殿下を見ると、殿下は相変わらず神経質そうに立っている。大広間には入らずに、廊下で待機するようにしていた。


その表情は王と同じように硬い気がした。王からはそうでもなかったが、殿下からはなんとなく、ぴりっとした緊張のようなものが感じられる。緊張、というよりは警戒といった方が正しいかも知れない。


「では、私はこれで」

 ミシアン将軍は殿下に告げて、くるりと踵を返し跪いた。


「紅説王。謁見いただき恐悦至極にございました」

「我々は手を取り合い、魔竜を滅ぼさなければならん。ヒナタやレテラだけでなく、ルクゥ国の力を借りることもあるだろう。バルト王によろしく伝えてくれ」

「ハッ!」


 ミシアン将軍は跪いたまま、拳と手のひらを打ちつけた。


(かっこいい……)


 惚れ惚れしてしまう。

 国は違えど、王と騎士。やっぱり絵になるなぁ……。

 僕はそのとき、神聖な空気さえ感じていた。

 だけどきっと、このときから既に、運命の歯車は回り出していたんだと思う。


 * * *


 それから、瞬く間に半年以上の月日が流れたけど、目覚しい変化はなかった。

 相変わらず魔竜を葬る方法が見つからない。


 マルが言うには、魔竜を倒すにはやはりその生体の仕組みを知るしかないそうだ。でも、それは未だに見つかっていない。


 だけど僕は、毎日が楽しかった。


 僕は通訳から解放されたということもあって、毎日、紅説王とマルの研究所に出向いている。普段の紅説王は、衣冠束帯ではなく、地味な着物を着ていた。


 僕は普段着の王と、実験オタクのマルが、ああだこうだと議論しては、熱心に研究に打ち込んでいる姿をメモ帳に記していったり、街にも繰り出して、どんな様子なのか記録する日もある。

 実は、本日がその日なのだ。


 僕は街に降りて、人ごみの中を散策していた。

 当たり前だけど、条国の町並みはルクゥ国と違っていた。


 月国は石畳が普通だけど、条国は均された土で、建物はルクゥ国は石造りだけど、条国は木材だった。


 異国情緒漂う町並みを見ていると、わくわくしてくる。僕は、道の端に避けて、胡坐を描きながら、メモ帳にスケッチを描いていた。

 こういうときは、小さいサイズが仇となる。


「もっと大きい紙を持って来れば良かったなぁ。条国にも売ってるかな?」


 僕は独り言を呟いて、辺りを見回した。すると、それに答える声が。


「あるよ。ほら、そこの店」


 僕は一瞬肩を竦ませて振り返った。いつの間にか隣にみつあみを結った少女が座っていた。僕より年下の、十五歳かそこらの年齢。薄茶の髪に、浅葱色の着物が映える。

 少女は赤茶の瞳をにこりと細めた。


 その瞳は赤希石せっきせきによく似てる。赤希石はルクゥ国の下の方、南の地方の一部、シクラで取れる宝石で、わりと貴重な石だ。赤色の中に茶色が多く含まれていて、緋色に近い。シクラでは婚約者に送る風習があって、恋人の石と呼ばれている。


 そんなことをやんわりと思い出しながら、彼女の瞳を見ていた。すると、少女は僕の先を指差した。


 僕はつられて振り返る。すると、筆の絵が描かれた看板が軒下から吊るされている建物があった。


「見えた?」

「あ、うん。あそこがそう?」


 向き直って尋ねた僕に、少女はまたにこりと微笑む。


「えっと、教えてくれてありがとう。君は?」

「わたし、ひかる。ごめんね。びっくりしたでしょ?」

「あ、うん。まあ」

「お兄さんがたまに町で絵を描いてるの見かけてたの。何を描いてるのか気になって。こっそり覗いちゃってたの。随分前から隣にいるのに、全然気づかないんだもの」


 晃はくすくすとおかしそうに笑う。僕は、気恥ずかしくなって頭を掻いた。

 さっきまで弟も一緒にいたんだけど、と言って、彼女は一瞬だけ視線を街中へ投げた。そして、僕に向き直って、愛想良く笑んだ。


「お兄さん、外国の人でしょ? 顔立ちとか、服装とか、この辺じゃ見かけないもの」

「うん、そう。ルクゥ国の人間だよ」

「そうなんだ。ルクゥ国ではそういう格好なんだね」


 晃は物珍しそうに視線を上下に動かした。僕は、自分の服装を見やる。今日もさほど代わり映えはない。黒のシャツに、チェック柄のジレ。黒のキュロットに、黒のタイツと革靴。黒で統一しただけだ。


「僕にしてみれば、条国の方が珍しいけどな」

「それって、お互い様ね」


 楽しそうに晃はふふっと笑った。

その笑顔を見た瞬間、僕の胸はきゅんと締め付けられた。


(……なんだ、これ)


 僕は、どぎまぎする胸を押さえながら、晃を見つめた。

 晃は小首を傾げながら、にこりと微笑む。


 僕の胸はまた締め付けられた。不思議な事に、その感覚は、苦しいのに嬉しかった。

 体温が一気に上昇したのを感じる。そのとき、


「あ~! いた、いた!」


 突然聞こえてきた。騒がしい声に振り返ると、人中にマルと陽空が立っていた。

 僕は火照った頬を押さえた。


「マル。どうしたの?」


 声が思いがけず裏返る。


「どうしたの。じゃ、ないでしょ。会議の時間、とっくに過ぎてるんだけど。皆探し回ってるよ」

「あっ!」


 僕は慌てて立ち上がった。


「ごめん。僕、行かな――」


 晃を振り返ると、晃の手を陽空が握っていた。


(いつの間に!)


 彼女を立たせようとしているというのは分かったけど、僕は何故だがすごくイラっとして、その手を叩きたくなった。よりによって、陽空とは。


「会議に出ずに、女の子と仲良くデートったぁ、やるねぇ。お前も」

「違う! そんなんじゃ――」

「お嬢さん、名前は?」


 自分で話題を振っておいて、陽空はそれを無視して晃に熱視線を投げた。しかもまだ手を繋いだままだ。


(この男は!)


 僕はイライラしながら、その光景を眺めていた。でも、晃は陽空の手をそっと放した。僕は少しだけほっとした気分になって、小さく息を洩らした。


「晃です」

「良い名前だね。それにすごくキレイな瞳だ。――晃ちゃんは何歳なの?」

「ありがとうございます。十五歳です」

「そうなんだ。随分と大人っぽいんだね」

(そうか?)


 僕は小さく首を捻った。晃は僕からして見れば、どこからどう見ても年相応に見える。


「ほら! そんなことしてないで、さっさと行くよ!」


 マルはガナリながら、陽空の服の衿を掴んで、猫を持ち上げるみたいに陽空をひっぱった。陽空は、ずるずるとひっぱられながら、


「はあ、ヤダね~。研究オタクは。女の子の大事さも知らないなんて」

「研究の方が大事じゃないか! 世界の命運がかかってるんだからな!」


 軽口を叩いた陽空を、マルは真剣に叱りつけた。


「お兄さん達って、何をしてる人達なの?」


 きょとんとした表情で尋ねた晃に、マルは向き直って胸を張った。


「僕たちは魔竜討伐の研究をしているんだ。そのために、吸魂竜の舌の研究をしているのさ」

「舌の。なんで?」


 訝しがりながら首を傾げた晃に、マルは嬉々として説明しようとしたけど、突然マルはなにかに気づいた表情をして、しゃがみ込んで彼女の腕をとった。


「――おい!」


 僕は思わず小さく引き止める。でも、マルの耳には届かなかったのか、マルは妙に真剣な表情で、残っていた片方の手を顎に当てた。


「微かに、震えてる」

「え?」


 マルの低声に、僕は怪訝に呟きながら晃の腕を見た。確かに、微かに震えているように見える。

(大丈夫か?)


「ああ、これ。大丈夫よ。ただの筋肉痛だから。さっきまで弟をずっと抱っこしてたから、筋肉が少し痙攣してるの。少ししたら治るわ」

「そうなんだ」


 僕は安堵しながら、相槌を打った。だけど、話題を振った当人であるマルは心ここにあらずといった感じで、固まっている。


「弟ったら、もう七歳なのに、まだ甘えん坊なのよ」

 晃がくすくすと笑った瞬間、マルが勢い良く立ち上がった。


「そうか! そうなんだ!」

 声高に叫ぶと、キラキラと瞳を輝かせて勢い良く晃を見る。


「ありがとう!」

 マルは大声でお礼を言って、踵を返して走り出した。


「お、おい! どこ行くんだよ!」

 僕は追いすがるように手を伸ばして、晃とマルを交互に見やった。


「ごめん! 行かなくちゃ」

「ううん。また、会えると良いね。お兄さん」

「うん!」


 大きく頷くと、陽空の襟をひっぱって、早足で駆け出した。

 陽空は引っ張られながら、元気良く叫んだ。


「俺も、また逢いたいな。俺の名前は陽空。覚えておいてね。その、キレイな赤希石色の瞳で、また俺を見てね。晃ちゃん!」

「うわ、キザー。ひっぱられながら、よく言えるな。陽空」


 僕は悪態をついて、大げさにため息をついた。そんな僕に、陽空はケロッとした表情で、


「言うだけはタダだもん」

「本当、最低なヤローだな」

「お前も言うねぇ。つーか、お前は名乗っておかなくて良いの?」

「……良いよ。今はそれどころじゃないだろ」


 たまたま遇っただけの女の子だ。それ以下でも、以上でもない。僕は、自分にそう言い聞かせていた。だけど、僕の表情は今、限りなく不機嫌だろう。


「そうか。まあ、お前が良いなら良いけど。後悔は先に立たないんだぜ」


 後ろから聞こえてきた言葉とは裏腹な陽空の楽観とした声音が、何故か心にこびりついた。


 * * *


 マルは城の研究室に戻っていた。彼は熱心な様子でドラゴンの舌に向き合っている。

「マル」と声をかけたら、片手で制されてしまった。そのすぐ後に紅説王がやってきて、二人で何やら話し始めた。僕は、是非とも話を聞きたいとそっと歩み寄ったけど、今度は紅説王に止められた。


「すまない、レテラ。生きた吸魂竜を捕らえに行きたいから、アイシャかヒナタ、燗海を連れてきてくれないか。出来ればアイシャが好ましいが、急いでいるから誰でも良い。陽空、君もきてくれ」


 紅説王は僕を飛び越して、研究室の隠し扉にもたれかかっていた陽空を見た。


「は~い。了解しました」


 陽空の快活な返事が背中に突き刺さる。


(お前、本当は行く気全然ないくせに。僕と代われよ!)


恨みを込めて振り返りざまに陽空を睨むと、陽空はにやっと頬を緩ませながら肩を竦めた。


「むかつく」


 僕は呟いて、あっかんべーをして陽空を通り過ぎると、くっくっと、後ろからおかしそうに陽空が笑った声が聞こえた。


(あいつ、本当むかつくな!)


 僕は廊下で遇ったアイシャさんに事情を話した。ヒナタ嬢には恨まれるかも知れないけど、先に遇ってしまったのだから、しょうがない。


 アイシャさんが合流してすぐに、紅説王は僕にマルと残ってマルの手伝いをするように言いつけると、アイシャさんと陽空とともに、吸魂竜を捕まえに出かけていった。もちろん、転移のコインで。


 その時、陽空が何やらアイシャさんに話しかけていたけど、どうせまた軽薄な口説き文句だろう。


 残ったマルに事情の説明を求めたけど、ぶつぶつと独り言を呟いては、研究室の片付けや準備に追われて一言も答えてくれなかった。そのくせ、僕にはたっぷりと準備を手伝わせたけど。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ