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第十四話

書き直しました。2019


 僕はそれから数日、自室に篭った。正直、どうやって帰ってきたのかも覚えてない。

 毎日何も手につかないのに、憎しみだけがふつふつと湧いてくる。僕はイライラしながら部屋中を歩き回った。


 最後の引きがねを引いたのは王だ。王さえ呪文を唱えなければ、晃は死ななかった。マルが晃のところへやって来なければ、晃は話を聞くことさえなかったはずだ。


 極めつけにあの、少女。


 あんな子を呼び出すために、晃は犠牲にならなくちゃいけなかったんだ。ぐるぐるとした憎悪が内臓を抉る。胃が握りつぶされるくらいに痛んで、僕は膝をついてうずくまった。


 晃に逢いたい。

 もう一度、笑って欲しい。


 僕は零れ落ちた涙をごまかすように、畳に倒れて体を丸めた。

 嗚咽しながらぼろぼろ泣いて、涙が枯れた頃に、二度と晃に逢えないんだと、非情な現実が頭を過ぎってまた泣いた。


 どれくらい泣き続けたのか分からないくらい泣いて、涙がやっと止まった。頭がガンガンする。僕は、鈍痛のする頭を押さえて目を閉じた。


 ふと、気づくと夜が明けていた。

 意識を取り戻すたび、夜になったり、朝になったり、昼や夕方……こんなことを何回繰り返しただろう。


 日の光が長く部屋へ入り込んでいる。この傾き具合だと、正午を回ってるだろうな。ぼんやりと考えて、僕は起き上がった。


 まだ頭が痛い。

 僕は、ふらふらと立ち上がった。

 不意にまた雫が頬を伝う。


 僕は目を擦って涙を拭うと、障子を開けた。何日ぶりなのかは分からないけど、久しぶりに見た空は、穏やかに晴れ渡っていた。


 心との対比を表しているようで、なんだか無性に腹立たしい。僕は湧き出た涙をまた拭って障子を閉めた。光が遮られて、少し暗くなった途端、ぽっかりと空いた胸に、ずるりと憎しみが忍び込む。


――あの少女の代わりに、晃が帰ってくれば良いのに。


 僕は障子の前で立ち尽くしていた。

 あの少女が死んだら、晃は帰ってくるんじゃないか――そんな妄言がふと顔を出した。


 そんなことはない。あるはずがない。死んだ人間は生き返らない。


(だけど、もしかしたら……)


 僕はぶんぶんとかぶりを振る。

 でも、もしかしたら――。


「レテラ、いるか?」


 はっとして息を呑んだ。心臓が跳びはねて、ばくばくと早鐘を打つ。胸を押さえて、障子から一歩下がった。


「入るぞ。良いか?」


 陽空の声だと気づいたのは、このときだった。心配するような、窺う声音だった。

 僕は答える気になれずに、また一歩下がった。


 障子がゆっくり開いて、眉尻を下げた陽空が現れた。

 僕は、何故だろう。陽空の顔を見たと途端、ほっとした自分に気づいた。すごく久しぶりに陽空を見た気がする。


「お前、食事はちゃんと摂ってるか?」

 僕の顔を見るなり、陽空はそう訊いた。


「そんなに青白い顔してるかよ?」

 僕が皮肉交じりに笑うと、陽空は真面目な顔で言った。


「してるよ」

「……そう、か」

 僕は顔を伏せる。


「大丈夫だよ。アイシャさんが持ってきてくれたの食べてるからさ」

「殆ど食ってないって聞いたぜ」

「……」


 食事は一切摂っていなかった。こんなに哀しくて、辛いのに。自分の腹が鳴るのが許せなくて、僕は食事に手をつける気になれなかった。


「お前が篭ってから、二日だ。今日の夕方に、晃ちゃんの葬儀があるからちゃんと出席しろよ」

「……晃は、死んでなんかないよ」

「なに言ってんだ」


 陽空は独りごちるように、小さく呟いた。そこには、信じられないものを見たときの、拒否感のようなものが漂っている。


「レテラ、お前大丈夫――」

「冗談だよ」


 冗談じゃないよ。

 僕は微笑んでみたけど、頬が強張っていたからちゃんと笑えてたのかは分からない。でも、陽空は一応ほっとした表情は浮かべていた。


「あの子は?」

「え?」

「あの儀式で来た、あの……」

「ああ」


 陽空は腑に落ちた調子で、

「あの子は、まだ目覚めてないんだ。医者が言うにはどこにも異常はないみたいだから、その内目が覚めるだろうってことだけど」

「そうなんだ」


 まだ、目覚めてないのか。


「今日は、ちゃんと食事摂るよ。アイシャさんに持ってこなくても良いからって言っておいて。ちゃんと時間になったら行くよ」


 僕は自分の口からその気のない言葉が出て、内心少しびっくりしていた。


「……分かった」


 陽空は安堵感を浮かべながら了承したけど、どことなく疑っているような感じの瞳もしていた。僕がちゃんと行くか不安なんだろう。


「もう少し寝たいんだ。良いかな?」

「ああ、分かった。おやすみ」


 陽空は僅かに笑んで障子を閉めた。


「……」


 僕は無言で障子を凝視した。

 そうか。あの子は、まだ目覚めてないのか。


 * * *


 どんなつもりで足が向いたのか、僕にも良く分からない。

 顔を見たくなった。

 話をしてみたくなった。

 姿を見たら、何か感じるものがあるかも知れない。

 ただ単に、殺したくなった――それだけかも。


 僕は無意識に動かされるように、ただただ足を動かした。彼女がどこにいるのかは知らなかった。見つからなければ良いとも、頭の隅で思っていた。


 ふらふらと歩き回り、障子を開けては空の部屋を見るともなしに一瞥して、閉める。それを繰り返して、僕の視界は今までと違う風景を捉えた。


 手前の部屋はがらんどう。奥座敷の障子は開け放たれ、布団が敷かれている。布団の中には、誰かが。


 長い黒髪を布団に撒き散らすように垂らし、人形のように深く眠る。美しい少女だった。僕は、ふらりと近寄った。


 白いシーツの上に黒い宝石のような細く、艶のある髪が映える。頬は、ほんのりと赤く色づき、薄い唇は薔薇のように赤い。


 その血色が、彼女が生きていることを物語っていた。

 僕は、呆然と膝を突いた。

 彼女がぐんと近くなる。

 少しだけ伸ばせば、その頬に手が届く。


 僕は、彼女をただ見続けた。見続けて、そして、不意に手を伸ばし、彼女のか細い首に手をかけた。


 柔らかく、吸い付くような肌が手のひらの感覚を覆う。一気に力を込めた。両手の親指が硬い骨に当たる。構わずに更に締めあげようとして、不意に力が抜けた。


 彼女の頬や黒い髪にぼたぼたと涙が零れ落ちていく。

 僕は震えながら、その手を離した。全身に力が入らない。そのまま自分の膝に傾れ込むように丸まった。


 心臓が早鐘を打ち、僕を苦しめる。


「できない……!」


 搾り出すように呟いて、僕は腕を掴んで自分を抱きしめる。

 この子を殺す事も怖かった。だけどそれ以上に、晃が全てを投げ打って得た者を殺すことは出来なかった。そんなことをすれば、晃のしたことが無駄になる。


「僕にはできない」


 なんて、情けないんだろう。

 僕は、なんて役立たずなんだろう。


「レテラ」


 優しい声音が聞こえて、顔を上げた。ばたばたと涙が畳に落ちる。

 廊下の障子の前に、燗海さんが立っていた。


「燗海さん……いつから?」

「すまないな。キミが、この部屋に入る前からじゃ」

「そう、ですか……」


 呟いた声は口ごもったせいで、くぐもった。

 本来なら誰かを殺そうとした現場を見られれば、混乱したり、動揺したりするものだと思う。でも、何の感情も湧いてこなかった。


「報告しますか?」


 そうすれば、僕はルクゥ国に帰されるだろう。それでも良い。むしろ、その方が楽になれる。この地を離れれば、晃を忘れて生きていけるかも知れない。


 不甲斐ない自分から、逃げて暮らせる。

 燗海さんは、静かにかぶりを振った。


「いや、報告はせん」

「……何故?」

「報告して欲しいのか?」

「……」


 燗海さんは子供に要望を訊くように、優しく尋ねた。僕は、はいと答えられなかった。何を迷うことがあるんだろう。自分自身に苛立ったとき、燗海さんが柔らかな口調で言った。


「レテラ。王が憎いか?」

「……え?」


 僕の心に小波が立つ。視界が揺れて、動揺が目に走った事を悟った。


「正直に話してごらん。レテラ、紅説王やマルが憎いか? そこな少女のように」

「……」


 何故そんなことを訊くんだ? 怪訝であると同時に、怖い。恐怖が僕の胸を渦巻いた。燗海さんに見抜かれていることも怖かったし、自分自身の気持ちを語ることも恐ろしかった。


だけど、一方で話したい――そんな欲求に駆られる。

 僕の心臓はバクバクと脈打った。


「レテラ?」


 燗海さんに優しく促されて、僕はぎこちなく頷いた。


「憎いです……憎いですよ。そりゃ」


 口に出した途端、高鳴っていた鼓動が、すっと治まるのを感じた。

 燗海さんはゆっくりと歩み寄ってきた。僕の隣にあぐらを掻いて座る。


「少し、昔話をしても良いかね?」

「え?」


 燗海さんは遠い目で障子の向こうを見て、僕を振り返って細い目を更に細めて笑った。優しくて、温かな笑みだった。


「ワシはな。昔、苗字があった」

「それって……」


 口を挟む気はなかったのに、思わず声に出てしまった。心の奥底から、ふと好奇心が顔を出す。

 燗海さんは深く頷いた。


「そう。キミがしきりに尋ねてきた。目黒、それじゃよ」

「え!?」


 驚きすぎて二の句が告げなかった。

 やっぱりそうだったんだ……。僅かな興奮が胸に宿る。だけど、否定してたのにどうしてだ?


「目黒燗海。そんな名だった時代もあった。ワシが今から話をするのは、その時代の話じゃ。年寄りの昔話、聞いてくれるかね?」

「……はい」


 僕は自然と頷いていた。


「ワシは貧しくもなく、豊かでもない、至って普通の農村に生まれてな。金銭的な不自由はなく暮らしておった。ただ、この能力故に幼少期には色々とやり過ぎてしまってな。幼少の頃は、能力を制御できん者も多いじゃろう。ワシもそうじゃった」


 燗海さんは僕を覗き込んで、懐かしむように笑った。


「ワシの能力は単純明快でな。身体能力が強化される。ただそれだけじゃ。力を込めて殴れば、岩石も易々と跡形もなく砕け散る。それ故に骨も筋肉も常人より遥かに強靭に生まれた。だからな。普通にしてるつもりでも、通常の人間には力が強すぎて傷つけてしまうことが多々あった。それ故に、ワシは村人にも家族にも恐れられて暮らしておった。金銭的に問題はなくとも、不自由さは常に感じておったよ」


 燗海さんの瞳に、哀しさが過ぎった。


「じゃから、十五の時に戦場へ出た。すると、すぐに出世してな。驟雪国の将軍へあっという間に上りつめ、烈将軍を永久授与された。その頃じゃな、結婚話が出てな。ワシは、したくもない結婚をしたんじゃ」

「ということは、上官か何かの?」


「いや。相手は平民出の、男勝りな女子じゃった。勝気で勇猛果敢。将軍の座に就こうという勢いのある猛者で、中々に強くてな。能力者ではなかったものの、並大抵の男では太刀打ち出来んかったわ」

「へえ……」


 僕は関心して頷く。


「彼女はワシの部下じゃったんじゃが、猛烈なアプローチをされてな。男女の関係になって、子供が出来た」

(ああ、それで)


 僕は苦笑を浮かべる。


「でもな、ワシは家庭というものを持ちたくなくてな」


 燗海さんは顔を曇らせた。その瞳は暗く、悲痛な影を見た気がする。


「家族に恐れられて暮らしてきたワシにとって、家庭というものは煩わしくもあり、恐ろしいものじゃった。もし、子供を誤って殺してしまったら……そんな恐れもあったんじゃ。あの頃はまったくもって気づかんかったがな」


 いったん区切って、燗海さんは続けた。


「ワシは、それに気づかないまま、嫁と子供が煩わしい。そんな想いしか認識しておらんかった。戦に出ても、この能力故に接近戦では無敵じゃったからつまらなくてなぁ。能力者がおれば楽しくてしかたなかったが、能力者に出会わん戦場は退屈でしかたがなかった。ただ、消者石しょうしゃせきがあれば話は別だったが」


 消者石といえば世にも珍しい透明な岩石で、それを砕いて能力者に吹き付けると能力者は一時的に能力を失う。

 何故そうなってしまうのかは、学者が調べているがいまだに不明だった。


「ヒナタもおそらく、そうなんじゃろう」


 ヒナタ嬢? 僕は、燗海さんの話に口を挟まないように、頭をフル回転させた。記憶を辿る。


 そういえば、魔竜の洞窟で燗海さんはヒナタ嬢に忠告してたっけ。

 人をちゃんと見なければ、いつまで経っても乾いたままだって――。


「毎日が乾いておった。それで、旅に出ようと決めたんじゃ。娘がちょうど、六歳の時じゃったわ。嫁や娘が止めるのも聞かず、ワシは家を飛び出した。駆け出したワシを止める手立てなど、あの二人にはなかったじゃろうな」


 確かに。馬よりも速く駆けられる人間に追いつく術なんてないだろう。それよりも速いドラゴンにでも乗らない限りは無理だ。


 僕は少し、奥さんと子供が不憫になった。愛し合って、とはいかないまでも、奥さんの方は燗海さんを好きだったわけだし。子供にとってはどんな親でも、親は親だ。なくして少しも哀しくないわけはない。


「ワシは何年もかけて世界中を回った。そして、あるとき不自由さに気がついたんじゃ」

「不自由さ……旅のですか?」


「いいや。傍らに、嫁がいないことがじゃ。そう想い出したら、嫁は今なにをやっているじゃろう。娘はどうしているじゃろうかと気になりだした。言い方は、良いのか悪いのか分からんが、ずっと痛くて麻痺していた腰痛が治ったことによって、少しの痛みにも耐えられなくなる――そんな感じじゃった」


 僕は思わず首を捻った。どういう意味だろう?

 燗海さんは僕の表情に気がついたのか、「そうさなぁ……」と呟きながら顎を擦った。


「ひどい肩こりも何日も続けば麻痺してしまうじゃろう? 慣れてある程度は普通に過ごせるようになる。ワシにとって、村におったときがそうじゃった。でもな、ワシは知らないうちに、治療を受けておったんじゃよ。嫁と子供に癒やしてもらっておったんじゃな。でも、ワシはそれに気づかなかった。それを不快じゃと思ってしまっておったんじゃな。恐れ故にな」


 燗海さんは哀しそうに微笑わらった。


「そしてな。少しの寂しさにも、ひどく心が痛むようになったんじゃ。それを、旅をしていて、ふと寂しいと思ったときに気づいたんじゃ。思い悩んだあげく、ワシは帰る決心をした。罵倒されても、家に入れてもらえなくても構わない。精一杯謝って、また家族にして欲しいと告げようと決めたんじゃ」


「しかしな……」と、燗海さんは眉根を寄せ、深く息を吐きだした。まるで、泣き出したい気持ちを整理したみたいだった。


「家に帰ってみると、誰の姿も無かった。引っ越してしまったのかと思ってな。近所を回ったが、近所の者も皆、姿が変わっておった」

「え?」


「その者達は、居なくなった住人の代わりに越してきた者達じゃった。家を含めた一帯は、何者かの襲撃に遭い、全ての者が殺された」


 僕は絶句したまま燗海さんを凝視した。けど、燗海さんはどこか遠くを見る目で前を見据えている。瞳は暗く、薄っすらと涙を含んだように揺れた。


「ワシは案内された墓地へ向ったよ。そこには嫁の名と、娘の名前が刻んであった。最初は信じられんかった。強かった嫁がどこの馬の骨とも分からんものにやられるはずがない。この名はきっと、別人のものに違いないとな。じゃが――」


 燗海さんは目頭を押さえて、かぶりを振った。


「軍人時代の仲間や部下に聞いた話によれば、嫁は病に倒れ、殆ど動けなかったようじゃ。そこに襲撃があって、娘もろとも命を奪われたのじゃろうと……」

「……誰が襲撃犯か分かったんですか?」

「ああ。わりと、すぐにな。ワシは国境近くの町に住んでおったんじゃ。王都は性に合わなかったからな。国境近くにおれば、戦場にも赴きやすい」


 僕は自分の顔が青ざめたのが分かった。


「もしかして、ルクゥの?」

 燗海さんはこくんと頷く。


「どの部隊の者かもすぐに判明したよ。ワシは単身乗り込んで、その部隊を壊滅させた」


 ぞっとした悪寒が背を這った。

 それは、凄まじい話を聞いたからでも、祖国に対しての感情からでもない。燗海さんの形相が、普段の穏やかさとはかけ離れていたからだ。


 怒気が体中から溢れ、鋭く見開かれた瞳は雄弁に憎しみを唄っていた。鬼の形相、とは多分このことを言うんだ。


一気に口の中がからからに乾いた。だけど、鋭く尖った眼光が不意に和らいで、今度は言いようのない瞳に代わった。一つだけ例えをあげるのなら、ひどく物事を後悔している目だ。


「ワシは復讐を遂げたが、気は晴れなかった。肉片と血にまみれた部屋の中で、ワシは不意に気がついたんじゃ。ワシが一番憎悪し、許せない存在が誰なのか」


 燗海さんは僕を振り返り、静かな表情で見据えた。


「自分じゃよ」


 僕の胸に、ずしんとした槍が突き刺さる。僕――?


「そしてワシはまた旅に出た。どこにも定住しないと誓ってな。ワシが帰るべき場所はもうない。戦地に赴き、ルクゥ国を滅ぼそうとも思わなんだ。ルクゥ国の連中からしたら、ワシも憎むべき人間じゃ。ワシもルクゥ国の人間を殺してきた。兵士でない者も殺したことはあった。そのワシが、同じ目に遭ったからといってルクゥ国人全員を葬り去るのは、間違っておる。そうじゃろう?」


 僕はなんと言ったら良いのか分からなかった。頷く事も出来ないまま、燗海さんを見続けた。


「ワシが目黒を名乗らないのはな、レテラ。目黒の姓が、嫁のものだからだ。ワシは、家族をほったらかしにし、死なせ、復讐の名目で人を殺した。その前にも、国を守るという名目で、散々人を殺してきた。しかも命を奪いながら、つまらないだなんて思っておった。そのワシが、平和を望んでおった誇り高い嫁の名を名乗れるわけがあるまい」


 燗海さんはひとつ息を零した後、にこりと笑んだ。


「嫁が愛してくれた目黒燗海は、ワシが家を出た時点でもう死んでおる。ここにおる燗海は、ただの罪人じゃ」


 僕は、燗海さんの覚悟を込めたような笑みに見入った。燗海さんは不意に視線を逸らし、障子の向こうに投げた。そのとき気づいた。


 僕は、紅説王もマルもここに眠る少女も憎いと思った。本当に、はらわたが煮えくり返るくらいに、苛立たしくて、許せなくて。


 だけど、僕は彼らを心底憎んでいたわけじゃない。


 だって僕は、王がどれだけ苦心して魔竜を倒そうとしているのか知っているし、あの王が晃が犠牲になったことも、そのことで僕が落ち込むことも気に止めないはずがない。きっと、こうしてる今も心の奥底で悲しみ、身を引き裂かれる想いでいる。そして王はそれを誰にも告げないだろう。

 

 罪と、覚悟を背負っているから。


 マルもそうだ。彼女は研究狂いだけど、感情がないわけじゃない。僕が晃と友達だと知ったときのマルは、驚いて、蒼白だった。きっとマルも、今頃罪悪感を抱えてる。


 ましてや、この少女はただ呼ばれて来ただけだし、晃が命がけで探して来てくれた人だ。結局僕は、どんなに憎らしく思っても王もマルも好きでいる。

 だからこそ苦しかった。


「それに、僕は……」


 誰にも聞こえないほど低声で呟いた。

 僕はきっと他の誰のことよりも、自分を許せなかったんだ。


 マルが晃に話しただろう日に、僕は晃にもマルにも深く聞かなかった。無理をしてでも聞いておけば、まだ打開策はあったはずだ。


 あの日に戻りたい――。ふとそんな後悔が胸を過ぎる。でも、戻れるはずもない。

 視界を閉じかけたとき、不意に頭の中で優しく、明瞭な声が響いた。


『あなたが記録係になったのは、きっと誰かに何かを伝えるためよ』


 いつかの、アイシャさんの言葉だ。

 何かを掴んだ気がした、あのときの感覚が蘇ってくる。


「燗海さん」

 名を呼ぶと、燗海さんは振り返った。

「なんじゃ?」

「僕、ここに残ります。残りたいです。それで、ここで起こったこと全てを書き記します」


 晃を救えなかった罪人として、僕も生きよう。

 僕に出来る贖罪は、晃が生きた証を書き記していくこと。


 晃が残したこの計画の行方を見守り、全てを記していくことだ。この計画が終わるまで、僕は筆を置かない。


 晃の、この計画に関わっている全ての人の苦悩と、軌跡を綴ろう。

 そして、それを後世へ。

 誰かの頭に残ったのなら、その人と共に、晃は、皆は生きていける。

 手記が後々の世まで語り続けば、それは永遠になる。

 燗海さんは優しく笑んだ。


「そうかい」

 呟くように言って、頬を綻ばせた。

「理由を訊いても?」

 僕は、口角を上げた。

「燗海さんと同じです」


 * * *


 黄昏が闇に変わる頃、松明に火が灯された。

 城の庭を取り囲む松明は、晃を中心に、三角形になるように建てられた三つのやぐらを映し出した。


 条国の神官が晃に近寄り、月の光を一晩映し出していた水瓶で指を濡らし、晃の額につけた。丸い円を描き、両手を上へやって祝詞を唱え始めた。


「神の御側へ迎えられし、この娘、晃は現世での役目を終え申した。かの娘は、現世で人のため、世のために邁進致し英雄で候。故に、大神・天兎まのう神に仕えましょう。晃の命は今生を離れ、神々のおわす天地にて安らかに暮らしましょう」


 神官は空中で円を描くと、水瓶の水をすくい、天に向って撒いた。晃に雨のような雫が降り注ぐ。

 神官は深くお辞儀をすると、踵を返した。


「葬儀はこれで終わり?」

 僕は横にいたマルに尋ねた。マルは話しかけられたことに驚いて、戸惑っていた。

「う、うん」と、短く返事を返すと、前に向き直った。


「今のは、この世界で役目を終えた者が天に住まう神様のところで暮らすから、神様よろしくってことなんだけど……。神官が天兎神って言ってたろ? 天兎神は最高神で、この国の者にとっては、死んだ後に天兎神に仕えるのは誉れなんだよ。神官が数いるうちの神様にこの人はこういう人だから、この神様に仕えさせてくださいってお願いするんだ」

「罪人も神に仕えるの?」


 僕は横たわる晃を見つめながら尋ねた。マルが僕を振り返ったのを視野が捕らえる。


「うん。罪人は、かなり厳しくて仕えるのがヤダなって思うような神に仕えるって言われてるよ。例えば、逢魔が時の亜魔ノあまのしんなんかは、悪魔かってレベルのこきの使いようで、穢れの神、呉色懺ごしきざんの住まう場所はまるで地獄みたいだって」


 マルの声は、緊張が解けたのか硬さがなくなっていた。僕に普通に話しかけられて、ほっとしたのかも知れない。でも、途端に声音が沈んだ。


「僕も、きっと呉色懺に仕えるよ」

僕が振り返ると、マルはにっと笑った。

「覚悟はしてるけどね」

「大丈夫だよ」

 僕は笑み返した。

「そのときはきっと、僕も一緒だ」


 眼鏡で小さくなった目を丸くし、マルは複雑そうに笑って、首を振った。


「いや。レテラはきっと亜魔ノ神くらいだよ」

「……ハハッ!」


 僕は軽く噴出し、笑った。声を出して笑えるなんて、一生ないだろうと思っていたのに。ふと見渡すと、陽空、その隣にいるアイシャさん、燗海さん、少し離れた場所にいる王が心配そうな瞳で僕を見ていた。


 王の隣に居る殿下までもが、いつもよりほんの少しだけ優しい目つきで僕を見ている。

 ムガイは反対側にいて、感慨深い表情で横たわる晃を見つめていた。


 突然、視界の隅にすっと影が見えて横に顔を振ると、いつの間にかヒナタ嬢がいた。

 絶対出席しないと思ってたのに……。


 彼女は僕の視線に気づくと迷惑そうな表情をして、突然手を組み、跪いた。

 低い声でぶつぶつと呟きだす。


 それは、ルクゥ国の祝詞だった。ジャルダ神におくるものではない。亡くなった者に捧げる鎮魂歌だった。びっくりしてまじまじとヒナタ嬢を見つめてしまった。

 ヒナタ嬢はすばやく祝詞を終わらせると、すくっと立ち上がって踵を返した。


「ヒナタさん」

 声をかけると、ヒナタ嬢は振り返って、

「巫女だからな」

 ぶっきら棒にそう告げて、そのままスタスタと歩き去った。


 僕はふつふつと笑いが込み上げてきて、また声に出して笑った。

 マルがびっくりした目で見上げてくる。その瞳には不安が見て取れた。僕が哀しみでおかしくなったのかと心配してるんだ。僕は、マルに手を振った。


「いや。違うんだ。僕は、すごく恵まれてる人間なんだなと思って」

 僕は大きく息を吐き出すと、晃に向き直った。


「晃。僕はもう大丈夫だよ。晃が残してくれたもの全部、大切にする」


 だけど、何故だろう。ぽろりと涙が一滴、頬を伝った。





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