溺れる 上
たいっへん遅くなりました!フリーです!
長らく更新出来ず、申し訳ありませんでした!最新話投稿です。短いかもですが、楽しんでいただけると幸いです!
それでは、お楽しみください!
店を片付けて、三人で暫くの間一服した。三人は終始無言であったが、その全員が、自分の横に座る人間が何を考えているのかを読み取れた。太陽は霞のかかったプラヴィンの大気を突き破るように日差しを下ろし、店にも薄く光が差し込んでくる。
「……さて、と」
小声で呟き、沈黙を一人抜け出したのはペッパーであった。店の奥の部屋へ入り、何やらクローゼットを漁っている。程なくして、老婆の持つ荷物にしては少し大きい、肩掛け鞄を持って二人の前に姿を現した。
「おばあちゃん、どこかにでも行くの?」
不安そうに、スカイが訪ねる。聞かずとも分かっているはずだろうが、聞かずにはいられなかった。それほどの不安がスカイの中で渦巻いているのは二人も感じている。
「ソアラに向かう。ああ、心配しなくていい。この街のことはよく知っているから、どこで車が出るかってことくらい」
「そうじゃなくて」
その言葉を今度はコルクが遮った。目線は床の木目に挟まって取れない硝子の破片に目をやりながら、煙草をくゆらせている。ペッパーが、座るコルクの方へ顔を向けると、細かな硝子片が日光に反射して、思わず目を細める。
「罠かもしれないんだぜ? あんたを、ただ利用するためだけに、釣るためだけに息子さんの情報をあちらで調べたのかもしれない」
「それでも」
コルクの言葉を噛み締めるように聞きながら、一つ一つ相槌を打っていたペッパーが、ゆっくりと口を開く。
「それでも、手掛かりがそこにあるかもしれない。それに、あんたの言った通りの話だとしても、奴らは息子の事を調べたってことだろう。なら、首根っこ掴んででも吐いてもらおうじゃないか」
「はは、ばあちゃんらしいや」
「そういうあんたはらしくないね。人の心配するなんて……いや、昔はあんた、そうだったわね。気遣い、ありがとうよ」
「よしてくれよ。そんなんじゃない」
目線は相変わらず下に落としたまま、言葉を交わすコルクだったが、煙草の火は消していた。
「残り少ないんだ。だったらここでゆっくり最後を迎えるのもいいだろう。なんなら、僕もスカイもいるんだ」
ペッパーは不敵ににやりと笑い、扉へ向かって歩き出した。コルクの肩をぽんと叩き、スカイの頭を軽く撫でた。
「おばあちゃん!」
ドアノブに手を掛けた老婆の背後に、スカイが呼び掛ける。
「あ、あの……その、ありがとうございました……お陰で、魔法がしっかり使えるように」
「はっはっはっ。馬鹿言うんじゃないよ。あんたのそれはまだまだお遊びのようなもんさね。魔法使いを名乗るなら、私くらいになってから言うんだね」
「それは無理があるんじゃ」
「お黙り! とにかくね、お嬢さん」
ドアを開けると、もやっとした空気とともに外界の光が飛び込んできた。逆光の中、スカイが辛うじて見ることが出来たのが、皺だらけの老婆の笑顔だった。
「これで一旦お別れさ。精進するんだよ」
その言葉を最後に大魔法使いは、朝霧の立ち込める街へと踏み出し、そして見えなくなった。
ペッパーが店を出てしばらくは、2人はそのままの姿勢で黙っていたが、コルクがおもむろに腰をあげる。その様子をスカイが目で追った。スカイがするであろう質問を予想し、言葉を発する前に予測した質問の回答を口にした。
「この街を出る。ここにはもう用はないからね」
「ここにいるコルクの知り合いを……その、殺したから?」
コルクは少し返答に困ったが、ひと呼吸おいてから、「そうだよ」と呟いた。
「俺の話にも出てきただろう。ピンズ。ピンズ=ナップさ。それから、技術者もいたんだ。その人も口封じのためにね」
「……それは、テルミンさんっていう人だよね……」
コルクは無言のまま頷く。正確には、コルクが手を下した訳では無い。元々の原因はテルミンであるが、そこに殺害を企てようとした己の意志がある事も否定はできない。
「殺した……そう。これで、関係者は2人消えた……俺が……」
煙草の火は既に消えていたが、指に挟んだそれを再び口元に運んだ。ここに辿り着くまでに、何度か己の意志について尋ねられた。その答えは、己の中にあるのか?
「コルク」
足元で声が聞こえる。だらりと下ろした左腕に、小さな両手がしっかりと掴まっている。既に治療済みのその手はほんのりとした温かみをしっかりと感じている。
「スカイ、どうした?」
「私はね、コルク。あなたを一人の英雄と見て付いて来ている訳じゃないの。それは前にも話したよね。だからね、あなたが何をしようと、私はそれを咎めるつもりは無いの。ただ、私は知りたいだけ。英雄になれた人、英雄だった人。その人が今の世界で何を成すか。だから、迷ったらまず自分を信じて」
それから、とスカイは続ける。自分では気付かなかったが、どうやら手が震えているらしい。手汗もひどい。スカイが先程より力を加え、きゅっと震える手を包み込む。
「ここに、自分を信じる貴方を、信じている人がいる。それは覚えて戦ってほしい。私はあなたを絶対に迷わせない。私が道標になるから」
この娘は……成程、本当に口だけではないようだ。コルクは煙草を地面に落とし、足で軽く踏み潰した。空いたその手を少女の頭に載せると、優しく叩いた。
「大した口を利く。小娘のくせに」
そのひねくれた言葉を吐く口にスカイには小さな笑顔が見えた。それを見てスカイも歯を見せて音が聞こえるような笑みを見せる。
「コルクだって、『おばあちゃん』ほどでもないでしょうに」
「ふん。少なくとも君よりは長く生きてるんだよ」
2人は店から外へ出た。既に高く登った日差しが、霧の残るこの街にも温かみをもたらしている。
「さて、行くか。ビン遺跡へ」
スカイが、先を歩くコルクの背中に追い付こうとすると、強い風が街の建物の間を通り抜けた。スカイは髪を抑えながら風が止むのを待った。西の方角。ソアラの街がある。
「スカイ、置いて行くぞ」
「あ、分かった。すぐ行く」
大丈夫だよね。おばあちゃん。
「げふっ」
「そらよ、もう1発!」
鈍い打撃音がじめじめとした地下室に響き渡る。数回の殴打の後、がくりとうなだれた若い王国の兵士にバケツに汲まれた水を放つ。それを幾度となく繰り返し、既に数時間が過ぎている。
「てめぇはただのお偉いさんを釣る餌だがよ、吐けるだけの情報は吐かせておけとの命令なんでね。丁寧に扱うつもりは毛程も無いんだよっ」
屈強なスキンヘッドの男が、椅子に後ろ手で縛り付けられた兵士の顔と腹を逞しい拳で打つ。
「げほっ、ぐぅっ」
口は切れ、骨は軋み、意識は霞む。自分の眼下に見える冷たい石の床には、切った口から流れる血と、吐瀉物と、それから水とで濡れていた。
「はぁぁ……はぁ……お、俺は……何も吐かない」
「別にそれだって構わしねぇや。情報はおまけだからよぉ〜。今はただ、俺達のストレス発散材料になってもらうだけだ!」
太い筋肉の柱が兵士の腹部に直撃する。男の蹴りが命中したのだ。普通ならここで腹を押さえて倒れ込むぐらいの衝撃だろうが、椅子に縛られた現状では、ただ悲痛な叫び声を上げるだけが彼に許された反応だった。
「うぐぁっ!」
「ひゃはははは! 一方的な暴力ってぇのはいつだって気持ちのいいもんだねぇ! え? タルタルさんよ?」
「ぐぅぅぅ……」
タルタルは目の焦点が定まらず、歪む視界で男の姿を捉え、ぼやける意識の中その声を聞いた。
「あんただって立派な『ハジキ』の人間だ。当然、こういった拷問の訓練もしてきたんだろう? 俺は直接的な恨みはあんたがたには無ぇ。『姉御』に付き従ってるのは、この暴力のためだけだ! いつかこの暴力が正当化される時代が来る。それを作るのは姉御なんだ!」
『姉御』……ジャム=ヴァレニエの事か。タルタルは必死に頭を回転させ、理解した。男には確固たる信念はなく、ただ暴力のため、暴力を振るう理由のためにジャムに付き従っている。そんな男に。
「貴様などに、我々が負けるものか」
「ふんっ!」
男の拳が左目を直撃する。果実が潰れた様な音がして、その音の正体を知るのは、男の拳が顔から離れるのを右目のみで確認した時だった。
「ああああああ!」
「おっと、いけねぇいけねぇ。ついあんたが馬鹿げたことをほざきやがるせいで目を潰しちまった。だが、殺してはいねぇからな。こいつぁセーフ。とはいえ……」
男はそう言うと、部屋の後ろに下がり、2本のダガーを取り出した。
「あんたは俺を侮辱した。多少のお仕置きはいるよなぁ?」
2本の短剣をカチカチとぶつけながら、タルタルの拘束されている椅子へと近づく。
「今から少しずつお前の体を切り刻む。地味ながら長い痛みがあんたを襲う。もちろん殺しはしない。治療をしながら少しずつ少しずつ切るんだ。苦痛より精神的なダメージが伴うぜ、耐えられるかな?」
「やってみろ。俺は貴様らなどには屈しない。絶対にだ」
『そんな所で精神をすり減らしているな。それよりもまずは僕に意識を傾けろ』
突如として、タルタルの耳朶に聞き覚えのある声がした。幻聴か、いや、これは違う。タルタルは頭の中でその声に返事を返した。
『隊長! ビネガー隊長ですか?』
『そうだ。遅いからもしかしたらと思ったがやはりな。今からお前の居場所を探り当てる。座標を調べるためにお前の意識が必要だ。全身全霊を俺に傾けろ』
『こんな事をして、バジル様が黙ってはおりませんよ。第一、ここは敵の本拠地です! 罠にむざむざはまることも……』
『構わんさ。いつもの事で、慣れている。お前もこんな所で死にたくは無いだろう?』
その質問には答えず、一つため息をつくとタルタルは目を瞑った。朦朧とした意識が静まり、意識は遠く離れたビネガーへと流れ込む。
「なんだぁ? 神様にでもお祈りか?」
すっと目を開けると、口元に小さな笑みを浮かべながら男の目を見やる。
「まぁ、なんだ。そんなところだ」
「いきなりヘラヘラしやがって。その余裕な面がどこまで持つかな?」
男が腹部に短剣を突き立てようとするその瞬間。
背後で火薬が爆ぜたような音がする。男がとっさに振り向くと、そこには見知らぬ男の姿があった。
「なん、だ……てめぇは…ぁ」
「なんだ、だと? 貴様らは僕を待っていたんじゃあないのかい?」
白い煙の中、地面を走る青い稲妻の様な光とともにタルタルと同じ装束に身を包んだ兵士が現れる。
「するってえと、貴様がこいつの」
「私の部下を返してもらおう」
男は短剣を交差して構えると、真っ直ぐに突進した。拷問の時とは打って変わった、戦闘の構えだった。男にとって、それは攻撃であり、防御の構えであったが、それはその兵士の前には実に無意味であった。
「あ、れぇ?」
男は通り過ぎざまに兵士を切り捨てるつもりだった。しかし切り捨てられたのは、男の両腕だった。カランと音を立て、ダガーを握ったままの手が地面へと落ちる。男は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、その場に呆然と立ち尽くしていた。
「ビネガー隊長……」
「無事か、タルタル」
「や、野郎ぉぉ!」
怒り心頭の男は、その鋼のような足を振り上げ、蹴りを入れようとしてきた。しかし、この攻撃も虚しく空を切ることになる。それも、躱したのでは無い。蹴りが当たるか否かの瞬間に、ビネガーは男の背後に立っていたのだ。
「……てめぇ、まさか」
「そのまさかだ。あってはならない事なのだろうが」
その台詞が、男が最後に耳にした言葉だった。男の四肢は胴体から解体され、意識を持たない抜け殻がどさりと地面に伏せた。
「隊長!」
驚いた表情のタルタルを見やると、剣を鞘に収め駆け寄る。
「待ってろ、今すぐに解いてやる」
「いえ、後ろです!」
その言葉を聞き終わる前に、ビネガーは血のついた自分の剣をもう1度手に掛け、真後ろへと向ける。赤いドレスの女、そこには、ジャム=ヴァレニエが立っていた。片手には見慣れた武器、『炎筒』を掴んでいる。
「……いや見事だねぇ。実に見事だ」
「一族の誇りを忘れたか、女狐」
「それはあんたらとて、同じ事だろうさ。なぁ」
「大魔法使い、ペッパー=スパイスの息子さんよ」