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第十七話

書き直しました。2019


 あかるは、僕に何も聞かなかった。

 僕も何も言わなかった。


 晃のことを語りたいとは思わなかったし、言えなかった。あかるが晃のことを知れば、気に病むのは目に見えている。


 あかるにしてみれば、自分をこの世界へ連れてくるために、誰かが死んだなんて重荷以外でもなんでもないだろう。


 ましてやその人物に想いを寄せていた人間が側にいるなんて、きっと居た堪れなくなるに決まっている。あかるが負担に思って修行を止めてしまうなんてことになれば、世界は救われないし、晃の死だって……。


 僕は、ふと湧きだした陰鬱な気持ちを振り払いたくなって、縁側に出た。空を振り仰ぐ。薄雲が広がり、日差しは弱かった。心を晴らすには心もとない。


 僕は、目線を横に投げた。残寒の風を受けながらも、木々が蕾を膨らませている。

 梅だろうか。


 ぼんやりとそんなことを考えながら、その健気さに次第に心が落ち着いた。

 晃が、あかるの中にいると知ってから季節を二つ跨いだ。 


 春はもうやって来ているけれど、暖かいとは言えない気温が続く。今年は残寒が色濃い。ぽかぽかとした春が待ち遠しい。

 僕はひとつため息を零して、研究室へと向った。


 * * *


「だからさ。想像力が足りないんじゃないかな?」

 研究室に入るなり、マルの淡々とした声音が聞こえた。


「……はい。やってるつもりなんですけど……」

 マルはあくまでも実験として提案している口調だが、あかるは完全に萎縮していた。

「う~ん……なにが原因なんだろうなぁ」


 頭をがりがりと掻きながら、マルは机の上に座り込んだ。あかるは、申し訳なさそうに唇を噛み締めた。


 マルには悪気はない。彼女はあくまでも研究として、そしてその対象としてあかるに接しているだけで、責めているつもりは微塵もない。それは口調からも伝わってくる。けれど、あかるにしてみればそうではないようだった。


 あかるは相変わらず、魔王の中に眠る能力を上手く扱えなかった。瞑想は、殆ど効果を見せず、能力の発動もやはり一ヶ月に一度が限度。調子が良いときで、二度。その程度しか扱えない。


「なんか、他に良い方法ないかなぁ」


 マルは考え込んで、ぶつぶつと独りごちている。完全に自分の世界にのめり込んでいた。それを引き戻すように、紅説王が声をかけた。


「あかるは、元々能力者ではない。良くやってくれているよ」


 落ち込んでいるあかるの肩に、そっと手をかけた。王とあかるの目が合って、二人はそのまま見つめ合った。


(なんだか良い雰囲気だな)

 僕はにやにやしながら、そっとメモ帳を取り出す。


「でも、なにか方法があるはずですよ。あかるは、非能力者だし、彼女が言い張る異世界とやらには、能力者は存在しなかったらしいし。だからイメージがつかなくて出来ない。あるいは、やり辛いっていうのは分かるんですけど」


 マルは顎に手を置いて、う~んと唸った。


「それだけじゃない。あかるの中には、大勢の能力者がいる。多ければ多いほど、能力の選別だって難しいだろう」

「影を見たんだっけ?」


 王の言葉に触発されて、僕はあかるに尋ねた。あかるは、こくりと頷く。


「瞑想してるときに、誰かの影が意識の中で出てくると、気がついたら能力が発動してるんです。でも、その影は女の人だったり、男の人だったり、その時々で違くて」

「その度に発動する能力も違うんだよな?」


 僕が確かめると、あかるは申し訳なさそうに頷いた。

 そんなに気にする必要ないのに……。ここのところ、あかるは自分への不甲斐なさからか落ち込んでいるみたいだった。その姿を見るたびに、可哀想になってくる。


「まあ、その証言から魔王の中の能力を引き出すには、魔王の中にある魂とあかる自身を共鳴させることが必要になってくるわけだけど……」


 マルは片方の眉を釣り上げながら、あかるを窺い見た。

 あかるはさらにすまなそうに俯いてしまった。


「瞑想が一番だと思ったんだけどなぁ」


 マルは盛大に呟いて、また考え始める。

 あかるは居た堪れないようすでじっとしていた。

 僕は軽くかぶりを振る。


(もう少し言い方とか考えろよな。せめてあかるがいないとこで言えよ)


 マルに悪気がないのは分かる。嫌味で言ってるわけじゃない。純粋に、実験のための発言だ。でも、言われる方の身になれば堪ったもんじゃないだろう。

 僕はマルに注意しようと、口を開いた。でも、紅説王に先を越されてしまった。


「円火。ちょっと良いか」

「はい?」


 きょとんとするマルを連れて、王は研究室の壁際へ寄った。僕は聴覚に神経を凝らした。ひそひそとした声が僕の耳に届く。おそらくあかるの耳には聞こえてないだろう。


「もう少し言い方を考えるか、そういう話は彼女がいないところでしてくれないか」

「何でですか?」


 怪訝なマルの声量はあくまでも普通だ。

(いやいや。合わせろ、合わせろ。普通こそこそ話されたら低声で応えるだろ)

「シッ!」


 紅説王は子供にするように、唇の前で人差し指を立てて声を落とすように指示した。マルは、「ああ、はい」と小さな声で答えて数回頷く。


「あかるは良くやってくれてるだろう。そういうところも認めてやるべきじゃないのか」

「何言ってるんですか? 実験過程は確かに大事ですけど、良くやってるとか、やってないとかじゃなくて、僕はあくまで結果の話をしてるんですよ?」

「いや、それは、そうなんだが」


 わけが分からないといった風のマルに、王は困ったように苦笑する。


「実験で出た結果を検証して、問題があれば別の方法を考えたり模索しなくちゃ。今までだってそうやって成功に導いてきたじゃないですか。僕はいつも通りのことをやってるだけですよ」

「……だが、今回は相手がいるんだぞ。実験うんぬんの前に、あかるのことを考えてやらなければ」

「分かりました。紅説様がおっしゃるのなら」


 マルはわりと明るい声音で了承した。多分、あんまり良く考えてない。彼女にしたらあかるはやっぱりただの実験相手、研究材料。それを変える気はないってのは見え見えだった。


 僕は嘆息しながら、首を振る。

 マルらしいっちゃらしいけど。


「でも、また青説様に乗り込まれても知らないですよ」

 マルは付け足すように言った。


 王は、「ああ」ときっぱりとした声音で答えて踵を返してこっちに歩いてきた。

(殿下か……)


 あかるを落ち込ませる原因は、自分自身やマルだけじゃない。

 一ヶ月ほど前から、青説殿下に成果をせっつかれているんだ。


 あかる自身にこれ見よがしに言ってるわけじゃないんだけど、兄弟で言い合ってたり、それとなくあかるに訊ねたりしていて、ついに五日ほど前に研究室に乗り込まれていた。


 最初は冷静に話していた殿下も、王があかるを庇うためなのか、殿下の目に王の態度が暢気に映ったのか、最後は大喧嘩になってたっけ。って言っても王はあくまでも冷静で、癇癪を起こしたのは殿下の方だったけど。


 僕はあかるに微笑みかける王を見つめた。

 少しだけため息が洩れる。

 殿下の御気持ちも分からないではない。


 聖女としてあかるが来てから、二年半の時が経っている。言語の問題があったのはしょうがないし、殿下もそれを分かってはいるだろう。だけど、他国からの干渉をいなさなきゃいけない身からすれば、成果を焦ってもしかたないことだ。


 僕も祖国から、計画はどうなっているんだと詰問状が届いている。母国の現状を考えればルクゥ国を責めることは僕には出来ない。もう少し待ってくれと送るしかない。

 というのも、二年半前よりも人心は荒れている。


 魔竜はまた人類以外の動物を攻撃していた。どうやら、村を襲ったのはやつにとっては想定外だったようだ。魔竜は執拗に、狙った動物が絶滅するまで殺して回っている。


 魔竜の脅威は待ってはくれないし、いつ、人類がやつの標的になるのかも分からない。

 そんな状態が二年以上も続いて、人心が荒まないわけがないんだ。


 国民を抑え、宥めることにバルト王も官吏も必死だろう。

 それはルクゥ国だけじゃない。各国の苛立ちや不安が、条国の外交を取り仕切っておられる殿下に向けられているのは、誰から見ても明らかだ。


 殿下の精神的圧迫は、僕には推し量れないものあるだろう。

 僕は再び紅説王とあかるに意識を移して、片眉を釣り上げた。


「やっぱ、付き合ってんのかな。あの二人」


 王は優しく、熱のこもった目であかるを見る。あかるは、その瞳に応えるように微笑みかける。

 僕はすごく複雑な気分に陥った。


 殿下からすれば、国や世界の一大事に女を庇ってる場合じゃないだろ。俺の苦労を考えろ――って、思って当然だろうし、そのイラつく気持ちに同情したい気分にもなるけれど、王を思えば、こんな風に穏やかな心でいられる相手に出会えたことを喜んであげたい気にもなる。


 紅説王はずっと人知れず、一人で苦労なさってきた方だから。

 癒やしになる存在がいることが、僕は素直に嬉しい。


「嬉しいんだけど……」


 ぽつりと出てしまった独り言が、思ったよりも重々しい声音だった。

 あかるは王を見つめながら、不意に髪を耳にかけた。その横顔が、晃と重なる。

 胸が痛い。

 全然違う姿形なのに、あかるの中には晃がいる。


「バカだな、僕は」


 ふと自嘲が洩れてしまった。

 黒い感情が渦を巻く。


「王に嫉妬とか、ありえないから」


 嬉しいんだ。

 本当なんだ。

 だけど……晃が、紅説王にとられてしまったみたいで、なんでだろう。


「僕、ちょっと席外しますね」


 明るく言って、立ち上がった。王が分かったと言ってあかるに向き直る。僕は、秘密通路に向った。

 暗く狭い通路の中で、堪えきれずに涙が零れた。


「バカだな、僕。晃にはもうふられてるだろ」


 冗談めいて自嘲したら、気分は少しだけ晴れた。

 涙は、拭ったらすぐに止まった。

 晃に逢いたいな――ふと湧いた感傷は、見ないふりして蓋をした。


 * * *


 厠から戻ると、見慣れない後姿があった。人数は三人で、左にいる男は鎧を纏っていたから、兵士だとすぐに分かった。


 右の女は、後姿を見るに中年の女性だろう。肉付きが良く、背中が丸い。着物は地味な色合いをしている。真ん中にいるのは、おそらく少女だ。


 背が低く、長い髪を二つに結っている。

 華奢な肩は打掛の上からでも良く分かる。床についた紅い打掛の裾には派手な薔薇の花があしらわれていて、なんとなく、毒々しい。燃え盛る炎のような印象を受けた。


「ああ、ちょうど良いところに」


 紅説王が僕に気がついて声をかけた。それにつられて、三人は後ろを振り返った。僕は、思わず息を呑む。


「……火恋?」


 間違いない、火恋だ。

 火恋は一瞬驚いた表情をしてから、二つに結った長い髪の片側を弾くように後ろに流し、軽くお辞儀をした。

 顔を上げた火恋はすまし顔で言った。


「久しぶりですわね。レテラ」


(レテラか。昔はレテラおにいちゃんって言ってたのに……)

 僕は若干の寂しさを感じながらも、片手を挙げた。


「ひ、久しぶり。お前、大きくなったな」


 思わず声が上ずってしまった。

 ぎゅっと一文字に口を結ぶ。何だか、緊張してきた。


「そりゃ、そうですわ。もう十五歳ですもの」

「はあ~。そうか……」


 そうか、もう火恋もそんな年になるのか。僕は、感慨深く息を吐いた。

 あれから、二年経つんだもんな……。

 火恋は同じ十五歳の子と比べれば背は低いが、昔、思ったとおりに、美人になっていた。それにしても、


「お前、その喋り方なんだよ」

 僕はつい、くすっと笑ってしまった。

「昔は、おにいちゃんとか、だもんとか言ってたのに」

「いつの話ですか。もうそんな年じゃありませんわ。王族らしく振舞わないと」


 火恋は呆れたように言って、腕を組んだ。

(そっか。あれから火恋も頑張ってきたんだろうな)


 火恋の言動の端々から自信が窺える。きっと、この二年努力の限りを尽くしてきたんだろう。僕はなんだか嬉しいような、切ないような思いに駆られた。

 まるで娘や妹の成長を見届けたような、そんな一縷の寂しさ。そんな類の感情だ。


「それで、どうしたんだ?」

 紅説王が尋ねた。

(王が呼んだんじゃないのか?)


「ちょっと、聖女とやらを見たくなりまして」

 険を含む声音で言って、火恋はあかるを見据えた。

「そこの娘がそうですか?」

「そうだよ」


 マルが答えて、火恋は、「ふ~ん」と呟いて、あかるをまじまじと見る。戸惑うあかるを庇うように、紅説王がさりげなくあかるをその背に隠した。


「火恋、良かったら今晩一緒に食事でもどうだ? もちろん、マルも一緒に」

「いえ。僕は研究したいので。もう少し、あかるに合った修行法があるかも知れないので、それを調べたいんです。だから結構です」

(マル。お前……)

 僕は嘆息した。久しぶりに会った妹より研究か。


「マル。分からないでもないけど、久しぶりに会ったんだから食事ぐらいしてやれよ」

 僕が軽く叱責すると、火恋は、「良いですわ。別に」と大して気にしてないように言って、紅説王に尋ねた。


「しばらく滞在しようと思ってるんですが、よろしいですか?」

「ああ。歓迎する」


 王は嬉しそうに言って、火恋は踵を返した。その刹那、ふと火恋と目が合った。その瞳が、何故だが僕を責めているような気がした。


(なんだ?)


 僕は心の中で独りごちる。なんとなく、不安が過ぎる。火恋に逢えたのは嬉しいけど、火恋はいったい何をしにここに来たのだろう。


 * * *


 火恋がきてから三日が経った。

 火恋はこの三日、研究所に入り浸っていた。


 この日も、火恋は研究所であかるの修行を見ていた。昨晩、僕はふとあることに気がついた。火恋の視線は、常にあかると王を追っていた。その瞳は、ぞっとするほど鋭いものがあった。


 もしかして、火恋は王が好きだったりするんだろうか。それで、あかるに嫉妬したりとかして。んなわけないか。


 ぐるぐると思考をめぐらせながら、僕は研究室へ向った。秘密通路を通って研究室を覗くとまだ誰も来ていない。


「珍しいな。僕が一番乗りか」


 独り言を呟いてから、僕は壁際に椅子を持って行き、そこに座った。東側の壁際のこの席は、南側の出入り口も、実験で良く使う机も、部屋中を全体的に把握できる位置にある。実験を見る時は、大体ここで見ていた。


 しばらくぼうっとしていると、カツンと小さな音がした。振り返ると、研究室の入り口にあかるが立っていた。あかるは、「おはようございます」と礼儀正しく挨拶すると、入室した。


「おはよう」

 僕が返すと、あかるに続いて王とマルが顔を出した。

「早速だけど」


 マルはあいさつもそこそこに、腰に両手を当てて新しい修行方法を考案した。

 それは、呪符を使ったもので、呪符を貼り付けられた者は深く眠りにつくというものだった。


「眠っちゃって良いのかよ?」

 僕が疑り深く尋ねると、マルは軽く頷く。


「寝るって言っても、普通の眠りじゃないんだよ。瞑想状態を深くするものなんだ。意識を深く沈めることによって、あかるの中にいる魂と対話が出来るんじゃないかなって」


 僕は王を窺い見た。王は、眉間にしわを寄せて考え込んでいる。どことなく拒否感が見えた気がした。王はゆっくりと唇を開くと、「危険はないか?」と尋ねた。


「多分、大丈夫じゃないですか。呪符を剥がせば眠りから覚めるようにすれば、深く重なったしたとしても、強制的に連れ戻せると思うし」

「それは、そうかも知れんが……」


 紅説王は、心配そうにあかるに視線を送る。あかるは僕達から少し距離をとって、話を聞いていた。


「あたしは大丈夫ですよ」


 あかるは明るい調子で言って微笑んだ。なんとなく無理をしているような気がする。

 王もそう思ったのか、不安そうな表情を浮かべた。


「紅説様。作れますか?」


 状況を読まないマルの楽観した声音に、王は若干の嫌悪感を醸し出して、「作れない事はないが……」と言葉を濁す。

「じゃあ、お願いします」


 マルは嬉々として、早速呪符の制作に取り掛かろうと動き出した。僕は密かに嘆息する。軽く首を振ってあかるに声をかけようとすると、王に先を越されていた。


「大丈夫か?」

 心配そうに尋ねた王に、あかるは柔和に微笑んで頷いた。


(そういうところが、重なるんだよな……)


 もっと、あかるが不真面目だったり、バカみたいに明るかったり、弾けるように笑う子だったりすれば良かったのに。

 僕は、複雑な気分で椅子に座った。


(それにしても……)


 王とあかるは御互いに見つめ合ったまま、熱い視線を交わす。本人達は一瞬のつもりなんだろうけど、もう十数秒は経ってるだろ。

 僕は呆れつつも、にやりと笑った。


(お呼びでないね。こりゃ)


 ポケットからメモ帳を取り出そうと首を左に振ると、研究室の入り口に誰かが立っているのに気がついた。火恋だ。


 火恋は不機嫌な表情を浮かべていた。その瞳は火のように何かがたぎっているのに、静かな鋭さを秘めているように鋭利だ。それはあかるだけではなく、確実に王にも向けられている。僕の背筋に、ぞくっと悪寒が走った。


 火恋は僕に気づくと、すまし顔で髪を後ろへ払い、入室した。

 あかるが挨拶をすると、火恋は無言で羽織を引いて会釈をする。


 僕はしばらく、あかる、王、火恋に注視したけど、特に変わりは見られなかった。あかるは、瞑想に神経を集中させているし、王はマルと呪符の開発に勤しんでいる。


 火恋は僕から少し距離をとって、王とマルとあかるのようすを見ていた。鋭い視線はたまに送るものの、それ以外は特に何をするわけでもなく王とあかるを見ている。


 火恋は本当に、何をしにきたんだろう? これと言って研究に口を出したりするわけじゃないし、王とあかるを見ているだけ。


 本当に王が好きだとか? でも、あの瞳を見た限りではありえない気がする。あの、悪寒が走る鋭い瞳は恋敵にならともかく、愛する者に向けられるものだとは到底思えない。

 僕は、思い切って火恋に訊いてみることにした。


「火恋」

 声をかけると、火恋は振り返って怪訝そうな顔をした。


「お前、何しにここにきたんだ?」

「きてはいけませんの?」

 平然と返されて、動揺が走る。

「いや、そういうわけじゃないけど」


 慌ててしまって、声が上ずった。

 僕だって、火恋に逢いたかったわけだし。確かに、きちゃいけないことはない。


「一人前になるまで逢わないみたいなこと言ってたじゃん」

「それは、レテラにはでしょ」

「……まあ」

「まさか。自分に逢いに来たなんて自惚れてるわけじゃないですわよね?」


 火恋は面白がるみたいに頬を持ち上げる。


「まさか。そんなわけないだろ」


 僕は思わず嘘をついた。

 僕に逢いに来たとは思わなかったけど、それも含まれてたら良いなとは思っていた。だって、火恋を幼い頃から知ってるんだ。ちょっとは期待くらいするだろ。それを、そんな、小バカにした感じで言わなくても良いのに。

 拗ねた気分を隠して、僕は大人ぶって平然とした態度をとってみせた。


「ですわよね」

 火恋は鼻で笑って、前に向き直った。


(こいつ、可愛くねぇな!)


 昔から生意気なとこがあったけど、こんなに悪化してるとはな。やっぱり、僕がついてた方が良かったんじゃないか? この、マセガキめ!

 苦々しく思っていると、マルが声高に叫んだ。


「出来た!」

「速いな」


 僕は独りごちて椅子から立つと、マルと王の許へ向う。途中首だけで振り返ったけど、火恋はついて来なかった。


 あかるも瞑想を止めて二人の許へと向ってくる。ちょうど合流するかたちで、僕とあかるは二人の前に立った。


「今回は速いじゃんか」

 僕が皮肉って言うと、マルはそれを受け取らずに答えた。

「今回は元々原型があったからね。それに少し手を加えるだけで良いから」

「原型って僕も知ってる?」

「もちろん」


 マルは深く頷いた。


「あれだよ、操相の呪符」

「ああ、あれか。魔竜に一回入れてみた呪符か」

 第一の魔王のときのだ。懐かしいな。

「まあ、成功するかどうかは、やってみなくちゃ分からないけどね」


 マルは目を輝かせながら、「さあ」とあかるに呪符を差し出した。

 僕は王に一瞥を送る。王は、若干ながら不安そうな顔色をしていた。好きな人を実験体にするのは、嫌なもんだよな。


「あかるの前に他のなんかで試してみたら?」

「そうだな。それが良いかも知れん」

 僕の提案に、王は乗ってきた。あくまでも冷静だったけど、安堵感が滲んでいる。

「別に大丈夫だと思うけど」


 マルは怪訝そうに眉を寄せたけど、「まあ、紅説様が言うならそうしましょうか」と、すんなりと了承した。

 しかし、そこで意外な声が上がった。


「いえ。大丈夫です。あたし、やってみます」


 あかるは軽く手を上げて、にこりと笑う。

 僕が王を窺い見ると、目が合った。視線を合わせて、うんと頷く。何故頷いてしまったのかは分からないけど、自然と出てしまった。

 王は不安を飲み込むように口を結んで、あかるに向き直った。


「本当に大丈夫か?」

「はい」


 あかるは強く頷く。

 王も頷き返した。


「分かった。危険だと感じたらすぐに剥がすから安心しろ」

「はい」


 互いに想い合い、見つめ合う二人に、マルが嘆きめいた言葉を投げた。


「過保護だなぁ。昔はそこまでじゃなかったのに。どうしたんです?」


 二人はロウソクの火のように、ぽっと顔が赤くなって目線を逸らした。

 気持ちは分かるけどな。どっちも。


 それにしても――僕は呆れた目をマルに向けた。マルは訝しがりながら、首を捻っている。


(二人の関係、やっぱり気づいてないのか。マルは)


 * * *


 実験はつつがなく行われた。

 結果から言えば、失敗だ。

 呪符の作用を弱めにしたためか、あかるは深部に達する前に自主的に目覚めてしまった。


「今度はもう少し強くしましょう。っていうか、最高値から始めた方が良いんじゃないですかね」

「それは、さすがにな」


 ぐいぐいと進言するマルに、王は渋い顔を向ける。


「どうしてです? 計算によれば最高値でやったとしても、精神的に異常をきたす可能性は極めて低いですよ。最高からやって徐々に下げていく方が効率的です」

「だが、それでは万が一のことがあったときにどうするんだ」


 王が却下すると、マルは、「では」と違う案を提案し始めた。最高より少し下から始めてみてはというものだったが、王はそれも跳ね除ける。王は弱いものから徐々に始めて行きたいらしい。


 マルと王が議論を重ねる中で、当のあかるは少し落ち込んだ雰囲気で北側の壁に寄りかかっていた。


 そのあかるに、そっと火恋が近寄っていった。

 僕はすばやく耳を欹てる。王とマルの会話が少し邪魔だけど、よっぽどの低声でなければ聞こえるだろう。


「火恋ちゃん?」

 あかるは怪訝そうに火恋を呼んだ。火恋はそれを冷淡な声音で一蹴する。

「気安く呼ばないで」

「……ごめん」


 申し訳なさそうにしたあかるに、火恋は刺々しい口調で言葉を投げた。


「貴女、一体いつになったら能力を操れるようになるんですの? 才能ないんじゃないかしら」

「それは……」

「真剣にやってないのよ。紅説様だってそうですわ。この数日見ていただけでも、随分、御二人で楽しんでらっしゃるようだったもの」


 嫌みったらしく火恋が言うと、途端にあかるの顔が火がついたように赤くなった。しかし、それは一瞬だけで、あかるの表情はすぐにどんよりと曇った。

 あかるは口を真一文字に結んで、涙を堪えるように走り出した。


「あかる?」


 王はあかるの異変に気がついて、会話を中断してあかるの後を追って行く。残されたマルは、呆然としながらそれを見送った。僕もそそくさと王の後を追った。すると背後で、


「あの二人、付き合ってたんだ」

 ぽつりと、マルが意外そうに呟いた。


 やっと気づいたか。僕がちらりと振り返ると、ちょうど火恋を捉えた。火恋はマルの言葉を聞いて、うんざりした表情で座り込んだ。


「バカばっかり」


 ぼそっと呟いて、火恋は小さく舌打ちをする。低声に発せられたそれらは、僕にしか聞き取れなかったらしい。マルは何事もなかったように机に向き直った。


(どうしたんだよ。火恋?)


 僕は火恋を気にしながらも、王の後を追った。


 * * *


 廊下に出るとすぐに、あかるの抵抗するような声が聞こえてきた。


 僕は、声のする方にそろりと近づく。角を曲がったすぐそこに二人はいた。僕は慌てて身を隠す。こそっと覗くと、王があかるの腕を掴んでいた。けれど、あかるはその腕を振り解こうとしていた。


 でもその力は頼りなく、あかるはすぐに抵抗を止めた。ぽろぽろと涙を流しながら項垂れた彼女を、王は優しく抱きしめた。


「あたし、もう出来ない」

 あかるは弱々しくそう言った。

(珍しい……)


 僕は面食らってしまった。

 これまであかるは落ち込むようすを見せることはあっても、弱音は吐かなかった。そのあかるが、出来ないとはっきりと言うなんて。


(よっぽど追い込まれてるな、こりゃ)

 僕は心配しながらも、メモ帳を取り出す。


「無理はしなくても良い」

 気遣った紅説王の胸を叩くように押して、あかるは顔を上げた。紅説王の腕から離れる。

「無理しなきゃダメなんだよ! あたしは!」


 あかるの瞳から大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。あかるの大声を聞いたのはこれが初めてだった。彼女は叫ぶように続けた。


「だって、このままじゃ皆死んじゃうかも知れないんでしょ!? あたしを連れてくるために色んな人が死んだんでしょ?」


 あかるの声は徐々に小さくなっていく。


「それが、あたしの中にいるんだよね……レテラさんの大切な人も……」


 心臓が跳びはねた。


(大切な人……? あかる、晃のこと知ってたのか?)

「誰に聞いたんだ?」


 一瞬、僕が声に出してしまったのかと錯覚したけど、訊いたのは王だった。王は優しく尋ねたけど、表情には若干の焦燥が表れている。

 あかるは、俯いたままか細い声で答えた。


「女中さん。渋々だったけど、答えてくれた。アイシャさんにも、陽空さんにも、マルさんにも……誰に聞いても教えてくれなかったから……」


 陽空が言わなかった?

 僕は意外な心持で聞いていた。あの女好きが女の子に頼まれても言わないなんて……。まあ、あかるが哀しむっていうのが見えてたからかも知れないけど。っていうか、友情故というよりは、そっちの方が濃厚か。


「あたし、なんでこんなにダメなんだろう。何にも出来ない」

 あかるは自分を卑下するように呟いた。

「そんなことを言うな。そんなことはない」


 落ち着いた口調だったが、王の表情には僅かに必死さが滲み出ていた。

 あかるは、黙ったまま何も言わなかった。しばらく王は沈んでいる彼女を見つめていたけど、不意に優しく抱きしめた。


「少なくとも、私にはあかるが必要だ。聖女としてのお前ではなく、あかる自身が必要なんだ」


 あかるはゆっくりと王の背中に腕を回した。背中の布が引き寄せられてシワになった。あかるの表情は見えない。泣いてるかどうかもよく分からない。

 だけど、僕は静かに涙を流しているんだと思った。


 * * *


 僕は抱き合う二人を気遣って、一足早く研究室へ戻った。

 部屋へ入ると、異変に気がついた。くまなく見回してみるが、火恋の姿がどこにもない。


「火恋は?」

「さっき出て行ったみたいだけど」

 マルは僕をちらりとも見ずに、机の上の呪符と睨めっこしていた。


「お前、ちょっとは妹のこと気にかけろよ」

「うん」

 怒りを滲ませて言ったのに、マルの反応は薄い。


「そりゃ、マルが本当は妹のことも考えてるのは分かるよ。ほんの少しかも知れないけどな。だけど――」

「うん」

「……」


 マルは顎に手を置いたまま、呪符を見つめて唇をすばやく動かしている。でも、声には出ていない。


「……マルの丸眼鏡」

「うん」

「アホ」

「うん」

「美人台無し」

「うん」

 ……完全に生返事だなこりゃ。


 僕は呆れ果てて踵を返した。研究狂いのいる部屋から出て、縁側に跳び出すと左右に首を振った。火恋の姿はない。僕はとりあえず、左へ向った。

 しばらく歩いていると、縁側の先で火恋の姿を見かけた。


(おっ。こっちであってた!)


 声をかけようとすると、火恋は誰かを見つけたようにして角を曲がった。僕は怪訝に思いながら、そっと近づいて角を覗いた。


 すると、縁側の先にある庭の中に火恋は青説殿下と一緒にいた。細い幹の中木を左に置き、低木に囲まれるようにして二人は立っている。


 二人の横顔が周りを気にするように左右に、そして前後に動く。僕は、見つからないようにゆっくりと座り込んで聞き耳を立てた。


 二人との位置はちょうど直線だし、離れてはいるけど、静かだからよっぽど小声を出されなければ聞き取れるだろう。


 聴覚に神経を集中させる。

 誰もいないことを確認し終わると、青説殿下が切り出した。


「決心は決まったか?」

「決まったわ」

 火恋は硬い口調できっぱりと言った。

(決心?)


「私、貴方の味方をしてさしあげる。貴方の望みどおり、紅説王を失脚させて、王座に就いてやろうじゃない。その際にはちゃんと関白として貴方を置いてあげるわ」

(本気か!?)


 僕はすぐさまメモ帳とペンを取り出して速記する。驚愕と、戸惑い、そしてほんの少しの好奇心がない交ぜになる。

 すると、不意に青説殿下が自嘲をもらすように、ふっと笑った。


「貴様は兄上贔屓だと思っていたよ」

「それは二年以上前のことですわ」

 火恋は冷たく言った。

「私の大切な晃を殺しておいて、あんな女とイチャつくなんて。あんな人、もう王に相応しくなんかありませんわ」


――晃?


「晃は私には、姉よりも姉代わりで、子供を顧みない親よりも母親だったわ」

 火恋は、一瞬だけ泣き出しそうに唇を振るわせた。


「次期王の座が決まってからというもの、こびへつらったり、執務的な奴ばかりが私の周りにやってきた。でも、晃は変わらず、私のたった一人の味方で、家族でいてくれたのよ。その晃を犠牲にしておいて、その犠牲の下で現れた女なんか、受け入れられるわけないわ」

「だが、迷ってた」


 殿下は微苦笑を浮かべたが、その目はどことなく切なげだった。


「……そうね。聖女とやらが、きちんと仕事をこなして、苦悩でもしていてくれれば、赦せたかも知れないですわね」


 火恋は嘲笑するように頬を持ち上げた。そして次の瞬間、僕は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。


「――あんな女、死んじゃえば良いのよ」


「悪いが、聖女を殺すことはないぞ。魔竜を倒してもらわねばならん」

「そんなの知ってるわ」


 僕の耳は、数秒間音を聞き流した。死んじゃえば良いだって?


「晃を返して欲しい――えっ!?」


 気がつくと僕は駆けて行って、火恋の腕を掴んでいた。


「こっちに来い!」

「な、なんですの!?」


 僕は慌てふためく火恋と、あっけにとられたようすの殿下に構わずに走り出した。

 死んじゃえば良いだって? ――冗談じゃない。


 * * *


 僕は火恋を連れて研究室に戻った。

 その際素早く部屋を見回したけど、王とあかるはまだ戻っていなかった。走ってきた僕達に気がついて、マルが不思議そうに僕らを見る。

 僕は夢遠慮にマルに投げつけるように言った。


「マル! こいつに魔王の扱いづらさについて教えてやってくれ!」


 マルは訝しがることもなく、「良いよ」と嬉々として頷いた。さすがマル。こういうときは話が早くて助かる。


「今回の第三の魔王は、二千人の能力者と二千二百人の非能力者で出来ているんだ。四千二百人の魂があるってことは、四千二百人の意思があるってことで、その中から能力者を識別し、自分がなんの能力を引き出したいか明確にして二千人の中から選ばなきゃならない」


 マルはいったん区切って「そりゃ大変だろ?」と投げかけてみせたが、火恋の反応を見ずにすぐに話を戻した。


「しかもあかるは非能力者で、彼女の世界に能力者は存在しなかった。どんな能力があって、どう使うのかも殆ど解らないんだよ。能力を扱うってことは、その能力がどういう風に発動するのか理解してなきゃいけない。その辺は能力者の殆どが勘で分かってるもんだしね。例えば、水を出す能力者なら、空気中に水分が含まれていることを本能的に知っているし、水を操るなら、それは作り出すのではなく、念動力の一種なのだと自覚していたりね。でも、能力がない者はその勘そのものがないから、どうすれば良いのかいまいちよく分からないんだよ」


「だからって……」

 火恋は憤りを見せた。


「修行が大変だからって、それがなに!? 私が貴方達やあの女を赦せると思う? 晃はもうどこにもいないのよ!」

「だから、青説殿下と手を組んで王を失脚させるのか」

「そうよ!」


 火恋は堂々と言い放った。目の端で、マルが面食らった表情をしているのが映ったが、僕は火恋から目を離さない。


「あんな女がきたから、晃はいなくなったんじゃない」


 憎しみに燃えた目、苦々しく吐き出された本音。その姿に、僕は見覚えがあった。きっと、かつての僕もこんな顔をしてた。

 火恋はキッと僕を睨み付けた。


「貴方だってそうよ。晃は貴方のために死んだのに。なんでのうのうとしてるのよ。なんで、あんな女のこと優しい目で見てるのよ!」

「え?」


 喉の奥で鳴るように、反射的に僕は小さく呟いた。

 晃が、僕のために死んだ?


「なんにも分かってないのね。レテラは昔からそうだったもの」


 火恋は嘲って鼻を鳴らす。でも、僕にはなんのことか分からない。僕のせいで死んだっていうのなら、それは事実だろうけど。僕の〝ため〟?


「晃は、レテラ、貴方からの手紙を心待ちにしてた。私のただ一人の友人だって言って。貴族なのに、気兼ねなく接してくれる良い人だって。晃は、ずっと家のために働いてきたから、友達と呼べる人はレテラしかいないんだって言ってた」


 火恋は悔しそうに顔を歪めて一滴だけ涙を流した。唇を噛み締めて、僕を睨みつける。僕は、その視線から目を離さなかった。


「火恋。確かに晃は僕のせいで死んだんだと思う。晃が決心を決める前に、僕が別の提案を王やマルに出来ていたら、晃は死なずにすんだ。だけど、晃はこの世の誰よりもお前を大切に思ってたんだよ」

「……どういうこと?」


 火恋は疑り深く僕を見る。だけど、その瞳には僅かに期待が滲んでいた。


「晃が犠牲になるって知った日、僕は晃を止めたんだ。王を説得するって言って。きっと紅説王も僕の言い分を受け入れてくれるはずだからって。だけど、晃は首を横に振ったんだよ」

「……なんでよ」


 火恋は信じられないというように目を丸くした。


「お前がいるからだって」

「私?」


 僕は深く頷く。


「この世界には、火恋がいるから。弟達がいるから、自分の大切な者がいっぱいあるから、自分が守るんだって――そう言った」


 薄っすらと涙が滲んできて、僕は少しだけ上を向く。


「……そんな、そんなこと」


 火恋は目をきょろきょろと動かして動揺すると、じっと黙り込んだ。噛んだ下唇がうっ血して赤く染まっている。


「僕、正直お前に嫉妬したよ」

 火恋は撥ねられたように顔を上げた。


「火恋様、火恋様って、自分が死ぬかも知れないってときに、お前のことしか心配しないんだからな。結局、お前が言うように晃にとって僕はただの友達だったってことだし」


 僕は切ない気分で火恋を見据えた。

 晃が一番愛した相手が、目の前にいる。嬉しいような、愛しいような、でもとても寂しい。


「僕も火恋が大好きだよ。だけど、一番好きな相手がこの世にいないのは、寂しいよな」

「……っ」


 火恋の顔が崩れた。歯を食いしばって、泣くのを我慢しようとするけど、大粒の涙が頬を流れていく。


「だけどな、火恋」


 僕はしゃがみ込んで、火恋に目線を合わせた。俯いた彼女と目が合うと、火恋は涙を拭って視線を逸らす。でも、僕はじっと火恋を見据えた。

 最も大切なことを、火恋に伝えなくちゃいけない。


「火恋。さっき、あかるの中には五千の魂があると聞いたな」

「……ええ」


 火恋はわざとぞんざいな態度で答えた。


「あかるはこちらの世界に来るさいに、白い空間の中で女の人に遇ったと言った。その人は薄茶色の髪に赤茶の瞳、浅葱色の着物を着ていたって」

「……それって」

「そう。晃は肉体を離れたとき、浅葱色の着物を着てたな」


 懐かしくなって、ふと笑みが零れた。


「その人は、あかると身体を重ねるようにして消えたんだそうだ。晃はあの日、魔王と一体になった。その魔王が、あかるの中にある。魔王は魂の集合体だ。そして、意思を持っている。分かるか、火恋」


 火恋は再び顔を歪めた。


「晃は、あかるの中にいるんだよ。そして、意思を持って、生きているんだ」


 火恋は、わっと泣き出した。

 僕は火恋を強く抱きしめた。彼女は、僕の腕の中で、まるで幼い子供のように泣き喚いた。


 僕があの日、どうしようもなく哀しくて憎らしくて、あかるに手をかけようとした日。僕は、皆にやり場のない思いを受け止めてもらった。

 火恋にはその相手が、いなかっただけなんだ。


「ごめんな。僕が、そうならなきゃいけなかったのに。火恋を一人にした」


 低声で独りごちて、今度は明確に声を出した。


「これからは、お前を一人にはしない。誓うよ」


 僕は少しだけ火恋を離して、火恋を窺い見た。火恋は、きれいな顔を歪めて泣きじゃくっていた。

 僕はまた火恋を抱きしめた。

 

(まだ、複雑だよな)

 

 僕だって、いまだにやりきれない思いが込み上げるときがある。

 晃の意思が魔王の中に生きていても、話も出来ない。逢うことも出来ない。そんなの、喪ってるのと変わらない。たまに、そんな風に思うことがある。だけど――。


「火恋。頼むから、あかるが死ねば良いなんて、言わないでくれよ」


 僕は噛み締めるように囁いた。

 僕はもう一度、晃を喪いたくはないんだ。


 * * *


 火恋はしばらくしてから、泣き腫らした顔を上げた。

 僕が微笑みかけると、火恋は頬を微かに赤くしてそっぽ向く。ふくれっ面を作って、涙の跡を手の甲で拭いた。


「さっき……」


 火恋は気まずそうに呟いて僕を見上げた。緊張したのか少しだけ顔が強張る。


「さっき、言ってましたわよね。晃にとってレテラはやっぱり友達だったんだって」

「ああ」


 我ながら情けない。

 そうだと分かってたのに、きっぱりと聞かされるとやっぱり刺さるものがある。


「違いますわよ」

「え?」


 火恋のさらりとした口調に、思わず聞き返した。

 今、なんて言った?


「晃は確かに、私には貴方のこと大切な友達だとしか言わなかったですけど、晃のすぐ下の弟に、晃は手紙を出してたんです。計画が実行される前日ですわ。それを、弟さんがわざわざ私を尋ねてらして、見せてくれたんです」


 火恋は真剣な眼差しで僕を見据えた。


「そこには、身分の違う人を好きになった。その人は外国人だけど優しくて紳士的で、とても親切。だけど、自分のことは友達だとしか思われてない――って書いてあったの。それでも、その人がいる世界を守りたい。危険な任務に赴いている彼の役に立ちたい。もちろん、それは火恋様をお守りすることにも繋がるし。だから、これはわたしの意志でわたしが選んだこと。例え何があっても、貴方達は王族や他の人を憎んだりしてはダメよ――って、そう綴られていたわ」


 火恋は一瞬だけ視線を逸らして、再び僕を見据えた。


「分かるでしょ? その人って誰のことか」

「……僕?」


 そんなわけない。そう思いながら、そうであって欲しいとも思う。だけど、そうでなければ良いとも思う。


「そう。貴方よ、レテラ。疑うならその手紙を見せましょうか? 今はオウスにあるけど、そこにはちゃんと、レテラ・ロ・ルシュアールの名前があるから。手紙には貴方のことばかり書いてありましたわ」


 火恋は髪を払いながら、自嘲気味に笑んだ。


「私なんておまけ扱い。嫉妬していたのは私の方ですわ。レテラおにいちゃん」


 僕は言葉を失った。

 今更聞きたくなかったとか、すごく嬉しいとか、でもすごく哀しいとか、心の中はぐちゃぐちゃだ。

 だけど、久しぶりに呼ばれた火恋からの呼び名が、温かく心に沁みてきて、僕は泣いた。

 





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