私はそう思うのだ
休憩した後、歩きを再開して会話のない時間を過ごす。
これでよかったんだろう。私はそう思い、横を歩く相棒、元がつくのだろうが、別れるまでは相棒なのだから、心の中ではそう呼ぼう。彼を盗み見る。
「・・・・・・・」
相変わらず。相棒の表情は読めない。でも、おそらくは怒っているだろうし、私を憎んでいるかもしれない。
だが、これでよかったんだと思う。
軍人の誇りはないと相棒は言った。なんとなくわかっていたことだが、相棒と私の考え方は真逆といっていいと改めて思う。
それを責めるつもりも否定するつもりもない。
私の為に戦ってくれる者を、なぜ否定することができるのか、
だが、同時に分かってしまったのだ。
誇りも持たず。ただ私を助けるために命を懸ける相棒には、何もないのだと。
相棒が友軍にどう思われているかも知っている。仲間しか助けないそのことも十分わかっている。
臆病なのに、不真面目なのに、自分に従って最後までついてきてくれるのだとわかっている。
だが、その先に、相棒には何もないのだ。
目的があるわけではない。生きる価値があるわけでもないと。自分を捨てて、自分のことを救おうともしないこの男を、誰も助けないのだ。相棒と思っている自分ですら、彼を死地に向かわせる元凶でしかないのだ。
私は、民の為に命を捨てる。それは、守りたいという意思があるからだ。もう何も失いたくないという願いがあるからだ。その先に護られた民がいるなら、それで私は救われるのだ。たとえその道の先に死が待っていても、誇りをもって歩けるのだ。
彼には何があるのか?必死に戦って、戦った先に死が待っていても、相棒には後悔しかないだろう。
なら、そんな、救われない友を、親友を、相棒を助けることに何のためらいがあるというのか。
少なくとも、自分と共に歩き、無残に死ぬことはないのだ。
私には相棒に生きる目的を与えることはできないだろう。
だが、生きる目的を探す時間ぐらいは、作ってやらねばなるまい。
それが、相棒として、戦友として、当然だろうから




