再会
この世に生を受けて、三十年。
あれほど捜し求めた”姫”の魂を、間違えるはずが無い。
けれど、姫
どうして
百八十センチを軽く超えているだろう男性に、生まれ変わっているんですか。
内心の動揺に引っ張られたように動悸が激しくなって、頭痛まで起きそう。
気を紛らわそうと、子供時代から耳に馴染んだ゛動悸・めまいの薬゛のコマーシャルソングを脳内再生しながら、朝礼の時間をやり過ごす。
他社製品、なんだけど。
我が社が扱ってない分野だから、許してもらおう。
朝礼のあとは、総務の人からの事務関連の説明や施設案内なんかがあって。
さぁ初仕事、となったところで、私達゛新入り゛が仕事をする゛チーム゛が伝えられた。既にある実験チームに、数人ずつ組み込まれるかたちらしい。
私が入ることになった゛島野チーム゛には、あの彼もいた。
丹羽、という彼の苗字を真っ先に覚えたチームミーティングを皮切りに、仕事が始まった。
三日後、歓迎会を兼ねたお花見が、敷地内で一番大きな桜の下で行われた。
大きなブルーシートの上に、いつの間にか配達してもらったらしい料理や飲み物を広げて。各自が思うままに移動しつつ、『お近づきの印に……』なんてことをしている合間に実験に戻る人がいたりする、なんとも緩やかな宴会だった。
その緩やかさに紛れて、そっと丹羽さんの隣に腰を下ろす。
下戸だと九州時代に聞いたことのある小柳さんとか、帰りの運転係にあたっている数人、それからまだ実験中の人たちが烏龍茶を飲んでいる中、なぜか、丹羽さんだけはオレンジジュースを飲んでいた。
ビールじゃないのは、運転係だから仕方ないとして。
お寿司には合わないんじゃないかなぁと思いながら、
「丹羽さん、オレンジジュースが好きなんですか?」
と尋ねてみる。
いきなり話しかけたせいで、丹羽さんは驚いた顔をして。
「子供っぽいと、よく言われるのですけどね」
くっきりした男らしい眉を、少しだけ困ったようにさげて笑った。
あぁ。
やっぱり、彼は゛姫゛だ。
かの姫も、遠い国から運ばれてきた貴重なお茶よりも、果物を搾っただけの簡素なジュースを好んでおられた。
それをきっかけに、軽い世間話を交わす。
彼は、私よりも一つ年上で。出身はこの辺りだけど、大学入学から昨年までは、東のほうの県に住んでいて、今回の統合で故郷に戻ってきた、とか。
あるほどなぁ。
互いの転勤が無かったら、合うはずの無いところに居た人、だった。
「やっぱり、数日でも一緒に仕事していたら、違うのか?」
丹羽さんの向こう隣りの人が話しかけてきて、丹羽さんの意識が私から逸れた。眠たげな細い目のこの人は、初日に説明をしていた総務の水田さん。
「違うって、何が?」
「小早川さんとは、普通に喋ってるなーと思ってさ。お前、初対面の女性は苦手って聞いたぞ?」
「苦手……うーん」
さっきとはまた少し雰囲気の違う苦笑を浮かべた丹羽さんが、唐揚げに手を伸ばすのを横目で眺めながら、紙コップのビールに口をつける。
「初対面とは思えない、と言ったら、言い過ぎだけど」
丹羽さんの言葉に、耳を疑う。
丹羽さん、丹羽さん。
もしかして……。
「例えて言うなら、部活で喋ってるような感じ? 性別を超えた仲間、っていうか」
なるほど、そうか。
女でも男でもない存在だからこそ、丹羽さんに苦手意識を抱かれずに会話をさせてもらえたんだ。
運命は、私に味方してくれている。
そう考えて、なんだか顔がにやけてしまった。
ニヤニヤしている恥ずかしい顔を晒さないようにと、俯いて取り皿に取ってあった巻き寿司をつまんだ私の横で、二人の会話は続いていた。
「……お前、運動部だよな?」
「バレーボールをしてた」
「女子の仲間って。あぁ、男女合同で練習してた、とか?」
「それはさすがにないって。筋力や体格の差を考えたら、危険だろ」
『小早川さんって、マネージャーをしていた女子と雰囲気が似ているからかな』なんて言った丹羽さんの手が、鶏の骨を皿に置いたのが見えた。
その手が、置いてあったビール瓶を掴む。
彼が水田さんのコップにビールを注いでいる間に、オレンジジュースのボトルを手に取る。
ジュースでするお酌は、なんだか変な感じだったけど。
お返し、と私のコップにもビールを注いでくれた丹羽さんは瓶を置くと、改めて手にしたコップを目の高さまで掲げた。
なんとなくその仕草に誘われて、無言の乾杯を交わした彼の背後。日没の名残のような茜色が、空に残っていた。
その色が呼ぶのは、魂の記憶。
雨上がりの夕暮れ。
生涯の忠誠を誓ったあの時も、跪いた私を見下ろす姫は、鮮やかな夕焼けに彩られていた。
ため息に、感傷を溶かして。ビールを一口。
落ち着け、落ち着け。
いくら酒の席とはいえ。職場で、『前世では……』なんて名乗りを上げたら、私は”変人”になってしまう。
丹羽さんは、『初対面とは思えない』と言ってくれたけど。
かつて仕えた騎士が、目の前に居るとは、思っていないだろう。
苦い笑いを、苦いビールで流し込んでいるあいだに、辺りはすっかり暗くなった。
親睦目的の花見は、しっかりとその役割をはたした。
丹羽さんと話せただけじゃなく、研究員の八木さんと今井さん、それから総務の小野さんといった、同じようにここで働いている女性たちとも改めて挨拶をして。
その日の帰り道に、小野さんの車で最寄り駅まで送ってもらったのがきっかけみたいになって、朝のロッカールームで着替えながらの軽い世間話とか、実験の合間を縫うような昼休みに、お喋りしながら昼食を摂ったりするような仲間になった。
ささやかなコミュニケーションの輪は、さらに人を招く効果をもたらして。
九州時代に私と一番、年の近かった宮内さんや、丹羽さんと水田さんの同期コンビ。彼らを中心とするように同年代が集まって、仕事のチームを超えたつながりがうまれた。
休憩時間に世間話をしたり、仕事のあとでたまに誰かの車に分乗して飲みに行ったり。
いつだったか、丹羽さんが言っていたように、学生時代の部活動を思い出すような仲間たち。
でも、そんな゛仲間゛たちは、誰ひとりとして、仕事中に無駄口を叩くことはしなかった。特に、私の一番近くで仕事をしている丹羽さんは、その切り替えがはっきりしていた。
それまで、誰と、どんな話をしていても、実験室に入って保護眼鏡をかけた瞬間、意識の全てが仕事へと切り替わるらしい。
スイッチで操作しているかのような、その変化を間近で見る度に、私の心は沸き立つ。
さすがは、幼き頃より公私の区別を身につけておられた姫だと。
日々の仕事の合間。些細な丹羽さんの行動に、姫の面影を垣間見る。
息抜きに休憩室で口に入れるのは、甘いチョコレートよりも、素朴なクッキーやお煎餅。
廊下の片隅にある自動販売機で買うのは、必ず果汁百パーセントのジュース。
そして、テレビを見るよりも論文雑誌を読む方が好きであるらしいことも。
丹羽さんを知れば知るほど、私の中に埋もれていた姫の記憶が呼びおこされて、目の前の彼と結び付く。
彼を形作る要素のすべてが、身分相応の華やかな暮らしを当然のことと享受されることなく、それ以上に王族としての立場を強く意識し、その義務に命まで掛けられた゛姫゛の、長くはなかった人生そのものだった。
そして、転勤から半年が過ぎた、秋のある日。
その日は、数週間前から取り組んでいた実験の、最終的な結果がでるか……という日で、朝から私は軽く浮かれていた。
思い通りの結果がでれば、いつか゛新薬゛として世に出るかもしれない研究。その、第一歩を見守るのは研究員として、最高の瞬間だと私はおもう。
けれど、
最高の瞬間が、悪夢に取って代わられることも。
よくある。
思ったような結果がえられず、傷心を抱えて後片付けをして。報告書を書き終えた私は、昼休みを取るためお弁当を手に休憩室に向かった。
「お疲れ」
先に休憩を取っていた八木さんの声に会釈を返して、空いていた向かいの席に座る。
腰を下ろすと、体を支える力が抜けたようになって、体内のなにもかもが出て行きそうなため息が口からこぼれる。
「マジ疲れ?」
「午前中の結果が、イマイチ」
と答えて、お弁当の包みを解く。
二つ年上の八木さんは、『ま、そんな日もあるさ』と慰めを言いながら、卵焼きを口に運ぶ。
自分もお弁当の蓋を開けて、箸箱を手にとってから気づいた。
あぁ、お茶……。
思っているより、ショックを受けている、と思いながら、給茶器でお茶をいれて。
席に戻ると、いつのまにか丹羽さんと水田さんも来ていた。
落ち込んでいる私を気遣ってくれているのか、『紅葉が見頃』なんて会話をお供にご飯を食べて。
「そういえば、最近は社員旅行って、行ってないね」
と、思い出したように八木さんが言い出した。
全社あげての旅行、なわけはないけれど。入社して三回くらいは、九州の研究所の皆で、湯布院とかに行った覚えがある。
『不景気だよねぇ』なんて言っていたら、水田さんから
「じゃあ、会社の保養所借りてさ。旅行に行かない?」
と、提案があった。
いつもの゛仲間゛で行って……と盛り上がっていると、
「付き合っているわけじゃない男女が、泊まりがけでって……」
と、隣から丹羽さんのいつもより固い声がした。
水を差されたような雰囲気になって、思わず丹羽さんの方を見ると、彼は赤くなった顔を隠すように頬杖をついて、水のグラスをユラユラと揺すっていた。
さすが、姫。
貞操観念は、”当時”のままだ。
感動、に近い感慨は、口に出せないままミニコロッケをつまむ。
その間も、男性二人の会話は続く。
「丹羽?」
「うん?」
覗きこむような水田さんから顔を背けて、丹羽さんが水を飲む。
「お前、歳ごまかしてない?」
「失礼な。お前より二つ年上なだけだよ」
「いや、実は昭和ヒトケタとか……」
「何を根拠に」
「『婚前交渉は許さん!』って、戦前の父親みたいじゃないか」
「いくら俺でも、そこまでは言わないよ」
肩をすくめた丹羽さんは、置いていた箸を改めて手にとると、給食弁当の高野豆腐をつまむ。
「付き合っている彼女なら、かまわないと思うけど。けじめ、っているんじゃないかな?」
「ほー」
わざとらしい相槌を打った水田さんが、突っ込んだ質問を重ねた。
「お前、彼女と旅行に行くんだ?」
「……」
さっきよりも赤くなった顔を背けた丹羽さん。
八木さんと二人、黙って彼らのやり取りを聞きながらご飯を食べていたけど。
彼女、と言う言葉に、きゅっと息が詰まる。
「学生の頃はともかく。今は、そんな相手、居ないし」
「でも、旅行行ったんだ?」
「しつこいなぁ。学生時代に、そんな金ないよ。あくまで、一般論」
丹羽さんって、彼女居ないんだ。
よかったぁ。
そう、思った瞬間に。
心の中に落ちてきた。
なるほど、そうか
だから私は
女
なんだ、と。