過去の訪れ
はじめまして。フリー・マリガンというものです。
初投稿です。拙い表現、誤字脱字が多々見られます。自分で気になったところは直していきますが、気づいたらお知らせしていただけると嬉しいです。皆様のコメントを励みにして頑張ります。
ある晴れた日、ソアラの街に通り雨が降った。透き通るような青い空から、水滴が一つ一つ見えるくらい丁寧に振り落ちた。一滴一滴が、地面にぶつかり消え、その度に声を上げる。その声のひとつひとつが聞き取れるほどの間隔で雨は降り続いた。
「雨、か」
自宅に居た彼は、二階の窓を開け空を見上げた。まばらに落ちる雨が頬や額をつたる。辺りを静寂が包んでいた。
「フラー……あの日もこんな雨が……」
かすれた声でそう言うと彼は顔を濡らす液体を拭い、窓を開け話したまま一階へと気怠そうに降りていった。
雨が、上がった。
「……ええ、ですからお客さんご安心を。ほんの数分のお時間を頂きましたら簡単に治して見せましょう」
「本当にうちの子は助かるんですか? もし、もし何かあったら……」
「痛いよ母さん! ううぅ……!」
ソアラの街の路地裏にあるこの病院は、とても病院と呼べるような建物ではなく、中も同じように粗末な作りで出来ている。簡易型のベッド、乱雑に並べられたフラスコやビーカー。しかしそれらには触れられた形跡は一切無く、新品同然に思われる。建物の扉には『コルク診療所』とだけ書かれた札が下げられている。表通りの喧騒がこの路地裏の冷たい静けさを一層主張するように大きくなる。コルクは外の喧しいのには慣れたような素振りで目の前の患者に目をやる。
怪我の様子から、その子供はどうやらどこからか落ちたらしい。それで肋骨が肺などの器官に突き刺さっていると見える。苦しむ子供と狼狽える母親を、煙草を片手にゆっくりと、まるで老人のように語りかける男の姿がある。歳は30かそこいらで、見ようによってはもっと老け込んで見える。中肉中背で無造作に伸ばした髪には艶がなく、無精髭を蓄えている。彼の着ているワイシャツは本人の疲れた様子を表すように皺だらけになっていた。
「あなたの所に来れば『何でもなおしてくれる』とお聞きしました。コルクさん、本当にお願いします!」
「ええ、ええ、わかりました奥さん。ですからどうか落ち着いて。さ、僕、いい子だからこっちへ。奥さんは1階でお待ちください」
動揺する母親を一階の応接間に残し、子供と一緒に2階へ上がる。コルクは自分の仕事を決して人には見せないし、方法も教えない。それは彼が『魔法使い』である為である。このソアラの街では魔法使いを名乗る事は許されず、魔法を使えるのは魔法技師と呼ばれる工匠のみに限られる。数年前に起きた魔法使いを摘発し、処刑するという事件により、魔法の才能を持つものは肩身の狭い思いを強いられた。
「ほうら僕、立ってみな。ぎこちないかもしれんが痛みはないだろう」
治療の前、本来は目隠しをするのだが、今回は幸い少年が気絶してくれたのでその手間が省けた。睡眠魔法と治癒魔法を掛けて数分経ってから、少年は目を覚ました。コルクに背中を軽く叩かれたその少年はゆっくりと立ち上がり、そして自分の体が完治したことに次第に気づくように、徐々に喜びの声を上げた。
子供とともに一階へ降りると、元気な息子の姿を見るなり母親は待合のソファから飛び出し、笑顔の息子に涙ぐみながら抱き着いた。
「ありがとうごさいます! なんとお礼を言ったらいいか……」
「いえ、こちらもお代は頂いているので、私はただ仕事をしただけです」
「ありがとう! おじさん、まるで魔法使いみたいだね!」
コルクの表向きの職業は医師である。こう名乗る事で憲兵の摘発を逃れることが出来た。彼の魔法は怪我に限らず、今日びの魔法技師と同じく直そうと思えばそれこそ『なんでも』直せるのである。唯一違う事は、彼の魔法の力は魔法技師のそれを上回るということである。
親子が去った後、一息つこうと応接間のソファに腰掛けていると、数分してから一階に戸を叩く音が鳴り響く。強さからして男性だろう。
「嫌に忙しいな……はいどうぞ」
「やぁコルク、医者になったのかい?」
コルクが扉の前の人物を迎え入れると早々に、入ってきた男が尋ねた。薄汚れた茶色のロングコートにハンチングを目深にかぶったその男は、コルクよりやや小さめの身長のように見える。帽子とコートの為顔が確認出来ないが、昔と変わらぬそのしわがれ声が、コルクがその男が何者かを知るには十分だった。
「酷い格好だなピンズ。コーヒーと紅茶、どちらが良い?」
「格好はお互い様だコルク。コーヒーでいい。ブラックの」
男からコートと帽子を預かると、ピンズと呼ばれる男の顔があらわになる。豊富に蓄えた白い髭と、割腹の良い体を揺らしながら玄関から応接間に通されると、どっかりとソファに座り溜息をつく。受け取ったコートと帽子は泥で汚れている。それらをハンガーに通しながらコルクが苦笑いで尋ねる。
「まだ汚ぇドブ川暮しを続けているようだな、その様子だと」
「ふん。以前よりはマシだがな。一日三食と暖かいベッドで眠れるようになった」
「相変わらず元気そうじゃないか、太っていること以外は。要件は?」
「お前はガリガリになりやがって、気持ちが悪い。コイツを見てくれ」
明るい声色で語りかけながらピンズは提げて来た薄い革の鞄から数枚の資料を取り出す。コルクはそれを片手に受け取りキッチンへと足を運ぶ。資料に目を通しながら、湯を沸かす。
「……レイス王子、殺るなら今しか無ぇ」
「頼む相手を間違っちゃいねぇか? 俺ァ医者だぜ。殺し屋なら他をあたりな」
「皆、お前が立ち上がるのを待ってる」
急に声のトーンを落とし、背中越しに語りかけるピンズを鼻で笑う。茶瓶が沸騰の合図に音を立てる。
「勝手に担ぎ上げられても迷惑だね。いいんじゃあないか、王子様ありきの平和で」
「お前が1番殺したいんじゃあ無いのか」
「成長しないと思ったか? 悪いな、俺も大人でな。ガキの喧嘩じゃ無いんだ。あの頃とは違う」
「それを諦めって言うんじゃあ、ねぇのかな」
「……ほらコーヒーだ。飲んだら帰んな」
コルクが通り過ぎるようにテーブルにカップを置くとピンズはカップに2口ほど口を付ける。キッチンに戻ったコルクは自分の分のコーヒーを啜る。
「……いい返事、待ってるぜ。俺はプラヴィンの街の宿にいる。コルトラってぇ名前の宿だ」
そっとハンガーからコートと帽子を取り、ピンズは扉の外に出ていった。「じゃあな」その言葉と同時に扉が閉まる。外はもう暗いらしく、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
「俺が一番殺したい、か。ふふ」
皮肉に笑いながら、ふと時計に目をやると、そろそろ診察時間が終了になる。扉の前に掛けてある札を外そうと外に出ると、白いマントを羽織った女性が立っていた。高貴な出で立ちは、貴族か王族といった身分の高いものを思わせる。太陽が高々と登っていれば神々しく見えただろうに、その姿は闇の中で亡霊のそれを思わせた。
「うちに何か御用ですか?」
「王室から参った者だ。名をケトル=ポッドという。貴殿はコルク=ボトル殿とお見受けする」
「……どうぞ中へ、汚いところですが」
その女性を中へ招き入れると、玄関の札を取り外し扉を閉めた。マントを預かりハンガーに掛け、先刻の客と同じようにソファへ案内する。
「あまりいいものではありませんが、コーヒーと紅茶、どちらになさいますか?」
「結構だ。それよりコルク殿、おりいってお話が」
「王室の方の治療でしたらご遠慮させて頂きます。私にそのような高貴な方を任せるなどあれば王室の威厳に関わるでしょう。それに私より腕の良い……」
「貴殿がレイス様の御友人であったという調べは既についている」
2人分のコーヒーカップを洗いっていたコルクがおもむろに手を止める。背を向けたまま尋ねる。目線は左下の紙の束に落とす。
「……俺に何を?」
「貴殿の先の大戦での戦果は承知している。数々の武勲を手にしていた事も。それを認めてコルク殿……」
「軍に戻れってか。それならせっかくのお誘いのところ残念だがお断りだぜ」
「いや。要人警護をしてもらいたい、と言えば分かるか」
「……お嬢さん、確かに医者が守るのは命だが、この身を削って、てのは聞いたことが無いな」
「レイス=カーテン様の暗殺を企てるものを事前に摘発し、後に行われるパレードを無事に終了させたい」
しばらくの沈黙の後、コルクは大きな溜息をついた。ゆっくりと吐き終わるとタバコに火を付け、そのお硬い王室の使いと向き合うようにして座った。
「……詳しく話をお聞かせ願いたい」
キッチンには洗いかけのコーヒーカップの左隣に、ピンズから渡された暗殺計画の要項が置かれたままになっていた。
「やぁらっしゃい。おじさん、武器をお探しかい? それとも防具? おじさんの体と、そうだなぁ……」
この街で一番の装備屋に入るなり、店番の青年が語りかけて来た。サスペンダーで釣り上げたズボンとよれたワイシャツ姿のどこか頼りない印象を与えるその客は店番の頭に掌を乗せ、店の奥で鉄を打つ男に声を掛ける。
「な、なにするんですかぁ!」
声を荒らげる店番を尻目に、また奥の男に目を動かす。男はこちらを少しも確認しない。ただ、手は作業を続けているが、耳は傾けているようだ。
「店の事はそいつに頼んであるんだ。話ならそいつにつけな」
「お前よりこのガキの方がよっぽど愛想がいいぜ? 店番にして正解かもな。ただ俺はあんたに用があるんだ」
「……何をお求めで?」
男は鉄を打つ手を休ませぬまま、見向きもせず聞く。彼の声は大きくはなかったが、鉄の弾ける音の中でも十分に聞こえる太い声だった。客は店番から手を離しズカズカと店の中へ入ってくる。
「『グローブ』を作って欲しい。俺用の」
「……!」
店の奥の男はその言葉を聞いた途端、はたと鉄を打つのを辞め、立ち上がった。ゴーグルを上げ、顔中に汗を光らせたまま客と向き合う。その目には驚きと喜びの二つが見て取れる。
「見ないうちにずいぶん老け込んだな、カジノ」
「先の大戦で俺はてっきり死んだかと思ったよ、コルク」
首にかけたタオルで汗をぬぐいながら、筋骨隆々の白髪の男がコルクの肩を叩く。シワがよったエプロンは弾けた鉄によって焦げている。
「俺はたまげたぜ? お前が剣を一振り打ってくれと頼んだ時ぐらい。その後てっきりのたれ死んだかと」
「俺も驚いたさ。あんなに俺達に協力してきたあんたがこうしてのうのうと生きてることによ」
「のうのうと生きてるのはてめえもだろう。こちとら共同墓地に顔を出しては毎日毎日慣れねぇ墓参りだ。おかげで腰が痛いわ店は休むわ……」
「なんだ、その様子だと寂しかったんじゃあないのかい?」
「馬鹿言え、先走って死んだ馬鹿どもを笑ってやるためさ……とは言え、同じ街にいたなら連絡の一つくらいくれてもいいんじゃあねえのか?」
「医者が武器屋に何の用だ?」
「お前が医者に? そりゃそうか! ハハハ! 妙な職についたもんだァ。魔法技師にはならんのかね? お前さんほどの腕がありゃあ……」
「工場のマシーンになって同じものつくり続けるあれの事か? そいつは死んでもゴメンだね」
「カカ。メスでも造ってやろうか? ヤブ医者め」
「悪いな。刃物はてんでダメだ」
「違ぇねぇ! 先の大戦でもお前さん、剣術はからっきしなのによぉ……」
2人は暫く過去の話に思いを馳せていた。2人の様子を店のカウンターから店番の青年がこそこそと見ていたのにピンズが気付き、咳払いをして怒声を上げる。
「おい! 今日は店終いだ! シャッターを降ろせ!」
「はぁ? で、でもまだ営業時間は……」
「馬鹿野郎、黙って従え! 金が欲しいならならくれてやらァ!」
「は、はいっ! し、失礼しますっ!」
逃げるようにして荷物をまとめて店を後にする青年を横目にコルクがにやけながらカジノを小突く。
「おうおう、怖いねぇ親方」
「ふん。それでなんだお前は。また『お仕事』か?」
「今の俺の仕事は医者だよ。まぁこれはなんだ、お使いみたいなもんかな」
「お使い、ね。ママにはなんて頼まれたんだ?」
「王子さんを殺せってよ。これはママって言うよりパパってとこか。ハハ」
カジノが神妙な顔つきで軽口を言うように喋るコルクを見つめる。「誰に頼まれた」と尋ねるカジノに、ヘラヘラと薄ら笑いを浮かべる。
「ピンズ=ナップ。大革命家様だね」
「ピンズ……この街に入ってきやがったのか。お前、革命軍に入るつもりか」
「まさか、今さらそんな。俺は大人なんでね。それに、もう一つのお使いもある」
「それは誰から……」
「お硬いママだね。王室から、王子さんを守れとよ」
「……はぁ、またお前は面倒なことになってるんだな」
「どうやら、そのようだ」笑いながらそう答えるコルクは、どこか遠くの一点を見つめ、寂しそうな目をしていた。カジノはコルクの手を力強く握り、『グローブ』の型にはめる。
「で、どっちにつくんだお前さんは」
「俺は……俺は、そうだなぁ……」
両手の表裏に方を合わせ終わると、カジノは溶接用の装置を準備している最中で、コルクの前には居なかった。
「まぁ、俺はどっちにつこうが何も言わんけど、俺に迷惑だけは掛けるなよ」
「ああ、分かってる。ただ、時折メンテナンスに戻るよ」
「そのアホヅラ何度も拝むのは尺だが悪くねぇ。代金はきっちり頂くぜ」
「がめついねぇ。いくらだ?」
「オーダーメイド料金、昔と変わらぬ1500テル(十五万円)だ。ちょっと熱いが我慢しろ」
その言葉とともに、両手を溶接機にあてがったコルクは、数年ぶりに味わう熱の感触を思い出した。鉄の飛沫がほとばしった。まるで、両手を手錠に通すかのようなその光景は、これから犯す罪とその罰を思わせた。