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第十三話

書き直しました。2019

 第三の魔王は第二の魔王と同じように造られたため、放って置くと生き物の命を奪ってしまう。だから、第二の魔王と同じように結界師によって厳重に守られていた。


 その間にも魔王を入れるための器を探しているのだけど、この一年まったく見つからなかった。


 人間だけでなく、あらゆる生き物に魔王を入れてみたけれど、どの生物も魔王を入れられたとたんに死んでしまう。魔竜は多少なりとも耐性があったからか弾けとんだけれど、耐性がない生き物は魔王が肉体に入った瞬間消えてなくなってしまった。


 初めは、文字通り消失してしまったのかと思ったけど、研究を重ねるうちに魔王が魂を吸い出した後、肉体ごと吸収したのだと分かった。


 僕は研究室の椅子に座りながら、紅説王を窺い見る。王は頬杖をつきながら、椅子の上でうとうととしていた。


 僕が部屋に入っても以前のようには起きなかった。紅説王は最近神経をすり減らしている。元々感受性が豊かな方だから杞憂は多かったけれど、最近は問題が多くてろくに寝れてないんだろう。


 王は無作為に魔王の適性を見ることを嫌った。

 当然だ。無為に殺すのと同じなんだから。


 でも、実験をしないわけにはいかない。王がジレンマを抱えているのは傍目で見ても良く分かった。


 王は最近イライラしていることが増えた。もちろん、僕達には見せないけど、一人でいるときに憤った表情をしている。

 紅説王を悩ませている原因はそれだけじゃない。


「兄上!」


 ヒステリックな声音で、王は肩を震わせて目を覚まされた。


(可哀想に)

 そう思いながら、僕は声の主を見た。青説殿下は研究室に足を踏み入れるやいなや、言い放った。


「今日こそは御了承下さい」


 今度は感情を押さえて、静かな口調だったけど、苛立ちは見て取れた。王だけでなく、最近は殿下もイラついてらっしゃる。


「了承は出来ぬ」

 王は寝ぼけ眼を擦って、疲れ果てたように言った。


「何故了承して下さらないのですか? 転移のコインを回収して下さい」

「だから、何度も言っているだろう。そんなことをしては、各国に不信を招きかねないではないか」


「もっとも危惧すべきことは、この国に攻め入られることではないですか」

「青説、そんなことはありえない。危機的状況にある中で、人類皆が手を取り合わねばならないんだ。そんなことは、誰もが分かっていることだろう」


「兄上は人間というものを御存知ではない!」

「青説。お前こそ、人間というものを理解してはいない」


 青説殿下は珍しく熱くなった。それに対し、紅説王は冷静そのものだ。

 王を悩ます一つに、各国からの非難の声が出始めていることがあった。


 一ヶ月前のことだ。魔竜は、ついに人間に牙を向き始めたんだ。

 ハーティム国の小さな村が魔竜に襲われて、そこに住んでいた村人は全滅した。それから魔竜の活動は報告されてない。だけど、神話は完全に崩されてしまった。


 人間は神に守れているから大丈夫だという思い込みは崩壊し、今、全世界が次は自分達ではないのかと脅えている。


 絶滅に追い込むまで魔竜の数を減らしたのは間違いだったのだと各国で抗議の声が上がり、市民に押されるように各国は条国に責任を押し付けつつあった。


 だから、殿下は転移のコインを各国から回収したいのだ。

 この現状が長引けば、怒りと恐怖に身を任せた民衆の気を逸らすために、本当に条国に責任を全てかぶせ、兵を挙げる可能性があるのではないかと懸念しているのだ。その際に、転移のコインがあってはコトだ。あっという間にこの城に侵入されてしまう。


 でも、王はそうしたくはない。

 紅説王はそんなことにはならないと信じているようだった。疑心暗鬼になるよりも、人の心を信じたいのだろう。


 僕としては、青説殿下の仰りようは最もな気がするけど、ルクゥ国の人間としては、王の気持ちに賛同したい。母国がそんな行動に出たら、祖国に対して失望しか残らない。そんなことは、悲しいことだ。


 二人はこの話し合いを何度も重ねていた。初めは二人だけで内密に話し合っていたのだろうけど、この数週間は至る所で露骨に議論している。


 議論というよりは、青説殿下の一方的な嘆願を紅説王がはねつけているといった感じだったが、他国籍の僕らは正直、肩身が狭い。誰もこの話に入ることは出来なかった。だから、僕はいつものように静観した。

 二人はしばらくにらみ合い、


「もう下がれ、青説」

 紅説王はうんざりするように言って、青説殿下から顔を逸らした。


 青説殿下は憤りを露にしながら、踵を返した。殿下を目で追っていくと、隠し扉の前にはいつの間にかムガイがいた。ムガイは殿下に道を譲ると、殿下の後を追うように研究室には入らずに、そのまま出て行った。


(ムガイは何しに来たんだろう?)

「すまないな。レテラ、みっともないところを見せた」

「いえ」


 僕は返事を返しながら振り返ると、王は困ったように眉を下げた。小さくため息を零して、椅子から立ち上がる。


「もう少し寝ていらしたらいかがです?」

「いや。もう行くよ」


 椅子を指して促した僕に、小さく手を上げて王はそれを制した。王はぐるりと研究室を眺めると、苦笑を漏らした。


「おかしな話だな。寝室よりもここの方が落ち着くなんて」

 そして、照れたように笑いなおす。僕は心配になって尋ねた。


「眠れないんですか?」

「ああ。布団の中にいると、色々考えてしまってね」

「そうですか……」


 なにか、良い方法はないものか。

 僕はしばらく考えて、

「温かい飲み物を飲んでみてはいかがでしょうか? 温かい飲み物は体の温度を上げますから、下がる頃に眠くなると言いますし、カモミールなんかどうでしょう?」


 王は僕の提案に、「ありがとう」と答えてにこりと笑んでくれたけど、小さく頭を振った。


「でも大丈夫だ。カモミールは条国にはないしな」

「僕がルクゥ国から買ってきますよ」

「いや、良いんだ。レテラに迷惑をかけるわけには行かない」

 王は遠慮がちに笑って、不意に顔を曇らせた。

「それに、今転移のコインを使うわけにはいかないからな」


 ぽつりと呟かれた低声に、はっとした。

 回収するしないで揉めてる中で転移のコインを使えば殿下がどう思うか。この兄弟の関係をもっと悪化させることは見るまでもない。


「申し訳ありません」

 頭を下げた僕に、王の慌てた声が届く。

「いや。良いんだ、顔を上げてくれ」

 僕はためらいながら頭を上げた。王は、相変わらず優しそうに笑っている。


「レテラは優しいな」

(いいえ)

 僕は、心の中で反論した。

(お優しいのは、王の方です)


「気持ちだけ、ありがたく受け取っておくよ」

「はい」

 僕が答えたとき、後ろから、

「やっぱりここでしたか!」

 興奮気味なマルの声がして、駆けて来ると僕に見向きもしないで王に報告した。


「能力者から返事が来ました」

「そうか」

「能力者?」


 僕は遠慮なく会話に交じる。マルはすんなりと話しに入れてくれた。


「そう。探知能力者の選考してたんだ。魔王の器の適合者を見つけるためにね。で、一ヶ月前に決まったから連絡してたんだよ。了承してくれるかどうか」

「へえ」

 僕は内ポケットからメモ帳を取り出す。


「円火、それで誰に決まったんだ?」

 王はマルに真剣な瞳で尋ねた。僕は意外に思って、若干目を見開いた。

「王は御存知なかったんですか?」


 いつもならマルと協同でことにあたってるのに。

 紅説王は眉尻を下げた。


「この一ヶ月はごたごたしていたからな」

 ああ。そっか……。


 僕は、先程のことを思い出した。聞いちゃいけないことを訊いちゃったな。僕が気まずそうな顔をしてたのか、王は気遣うようにぱっと表情を明るくなされた。


「だから、円火に一任していたんだ」

「そうですか」

 王の気遣いを無駄にしないように、僕も明るい表情を心がける。

「紅説様、この子がそうです」


 マルがすっと歩み出て、小さな巻物を手渡した。王はそれを開く。ここからじゃ見えないけど、どうやら名前や履歴が書かれているらしい。

見てみたいけど、これ以上王の御迷惑になるのは心苦しい。僕は好奇心をぐっと抑えた。


「……」


 王はしばらく黙っていた。じっと、文面に見入っている。やがて、すっと顔を上げて硬い声音で言った。


「この候補者でなければいけないか?」

 それは質問というよりは、要請といった感じが強かった。

(なにか問題でもあるのか?)


 訝った僕を、王はちらりと一瞥した。僕はますます首を傾げてしまう。でもそれを吹き飛ばすくらいマルが驚いた。


「この子が一番数値が高いんですよ。条件もぴったりだし! これ以上ないですよ!」

「本人の承諾は?」

「とってありますよ。もちろん、王の仰ったように無理強いはしてませんよ。やるやらないは本人に任せたし、考える時間も十分に与えました」

「そうか……」


 王はどことなく渋々といった感じで呟いて、

「では、火恋には私から言っておこう」

 火恋?

「呼ぶんですか?」

「いや。私から出向こう」


「それはダメですよ。紅説様は城から離れられないでしょ。だったら、僕が行きます。一応お姉ちゃんだし」

「そうか。円火からの方が良いかも知れないな」


 王は自答するように呟いて、「では、頼む」とマルを見据えた。


「了解です」


 マルは大きく頷く。

 火恋がどうかしたのか? と口を挟む前にマルは駆け出した。僕はその背を目で追って、王に戻すと、王はもう歩き出していた。僕を振り返ると、「私も仕事に戻る」と、言ってにこりと笑んだ。

 僕は、頭を下げて王を見送った。


 * * *


 それから一ヶ月も経たない内に会議が開かれた。なんでも、魔王の器となる者を探す手立てが整ったらしい。


 例の能力者のことだろうなとわくわくしながら僕は大広間へ向った。

 縁側を歩いていると、空の色が沈んできているのに気がついた。


(もうすぐ夕暮れか)


 空に向けた視線を戻すと、開け放たれた大広間に皆が座っているのが見えた。横一列に並んでそれぞれ座っている姿を見ると、座り方にも性格が出るもんだなとふと思う。


 陽空はあぐらを掻いて背筋を伸ばしているかと思うと、ゆらゆらと動いてみたり。隣にいるアイシャさんは凛と背筋を伸ばして正座をしている。たまに陽空を注意して、呆れながらも楽しそうに笑ってるし、陽空の反対側にいる燗海さんは正座をしていても、アイシャさんとは違って少し背中が丸い。年のせいというわけではなさそうだ。


 その隣にいるムガイは、大きな体をしゃんと伸ばして、これまた正座をしている。股が少し開いていて、でかい図体と相まって、偉そうに見える。良い言い方をするなら、屈強な兵士のようだ。


 ヒナタ嬢はあぐらを掻いて、頬杖をつき、顔を外にそむけている。ここからじゃ表情は見えないけど、どうせ退屈そうなんだろう。


 皆の前に正座していたマルと目が合って、僕は手を振った。マルは膝の上で両手で抱えるようにして持っていた風呂敷包みから片手を離して手をふり返した。


 皆が一斉に振り返る。注視されて僕は一瞬ぎょっとした。へらっと苦笑を送りながら、駆け足で大広間へ向う。


「また僕が最後か」

「レテラは会議のときは、大体最後だからなぁ」


 独り言を拾って、陽空が茶化した。僕はわざとむすっとした表情を作って陽空を睨んだけど、殿下に鋭い目つきで睨まれてしまった。


(はいはい。早く席に着けってことね)


 僕は心の中で皮肉を返して、アイシャさんの隣へ座った。それを確認して、殿下が上段の間の薄い天幕を上げた。凛とした佇まいの王が現れる。


(王も待たせちゃってたのか)

 気まずさから少し顔を下げると、マルが口を開いた。


「これの器についてだけど」


 顔を上げると、マルはもう風呂敷包みを解いていた。結界に覆われた第三の魔王が煌々と輝いている。なんだか、複雑な思いが込み上げてきた。


「今まで人間をはじめとする、色んなものに憑依させてみたけど、巧くいかなかっただろ?だから今回は、ある能力者の力を借りて、魔王に見合う器のある者を探したいと思う。実験は今夜行う」

「ある能力者って?」


 半ば諦めているような口調で陽空が尋ねて、

「入って」

 マルは誰かに入室を促した。紅説王が出入りする上段の間の後ろの襖から、知った顔が現れた。


「晃?」

 僕は面食らって目を見開く。

「久しぶり、レテラ」


 晃は僕に向かって微笑む。いつもと変わらない、優しく柔らかな笑顔。僕の心臓はどきどきと高鳴った。でも、疑問が浮かぶ。


「どうして晃が?」

 僕の問いに答えたのは、晃ではなくマルだった。

「彼女は探知能力者なんだ。特定の者を見つけることが出来る」

「ああ」


 僕は腑に落ちて小さく呟いた。

 火恋に知らせなきゃってこのことだったんだ。


「じゃが、マルや。探知能力者が特定の者を見つける場合、その者を知っているか、その者の身につけていた物か、肉体の一部を持っていなければ察知することは出来ないんじゃなかったかのう。千里眼ならともかくとして」


 燗海さんの意見はもっともだ。ただし広範囲を見渡したり、透視出来る千里眼の能力者だったとしても、対象が分からなければ探しようがない。


「それは確かにそうなんだけど、今回はこれを使うから」


 そう言ってマルが取り出したのは、いつかの魔竜の皮膚だった。燗海さんが怪我をしながらも捥ぎ取ってきたものだ。


「これを、術式に組み込む。こんなことがあろうかと結界で保存しておいたから、保存状態はかなり良いよ」


 マルは得意げに言った。

(こんなことがあろうかと――って、絶対ただの研究目的だろ)


 僕は心の中で毒づいた。マルの考えてることは大体わかる。僕もマルの立場ならそうした。何かを知りたいという欲求の強さは記録係も研究者もそう変わらない。


「この魔竜の細胞と、探知能力者がいれば魔王に合う器を持った者は見つかるはずだ。魔竜の細胞を頼りに、全世界を探知する」


 マルは意気込んで言うと、「ただし」と付け足して顔を僅かに曇らせた。


「そのためには、探知能力者には死んでもらわなければならない」


 僕の頭は真っ白になった。

 心臓が一瞬止まって、どきどきと高鳴りだす。


 僕は愕然としたまま晃を見た。晃はすべてを受け入れたように微笑みを携えている。その顔を見て、晃はそのことを知ってるんだと悟った。


 なんでだよ? 不意に怒りが湧いてきた。どうして、僕に何も言ってくれなかったんだ。


「肉体を捨て、魂を魔王と混同させることで、世界中をより鋭敏に探知することが出来るようになるはずだ。能力者は能力を使いすぎると倒れたり、死んだりすることがあるけど、肉体的な制限がなくなることで、極限にまで能力を使えるようになると、僕は考えてる。この理論は、紅説様も可能だろうと仰って下さったし」


 マルの話はまったく入ってこない。

 気づいたら、僕は声高に叫んでいた。


「ちょっと待てよ! 晃がやらなくたって良いだろ! 探せば他に探知能力者はいくらでもいるだろ!」

「それはしたさ。各国から探知能力者を集めて試験したんだ。彼女が一番優秀だったんだ」

「――お前!」


 マルに食って掛かった僕を、陽空が止めた。


「落ち着けレテラ!」


 大きな手のひらが肩に食い込んで、そこではっとして我に帰った。僕はいつの間に立ち上がって、マルに掴みかかろうとしていた。


 マルは驚いた瞳で僕を見上げている。その瞳には微かに脅えたような動揺が走っていた。僕は前のめりに伸ばした腕をゆっくりと下げた。


「レテラ……」


 晃の呟く声が聞こえたけど、僕は晃の方を見れなかった。陽空は僕から手を離すと、落ち着いた声音で言った。


「マル。紅説王。こいつに少し時間をくれませんか?」

「……それは構わないが」


 王の戸惑うような声が聞こえた。


「もしかして、レテラと晃さんは顔見知りというだけではないのか?」


 硬い声音で王は誰かに尋ねた。多分、陽空だろう。背中越しに陽空が頷く気配がした。


「え?」


 マルの小さな呟きが耳につく。躊躇うような口調だった。


「レテラ、晃ちゃんと話して来い」


 芯のある語調で言って、陽空は僕の背を押して出入り口に促した。


 * * *


 晃と僕は、自室に移動した。その道中、どちらも話すことなく、無言で縁側や廊下を進んだ。


 後ろを歩いてくる晃の気配を背中で感じながら、僕はまだ頭が混乱していた。どうして、なんで――そんな言葉ばかりが浮かんでくる。


 僕は自室の障子を開いて、部屋の中心まで入った。晃が障子を閉める音を聞いて振り返る。逆光に照らされた晃は、すまなそうな表情をしていた。


 どうしようもない感情が湧いてくる。切迫したような、激しい、暗くて悲しいもの。それは怒りにも良く似ていて、自分でもなんなのか分からない。


 僕は晃に吠えるようにそれをぶつけた。


「どういうことなんだよ。晃!?」


 晃は、顔を歪めて伏せた。僕は息を整えて、「ごめん」と謝った。晃は顔を上げた。申し訳なさそうな表情のまま、かぶりを振る。


「ううん」


 それだけ言って、黙り込んだ。

 しばらく重苦しい沈黙が流れて、僕は晃に尋ねた。


「どうしてなんだ?」


 声が震えた。我ながら、情けない質問だと思う。どうとでも取れる、色んな意味を含む問いをぶつけて、相手に任せてる。でも、どうして以外の言葉が僕の頭には浮かばなかった。――どうしてなんだ、晃。どうして。


 晃はしばらく黙り込んで、重い口を開いた。

 その声は緊張からなのか、かすかに掠れていた。


「一年半くらい前に、円火様が尋ねていらした時に、話は聞いてたの」

「え?」


「もしかしたら、魔王に見合う者が見つからないかも知れないから、その時に探知能力者の協力が要るかも知れないって。その際に、もしかしたら命の危険があるかも知れないって」

「どうして、僕に言ってくれなかったの?」


 晃は哀しそうな瞳で僕を見て、すぐに目を伏せた。


「そのときは私に決まってたわけじゃなかったし、もし探知能力者が必要になったら、候補者を集めて試験をするから……。私がそんなに強い探知能力を持ってるはずがないと思ってたから」

「不安じゃなかったの?」


 自然と責める口調になった。それに気づいて、ぎゅっと口を結ぶ。晃は目線を下げたまま言った。


「不安は、あったよ」

「どうして僕に言ってくれなかったの?」

 僕はまた同じ質問を繰り返した。

「僕は晃にとって――」

 そんなものなの? 続く言葉を僕は胸に閉まった。


「言ってくれれば、力になれたと思う。僕だってこのプロジェクトに参加してるんだよ。僕が晃は大事な友達なんだって言えば、王もマルも考え直してくれたはずだよ。――そうだよ、今からだって!」

「レテラ」

 晃は咎めるような口調で僕を呼んだ。

「どうして……?」


 呟いて、僕は踏み出していた。晃の肩を掴んで目線を合わせる。晃の丸くなった瞳を直視した。


「晃、お前死にたいのか?」

 晃は目を閉じてかぶりを振った。

「じゃあ、どうして!?」


 声高に叫んだ僕の瞳を、晃は見据えた。その目は、強く、凛としていた。


「わたしが降りても、わたしの代わりに誰かが死んでしまうでしょう」

「……そんなの」


 僕は言葉を詰まらせて、乱暴に晃を抱きしめた。


「そんなの! 晃より大事なやつなんていやしないじゃないか!」

「レテラ……」


 晃の囁く声が、僕の耳元で鳴った。


「他のやつなんてどうなったっていい。晃が死ぬ事ないだろ」


 晃を抱きしめる腕に力が入る。晃を離したくない。晃を死なせてたまるものか。


「レテラ。ありがとう。でも、わたしが選ばれたからには、降りるわけにはいかないの」

「どうしてだよ!」


 きっぱりとした声音を聞きながら、僕は叫んだ。声が波打ち、僕は自分が泣いていたことに気づいた。だけど、涙を拭う気にはなれなかった。この腕を片方でも解いてしまえば、晃はいなくなってしまう気がして。


「わたし、わたしの代わりに誰かが選ばれて死んでしまったら、きっと罪悪感で生きていけない。そんなに強くないんだ」


 晃の声が微かに震えた。でも、僕は構わずに喚いた。


「全然分かんないよ! 自分の命の方が大事だろ!?」

「自分の命より、大事なことはあるよ」

「ないよ! そんなの!」


 落ち着き払った晃の声音に対して、僕は子供のように叫んだ。まるで、駄々を捏ねるみたいに。みっともない。けど、それでも構わない。


「火恋様がいるの」

「……火恋?」


 僕は反射的に晃を離した。晃の肩を掴んだまま、凝視する。


「それに、弟達。この世界には大切な人がいっぱいる」


 晃の瞳は力強かった。


「魔竜がこのまま生きていたら、いずれは火恋様も命を落とすかも知れない。火恋様は今はまだ幼いけど、とても優秀な能力者よ。討伐に借り出されることは目に見えてるわ。そうなったら、火恋様は死んでしまうかも知れない」


 晃は一瞬悲痛に顔を歪めて瞳を伏せた。でも再び顔を上げたとき、晃の表情には決意が表れていた。


「そうさせるわけにはいかないの」

「……」


 僕は言葉に詰まってしまった。決意の固さが晃の瞳に滲み出ていて、たじろいだ。何て説得したら良いのか、分からない。


「それにね、このまま世界状勢が不安定で、このまま解決策が出ないままだと、もしかしたら――」


 晃は言葉を区切った。不安な色がその目に宿る。


「各国は条国を狙うかも知れない。そうしたら、火恋様はどうなるの? 弟達は?」

「……それは」


 火恋は王族だ。しかも、オウスはこの王都と一直線の位置にある。もしもオウスの城に敵兵が責めてきたら、火恋は真っ先に殺されてしまう。晃の弟達は今はそれぞれ違う都市や村に住んでいるけど、戦争ともなればどうなるか分からない。


「わたし達は、解決策を出さなきゃいけないの」


 晃は快活に言った。

 晃の決意の固さは揺るがない。瞳がそう物語ってる。晃の言い分は分かる。もっともだとも思う。それでも、僕は頷けない。頷けるわけがない。

 ぼろぼろと零れ落ちる涙を、晃の華奢な指がなぞるように拭った。


「ありがとう。レテラ。こんなにわたしのことを想っててくれて。全然、知らなかった」


 晃は瞳を潤ませながら一瞬目線を畳に落とすと、僕を熱い瞳で見た。それは刹那的にすぐに消え、晃は瞳を潤ませたまま笑った。


「本当に、嬉しい」


 涙がひとしずく零れ落ちて、晃は目元を指で拭った。僕はたまらなくなって、晃を抱き寄せた。力いっぱい抱きしめる。


「晃、行かないで。僕がなんとかするから、絶対なんとかするから」

「……」


 当てなんかない。他の探知能力者を犠牲にしても晃は喜ばない。だけど、晃が死ぬよりマシだ。晃さえ生きていてくれればそれで良い。


「好きなんだ、晃」

 関を切ったように、溢れ出した。

「愛してるんだ」

 声が震える。


「だから、お願いだから、死なないで」


 晃に縋りつくように、しがみついた。


「死なないでよ」

「……レテラ」


 僕の無様な懇願を、晃は優しく跳ね除けた。


「ありがとう。でも――ごめん」


 僕の胸をそっと押して、開いた隙間から晃は僕を見上げた。涙で濡れた瞳は、哀しげに別れを告げ、震える声が告白の返事を返した。


「ごめんね」


 * * *


 僕はしばらく呆然としていた。

 晃は会議へと戻って行ったけど、僕は大広間に行く気力がなかった。


 ただ呆然と自室の障子紙を眺め続ける。障子紙は外の光で薄く透けていた。部屋の中がかなり暗い。日が沈んできた証拠だった。不意に、ぞっとした。


 何も考えないつもりだった。何も考えたくなかったから。だけど、このまま夜になってしまったら、晃は本当にこの世からいなくなってしまう。


 意図せず立ち上がって、僕は焦燥に駆られるまま部屋を飛び出した。

 一心不乱に大広間へ走って勢い良く覗いたけど、部屋の中は空っぽだった。もう、会議が終わってしまったんだ。


 僕は項垂れ、膝を突いた。足に力が入らない。

 泣きたい気がした。けど、涙は流れなかった。


 僕は亡霊のように立ち上がり、空を眺めた。

 日が落ちる。太陽が地平線へ沈みきり、僅かに青を残して暗くなる。


「レテラ」


 僕を呼ぶ、切なげな声に振り返った。

 陽空が眉尻を下げて立っていた。


「そろそろ時間だ。もう、皆出てる。お前は……どうする?」

「……行くよ」


 僕はそう答えた。

 受け入れなくちゃいけない。晃が選んだ選択肢なんだから。そう自分に言い聞かせて、僕は歩き出した。


 だけど、本当は何も考えてなかっただけなんだ。

 受け入れたくなかったから。


 * * *


 女神の瞳のような、美しい満月の夜だった。

 丘の上で、陽空と馬車を降りるともう儀式は始まっていた。


 天空には、月よりも明るく輝く小さな白い太陽が昇り。地の草原は、金を散りばめたように黄金色に輝く。


 晃はその中心に立っていた。

 出逢ったときと同じ、浅葱色の着物が風にたなびく。


 煌々と輝く呪陣の中心にいる晃は、どことなく幼く見えた。それは、彼女の不安を表しているように僕には思えた。死ぬのが怖くない者などいない。たとえそれが大切な家族や、世界のためだったとしても。


「晃……」


 呟いた途端、胸の中で暗い感情が騒ぎ、腹を掻き乱して暴れた。食道を上がってきた胃液を寸でのところで飲み込んだ。気分が悪い。


「大丈夫?」

 アイシャさんが僕の背に手を当てた。

「大丈夫です」


 僕は素っ気無くその手を払った。誰にも話しかけて欲しくない。どうして、僕はここにいる? なんで、晃が死ぬのを分かってて、見届けなくちゃいけない? 考えまいとしてるに、ぐるぐると思考だけが回る。僕は晃だけを見続けた。


 紅説王が呪文を唱え始めたのか、光りがいっそう濃くなる。晃は手を胸の前で組んで瞳を閉じていた。光が徐々にその輝きを強くすると、晃は崩れるように膝を突いた。

 僕は一瞬息を呑んで、次の瞬間何かが弾けた。


「晃!」


 気づいたら駆け出していた。

 背後で誰かが何かを叫んだけど、僕は構わず丘を駆け下る。


「晃、晃!」


 足がもつれそうになって、バランスを崩した。でも、僕は視線を晃から離さなかった。夢中で足を動かし続けた。


 森の木々に晃が隠れそうになった瞬間、煌々と輝く光が天高く昇った。光は、完全に晃を覆い隠してしまった。


「晃!」

 僕はあらん限りに叫んだ。

「やめてくれぇえ!」


 天に昇った光は一瞬で掻き消え、代わりに現れたこぶし大程の小さな光りが、天空で輝く第三の魔王に吸収されるように昇って行った。

まぎれもなく、晃の魂だった。


 力が抜けて、僕はその場に座り込んだ。儀式は終わってしまった。

 晃は、死んでしまった。


 絶望が脳を覆った瞬間、魔王が更に光を強めた。僕はあまりの眩しさに目を細める。天高く光の柱が走り、それは上空に放たれる槍のように勢い良く消え去った。


 辺りは静けさと、宵闇を取り戻し、魔王は消えうせた。

 数分間、僕は呆然として何も考えられなかった。だから、誰が叫んだのか分からない。でも誰かが、「あれは!?」と、叫んだ。


 僕はどこをともなく見ていた瞳を天へ向けた。すると、満月の中に黒い点が浮かんでいる。明らかにクレーターとは違う。それは徐々に大きくなり、やがて人なのだと判った。


「晃?」


 呟いた声音は、自分で思ったよりもずっと掠れていて汚い。喉を潰したんだと分かったけど、そんなことはどうでもいい。


 落下してくる人影に晃を重ね合わせる。でも僕の期待は、数十秒後には儚く散った。その人物はそのスピードを緩め、上空十ヤードでふわふわと浮いた。


 空中に漂う彼女は、十代後半の少女のかたちをしていた。異国の服を纏い、長く真っ直ぐな黒髪を月明かりが照らし出すそのさまは、神秘的であるとしか表現しようがない。僕は、一瞬彼女に魅入って、次の瞬間痛烈な憎しみに襲われた。


(こいつのせいで、晃が死んだ)


 気絶しながら宙に浮く少女を、紅説王が結界で器用に階段を作って迎えに行った。少女を抱きかかえて降りてくる。


(いや、違う。……こいつらのせいで)


 僕は王の許へ駆け寄ってきたマルと、月に照らされた紅説王と少女を睨み付けた。まるで絵画の中にいるように、優雅で美しいこの二人と、それにかしづく魔法使いは、僕からこの世で一番大切な者を奪った悪魔だ。



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