紅の記憶
私は騎士だった。
守るべき姫を失った
騎士だった。
物心がつくころには既に、記憶があった。
戦乱の中、血に染まった最愛の人の亡骸を抱き起こす記憶が。
炎の中、我が身に刃を突き立てる記憶が。
魂に染み付くように、存在していた。
”周囲に言ってはいけないこと゛だと、本能的に感じていたから、両親にも友人にも話したことはないが。
いつの頃からか、私は確信していた。
紅蓮に彩られたこの記憶は多分。
前 世。
*****
「麻里。迷子にならないでね」
「……はぁーい」
小学校の高学年にもなって、母に手を繋がれているのは、とてつもなく恥ずかしい。同級生に見られたら……と、振りほどきたくなるたび、母に睨まれて。ため息をつきながら、ずるずと引きずられるように歩く。
休日のスーパー程度の人混みですら迷子になる私の、『大丈夫だから』って言葉に信用がないのは、十分に分かっている。
分かっていても
どうしても
視線が、意識が
探そうとしてしまう゛存在゛。
前世で守り切れなかった、かの゛姫゛も。
この世界のどこかに、生まれ変わっているかもしれないと。
「ほらまた、ボンヤリして」
強い声に呼ばれて、我に返る。
「自分のものでしょうが。真面目に選びなさい」
あー、そういえば。今日は、来週の修学旅行の準備のための買い物、だった。
「靴下、どっちにする?」
水玉とチェックなんて……どっちでもいいし。
いっそ、白ソックスで。
って、言ったら多分、怒られるだろうなぁ。
適当に指差したチェックの靴下、三足セットが買い物カゴに投げ込まれる。
『次は、下着』と、歩き始めた母の後ろを着いて歩きながら、ぐるっと辺りを見渡す。
恋しい姫は、
いま何処。
そうして準備をして行った修学旅行の京都では、小学生だけではなく、中学生や高校生らしき学生服の集団も来ていた。
神社仏閣の見学やお土産の買い物も半ば上の空で、ひたすら人だけを見つめる。
この街にいるのは、修学旅行の学生だけじゃない。
年齢、男女の別を問わずいろいろな人がいた。
聞いたことのない言葉をしゃべる集団さえも。
数え切れない人の中に、恋しい面影を探す。
探し探して、何度か迷子になりかけて。
「麻里ちゃんは、しっかりしてると思っていたのですけど……」
解散後、迎えに来ていた母に、担任の先生が苦笑混じりに旅行中の様子を話す。
コツンと母に頭を小突かれて、首をすくめる。
「すみません。ご迷惑を……」
「いえ、本格的な迷子には、なりませんでしたし」
これも経験、と、さっき小突かれた辺りを撫でてくれた先生に、さようならを言って家へと帰る。
『中学生になったら、もう少ししっかりしなさいよ』なんて母の言葉に、生返事をしていた私も中学校に入った。
部活で剣道を始めたのは、やはり゛記憶゛の影響だった。
ただ、記憶はあくまで記憶に過ぎなくて。イメージと実際の身体の動きの差に戸惑いながらも、腕を磨くことは楽しくてたまらなかった。
誰よりも強くなって
次こそきっと
大切な人を守りきる。
そんな考えで部活に打ち込む一方で、勉強の手も抜かなかった。
徒歩圏の高校なら、それなりに手が届きそうではあったけど。私は、どうしても高校へは電車で通学したかった。そのためなら、トップレベルの学校にだって、受かって見せる。
狭いこの町の中に、探し人が居ないなら。
自分の生活範囲を広げればいいだけのこと。
その”狭い”町の大人の中には、竹刀を振り回し、男子に引けをとらない成績を維持する私のことを、『女だてらに、かわいげのない』と陰口をたたく人もいたらしい。両親、特に母は、そんな声に気を揉んでいたようだけど、”女の子”の自覚の薄かった私には、痛くも痒くも無かった。
女として成長していく身体を疎んだり、『男の子になりたい』と願うわけではないけど。
カブトムシの幼虫の雌雄がはっきりしないように、自分の性別がぼんやりとしていた。
私の性別は、”姫”に出会えた時に確定する。
それだけ、はっきりと予感できた。
そんな私は、同級生たちから、”男子でもあり女子でもあるけど、男子でも女子でもない”、あいまいな存在として扱われていた。
あからさまな仲間外れは無いけど、完全な仲間でもない。
恋愛対象として男子から見られることも無く、内緒話を共有する女子集団に入らずにすむ、その扱いは、私にとって居心地が良かった。
皆が憧れる、お伽話のような恋は欲しくない。
私が追うのは、魂に刻み込まれた愛だから。
いつかどこかで”姫”とめぐり合う。
それは叶うことのない夢物語かもしれない、と思い始めたのは成人を迎えた頃。
大学は、高校以上に世界を広げようと、九州の総合大学に入って。
忙しい理学部の授業の合間を縫うように、部活だのバイトだのと人と接する機会を逃さないようにしてきたけど。
求め人が私の前に現れる日はこなかった。
これだけ探し求めても、見つからないなら。日本に生まれ変わったのは、私だけなのだろう。
そう考えて、諦めようとしても。
女の自覚は、相変わらず薄く。
人ごみを眺める癖もなくならなかった。
「小早川さんってさ」
「はぁ」
声を掛けられて立ち止まった私は、あいまいな返事を返す。
”空前の好景気”と言われている世の中で、一人が複数の内定をもらうのは、ごく当たり前のことだった。
だから、内定を出した学生を他社に取られないようにと、大学四年の夏休みにはあちらこちらの会社で囲い込み目的の研修なんてものが行われていたらしい。
私が内定をもらった製薬会社もその一つで。
会社の保養地での”事前研修”と銘打った、一週間の合宿が行われていた。
その合宿の三日目。午前のカリキュラムが終わったところで声を掛けてきた、研修の講師を務めている人に
「実は、方向音痴?」
と、指摘された。
「どうも、食事とかの部屋移動のテンポが、皆とずれている気がするんだよね」
それは……方向音痴、というよりは、例の癖のせいだけど。
言ってもわかってもらえるわけが無いので、とりあえず肯定しておく
「なるほど。自覚あり、か」
軽くうな垂れた視界の隅で、頷いたその人の手が、資料らしき書類に文字を書いているのがわかる。
まずいかなぁ。内定、取り消しとか? 私にとっては、この会社が本命なんだけど……。
「ま、それならそれで……」
不安な顔をしただろう私をよそに、独り言を呟きながら去っていく人を追いかけるわけにも行かず、一人、廊下にたたずむ。
あ、お昼ご飯の時間に遅れる。
今日、皆の行動とはぐれたのは、”癖”のせいじゃない。
絶対に、違うから。
内定取り消し、の不安は、杞憂に終わったけど。
人と出会えるチャンスの多そうな、営業には配属されなかった。
私が配属になったのは、九州の研究所。そこで基礎研究の仕事に携わることになった。
仕事で出会える”人”が限られているのは、たぶん。もう完全に諦めろ、ってことだろうと、正式配属の日を区切りに、未練を吹っ切る。
女になりきれない私が、結婚する日なんて考えられないから。この会社に骨を埋めるつもりで、がむしゃらに仕事をした。
その覚悟を試されるような転勤の打診があったのが、三十歳を過ぎた頃だった。
バブル景気がはじけたあとの不景気で、国内に数ヶ所あった研究所の統合が順次行われ始めた。私の勤める研究所も、本州の研究所へ吸収されることになった。
人員整理の側面もあったらしきこの異動で、今まで一緒に働いていたメンバーが三分の二ほどに減った。次の勤務先は交通の便が悪くて、通勤に運転免許が必須だった上に、九州からは遠すぎた。
私以外の女性研究員は皆、退職や事務職への転属を希望したという。
自分自身の引越しと並行して、研究所の引越しと言うか閉鎖の準備をして。
新しい街での暮らしが始まるとともに、新しい勤務先での仕事が始まる。
初日の朝礼で、私たち転勤者の紹介を含めた顔合わせが行なわれた。
研究所長が一人ずつ名前を呼んでは返事と会釈をするだけの、単純な紹介のその席で。私は一人の人物から目が離せなくなった。
”姫”は
ここに居た。