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目にしたものは……

 バレンタインのあの日に、私が目にしたやり取りは何だったのか。

 丹羽さんにも水田さんにも訊けないまま、ホワイトデーも過ぎて、春が来る。


 ホワイトデーは、去年と同じように仲間での飲み会をして。

 私の隣に座った水田さんも、その正面に座った丹羽さんもいつも通りだった。 

 二人の様子をチラチラ眺めながら、ビールを飲む。


 冷静に考えれば、丹羽さんに渡したチョコレートが特別だったことは、私しか知らないわけで。

 私の気持ちを知っている水田さんも、ちょっと高めの義理チョコだと思っていたのだろう。

 もう一個、別に本命チョコも入れた方が良かったかなぁ。


 来年こそは、と密かな決意を胸に、エビチリを噛み締めた。



 その決意が動力となったように、夏前から順調に実験が進む。

 この゛運゛を無駄にするまいと、貪欲に仕事と向かい合う。その゛意欲゛が、周囲からのアドバイスや協力も、引き寄せてくれて。

 時々失敗があっても、毎日の実験が楽しすぎて、家に帰る間も惜しいほど。

 これが、ワーカホリックか。

 泊まり込みこそしないものの、休日出勤をしたりして、私もすっかり仲間入り。



 そんな実験が一段落したのは、そろそろ残暑も和らぐ頃。


 夏の間、美容院にも化粧品の買い足しにも、まともに行けていなかった私は、この土日に一気に済ませようと考えていた。

 美容院は、日曜日に行くことにして。

 土曜日だったその日は、のんびりと寝坊をして、朝ご飯もゆっくりと食べて。お昼近くなってから市役所近くのデパートへと出かけた。


 化粧品の買い足しをして、ちょっとだけ服も見てから、遅めの昼食を摂ろうと、私はデパート近くのアーケードを歩いていた。

 サンドイッチの気分じゃないし。ラーメンも違う。

 そんなことを考えていると、ポンと肩を叩かれた。


「買い物?」 

 そう尋ねてきたのは、近所の大型書店の袋をぶら下げた水田さんだった。

「あー、うん。そろそろご飯でも食べようかと……」

「いまから?」

 確かに、さっきみた携帯の画面は一時半を過ぎていた。

「ちょっと食べそびれてて」

「食べそびれた、って。丹羽といい、どうして、こう研究員はご飯が投げやりなんだろう」

「うわ、失礼ー。毎日、お弁当を自分で作っているのに。給食弁当を食べてる人には、言われたくないわぁ」

 男性の多い私達の仕事場では、総務が手配するお弁当を食べてる人は多い。近くにコンビニもなければ、食べにいく店もない環境だから、作ってくれる家族でもいなければ、仕方ないことだけど。


「そう言うなら、小早川さんが俺の分も作ってよ」

「なんで、私が」

 そんなことを言い合いながら歩いているうちに、水田さんも実はご飯を食べていないことがわかり、一緒に食べにいくことになった。


「そういえば、夏休み」

 トンカツ屋のテーブルで向かいあって座った水田さんは、そう言いながら、両手で包みこんだほうじ茶の湯呑みを軽くゆする。

 そろそろ秋が来るのに、今更……と、思った後で気がついた。

「小早川さん、取ってないよね?」

 あ、やっぱり。その話か。

 一般的な”お盆休み”がない職場なので、実験との折り合いをつけて有休を消化するようにと、毎年のように言われていたけど。

 今年は、タイミングがつかめず、とり損ねていた。

「来週の連休と繋げるように有給休暇は、使うから」

「本当? やっぱり実験が……とか、言うんじゃない?」

「言わないって」

「いやいや。夏休みもそのパターンだったし」


「ちゃんと休みは取らなきゃ。有休、結構残っているんじゃない?」

 と、渋い顔をしている゛総務゛の彼に、小さく謝る。

 丹羽さんのことをワーカホリックだとか言いながら、水田さんも真面目だよねぇ。

「来週は、法事で田舎に帰るから」

 そう言った私の言葉に安心したように笑った彼が、お茶を飲む。

「田舎って、遠い?」

「あんまりしょっちゅうは帰ってないかな」

 考え方からして古臭い町でね、なんて話している間に、ロースカツ定食が運ばれてきた。



 食事のあと、誘われるまま二人で映画を見て。駅前の信号を渡り終えたところだった。


 細い路地から、

 丹羽さんがでてきた。

 女の人と並んで。


「あっ」

 思わず立ち止まった私の横で、水田さんの小さな声が聞こえた気がしたけど。

 私は、二人から目が離せなかった。



 私達の存在に気付くことなく、丹羽さんが通り過ぎていく。

「本当に、もぉ。しんのすけ さんたらぁ」 

「それは、とみ さんも……」

 そんな会話が醸し出す親密さも、丹羽さんが彼女を見る目に篭る熱も。

 ただ並んで歩いているだけで、恋人同士であることを疑う余地も与えてくれない彼らを、私は黙って見送ることしかできなかった。



 横断歩道を渡って、駅前の雑踏に紛れた彼らを見送って。

 どれだけの時間、私はぼんやりしていたのだろう。


「小早川さん」

 そっと肩に乗った手に、我に帰る。

 『そろそろ帰らなきゃ』と言うつもりで息を吸ったところで、

「小早川さん、今夜は暇?」

 水田さんに尋ねられた。

 肩に乗った手が伝える彼の体温に誘われるように、黙って頷く。

「じゃあ、呑もう。呑みに行こう」

 そう言った水田さんの手に導かれるまま、歩き出す。



 連れて行かれたのは、半地下にある穴蔵のような店だった。

 無国籍料理の店らしいのは、見せられたメニューでなんとなくわかったけど。正直、『何を食べても飲んでも一緒』と、投げやりにメニューをテーブルに置く。


 店員さんを呼ぶ水田さんの声を聞いている私の頭の中に、さっき見た二人の姿が蘇る。


 綺麗な女性だった。

 ピンヒールが立てる軽やかな靴音も、タイトスカートから見える細い足も。

 明るい色の艶やかな長い髪も、かき上げる指先を彩る華やかなネイルも。


 物心付いた時からの゛女の子゛で。自分の魅せ方なんて、本能で知っているのだろう。

 そう思わせる彼女とのレベルの違いに、太刀打ちできない自分を知る。


 それはまるで、インターハイ常連の強豪校と試合をすることになった中学生のようなもので。竹刀を合わせるまでもなく感じられるほど歴然とした力の差。


 敗北感に打ちのめされながら、運ばれてきたビールを口にする。いつも以上に苦い味に、顔をしかめる。



「彼女、いないって言ってたのになぁ」

 ゛ソーセージの盛り合わせ゛とやらをかじりながら、ため息をついた私に、

「それ、何年前の話?」

 と、苦笑した水田さん。

 確か、転勤してきた年の秋だから……って。

「二、年?」

「だよねぇ。」

 はぁ。そうか。二年か。

 女の自覚からたったの二年では、あの女性に勝てるわけないや。


 滲んだ涙は、やけを起こして塗りたくったマスタードの香りが鼻に通ったから。

 そう言い訳をしながら、左の親指で下瞼を拭う。



 ゛シェフの気まぐれサラダ゛を取り分けながら、水田さんはさっき見た映画の話題を持ちだした。そのあとも、先週の出張での出来事とか、一人暮らしをしていての失敗だとか。

 湿っぽくなる私を気遣って、笑える話をしてくれようとしているのは、肌で感じるから。なんとか彼の努力に応えようと、笑顔を作るのだけど。


 ふとした瞬間に、頭の中が丹羽さんの事でいっぱいになる。


「水田さん」

「うん?」

 その時も、彼がビールの追加を頼んでいる間に、思考が巻き戻されて。

「丹羽さんに彼女がいること、知ってた?」

 『訊いてどうする?』と突っ込む心の声に蓋をして、彼の返事を待つ。


「え? 俺?」

 完全に虚を突かれた、って顔で、水田さんの視線がテーブルの上をさまよう。

「さっき、私ほど驚いてなかったよね?」

「いやー、その、それは」

「いつから知ってた?」

 絡むつもりは、なかったけど。絡み酒になっているのは、自分でもわかっている。


 重ねて訊いた私の顔を見て。

 首をかしげるように考えて。


 そろそろ焦れた、頃にやっと。

「梅雨どき、かな?」

「そう。そんなに前、か」

 その頃何をしていた、って自分に尋ねて。

 時間を惜しんで実験をしていた自分に行き着く。


 私が髪を振り乱すように仕事をして。

 『家に帰る時間がもったいない』なんていっている間に。

 『お盆休みを取ってる暇は無い』なんて格好つけている間に

 丹羽さんは、仕事以外の時間も無駄にせずに人生を充実させていた。


 そう、思うと。今までこらえていた涙が堰を切ったように溢れてきて。


 泣いて

 泣いて

 泣いて


 呑んで


 泣いて

 泣いて


 呑んで


 体中の水分を涙にして搾り出すほど泣いて。

 それを補うようにビールを飲んだ。


 それだけ呑んでもまだ。

 潰れるほどは酔えない自分が


 悲しかった。

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