第二話
書き直しました。2019
「陽空。王は何だって?」
僕は魂を集めるという、儀式の場へ行く馬車の中で、陽空に話しかけた。僕の他にはヒナタ嬢と、護衛だという兵士が三人ほどいた。燗海さんとアイシャさんは、別の馬車に乗って移動している。王も出向くというので驚いたが、彼ももちろん別の馬車だ。
「ふっふ~ん。特命だ。まあ、着いてからのお楽しみだな」
陽空は得意げに答えて、指を軽く振る。
「ちぇ」
僕は舌打ちをして、何気なくヒナタ嬢に視線を送った。ヒナタ嬢は、相変わらず無味乾燥といった感じで、ぼけっとしている。でも、その鼻白む感じが不思議と妖しく、どこか艶かしい。まるで、この世の者ではないみたいだ。そんなことをふと思ったとき、軽薄な声音が耳についた。
「ヒナタちゃんはさぁ、食べ物何が好きなの? 今度一緒にご飯行かない?」
僕には彼女は近寄りがたく、神聖さすら感じるのに、陽空はそんなことはまるで感じないらしい。さっきから彼女をがんがん口説いている。相手にすらされてないのに、まるでめげない。
(男としては立派なのかも知れないけど、訳す方の身にもなってくれよな)
僕は、呆れ交じりにため息をついて、どうせ無視される彼の言葉を訳した。
* * *
僕らは一時間ほど行った所で馬車を降りた。
そこは丘の上だった。眼下には森の中に大きく開けた草原が広がっていた。
草原は一キロ先くらいまで広がっている。しかしそこは、草ではないもので埋まっていた。
色々な種類の動物達が檻に囲われていたのだ。その中には人もいた。
動物達の中心で、数百人が固まるようにして立っていた。かなりの数がいる。多分、五百人以上はいるだろう。
檻に囲まれた中に無防備なまま放置されているさまは、何となく異様だ。
「あの人達は誰だろうな。陽空」
僕が振り返ると、陽空は馬車に逆戻りしていた。
「おい。どうしたんだ?」
僕が近寄ると、陽空は両手を合わせてにかっと笑った。
そのまま、馬車はゆっくりと駆け出して、丘を下っていく。
「なんだよ。あいつ」
怪訝に呟くと、後ろから声をかけられた。
「始まるようだぞ」
振向くと燗海さんがいた。その向こうで、アイシャさんが、ヒナタ嬢の隣で覗き込むようにして下を見ていた。
僕は燗海さんと一緒に彼女達の隣へ並んだ。
「そういえば、王はどちらにおられるか御存知ですか?」
僕は何気なく燗海さんに尋ねた。
「おそらくは、下じゃろうな」
「下? 何故?」
「紅説王は呪術者だからの」
「呪術者? それって――」
「始まったぞい」
僕の言葉を遮って、燗空さんは僅かに身を乗り出す。
すると、眼下に紅い光が射した。僕は目線を下げた。草原全体を取り囲むように紅い光りが立ち上っている。
地面に何かが描かれているのか、動物や人の合間を文字のような、絵のようなものが垣間見えた。
「あれは……?」
僕は自問しながら、メモ帳とペンを取り出した。
「あれは呪陣だろう。おそらく紅説王がお考えになられた」
呪陣――。僕は口の中で呟いて、目前で起きていることを書き記していく。呪陣が何なのか燗海さんに尋ねたかったけど、多分訊かなくても、今、目の前で解るだろう。
少しの間を置いて、紅い光はいっそう眩く光りだした。
「ん?」
そのとき僕は、異変に気がついた。
首輪と猿轡をされた数十頭のドラゴンが、草原の周りを取り囲むように立っていた。その数は、おそらく百に近い。その後ろには鎖を持った兵士が首輪を引いて、ドラゴンを宥めたり、叱り付けたりしているようだ。
「あれは、吸魂竜だ」
僕は呟きながら、食い入るように見つめる。吸魂竜は硬く、ざらついた黒い皮膚に、長い尾を持った竜で、水場を好んで生息している。特に海辺に多いとされる翼竜だった。
二本足で立つ吸魂竜は、小さな前脚を器用に動かして猿轡を取ろうとしていた。もちろん、がっちりと締められた鉄製の轡が外れるわけがないけど。
このドラゴンには、ある特徴があった。
「それにしても、実物を見るのは初めてだな」
独りごちながら、僕はメモを取る。
すると、甲高い咆哮が上がった。耳鳴りのように、おそろしく高く、細い音だった。僕は思わず耳を塞ぐ。草原を見ると、吸魂竜の猿轡が取り外されていた。
草原の中にいた動物達が一斉に苦しみだした。悲鳴を上げ、檻を揺すったかと思うと、一斉に崩れるように倒れ込む。もちろん、草原の中心にいた数百人の人間も、悲鳴を上げながら突っ伏した。
僕は、びっくりして息を呑んだ。それでも、書く手は緩めない。すると一瞬、草原に白い靄がかかったように見えた。
靄は風になびくように揺れ、ふと消えたかと思うと、倒れた人や、動物から、白い塊が出て来た。それは、直径一センチくらいの丸い玉で、白く輝き、ふわふわと頼りなく空中を漂う。
おそらくあれは、魂と呼ばれるものだろう。
僕は、ちらりと吸魂竜を見る。
吸魂竜は、魔竜・アジダハーカと同じく、魂を肉体から引き剥がし、それを糧とする特殊な能力がある生物だった。
僕がほんの少しだけ吸魂竜に目を向けている間に、草原は無数の白い玉に覆われた。そのとき、魂の一つが草原の外に向ってふらふらと近寄って行こうとし、紅い光に弾かれた。
(そうか。あの光は魂を逃がさないようにする役割があるんだ)
僕は一人で納得して、速筆した。
白く輝く魂たちが、何かに引き寄せられるように宙へと集まっていく。
「あれって……!」
僕は驚いて、一人の人物に釘付けになった。その人物は、誰もが地面へ沈み込んでいる草原を颯爽と歩いてきた。――陽空だ。
(あいつ、何やってんだ?)
僕は訝しがりながら、陽空を見つめる。すると、あいつは両手を翳した。その瞬間、魂は、更に勢いを増して一つに固まっていった。
ものの数分で、魂たちは、一つの巨大な球体へと姿を変え、太陽のように燦然と輝いた。
「すごい。もしかしてこれ、あいつがやったのか?」
思わず零れた感嘆に、答える声はなかった。皆、愕然としていたんだ。でも、次の瞬間もっと驚くことが起こった。
太陽のように眩い光を大地に注いでいた魂の塊は、突然、圧縮されたように小さくなって、地面へ落ちた。
それを陽空が拾うと、紅い光は静かに止んだ。
ここからじゃ大よそになるけど、球体の大きさは、陽空と比較すると、大体、直径十センチといったところだ。それでも、光りは変わらずに眩い。
そこに紅説王がやってきて、小さくなった塊に、紫色の紙を入れたように見えた。
(もしかして、相手を操るっていう呪符か?)
「行くぞい」
不意に声をかけられて僕は振り返った。
燗海さんが馬車に乗り込もうとしている。
「どうやら、終わったようじゃからな」
燗海さんはそう言うと馬車に乗り込んだ。その後を追うように、僕の隣にいたヒナタ嬢とアイシャさんも、馬車に向って歩き出した。
僕は、丘の下を振り返った。そこには、屍となり、力なく突っ伏した無数の動物達に囲まれて、ただ二人だけが立っていた。
その光景は、胸騒ぎと好奇心を駆り立てるには、十分すぎるほど異様なものだった。
* * *
馬車に乗り込んだ僕らは、一路、城へと戻った。
城の造りはルクゥ国のものとはまるで違った。祖国では王宮と呼ばれるその条国の城は、小高い山の上に築かれ、坂を上っていくと、重臣たちの屋敷があり、中庭を突っ切るように行くと、やっと本殿がある。
その中庭だって、外壁に囲まれていて、重臣たちの屋敷から侵入者を狙えるようになっている。
僕らの国では、このような要塞は王宮以外の城塞都市にしか存在しないし、こんなに攻撃にも守りにも適しているものではなかった。どちらかというと、ルクゥ国のものは守りに特化しているといえる。
城を見回しながら、自然と顔がにやけてしまう。だけど、そんなことに構っている暇はない。僕は、周りを注意深く観察しながらメモを取った。
僕らは城の門を潜ったところで馬車を降りた。僕らより進んだところから馬車を降りて来た陽空を見かけて、僕は走り寄った。
「陽空!」
「おう。アイシャちゃんと、ヒナタちゃんは見てたか? 俺の活躍!」
「早速それかよ。まあ、良いや。ところでさっきのなんなんだよ?」
「ちょっくら気になってたんだけど、お前、タメ口早いよなぁ。ホント、良い性格してんぜ」
そんな事より早く! と、僕は手をばたつかせた。陽空は笑窪を作りながら、にやりと笑んだ。
「せっかちは女に嫌われるぜ」
などとくだらないことを述べて、本題に入る。
「俺の能力だよ」
得意顔で言った陽空に、僕はわくわくした気持ちで訊いた。
「やっぱり、陽空は能力者なんだね」
「あったりまえよぉ!」
陽空は大きく頷く。
この世界には、能力者と呼ばれる者達が存在し、様々な能力が使えた。
大地を操れる者もいれば、水を造り出せる者もいる。
ヒナタ嬢だって、血液を操る能力者だ。
かくゆう僕も能力者だけど、普段生活するぶんにはあまり意味のないものだった。能力を発動させたことすらない。
ルクゥ国では生まれた赤子に能力があるかどうか、宗教名でもあるルディアナ神に仕える巫女に視てもらうことがある。巫女っていってももう婆さんだけど、僕はその巫女に視てもらったらしい。
両親から能力について聞かされたとき、両親はすごく複雑な表情をしていた。僕もすごく複雑な気分だった。
出来れば、使うときがこないで欲しいし、使うとしても、もっとずっと先が良い。そんなことがぼんやりと過ぎったけど、陽空の話に耳を傾けた。
「俺の能力は、磁力を操る力でな。電磁気ってやつで、魂同士をくっつけたんだよ」
「そんなことが出来るの?」
驚いた僕に、陽空は困ったように眉間にシワを寄せた。
「まあ、出来たな。俺も半信半疑だったんだけど、紅説王に理論上は出来るはずだからやってみてくれって言われてさ」
「すごいな。そんな理論、どうやって出したんだろう? 今度研究室かなんか見せてもらえないかな」
ぶつぶつと独り言を呟いた僕に、陽空は律儀に応答した。
「さあな。頼んでみたら?」
「そうしようかな。――でさ、紅説王が塊に入れてたのって、やっぱ操相の呪符なの?」
「ああ。そうだって。確か、対になる呪符があって、それで操るんだと。それをつけられた相手は、もう一枚の呪符を持ってる相手に操られるんだって。ただし、王でなければ、上手く操れないんだとよ」
「へえ……。やっぱ、紅説王も能力者なんだよね」
「そりゃそうだろ。なんせ、神の一族だからな」
陽空は当たり前のように言った。
この世界には、能力を持たずに生まれる者も少なくない。でも、条国の王族は、何故か一族全員に能力が宿っているらしい。神の一族と条国では崇められていた。その辺も是非、聞き記しておきたいところだ。
* * *
翌日、僕らは大広間に集まった。縁側という外に面した廊下を歩いて行くと、もう皆は集まっていた。
あれこれと城の中を調べまわっていたから、僕が一番最後になってしまったらしい。障子が開かれた途端、僕に視線が集中してちょっと気恥ずかしかった。
皆、服装が変わっていた。僕も初日の、赤い生地に豪華な刺繍が施されたジェストコールではなく、控えめに刺繍された無地に近い紺のジュストコールに、スカーフなしでジレだけ、という平服に近い格好にしたけど、それでも正装の範囲だ。だけど、彼らはそれとは違うようだった。
燗海さんは紋付羽織がなくなり、着物に袴と動き易そうだし、腰には刀が差してある。陽空は昨日と変わらない形の服装だけど、生地が明らかに違う。昨日は高級なシルクだったのに、今は多分、綿だろう。その上に、手甲と、胸甲板、脛当てを身に着けていた。
男性陣はそう変わらないけど、如実に違うのは女性陣だ。
アイシャさんはマントがなくなり、バックプレイトと、胸部までの胸甲板に変わり、その艶めいた浅黒い肌の腹部を露わにしていた。巻きスカートの隙間からは、膝当て(パウレイン)と脛当て(グリーヴ)が覗いている。鉄靴は先が尖がっていて、蔓のデザインが施されていた。
ヒナタ嬢は紅の胸部のみの胸甲板に身を包み、胸甲板の下からワンピースが広がっている。紅色のグリーヴとサバトンが、燃えるように鮮やかだ。そして、手首にはチャクラムがぶら下がっている。チャクラムはリング状の刃物で、普通、穴に指を入れて回して飛ばす。しかし、ヒナタ嬢の物は通常の物より大きかった。
燗海さんの服装以外、これらは皆、能力者用に軽量化された、戦闘用の武装だ。
「皆、集まったな」
爽やかな声音が上段の間から聞こえてきた。いつの間にか、紅説王が座している。その斜め前には青説殿下もいた。僕は、慌てて畳に座って、叩頭する。
紅説王も、着物の上に鎧をつけていた。紅説王は軽量化した鎧ではなく、能力者ではない兵士と同じようにがっちりと、上から下まで鎧を身に着けていた。でも、青説殿下は特に服装に変わりはなかった。
「これから、魔竜討伐に出かける。兵士達は既に、別の場所から魔竜の巣へ転移し始めている。諸君らには、私の護衛と魔竜の捕獲に協力してもらう」
(来た、来た! 魔竜をこの目で見られるぞ!)
「だが、非戦闘員であるレテラ、君はここに残ってくれ」
「――え?」
僕は思わず顔を上げた。青説殿下に睨まれる。だけど、僕は詰問を止められなかった。
「どうしてですか?」
「危険だからだ。彼らは戦闘員として諸外国から派遣されているが、君は違う。それに、君達は食客でもあるのだから」
「いやです!」
僕は食い下がる。こんなチャンス滅多にない。ここまで来たのに、自分の目で見ることが出来ないなんて、そんなの地獄だ。
「危険でも構いません! どうか、僕も連れて行ってください。邪魔は致しませんから!」
「うむ……」
必死な訴えに感じ入ったのか、紅説王は戸惑いながら頷きかけた。しかし、
「貴様の嘆願などどうでも良い! 邪魔になるかならないかの問題ではない!」
突然、怒声が割って入った。青説殿下だ。毅然とした声音で、彼は続けた。
「これは外交の問題に発展するのだぞ。戦闘要員として送られたヒナタ殿ならばともかく、非戦闘員の貴様が負傷した場合、ルクゥ国との間に亀裂が生じ、賠償責任の問題が出てくる可能性があるのだ。その可能性を、貴様の独りよがりな判断で軽んじて良いはずがない」
「……」
確かにその通りだ……。
こうなる事は予測できたはずなのに。僕のミスだ。僕はてっきり戦闘の記録係も出来ると思っていたけど、条国側がこれを許すはずは無いんだ。
だって僕は、王が言うように非戦闘員で、曲がりなりにも貴族で、青説殿下が言うように、僕の言動一つで外交の問題が発生するかもしれない立場にあるんだ。
バルト王が僕が戦闘について行くことを了承し、言い方は悪いが条国側に僕が例え死んだとしてもかまわないと掛け合っていたとしたら、状況は違っただろう。
祖国にいるときに、僕もついて行けるように王や外交官に進言しとけばよかったんだ。だけど、もしもすでに掛け合っていたとして、それでも条国側が受け入れなかった場合、僕はどっちにしてもついて行けなかったってことだけど。
(悔しいなぁ。せっかくのチャンスなのに……)
僕は悔しさを胸に、再び叩頭した。
「申し訳ありませんでした」
* * *
僕らがこの国へやって来たときと同じ、紅説王の発明したコインを使って、皆はすぐに旅立って行った。どうやらコインの穴は、魔竜の巣へと繋がっているらしい。
陽空と燗海さんは、去り際に僕の肩を叩いて慰めてくれた。アイシャさんも、良い判断だったと思うわと声をかけてくれた。紅説王は、どことなくすまなそうな顔をして、僕を振り返ってくれたので、僕は頭を下げて見送った。だけどヒナタ嬢だけは、何も言ってくれないし、僕をちらりとも見なかった。同郷なのに。
青説殿下が、不機嫌に眉を顰めながら大広間から退室されても、僕は拗ねながら、穴の塞がった畳を見つめていた。
「あ~あ。コインの穴じゃなきゃ、馬車にでも忍び込んでついて行けるのになぁ」
転移じゃ、すぐにばれてしまいそうだ。何せ一瞬で移動できるんだから。移動先の情報が判らないから、もしかしたら、魔竜の巣のど真ん中に出てしまうかも知れないし。
これって案外危険かもなぁ。
僕は、コインを拾い上げる。まじまじと見つめて、ため息をついた。
「今回は、諦めるしかないか」
独りごちて大広間を出た。縁側から見える庭はきれいに整備されている。僕の国じゃ、まず見かけない手入れ方法だった。木の枝や葉が丸く切られ、小石が庭に敷かれていた。それが渦巻き模様を作っている。何でわざわざ小石を敷くんだろうって、初めて見たときは思ったけど、こうして見ると味わいがある。
「さて、見て回った城の様子でも書き写すかな」
自室に向おうと気持ちを切り替えた。そのとき正面の部屋の中から、ガタンと、小さな物音が聞こえた気がした。
「誰かいるのか?」
独り言ちて、部屋へ近づく。
「誰かいますか?」
声をかけながら障子を開いた。でも、中には誰の姿もない。奥の襖が開け放たれていて、続き部屋が見える。続き部屋には掛け軸がかけてあって、野桜の絵が描かれていた。その隣に、クローゼットがある――いや、こっちでは押入れって言うんだっけ。
押入れの襖の端には、大きな梅の花が描かれていた。
なんとなく可愛らしい部屋だな、なんて思いながら障子を閉めようとしたとき、続き部屋の押入れが僅かに開いていることに気がついた。
(誰かいる? 何かあるのか?)
胸がドキドキしてきた。
僕は好奇心に任せて部屋に入り、続き部屋へ行くと、押入れに手をかけた。
どうせ空か、布団か何かしか入っていないと思いつつ、わくわくしてしまう。宝箱や、誰かの秘密を覗くみたいに胸が高鳴る。
「えいっ!」
思い切り押し入れを開けた。
「……やっぱね。だよね」
中は完全なる空だった。上段と下段を分ける仕切りもない。
僕は嘆息しながら、押入れを閉めようと再び襖に手をやって、ふと気がついた。押入れの壁に薄っすらと縦に線が入っている。僕は何気なくその線をなぞった。
「あれ?」
ぼこっとした感触がある。僕は二度、三度と線をなぞった。初めは、木の歪みだろうと思ったけど、明らかにでこぼことした感触があった。左右に手を広げて擦ってみる。すると、その感触は、そこだけじゃなかった。まるで扉をかたどったように、四角く広がっていた。
「これって、もしかして、隠し扉か?」
四角くかたどられた、でこぼこの線の端っこをコンコンと叩いた。すると、壁は僅かに浮いて、少しだけ厚みのある板が顔を出した。それを引っ張ると、板が半回転して、通路が現れた。
暗い通路は真っ直ぐに伸び、その先に微かに光が見えた。僕は興奮と、若干の不安を感じていた。暗いというそれだけで、恐怖を感じてしまうのはしょうがない。
僕は、一歩足を踏み出した。
五メートルくらい歩いたところで、僅かな光りにたどり着いた。そこは突き当たりだった。どうやら光は、壁の中から漏れ出しているみたいだ。
つまりこの先は外か、もしくは部屋があるってことだ。
僕はドキドキと高鳴る鼓動を抑えながら、壁を押した。壁は半回転して開かれた。
その瞬間、僕が捉えたものは秘密に満ちた薄暗い部屋でもなければ、陽光を湛えた草原でもなかった。それは、光だ。白い、目が眩むほどの白い光が、僕の視界を覆った。
次いで、熱風が頬をかすめた。
脳みそと目がくらくらして、僕は足の力をなくして膝をついた。気分が悪い。
「……うっ!」
つんとした鼻を衝く悪臭が漂ってきて、僕は鼻を摘んだ。
「なんなんだ」
イラつきを吐き出すように呟くと、
「大丈夫?」
突然声をかけられて、振り仰いだ。心配そうに僕を覗き込んでいたのは、青年だった。ひょろりとしていて、かなりの細身。筋肉なんて全然ついてなさそうだ。おそらく僕と同じくらいの年齢だろう。分厚い眼鏡をかけていて、目がしぼんで見える。
(眼鏡なんて、高級品なのに)
何気なくそんなことが過ぎって、僕は彼を呆然と見ていた。
「大丈夫?」
彼はもう一度、今度は本気で心配したように尋ねた。
「あ、はい。大丈夫です」
僕は鼻を摘みながら、苦笑を浮かべて立ち上がった。
「あっ、臭いよね。大丈夫、もうすぐなくなるからさ。――ほら」
彼は軽快に言うと、僕の手を掴んで鼻から引き剥がした。
「ちょっと!」
(うわっ、しまった――!)
声を荒げた拍子に、鼻で息を吸い込んでしまう。でも、
「……あれ? 本当だ。臭くない」
「でしょ?」
彼は、屈託なく笑う。八重歯が唇の隙間から覗いて、人懐っこそうに見える。
「僕は、マル。愛称だけど、そう呼んでよ。君は?」
「僕は、レテラ。レテラ・ロ・ルシュアール。ルクゥ国からきました」
「あ~。っていうと、あれだ。あの、なんだっけ。え~と、魔竜撲滅計画の人だ?」
マルは考えるように言って、僕になげかけた。
「そうですね。まあ、僕は、付き添いっていうか……」
思わず口ごもってしまった。戦闘についていけなかった事を思い出す。
(僕だって、一応はその一員なんだよ)
踏ん切りをつけたはずの悔しさが、どっと込み上げてきた。魔竜をこの目で見て、皆の能力の観察もしてみたかったのに。
「そうだ、ちょっと見ていってよ!」
僕の気落ちが顔に出ていたのか、マルは声の調子を上げて両腕を広げた。
「見る?」
僕は改めて部屋の中を見回した。
その部屋は、かなりの広さがあった。七八平方ヤードくらいはある。大型のドラゴンでも乗りそうなくらいの、大きくて長いテーブルが部屋の端から端へと続き、なにやら怪しげな機材で部屋の壁という壁は占領されていた。大きなテーブルの上にも、乱雑に物が置かれている。
それは紙の切れ端のようなものから、実験器具のようなものや、鋭い刃物など様々だ。その中に、半透明の小さなドームに囲まれて、よく判らないものが入っていた。黒こげになったそれは、渦を巻いた形をしていた。大きさは、約六インチくらい。
覗き込んだ僕に、マルは声をかけた。
「お目が高いね。僕が見せたいのはそれさ」
「これ?」
自信満々といった感じのマルに、僕は怪訝な表情で向きなおって、おかしな物体を指差す。
「そう」
マルは大きく頷いて、指で印を結んだ。すると、半透明のドームは音もなく掻き消える。途端に、あの悪臭が漂ってきた。
「臭ッ!」
僕は鼻を摘んで息を止めた。それを見て、マルはからからと笑って、再び印を結ぶ。すると、また半透明のドームが出現して、臭いはぴたりと止んだ。
「さっきの臭いってこれが原因か。じゃあ、光は?」
「光もこいつだよ」
マルは楽しげに言って、テーブルに手を突き、ドームを覗き込んだ。僕も臭いを警戒しながら覗き込む。
「これは、吸魂竜の舌のつけ根だよ。正確には、喉に分類されるね。絶魂と呼ばれる筋組織なんだ」
「へえ」
僕は、相槌を打ちながらメモ帳を取り出した。
「この絶魂が、魂を取り出す秘密なんだ」
「そうなの?」
驚いた僕に、マルは曖昧な笑みを送った。
「ただ、魂を肉体から引き外すのに、この筋組織を使ってることは判明したんだけど、どうやってなのかが、まだ分からないんだ。分析するために色々やってて、さっきはそれで爆発が起きちゃって。黒こげと悪臭はそういうわけ。まあ、爆発したことは何回かあるんだけどね」
マルは肩をすくめた。
「魂を肉体から引き剥がす方法が分かれば、魔竜を滅ぼすことも出来るかも知れないんだけど……」
マルは切迫したような表情を浮かべた。僕は首を小さくひねる。
「その計画は今、実行中なんじゃ?」
それをするために、僕は置いていかれたんじゃないか。
「そうなんだけど、失敗する可能性もあるからね」
「そうなの?」
寝耳に水だ。てっきりこの計画は成功する可能性の方が高いような気になっていた。だって、各国が手を組んでるんだ。それほど自信があるんだと思ってた。でも、マルの言い方では、失敗する可能性の方が高いみたいだ。
「何せ、初めての実証試験だからね。何があるかは分からないよ」
「そっか……」
僕は小さく頷いた。
(確かに、そのとおりかも知れない)
もしもそうなったのなら、魔竜を拝めるチャンスはまだあるって事だ。
「ところで、ここは何の部屋なんですか?」
僕は部屋を見回す。
「見たところ、実験室みたいですけど」
「そのとおり。実験室だよ。っていうか、研究室だね。ここで、魔竜やその元となった吸魂竜の研究や、術の開発なんかもしてる。転移のコインもその一つだよ。まあ、主に、僕と紅説王くらいしか近寄らないけどね」
えっ、今なんて言った?
「ちょ、ちょっと待って。えっと、魔竜の元となったって何? 術の開発って、紅説王の?
君もしてるの? 紅説王もここに?」
僕は思わず興奮して矢継ぎ早で質問してしまう。
マルは苦笑を浮かべて手を振った。
「まあ、まあ、落ち着いて」
興奮した僕をなだめて、マルは人差し指を立てて、ぴっと横に振った。
「まず、第一の質問に答えよう! 魔竜・アジダハーカは、吸魂竜が突然変異して誕生したんだよ。それが数を増やして今に至るんだ」
僕は素早くメモを取る。
「第二、第三の質問は、イエス。魔竜の研究をする前は、ここは紅説王の術の開発のみをしていたんだ。僕は、今でこそお手伝いをさせていただいてるけど、元々は王一人で、術の研究も、魔竜の研究もしていたんだよ」
「そうなんだ。すごい!」
僕は感激しながら、速記した。きっと僕の瞳は今、輝いてる。
僕は興奮して訊いた。
「ねえ! そもそも、紅説王の術って、なんなんだ。能力? それとも科学?」
渋い顔をされるかもと思ったけど、そんなことはなかった。マルは誇らしげに、ぱっと顔を明るくさせた。
「条国の王族が神の一族といわれているのは知ってるだろ?」
「うん。一族全てに能力が宿るからって」
「そう。それは事実なんだよ。結界という能力を、王族の全ての者が持っているんだ。その中でも最高位、稀にしか生まれない能力者がいる。その者は、呪術者と呼ばれ、結界術はもちろんのこと、様々な能力を呪符に書き記し、力を込めることによって、その技を自在に操つれる者のことをいうんだ。紅説王はその歴代の呪術者の中でもずば抜けていて、なんと、他人にもその呪符が使えるようにしたんだ。普通、呪術は書いた本人にしか使えないのに」
「もしかして、それが転移のコイン?」
「そう。それが代表の一つだね」
マルは、ふふんっと得意気に鼻を鳴らした。僕はわくわくしながら尋ねた。
「どうして他人にも使えるようになったの?」
「それは、王が並外れた力を持っていたからさ。自分でしか使えないものを他人が使えるようになるには、その本人にないものを補わなくちゃいけない。そもそも何故、呪術者が呪符が使えるのかというと、他の能力者よりも馬力があるからなんだ。もちろん、術式を書くには、その術の解明なんかが必要となるよ。例えば、炎を出すのなら、炎はどうやって生まれるのか、そのメカニズムを知らなければならないんだ」
「なるほど。無から有は生み出せないもんね」
生み出せる場合もあるけどね――と、マルは付け加えるように言って、マルは続ける。
「つまり、そのメカニズムを知り、術式に起こし、呪符を描いて、最後に自分のものだという印、術の発動に必要な鍵として、氣を込める。そしてもう一度氣を込めたとき、術は発動と成る。その鍵が合わなければ、誰がやっても発動しないんだ」
「じゃあ、紅説王はその鍵を誰にでも合わせらられるようにしたんだね」
「そう、そのとおり!」
マルは勢い良く僕に向って指を指した。
「紅説王は呪符に多く自分の氣を込めることによって、発動者が力を込めたとき、その氣を自分のものと同じになるようにしたのさ。ただ、これにはさっき言ったように、かなりの力が必要になる。普通の能力者だったら、氣の容量が足りずにこんなことは出来ない。紅説王は、容量が他の人より極端に多いんだ。だから、可能になったのさ」
「すごいなぁ」
僕は感嘆の息を吐いた。
「でも、あの方はちょっと優しすぎるきらいがあるからなぁ」
マルは困ったように眉を八の字に寄せる。
「レテラは、魂の塊を造りに行った?」
「行ったよ。参加はしなかったけど、見てた」
「そこに、人間もいたろ。手錠と足枷されてさ」
マルは顔を曇らせる。
「そこまでは見えなかったけど、そんなことされてたんだ」
「うん。罪人だからな」
「そうだったの?」
軽く言われて僕は少し驚いた。そういえば、すっかり抜け落ちてたけど、あの人達も死んでしまったんだよな。動物達と一緒に。
そう思うと、感傷が胸をかすめる。
「そう。第一級の犯罪者たちだよ」
「そうなんだ。それじゃあ、どっち道死刑か」
「そう」
マルは当然というように大きく頷いた。
(それじゃあ自業自得だなぁ)
「でも、紅説王は人が良いからさ。人間を犠牲にするのは最後まで嫌がってたよ。最終的に青説殿下に言い負かされてたけどさ。『国の主として、非情な決断も出来なければなりませんよ、兄上』って」
マルは殿下の真似をして、神経質そうに、それでいて冷たく言った。
「なるほどねぇ」
僕はしみじみ呟く。あのときのあの二人の様子は、そういう背景があったわけか。
「魔竜撲滅計画も、十年くらい前に紅説王が王子だった頃に、国際会議の場でぽろっと言ったことが発端なんだけど、ずっとこの日が来ない事を願ってたみたいだしね。表立ってそういうとこは見せない人だけど」
「そうなの?」
僕は意外な心持で尋ねた。発足者なのに、どうしてだろう。
「ほら、魂集めるってことは、殺すってことだから」
(あ……そうか)
僕はそこで初めて自覚した。
あの人たちは〝死んだ〟んじゃなくて、〝殺された〟んだ。
「そっか……」
なんとなく、微妙な気持ちになる。言いようのない、嫌な気分。
「君までそんな顔、する必要ないと思うけどなぁ」
ぽつりと呟かれた声に、いつの間にか伏目がちになっていた顔を上げた。
「だって、いずれにしても死刑になる連中だよ。世界の役に立って死ぬんだから、ただ死刑になるより、全然有意義だと思うけど」
マルの声音は、先程呟かれたものと同じく、どことなく感慨ないように聞こえた。
「確かに。それもそうだよな」
僕は頷いた。死刑方法が変わっただけのことだ。どっちみち、死ぬ人間だったんだ。そう思う一方で、マルはあの人たちの姿を見てないからそんなことを言えるんだとも思った。間近で見ながら、興奮のあまりすっかりその存在すら忘れていた僕が、自分のことを棚にあげた。でも、そのときはそんなこと、微塵も気づきもしなかった。
* * *
僕が研究室から引き上げた頃、空はすっかり茜色だった。そして、陽光が西の空に沈みきったその刹那、城内は騒然とした。
帰還兵が行きの半数近くに減り、千の兵士が約五百に減っていた。その全てが死亡し、もっと絶望的なことを、王は告げた。
『計画は、失敗した』
マルの予感は、的中してしまった。