ずっとログインしていてもおかしくないVRMMO主人公についての書き出し
「とぅッ! スラッシュ!」
音声でスキルを入力し、視界に現れたシステムアシストの線に向けて剣を振るうとズオンと体が引っ張られた。
「お? おぉ?」
長剣特技レベル1。『スラッシュ』。近接剣技。敵単体技。攻撃倍率はSTRの1.3倍。
『長剣』スキルの一番最初に覚えられるアーツで、技のクールタイム(次に使えるまでのチャージ時間のようなもの)が短く消費スタミナも低く設定されている技。
「ぷぎー」
どこか間抜けな悲鳴を上げてスラッシュを食らったウリ坊型モンスターが最初の街に隣接する草原フィールドできゅーと目を回してぶっ倒れる。
「はぇ~。すっげーのな。このゲーム」
敵や武器のグラフィックはどこかアニメチックなのに、手にビリビリとしたモンスターを斬った、そんな感覚が伝わってきていた。もちろんこれも詳細設定で変更すれば全く感覚を感じなくしたり、逆にずっしりと重くすることもできる。(威力は変わらない。そして俺は初期設定のままだ)
「すごいです。ご主人様」
ぼーっと剣と手と消えたモンスターを見ていると背後から全くすごいなんて思っちゃいない無感動な声がかかる。
「お、おう」
「アイテムドロップを拾います。ご主人様」
「ま、任せた」
はい、とスムーズに答えてメイド服の少女は懐から剥ぎ取り用のナイフを取り出す。
「な、慣れないぜ。だが可愛いよなぁ」
ぼんやりとメイド服を着た美少女型のNPCに道を譲ると彼女はモンスターの倒れている場所に向けてたったかたったかと走っていった。
このゲーム『ワンダーオンライン』は敵を倒してもドロップアイテムは自動で回収されない上に『剥ぎ取り』なんてことをしなければならないのだ。
ざくざくと剥ぎ取り用ナイフを片手にモンスター素材を回収するメイド美少女を見ながら俺はふぅと息をつく。
「いやぁ、ゲームは楽しいなぁ」
楽しい。楽しいと思う。ただ実のところは現実逃避で、それは俺も理解していた。
それでも俺の新生活はなかなかに快適なスタートを切っていた。
◇◆◇◆◇
祖父祖母両親と兄夫婦と姉夫婦と彼らの娘や息子を載せた飛行機が彼らごと爆発四散したと聞いたのは、ハマっていたネットゲームをやっていたせいで一人だけ年末年始恒例の家族での海外旅行にも行かず、ネトゲの年末イベントの大規模ギルド戦にてギルドのエースとして敵ギルドのど真ん中にどでかい魔法をぶち込んだときのことだった。
「は? きっついジョークはやめてくれよ。ハハハハ」
俺からヘッドホンを剥ぎ取ってゲームなんかしてる場合じゃないと怒鳴ったのは長年家に勤めている中年のお手伝いさんだ。
悪いジョークはやめてくれと笑い飛ばした俺を、青ざめた顔のお手伝いさんは張り飛ばすと、テレビのニュースだの父親が社長をやっていた会社からの電話だので現実を懇切丁寧に教えてくれた。彼女がああして厳しく教えてくれなければ、あと一ヶ月ぐらいは何を言われても信じなかった自信がある(それが幸福か不幸かはわからないが)。
ともあれ天涯孤独となってしまった俺は、父親の会社や持ち家や不動産やらなんやかんやを弁護士だの副社長なんだのと相談して適切に一つ一つ処理していった。なぜなら俺じゃどうやっても会社だの家だのを管理する能力がなかったからだ。若社長? 俺にやらせたら半月で会社潰す自信あるぜ? 家? 一人で住むのに馬鹿でかい豪邸はいらねぇだろ。母親の宝石だの父親が趣味で集めていた刀剣類だ鎧だのも姉のブランドバッグや兄の車も埃をかぶせる自信がある。全部金に変えて処理をした。
もちろん金持ちの両親が死ねば金の臭いを嗅ぎつけたハゲタカどももやってくる。それでも全部金を払って雇った専門家に任せた。俺じゃ口車に乗せられる自信があったので、直接会うことはしなかった。父親が生前に決めていた代理人とかいう人物に全部任せた。
裁判だなんだと言っていたらしいが、法に則った取り分を法に則って渡したらしい。細かいことは全部専門家に任せてしまった。俺が決めたのは譲るか譲らないかの一点で、結局顔も見たことのない親戚とやらの言い分を呑むことはしなかった。
そうして、両親が死んでから数ヶ月。目の前に横たわる現実を次々と処理していった結果。俺は望んだ結果ではないが、人ひとりが一生働いても得ることのできない大金を若くして手に入れたのである。
その後のことであるが、父親の友人らしき代理人とやらや父親の会社を引き継いだ人がいろいろと言ってくれたが、彼らの申し出を全て断ると全てを忘れる為に地方にあるそれなりのセキュリティのマンションの一室を購入し、お手伝いの中年のおばさんに結構な額の退職金を渡すと、両親が死んでから一度も行ってなかった大学を中退したのであった。
◇◆◇◆◇
大学を中退したのは、惰性で通っていたからだ。
親の敷いたレールに乗って生きてきた俺には学びたいことは何もなかった。
夢もない。
漠然と親の会社に入って社長を継ぐ兄の仕事を手伝うものだと思っていたのでなりたいものもないのだ。
それでいいと思っていたし、それに不満もなかった。
無論大学に友人もいたが、家族が全員死んだ。大量に金が入った。なんてことを相談するほど仲が良いわけでもなかった。
俺の全ては惰性だ。惰性で生きてきた。才能というほどの才能もなく熱意というほどの熱意もない。金持ち一家の次男坊。それが俺だ。
だから、こうして手に入れた有り余る金で何をしたかというと。
――何もしなかった。
何もする気力が起きなかった。
部屋の隅に家族旅行を断ってまでやっていたゲームのインストールされたデスクトップ型PCの入ったダンボールが置いてあったが、手をつける気にもならない。
そもそも訃報を聞き、イベント途中に無断で切断して以来ゲームはやっていない。
(入ってたギルドは追い出されているだろうなぁ……)
残念にも思わない。何も気力がわかない。横たわっているとフローリングの床がひんやりとつめたくてゴロリと転がる。
エアコンをつけ、快適な部屋でだらだらとテレビを見ながら時間を潰す。時間を潰し、潰し、ため息をつき。ああ、と呟いた。
「一緒に旅行行ってりゃよかったぜ」
そうしたらこんな気持ちにもならなかった。生きていることが虚しいとかおいおい、馬鹿かよ。そんなキャラだったか俺は?
もっと軽くて、金持ち社長の次男って感じでチャラくて、友達とか彼女とか……。
「そんなのもいたな」
思い出してスマホを見れば大学の友人や彼女からメールやSNSアプリの通知が来ていたようだったが、それも三ヶ月前ぐらいで途切れている。当然だ。どうでもよくて、一度も返信をしていないのだから。
俺の付き合いなんぞそんなものだった。
「めんどくせぇ」
残っているのさえ目障りだった。アドレス帳からどうでもいい知り合い連中を執拗に消し、SNSアプリも消す。
登録が財産関係の連絡先と死んだ家族だけになったのでほっと息をついた。
「なんか食うか」
無駄に金があったので買ってしまった大型冷蔵庫の冷凍室から箱買いした冷凍食品を出すと電子レンジに突っ込む。スマホのアプリから健康アプリを呼び出して食品名を記入。アプリが広大なデータベースから該当食品に含まれる栄養素を検索し、足りない栄養素を表示した。
それに合わせてテーブルに転がっていたサプリメントの袋をそれぞれ開けていく。
「……馬鹿らし」
今更こんなことに意味があるのか。
とはいえ、何を食ってもいいが健康的な生活をしろと言っていた父親の言葉が体に染み付いている。
「くそッ」
肉体は習慣に従っている。精神は習慣に従わないとイライラする。魂が何かを求めている。
冷蔵庫からウーロン茶のペットボトルを取り出すと中身をグラスに注ぐ。ピーッという電子音。
ぐるぐると中の皿を回していた電子レンジが電子音を鳴らして動きを止めていた。温まった冷凍食品を取り出して、ウーロン茶の入ったグラスと一緒にリビングに持っていく。
新品のフローリングが素足に気持ち良いのが鼻につく。テーブルに解凍したチャーハンとウーロン茶の入ったグラスを置くとテレビを流しながら金属のスプーンで掻き込んでいく。
手元を見て笑う。すべてを処分したと言ってもどうしても捨てられないものもあった。鍛冶師に憧れていたがなれなかった父親が趣味で作った家紋の入ったスプーンだ。
どうだすごいだろうと家紋を刻印しただけなのに自慢げだった父親を見て笑っていた記憶が蘇る。
「あー……糞ッ」
チャーハンをすべて腹に収め、サプリメントをウーロン茶で流すと俺は息をついた。
脳裏には笑顔の父親の姿。腐っている俺がどうにも情けなくなってくる。
「たまには外出るか」
◇◆◇◆◇
マンションは地方の県のものを買った。以前は都心に住んでいたのにわざわざ地方都市に引っ越したのは、住んでいた場所に近いと思い出がぶり返して辛くなるし、知り合いに会った時に近況を報告しあったらすごく気まずいためだ。
俺は全てを忘れたかった。未だ心の整理はついていない。胸にぽっかりと空いた穴の大きさを俺自身が認識できていない。
つい最近までは財産関係で忙しくて埋まっていた心の穴も、こうして暇になれば悲しみだらけになっていくだろう。
それは恐怖で、それでも家族の為に悲しめることが嬉しいと思ってしまう。女々しいが、それもまた俺だと思えば笑って受け入れるしかない。
とにかく今の俺には時間が必要なのだ。
「へぇ、こんなとこに公園がね。覚えとくか……」
外をぶらぶら歩くといろいろと発見があった。新しい刺激に嬉しくなりながら、外に出たのは正解だったかもな。なんて思いつつ途中のコンビニで買ったペットボトル飲料を飲み干す。
季節は春も終わり初夏といった空気だ。最近はカラッとした空気だったが夏も間近でどうしたって暑いものは暑い。都市を囲む山から風が吹くこの街は割合涼しいらしいが、こうしてコンクリートに全てが覆われていると輻射熱でそんなもん関係ない気もしてくる。
最も東京で暮らしていればもっと暑くてじめじめとしてて、生きていることに憎悪さえ抱く熱と湿度には慣れるのだが。それでもこう暑くては不満のひとつも漏れるのが人間という奴だ。
「もうちっと田舎にすりゃよかったか?」
下手に都会であるより案外そっちのほうが住みやすいかもしれないな。
ここは地方都市だが県庁所在地で、そこそこ発展している。その発展ぶりは、遊ぶものが何もない他の寂れた県からわざわざ人が訪れるくらいだ。
ここに越してきた理由は田舎すぎると不便だし、何もないと退屈であるからそこそこ下調べをした結果である、のだが。
「この様子じゃもっと田舎のほうが快適だったかもな」
へッ、と笑う。どんな場所も住めば都というが、慣れれば意外にいけるのではないだろうか?
最近は注文すれば全国どこにでも宅配してくれるし、俺はコンビニさえあればどこでも暮らせるぜ、なんて思いながらぶらぶらとそのまま歩いて行く。
◇◆◇◆◇
地方で最も栄えている、なんて言っても裏路地に入ればそんなことはない。東京でさえ路地に入れば廃ビルがあったりするのだ。当然ちょっと大通りを逸れて小道に入れば昔ながらの住宅街や潰れた商店などの姿を見ることができる。
「ふぅん、バイト募集ね……だがこれは、正気か?」
そんな中、見つけたのは小さな古書店だった。墨かなんかか達筆で書かれたバイトを募集する(ただし中身は正気を疑うような)真新しい張り紙があるもののガラス戸越しに中を見れば人の姿は見えない。
「やってんのか? ここは?」
ガタガタとガラス戸に手をかける。鍵でもかかってんのか開く様子は見えない。押し入ってるように見えたらやだな、と周囲を見る。誰の姿もない。大通りはそこそこ人が見えるのに路地に入ればこんなものだ。この店はこんなところで商売してて大丈夫なのだろうか。
そんな益体もないことを考えているとガラス戸がガタガタと音を立てながら内側から開く。
「……あの……」
「うぉッ」
ひ、人か? 見下ろせば高校生ぐらいで私服の上から古びたエプロンを掛けた長い黒髪の少女がいる。顔は伏せていてわからない。一瞬幽霊かとも思ったがこの陽気だ。真っ昼間から幽霊が出るわけがないだろう。そもそも幽霊が出るなら俺が会ってみたいぐらいで……。
考えていると上目遣いで見つめられる。といっても目を隠すほどの長い前髪だ。その前髪と相まって薄暗い店内にいる彼女の顔はよくわからない。
幽霊じゃないよね? 思わず両足を確認してしまう。
「……あの……お客様、ですよね?」
「え、あ、ああ、すみま、せん?」
少女の声は、か細いが鈴が転がるような美しい声だった。
とはいえ客というほどの客ではない。バイト募集に目を引かれて、やってるか気になっただけで古書になど興味はない。それでもわざわざ開けさせてしまったという引け目でもあるのか。俺は居住まいを正し、そうですと告げた。
「……すみません。立て付けが悪くて……」
「お、おう。いや、気にしなくていい」
こんな若いのに店番か。偉いね。と言いながら中に入っていく。大学図書館の倉庫と同じ臭い。古書特有の埃っぽさが空間に満ちている。
こういう場所の店主は老人かおっさんと決まっているが、店主の姿はない。少女に店番を任せて出かけているのだろうか?
薄暗い照明の中、少女の返事も聞かずスタスタと中に入っていく。チカチカとした明かり。気になって上を見れば白熱電球という奴だろうか。息も絶え絶えだがそんなものが現役で店を照らしている。LED全盛のこの時代に未だにこんなものを使っているのは初めて見る。
(で、本、か)
本棚を見る。天井までびっしりと本が詰まっている。比喩ではなく余ったスペースにもねじ込まれるぐらいにみっしりと本が詰まっている。床にもところどころに横倒しになった本がタワーとなって歩きにくい空間を演出している。
百貫デブの客とか絶対入れないよな、なんて思いながら狭い通路を体を横にしながら攻略していく。
(こんなもんか)
とはいえ、店はそんな広くない。猫の額ほどの土地なんて言い方はアレだが、そんな狭い土地に無理やり立てたような小さな書店だ。本棚の数もそう多くなく、本を見ながらでも10分も掛けずに店の中身を見ることができた。
「これ、もらえる?」
わざわざガラス戸を開けてもらった心苦しさから、俺でも読めそうな本を苦心して選びレジ台まで持っていく。といってもレジなんて高機能なものはこの店にはない。
なのでカウンターらしきところの内側で文庫を背を縮めて本を読んでいた少女に、ひらひらと古臭い翻訳された海外推理小説を示してみれば「……ありがとうございます」なんてか細い声が返ってくる。
この店は大丈夫なんだろうか。
不安になりつつも背表紙に貼ってある値段シール通りの小銭を取り出して少女に渡せば、レジ台の下から手提げ金庫らしきものを少女は取り出して大切そうに小銭をしまっていく。
「あの、それ……包みますか?」
「そうだな。頼む」
この気温だ。持っていれば本は手汗で滲んでしまうだろう。それにボロい本を裸で持っているのもなんだったので手渡せば少女は手慣れた手つきで本に紙のカバーを掛けていく。
「……どうぞ」
「おう、ありがと」
「……いえ」
会話が続かない。いや、会話を続ける気もないのだが。
とはいえ気になることもある。
「表のバイト募集なんだけど」
前髪で見えにくいが茫洋とした目で見られる。何を考えてるんだろう? そもそもこの少女は、なんなんだろうか。ここの店主の孫娘? 最近だれとも会話してなかったせいか微妙に気になってくる。特に理由はないが、好奇心という奴だろう。
「……お客様は働きたいのですか?」
「あ、いや、時給とかさ。あれジョーク?」
こてんと首を傾げられる。かわいいがあの張り紙が本気だったら正気を疑う仕草だった。
「……冗談ではありませんが?」
はは、と乾いた笑いが漏れる。俺はジョークだと思った部分を指摘するようように少女に向けて引きつった声で問う。
「いや、だって200円って……」
「……冗談ではありませんが?」
「いや、でも200円って……」
「……冗談ではありませんが?」
鸚鵡かよお前は。
いや、だから時給200円じゃ今時誰も。だいたい最低賃金割ってるし……ガキの小遣いじゃねぇんだから……。
という俺の反論は口の中でもごもごと消えていく。
「……冗談ではないですよ?」
少女の目が正気だったからだ。この女は、正気で、それを言っている。
ゴソゴソとレジの下に手提げ金庫を置き、少女はか細い声で言った。
「……この店で出せるのはそれが精一杯ですから」
顔を伏せる少女に、ああ、と俺は周囲を見た。
「そりゃ、そうだな」
散歩日和で、平日とはいえ晴れの日の昼下がり。なのに客一人いない寂れた古書店。
電気代を節約しているのか、エアコンさえ効いていない店内。
鬱陶しい前髪の奥から覗く茫洋とした少女の視線を感じつつ、じっとりと湿った汗を俺は手で拭う。
「……それで、働いてくださるのでしょうか?」
店主は出かけているのだろうか。見たところこの高校生ぐらいの少女以外誰もいない店内。俺は首を振って。
「いや、働かないよ」
そうですか、と少女は顔を伏せるのだった。
◇◆◇◆◇
奇妙な古書店からの帰り。家の近くのコンビニで1.5リットルの清涼飲料水のペットボトルを買った俺はマンションの管理人室でぼうっとラジオを聞いている警備員に挨拶をしてから、どうせ何も入ってないだろうと思いつつも郵便受けを覗く。
「ありゃ、何も頼んじゃいない筈だが」
郵便受けを見れば宅配の不在届が入っている。つい一時間ぐらい前に宅配ドライバーが何かを届けに来たらしい。
冷凍食品もミネラルウォーターもつい先日届いたばかりだ。特に何も注文していないはずだがと不在票を見ると、送り主は父親の会社を引き継いだ親父の後輩だという新社長からだった。
父親を慕っていたらしいあの人には何か力にならせてくれと再三言われていて、ならお願いしますと遺産の処分などを手伝ってもらったのはつい最近の出来事だ。
彼がいなければ俺は今でも広い屋敷で途方にくれていたに違いない。
そんな彼から何かが届いていた。気になりつつもドライバーに電話をすると威勢のよい声ですぐ近くにいるので今すぐ届けますなんて返事がくる。
「じゃ、待ってますんで」
突っ立っていたら管理人室の警備員がこちらを見ていたので宅配待ちですよと笑うとそうですか、なんて気のない声が帰ってくる。
入居の際にちゃんと顔合わせをしているから追い出されるなんてこともない。
宅配ドライバーはすぐ来ると言ったがどうにも突っ立っていると手持ち無沙汰になる。ペットボトルを床に降ろし、ああ、とポケットにねじ込んでいた古本を引き抜くと、ぺらりと表紙をめくってみる。
「海外推理小説、か」
気にはなったが読んだことのない部類の本である。あの埃まみれの本の中で読めそうなのがこれぐらいだったってだけだが……。
「ああ、それ……木下書店のかい?」
不意に警備員が管理人室の向こう側から話しかけてきて、「ええ? はい?」なんて答える。
俺は古書店の名前すら知らないわけだが紙のブックカバーを見れば確かに木下書店なんて簡素な字だが達筆な文字が書かれている。
つか印刷じゃねぇ……手書きだよこれ。バイト募集の紙を書いた奴と同じ人だろうか? 筆跡が微妙に似ている。
紙のブックカバーはただの紙のように見える。
「あそこ、まだやってたんだな。春先に店主に不幸があったなんて聞いたけど」
俺のはい? を肯定だと勘違いしたのか警備員は話を続けている。
「不幸? 店主?」
「そうか。越してきたのは最近だもんな。知らないか」
ええまぁなんて答えると警備員は「あそこの古本屋、主人がだいぶ年食ってた爺さんでね。つい春先にぽっくり逝ったらしくてそれから店を閉めてたみたいなんだけど。再開したのか?」と聞いてもいないことを話し続けている。
「店主が死んだ? じゃああの女の子は?」
女の子と聞いた警備員が首を傾げ、俺は先程あったことを話そうとしたところで「お待たせしましたー。405号室の、えー」とマンション入り口の自動ドアが開き、この地域の担当なのか、先日も冷凍食品を届けてくれた宅配ドライバーが俺を見ながら伝票を差し出してきた。
「ああ、俺です」
「サインお願いします。お荷物かなり大きいものですけど運びますか?」
受取票にサインを書いて返せばドライバーは表の車を指差しながら聞いてくる。
「大きい? なにを送ってきたんだ?」
モノを見ないと大きさがわからない以上はお願いしますと答えるのが楽な道だろう。俺の答えを聞いてせかせかと車に向かって走って行くドライバーを見送りながら俺は内側エントランスの自動ドアに鍵と部屋番号を打ち込み自動ドアを開けるのだった。
警備員に少女に関して聞きそびれたと思いだしたのは、手伝おうか? と問えば「大丈夫です! 鍛えてますんで!!」なんて言うドライバーがそれを一人で部屋に運び終えるのを見届けたあとだった。
◇◆◇◆◇
「VR。ヴァーチャルリアリティ? ゲーム機だっけか?」
何度か往復して宅配ドライバーが運び込んだのは彼が言うようにかなり大きなつやつやとした高級感溢れる黒い紙箱だった。側面には『VRベッドプレミアムエディション』なんて文字が豪華に踊っている。ドライバーが往復したように、パーツが結構あって、総重量は500キロとかなり重い。下手に手伝うより慣れてるドライバー一人に任せて正解だったと一人で胸を撫で下ろす。
「なんだか高価そうだが、なんでこんなもんを?」
VR機器は主に障害者用として、医療用にいろいろと作られてるなんてのは大学の講義で聞いたことがあった。
ああ、いや、と記憶を攫うように頭に手をあてる。……そうだ。違う。確かゲーム専用機も作られてるなんて話をネットゲームをやっていたころに噂で聞いたことがあった。ギルドメンバーの多くが初回は高いだろうなぁ、とかやってみてぇとか言っている中、俺はそんなもん眉唾だろうと高を括っていたけれど、こうして実物がある以上はそういうものも作られていたんだろう。
「ゲーム。ゲームか……」
流石にこんな大物を組み立てるのは一仕事だし、ゲームをやる気がそもそも俺にはない。どういう意図かわからないし、わざわざ送ってくれた新社長には悪いが部屋の隅で埃を被せるのが関の山だ。
「返すのも、なぁ」
遺産の整理をあれだけ手伝ってくれた新社長には悪い気がするし、ひぃひぃ言いながらも最後まで一人で運んでくれたドライバーに気が引ける。
(ただ、貴重そうだし。お礼の電話ぐらいしておくか?)
余計なことを、なんてことは言わない。どこかで俺がゲーム好きとか聞いてた新社長が落ち込んでるだろう俺を心配してわざわざ送ってきたんだろう。なので受け取ったって連絡ぐらいはしようかと部屋に置きっぱなしにしていたスマホを取ると新社長からの着信が着ていた。
留守電はない。しかしこのベッドについての電話だろう。
「電話。しとくか」
いろいろと心配を掛けているようだし、俺に残った数少ないつながりだ。
父親の葬儀で号泣していた父親ほどの年齢のハゲたおっさん。その顔を思い出しながら俺は電話を掛けるのだった。
◇◆◇◆◇
夕方だというのに俺の部屋ではバタバタと音がしている。床が分厚いことを祈りつつ、俺は首をかしげながら箱から部品を取り出してVRベッドを組み立てていく。
「あー、これは? どこの部品だ?」
あーだこーだ言いつつも説明書を見ながらなのでさほど苦労はしない。
(誕生日おめでとう、だって……)
脳裏に浮かんでいるのは先程の電話の会話だ。お誕生日おめでとう。確かに今日は俺の誕生日だった。俺すら今日がその日だと忘れていたそれを新社長は知っていたらしい。
何しろ父に耳がタコになるほど言われていた日なのだと彼は涙混じりに笑って言っていた。
「誕生日。俺の誕生日……」
付属のちゃちい六角レンチとドライバーで部品の一つ一つを締めながら俺は糞、と額の汗を拭う。エアコンをつけていても力仕事をしていれば汗の一つも湧き出てくる。喉が乾く。だけれど先程買ったペットボトルに口をつける気にはならない。早く早くと手が次の部品に伸びる。
「次の部品……。どれだ……これか?」
何かに追われるように俺はそれを組み立てていく。
組み立てながらも思い出すのは先程の会話。
おめでとう、その言葉を言われた時に一瞬怒鳴りかけ、それでも新社長には世話になったからと怒りを抑えた俺に、新社長は送ったVRベッドは、と言葉を続けた。
(君のお父さんが作ったものだ、と言った。親父の、父親の、俺の親父の……。父親が指示して、兄貴が任された、俺の為の)
兄貴の実績作りの為でもあったが、ゲーム好きの次男の為に父は世界中からこれはという優秀な人材を集め、あと数十年は無理と言われていたVRゲームを基礎も含めてたった3年で作ったのだという。
無論、社のプロジェクトだというそれは、全てが私用というわけではなく、医療やら公共(口を濁していたが軍事も含めて)それらの利益を見込んでのことだと彼は言っていた。
「俺のゲームを……俺の為に……」
社長とプロジェクトリーダーがまとめて死んだあとに期日までに完成させるのは骨だったが、これも遺品だし、何より彼らの為にも受け取って欲しいと言われた俺は……。
「糞ッ。なんだよッ。なんだよッ。糞ッ!!」
畜生。畜生畜生! 家族旅行行きゃよかったよ! 兄貴に仕事について聞けば口を濁してたのもこのせいかよ! 親父がその時にニヤニヤしてたのもそのせいかよ! 何が楽しみにしてろだよ! わかんねぇよ! 畜生畜生畜生畜生!! 糞ッッッ!!
最後のネジを締め、電源ケーブルをコンセントにぶっ刺し、通信用のケーブルをぶっ刺す。
「これで動くんだろ!! おら!!」
乱暴に言いつつも手だけは丁寧に、労るように、震える手でベッド脇の機械の電源を入れる。
電子音。
『はじめまして』とそのあとに『初期設定をしていますしばらくお待ちください』が表示され、俺は息を吐き、ああ、と両足を伸ばして、両手をフローリングの床につきながら天井を見た。
「……疲れた」
ウーロン茶でも、飲もう。