あの時と現在、違うけど変わらない事
『まったく楽しくなってきたねぇ』
その通信機から、楽しそうなつぶやきが聞こえる。
あいつは笑っているのだろう。警報鳴り響く司令部であわただしく緊迫した怒声が飛び交う中、その声だけがはっきりと私に聞こえる。
「第一軍敗走!青渡の防衛基地通信途絶!・・・・・・・ああ、わかってる!東部の第四軍も敗走を始めている。何としても第四軍司令部につなげ!」
『こちら第八部隊。敵の狼の大群がこちらに向かってきている!至急増援を送られたし!』
「こちら第一軍司令部。増援は向かっている。第八部隊はその場を防がれたし!」
「第3から増援要請!?無茶いうな。あそこは孤立してるし、そもそも前線の部隊が音信不通だ!援軍なんかいないぞ!」
『こちら第45部隊。青渡基地方向から敵狼の一団がこちらに向かっている!青渡との連絡を確認されたし』
それは、ありえないはずの出来事だった。
北利のほぼ全軍を使った北利最大のガラスを破壊する作戦。真那国に刺さった衰退のとげを破壊する作戦。すべては順調に進んでいたのだ。突如。最前線が音信不通になり。そこから無数の狼たちが後方部隊に襲い掛かるまでは、
『まったくまったく第一軍は敗走する間もなく皆殺しとは恐れ入ったな』
通信先の男の声は他の声と違ってひどく落ち着いている。英雄といわれた男。ここまで北利の軍の先頭をかけていた男。
第一軍の司令官が自分の戦果とするためにわざと後方に配置されていたのに、モニターに映る彼の機体の位置は、音信不通になった第一軍がいた場所にあった。
「中佐!状況を報告しろ!何が起こっている!?」
私の言葉の答えは、日常の会話のような軽い言葉。
『敵のタイプは人型。巨人じゃない方の人型だな。軍殺し。要塞破壊、まあ、いろいろ言われてるけど確認されてない噂だけの化け物をこの目で見れるとは・・・・・』
それは、信じたくない報告。それでもかれが嘘をつくことはない。彼のことは一番私がよく知っているのだ。
「中佐!撤退しろ!すでに後方の味方の混乱は立て直し不可能だ!ここは退却して態勢を立て直さないといけない!」
私は叫ぶような命令。間違っていない。すでに司令部も何人か姿を消している。おそらく。逃げたのだろう。どうしようもない崩壊した味方の陣、それを破ってこちらに向かっているであろう狼の大群の位置情報。ここももう長くはない。すでに司令部の指揮官は代行役の副官に代わっていて本来の司令官の姿はない。
『?・・・・何言ってんだ?お前は』
それをひょうひょうとして受け流す。いつものように人を小ばかにするような笑い顔をしているのだろう。私と彼の弟と彼の弟子にしか向けない優しげですこしつまらなそうな、それでいて何故か温かみがある笑みではなく。私にだけする笑みで。
『これから楽しい楽しい死闘があるってのに退くわけないだろ?』
それはいつも通り自信に満ち溢れた彼の言葉、だけど、私の心には不安しかよぎらない。
「中佐!」
『そも、俺は、あれを倒すためにここにいるんだぞ?つまらない戦いの果てに・・・・・人間の勝利という絶望の果てしかなかった先に・・・・・あれがいる。俺を殺すためにあれが来た。つまらない戦いを壊すために、退屈な勝利を覆して俺に絶望を与えるために・・・・・・最高じゃないか』
意味の分からない言葉なのに、それがなんとなくわかってしまうことが悲しい。
「中佐!馬鹿な真似はやめろ!ここは退いて万全の態勢で」
『いやいや、それは相手に失礼だろう?わざわざ来てくれたんだから・・・・・謝ってすむわけじゃあないだろうが・・・・すまんな。大佐』
「まて、中佐!行くな・・・・やめてくれ・・・・まって、死なないで・・・・」
情けない声が出る。これではまるで軟弱で弱い女の鳴き声ではないか、と思うが、口から出る言葉は止まらない。
「おいてかないで・・・・一緒だって約束したでしょ!私といっしょになるって・・・」
心の隅ではわかっているのに言葉は紡がれる。それで考えを変える男ではないと知っているのに、ただこの言葉が、彼を困らせるだけだと知っているのに。
「嫌だよ・・・・あの冷たい世界に私を置いていかないで・・・・なら私もあなたの」
いなくなるなら私も一緒に・・・
『ばーか、別に俺は死ぬ気なんかねぇぞ?』
明るい言葉。だけど知っている。その言葉で私を縛るのだと。
『待ってろ。俺は帰ってくる。だから、お前はいつものようにお前の戦いをしろ・・・お前ならできる。どんなに不利な状況でも、俺とお前がいれば立て直してこれた。それはこの状況でも変わらない』
彼は帰ってこないだろう。わかっているのにその言葉にすがってしまう。
『俺は前線を防ぐ。お前は崩れた部隊を立て直す。どんだけ時間がかかったっていい。俺はあいつを潰して帰る。お前は立て直した軍で俺を迎える。いつも通り。なんも問題のない』
わかっている。彼の生き方も狙いも、だから、私は・・・・
「・・・・・わかった」
うなずく。涙は流れている。それでもやることをやらねば彼が帰る場所がない。
『ああ、あと・・・・まあ、その・・・・なんだ・・・・弟のことはよろしく頼む。あいつ馬鹿だから、みてる奴いないとアホなことしでかすからな、帰ってくるまで面倒を見ててくれ』
「・・・うん・・・・わかった」
『まあ、あとその・・・・あれだ。こう・・・・はっきり言うことはなかったと思うが』
そういってわずかなためらい。
『愛してるぞ。大佐。こんな選択しかできない俺を・・・・愛してくれてありがと。ああ、もう!遺言じゃねぇぞ!帰ってくるからな!それじゃあ・・・・またな!』
その言葉と同時に通信が切られる。後には何も言わないスピーカーだけが残る。
それが彼と私の最後の通信だった。
「・・・・ばか・・・・本当に・・・・ばかなやつ」
視界がにじんでいる。腕で涙をぬぐって前を向く。
立て直すと約束した。帰ってくると約束した。だから、迷っている暇はない。
それから幾月、何年たったのか。
彼は帰っては来なかった。
ぼんやりとベッドで天井を見上げる。
ずっとずっと走り続けてきた。
必死で食い下がり、前線を幾たびも捨てて、できる限りの人たちを助け、逃がし、それでも帰れない人の為にずっとここで耐えてきた。
それが、これである。
部下には離反され、隔離され、守ろうとした者も守れず。
ここで静かに結果を待つことしかできない。
「・・・つかれたよ」
小さくつぶやく。
「うん・・・泣き言は誰にも言わない。あなたの前しかしないって約束したから」
涙をふく。それでもすぐに視界がにじんで天井がぼやけていく。
「だけどさ、約束破ったよね。あなたは・・・」
だから、一人っきりでも泣き言ぐらい言ったっていいんだと、言い訳のように思う。
「・・・ほんっとう、なんなんだろうね」
身体を起こしゆっくりと歩いて机の上の写真立てを見る。
うれしげに笑ってる自分と、ちょっと照れたように笑う彼。
「ほんっとう、なんでこうなったんだろうね」
机の上の書類を軽くなでる書類をなでる手が端っこにある固いものに当たる。
「・・・・うん、まだ、その時じゃないよね」
軽く手に取る。ずっしりとした重さ、凶悪なまでに洗練された人殺しの道具の一つ。
拳銃を抱くように胸に寄せる。銃口は無論、身体に当たらないように気を付けて。
「そう、いつだってそれはできる。だから、最後まで、自分は歩くんだ」
それは小さな思い。
「・・・・・私は、約束は守るよ。何度でも立て直すよ・・・立て直してあなたが帰れるように待つよ。たとえそれが・・・」
自分は狂ってるのだろう。それでも、この選択は、唯一の救いだとわかっているから、止めることはできない。
「誰もいなくなっても、ここで待つよ。ずっと・・・死んでもさ」
だから、自分は最後まで大佐として生きよう。