魔弾 (下)
女戦士ジャム、彼女の葛藤とは。
「二人の死体は燃やしてきました」
屈強な肉体の男が、ジャムに報告する。ジャムは色とりどりのガラス瓶が並ぶ部屋で、幾度となく見渡しながら歩き回っている。時折足を止めると、気に入ったのか一つを手に取り、愛おしそうに撫で、それを元に戻す。
「骨くらいは拾って、母親の元にでも送ってやるようにするかい?」
「へぇ、姉御がそう言うのでしたら」
男は短くそう告げると、部屋をあとにした。自分たちの上司とはいえ、普段から狂気に取り憑かれたような人物の傍に長く居座りたいなどと思う部下は一人もおらず、彼らはいつもこうして短い命令のやり取りを交わしていた。そしてそれは、ジャム自身も分かっていた。分かっていたのだが、彼女は己のうちから湧き上がる狂気を留めることは出来なかった。もしかすると、しなかったのかもしれない。
暫くすると、先ほどの男とは違う身なりの男が入ってきた。簡単ながらも立派な鎧に身を包み、それらには傷一つ付いていない。戦いを経験したことがない新兵と捉えることも出来るが、この男はそうではない。歴戦のジャムは、それを見抜くことが出来た。そしてこの男は、この近辺、いや、ソアラ領の人物ではない。
「お初にお目にかかります。こうして使者を交わしての交流はこれが初めてとなるそうで。今までは手紙を通じていらしたのですね」
「ははぁ、あんたがいわゆる『向こう』の」
深々と頭を下げ、軽やかに顔を上げたその表情からは、その男の若さが窺い知れる。青年は右手を差し出し、左手はジャムの右手へと伸ばす。彼らなりの挨拶なのだろうか。ジャムはそれを察し、ぎこちない笑みと共に手を差し出した。
「そうでございます。ピウから参りました。トレモロと申します。以後、皆様との交流は私を通じて行うようになりますので、お見知りおきを」
トレモロと名乗ったその男は薄暗い部屋に灯る蝋燭が、色付きのガラス瓶を照らしている辺りの様子を見回すと、咳払いを一つしたあと、続けた。
「もっとも、使者、と言うよりは密偵のような行動になるのではありますが」
「ふん」
挨拶の手をぶっきらぼうに解いたジャムは軽蔑したように目を流しつつ、懐から掌ほどの布袋を手渡した。じゃらりと金属のような音がする。チップである。トレモロはにこりと微笑むと、それを己の懐へとしまい込む。
やり合って勝てない訳じゃあないが、少々手をやきそうだ。本来私たちは接近戦はあまり得意ではないし、それにこの国との内密の交流で資金を得て、生かされている部分がある。ここで無下に扱うこともない。
「それで、今回はなんのようだい? まさかお小遣い欲しさにここまで駆けてきた訳じゃあないだろうね」
ジャムにそう問われると、トレモロは先程より大きな、胡散臭い笑みを浮かべ答える。
「もちろんでございます。私も1人の兵士、仕事はしっかりとこなします」
そう言うと気さくに振る舞うその男は軽く下がると、また一つ咳払いをし、それから息を吸った。
「まず、特筆してお伝えしたいのは、我が国がソアラ領に向けて攻撃を再開したことでしょう」
「なに」
この男の度量を見定めるように構えていたジャムが動揺を見せる。その様子に満足したのか、はたまた馬鹿にしたのかにこりと笑みをひとつ返し、続ける。
「王も焦っておられます。一刻も早く魔法使いを手に入れなければならないとなったのでしょう。もっとも、何があったのかまでは私めのような下っ端には伝わってはおりませんので、存じませぬが」
軽く会釈すると、顔を前に向ける。上体を小さく曲げ、正面を向く妙な体勢が、小馬鹿にしたような態度に見られジャムを苛立たせる。本来なら、このような無礼など眼中にないのだが、思っていたよりも早いピウの攻撃は彼女にそれなりの不安を与えた。
「……私たちの技術を提供する代わりに、ジャムゥ一族、この遺跡は貴様らの攻撃範囲に入れない約束のはずだ。それはそちらの王も理解の上なのだろうな?」
ジャムが焦りとも怒りとも取れる表情をおどけた使者に向けて尋ねると、トレモロは表情一つ変えずにポーチの中から羊皮紙を取り出した。
「下っ端にも作戦の内容くらいは入ってきます。お目通しを。今回の攻撃作戦の範囲が記してあります」
ジャムがひったくるように紙を奪い、毒々しい瓶を腕で薙いでどかし、その机に広げる。最も火力の集中している箇所は、ソアラ領西南、『パネルの高台』と呼ばれる地点である。
「もちろん、この度の攻撃でソアラ側も我々の武器があなた方の技術のものであることに確信を得る可能性は大いにありますから、王もそのことは承知です」
「するってぇと、あんた方は私たちの援護、保護してくれるって事かい?」
「ええ、最大限手を尽くしさせていただきます。あなた方は世界を救う技術を我々に預けてくださった英雄なのですから」
再びにこりと笑みを浮かべるトレモロを、ジャムは全く信用していなかった。いや、彼らの国と交流を始めた初期から、彼女は信用などしていなかった。ただ、彼らの援助でこの遺跡での暮らしと武器の開発、必要に応じた保護を得られるのならばと言った利益のみの追求による仮初の同盟だったのだ。ソアラ国から受けるであろう今回の攻撃についての追及や厳しくなる迫害については、いよいよ自らの手でジャムゥを守らねばならい。ジャムは唇を噛み締めた。
「では、私はこれでお暇しましょう」
「ああ、ご苦労さん。“また”よろしく頼むよ」
ジャムの言葉に拍子の狂ったような表情をしたトレモロは、すぐさま取り繕うように満面の笑顔で、「では“また”」と返し、部屋をあとにした。部屋から苛立ちのもとが去ると、ジャムは大きく息を吸い、そして、ガラス瓶を蹴り倒した。
「くそっ、私の悪運もこれまでか! 畜生っ!」
次々と瓶を倒す度に、中の液体が石の床に飛び散り、継ぎ目に染み込んでいく。不意に背後に気配を感じ、動きを止める。呼吸は荒いが、そのまま後ろの気配に視線を移す。盗み聞きではない。扉を開けて入ってきている。自分の部下だった。
「マレドかい。どうした」
「あの男、始末しなくて良いのですか」
肩で息をしているジャムの様子から、相当な無礼を働いたのだろうというマレドなりの気遣いのようなものだった。マレドの不安そうな表情にジャムは一つ深呼吸をすると、病んだ微笑を心優しい部下に向けた。
「ハハ。あんたは大人しくて、優しいね。ちゃんと戦えるようにはとても見えない」
木製の椅子に腰掛けると、ジャムは珍しく歯を見せて笑った。今の部下には見せたことのない、往年の笑顔があった。恐らくその顔は驚きを持って部下には迎えられただろう。マレドは大きく目を見開いて、ぱちくりとした。「大丈夫だ」一言そう告げるとジャムは今度は上目遣いで、左頬を釣り上げて笑った。
「奴にはまだ価値がある。私たちが生きている限り、奴らとの交流ルートは存在していると思っていていいだろう。だから、殺すな」
それに、と付け加える形で続ける。椅子から立ち上がると、マレドの横をさっと通り過ぎる。その姿を追うようにマレドが振り向き、ドアに向けて歩くジャムを追随する。
「あんた達の力を信用していないわけじゃ無いけれど、あいつは強い。負けるか、勝てるかは分からないけれど、それなりに損害が出るし、怪我人もでる」
はぁ、と要領を得ないように頷くマレドを背に、ドアノブに手をかける。ジャムは、扉の前で立ったまま続ける。
「これから大きな戦いが始まるんだ。いよいよ、国との総力戦かもね。だから、こんなチンケな所で怪我でもしてもらっちゃ困るんだよ」
その言葉にマレドは背筋を正し、生唾を飲んだ。ジャムは振り向かないまま、マレドの肩を左手で叩く。そして、緊張で硬直したマレドを部屋に置いたまま、ドアを開き薄暗くじめじめとした廊下へと歩み出した。
廊下を大きな歩幅でずんずんと進むジャムは、1人思考に沈んでいる。
敵の兵力は数知れない。何せ一国を相手取るのだ。いざとなれば国民を総動員さえ出来る。まぁ、我々など正規軍でひとひねりだろうが。しかし、我々も馬鹿ではないし、武力も奴らにはないものを持ち合わせている。案外、五分と五分なのでは? いや、安易に考えるのは全体の破滅を誘う。となると、先に手を打つべきか。消耗と疲弊は多少覚悟してもらうとして、補給ルートと待ち伏せのポイントを決める。いや、補給路を立たれれば、もしくは辿られれば待ち伏せ部隊も危うい。
しばらく長い廊下を進んでいたジャムが足を止める。前後を確認するが、蝋燭に照らされる仄暗い闇が広がっているだけで、先程のトレモロも帰り、マレドもこちらには来ていないらしい。ジャムはゆっくりと壁に手をつくと、左手で顔を覆った。長い廊下に水滴が落ちる音が響く。ジャムは左手で口を覆い、声を押し殺していた。
「コルク、あんたがいてくれれば」
切実なその願いは、空の左手に吸い込まれて消えた。