魔弾(中)
この話から前書きも少し真面目に。
ジャムゥの長、女兵士ジャム。長い戦いの経験に加え、未知数の力が王国兵士ビネガーとタルタルを襲う。
「ぐぇっ」
軽い叫び声とともに、膝をついたままのタルタルが仰け反り、血の飛沫を上げる。振り向いたビネガーは、左肩を抑えてのたうち回るタルタルの姿を目にした。過程はどうあれ、彼は撃たれた。すぐさま目の前の女に向き直る。ジャムは病的な笑みを浮かべたまま、冷たい目を向けている。
「貴様、何をした」
「何をしたって、ふん、見ての通りさ」
爆音を放った炎筒は、尚もこちらに向けられている。炎筒に掛かる彼女の人差し指は、突起部部を目一杯後ろに倒している。ビネガーも戦時中にジャムゥ族から鹵獲した一つを元に、ある程度の構造は学んである。あの状態は、確かに一撃を放った後の状態だ。
「あぐぁ、痛ぇ!」
ビネガーの背後で情けなく動くタルタルの左腕は、括りつけられた錘のように引きずられている。恐らく骨がやられているのだろう。
「ああ、確かに貴様は一撃を放ったようだ。その様子を見るとな。だが解せないのは、何故正面に立つ僕に弾が当たらなかったのか、という事だ」
「……それは、何故あんたを狙わなかったのか、というご質問かい?」
ジャムは、小首をかしげて、笑みを浮かべる。口紅がぐにゃりと歪み、見た者に不快感を与える。構わず、ビネガーが剣を構え直す。何故ビネガーを狙わなかったのか、つまり彼女は、高速で動くビネガーすらもたやすく狙える自信と実力を持ち合わせているということだ。剣を握る掌に汗が滲む。
「そこからでは、僕が彼の前に立っているために彼を狙えんだろう。何か、仕組みがあるのでは」
本当はもう一つ、訪ねたいところだが。
ビネガーは彼女が炎筒を放つ瞬間、やはりもう一度彼女の左手に狙いを付けて、斬りかかっていた。そして、一回目の攻撃と同様、切っ先は空を切り、彼女の弾丸はビネガーの背後、タルタルを貫いた。
「うふふ、ボク、やっぱり不思議がるわよねぇ。そりゃ、そうよ」
ジャムはその場でダンスでも踊るように、階段の上で器用に一回転する。彼女は先程まで手にしていた炎筒をその場に落とす。ビネガーは落ちた炎筒に目もくれず、彼女を凝視していた。ジャムは、今度は両手に炎筒を携えていた。筒の短い種類のものだったとはいえ、彼女の装備のどこにそんな物騒なものが仕込まれていたのだろうか。脇目もふらず観察していたというのに、ビネガーは全く確認出来なかった。
「その装備で、2丁の炎筒を、魔法、いや有り得ない」
「あはは、混乱してる、困惑してる。いいねぇ、ボク。予想通り、期待通りの反応をしてくれるよ」
「ううむ、全く分からない。冥土の置き土産に種明かしとしてくれないかな」
ビネガーの口は自然と笑っていた。戦いをこれまで楽しいとは思ったことはないが、頭を使うことに関しては得意分野であり、自らもそこに悦を感じている。この戦いにおいて相手の力は未知数。自分の頭脳が相手の隠している手を見つけた時に得る勝利は、己の頭脳の強さを証明したことにあたる。ビネガーはそれを自分の至上の喜びとしていた。この戦いは、自分にとって楽しいものになる。ビネガーはそう感じていた。
「それは、坊やの最後だからって事かい?」
「いや、アンタの命日だな。僕は生きて情報を届ける義務がある」
「あら、怖い怖い。だったら尚更、教える事は出来ないわね。もっとも、死人に情報を与えたところで、なんの意味もありゃしない」
「言うな、魔女」
「あら、本物の魔法使いさんに、魔女と呼ばれるのは悪い気がしないわ」
熱を持った沈黙。心臓の揺らぎが空気を伝って聞こえてきてもおかしくないほど、しんと張り詰めていて、なおかつ今にも爆発しそうな熱量を持って、辺りは静かになる。
恐らく、壁を使ったのだろう。弾を弾いて、軌道を変えたのだ。彼女は微細な動きで弾を壁に擦らせて、タルタルの角度を狙った。なかなかこじつけているような感じもするが、これは半分くらい確信している自分がいる。何せ奴はジャムゥ族の頭領。炎筒の使い方を熟知していて当然、新しい戦法も然り。ならば。
「いくぞ!」
高速で刃を鞘へと納める。次の瞬間、地上へと伸びる階段の狭い通路、その壁に向かって勢いよく1歩を踏み出す。同時に両手を両足に軽く添えてやると、一気に突進の速度が上がる。魔法を使って、加速したのだ。
奴の使う壁を極力見えなくしてやる。熟練の達人とは言え魔法の動きには対応出来まい。万が一放った弾が当たったとして、それはタルタルに当たることはまず無いだろう。まずは消耗したタルタルに攻撃を当てないことを重視する。
ビネガーの使える魔法はごく僅かで、加速の魔法もやっとの思いで習得したものである。ビネガーは、使用できる魔法を上手く活用する方法を編み出すことに長けている。壁を蹴り、逆の壁に飛ぶ。脚力の上がっている今なら、地面に足を付けることなく壁から壁へと飛ぶ事が出来る。これで完全にジャムの射線は塞がれた。本来は。
「おやおや、随分と激しく動くね、ペッパーの息子。まるでお猿さんのようね。必死に頑張っちゃって、可愛いわ」
縦横無尽に飛び回る、ビネガーの残像に向けて達観したように悠長に語りかける。激烈な動きに武器の狙いを定めようとする訳でもなく、少しずつ近づいてくる影を眺めている。
「本当、殺すのが勿体ないくらい」
跳弾に気付くことも、壁という壁を使えなくして、尚且つ射線を遮ることも読めていたわよ、お馬鹿さん。でもね、ボク。世の中、考えても考えても、分からない事ってあるの。例えば、そう。ボクの魔法がいい例じゃないかしら?
音の速さで飛び回るビネガーの目に、閃光のように飛び込んできたのが、ジャムの笑顔だった。今までに見たことのない、最高の笑顔。いや、こう言うと言い得て妙かも知れない。背筋がざわつくなどと言った度合いではない。その笑顔は、ビネガーの恐怖そのものに変わった。
(いや、ここで退いてはタルタルが!)
2本の筒の先が赤く光る。その動きはまるで時間の流れが遅くなったかのように酷く重たく感じた。ビネガーは冷静に、筒先の向いた方向を遮るように飛ぶ。大丈夫、二本同時でも、俺の今の速さなら間に合う。
「うおおおおぉっ!」
雄叫びをあげ、筒先へと猛進する。相変わらず動作は鈍重。これで決まりだ。次に目の前の弾丸を剣で弾き、斬りあげた剣を返し、そのまま目下のジャムへ……。
バン!
「!!」
頭の中で組み立てていた勝利への道筋が途絶える。自分の体が何かに貫かれたのを感じたのは、壁についた足が力無く曲がり、それまでの速度を失った時だった。弾を弾き返せなかったか? 足への負担を考えていなかったのか?
いや、仮にそうだったとしても、明らかにおかしい点がある。もし本当だとしたら剣で跳ね返すことは出来ないだろうし、足がしっかりと壁を踏みしめていても無意味だっただろう。
ビネガーのすらりとした体は、不自然に前に倒れた。倒れる瞬間、覗き込むようにして背後のタルタルを見やる。タルタルは両手をあげて、叫び声を上げているようにも見えるが、その声は聞こえない。恐らく自分の受けたダメージのショックによるものだろう。この後継もまた、ゆったりとしたものだった。
「初めてかい? 炎筒にやられるのは」
ビネガー自身、炎筒の攻撃による傷は幾つかある。今受けたこの衝撃も、身に覚えのある炎筒の弾丸によるものだと理解している。理解はしているのだが。
「あ、ああ……う」
上手く声が出せない。どこがやられたのだろうとビネガーが両手を動かし、まず腹をまさぐる。穴の空いた感触はない。遠くから、近くからハイヒールの小気味よい、今では不快な音が聞こえる。顔を上げる前に、髪を掴まれぐいと持ち上げられる。すると、首に激しい痛みが生じることに気づく。なんだ、即死じゃねえかよ。
「遺言は? ボク」
必死に呼吸をする。吸った空気は、肺に入っていない。もう、助からない。遠くで、近くで土袋を落としたような音がする。タルタルだろう。守れなかった。
「か、は……」
ジャムは耳をビネガーの口元に近づける。ビネガーはその耳を噛みちぎってやろうかとも思案したが、どうにか言葉を発する事にした。ゆっくりと舌を回す。
「後ろから、撃ったのか?」
その言葉を最後に、ジャムの手に肉の重みが加わる。若い青年の綺麗な黄銅色の髪から手を離すと、それはずるりと階段を滑り落ちる。いつの間にか彼女の後ろに控えていた2人の部下に合図すると、部下の男達2人の死体を布袋に詰めて、何処かへと運んでいってしまった。