3 魔素中毒と魔力枯渇
────そして。
何から何まで詰め込まれすぎ、許容範囲を超えてお腹一杯状態の雫に、
「輪廻の思想がある国に住んでいるのに、なにを言っている?」
ユークレースは不思議そうに首を傾げたのだ。
「君は以前ディールという世界にいた。そこでの『世界を創り出すもの』の役目を終えた時、今みたいに私の願いを君に告げた。君は叶えてくれた。だから私も君の願いを叶えようと言った」
前世の雫の願いは『魔法も争いも無い世界。宗教や民族のしがらみのない国。両親や友人に囲まれて、平凡に生きたい』だった。
「だから最も条件に即した日本に転生させた。今回も同様だ。この世界での『死』が必要なだけであって、本当に死ななくてもいい。ディールに移住すれば寿命も伸びる。移住と言うよりは里帰りかな。地球に来た時は戸籍の都合上、死産した子供の体に魂を入れる形をとったが、前にいた世界は日本ほど管理されていないから、勝手に移住すればいい」
至極あっさり言われ、
「だからちょっとまってっていってるでしょおおお」
雫は三度、絶叫する羽目になったのだ。
要望に応じて黙ったユークレースに、「脳が煮えるから」と一問一答をお願いした。
「………つまり、ディールという世界は地球と正反対に、魔法が使えないと生活ができなくて」
「いや、魔法が全く使えないものはいない。あえて言うなら、植物くらいかな」
「とにかく、体の中に魔素って成分を取り入れて魔力に変換してる、と」
「ああ。最大の差異は魔法の有無だが、もう一つはどんな生き物も、魔素が枯渇すると死ぬこと」
「え、じゃあなに?食べ物食べないで、魔素っていう霞みたいなものを食べて生きてるってこと?仙人みたく」
雫は首を傾げる。食べ物に執着が強いと自覚しているので、楽しみが減るのは嫌だった。
現在高校二年生の雫の身長は138センチ、体重36キロ。うっかりすると低体重に陥る。どんなに食べても縦にも横にも伸びない、いわゆる痩せの大食いだ。
いくら食べても太らないし身長も伸びないので、摂食障害やサナダムシのような寄生虫が居るんじゃないかと真剣に疑われたことがあるし、消化器系の異常がないか検査もされた。結果は異常なし。
体型はまるきり幼児のもので、ふざけて抱きついて来た静に「小骨(肋骨)がささる」と言われて、殴り返したのはつい最近のこと。外見年齢は小学四年生くらいで止まっている。
背中まで伸ばした髪を耳の上あたりでツインテールにしているのは、勿論わざとだ。どうがんばっても年齢相応に見られないので、半分はやけになって始めたのだが、高校の制服を着ていても子供に間違えられて、ちょっとしたお菓子をもらったりするので、あざといと言われようがやめるつもりはない。
「食生活は変わらないよ。普通に食べるし、普通に飲む。……食物は体を造るもの、魔素は魂を造るものと捉えれば分かりやすいかな。どちらが足りなくなっても栄養失調になり、ひいては命を落とす。体は魂に引きずられ、魂は体に引きずられるのはこちらでも同じだろう。心を病めば、体も病む」
「うん、確かに心の病気は体にも影響が出るね。病は気からとか格言もあるし」
「体の方の栄養が過多になると、病となって肉体に悪さをするけれど、魔素に限っては蓄積するほど恩恵を受けるんだ。種族としての差もあるけれど、一般的に魂の器が大きければ大きいほど寿命が長く、老化が遅くなり、肉体は強化されて怪我の治りも早くなる。そんな中で、君は特別魔力が強かった。そこに住むもの全てが魔法を使える……ある意味、魔術師しかいない世界で、上位職である魔導師を名乗っていたからね」
「優秀だったということ?」
「当時、魔導師を名乗るものは数十人いたけど、君は最高峰の一角だったよ。こちらに来ることになった時点で、数百年は軽く生きていたはずだし」
「はあ、そーですか」
前世のことを言われても、記憶がないので完全に他人事だ。とりあえず気になったことを聞いておく。
「そんなに寿命が長いってことは、大人になるまでも何十年もかかるの?」
「成人する年齢は種族によって多少差があるけど、成長の度合いは子供の頃はそんなに差はない。遅くとも二十年を過ぎるころには体は出来上がっている」
「あー。草食動物の赤ちゃんが、生まれたらすぐ歩けるようになるようなものか……ちょっとちがう??っていうか、種族ってそんなにいろいろいるんだー」
「こちらで言うところの、おとぎ話の中のものは大概がいる。獣人、エルフ、竜人、ドワーフ等だな。竜やら精霊やら人魚も同様だ」
「まるっきり剣と魔法の国?」
「文化レベルを比較するのは一概に難しいが、庶民と呼ばれる人々の生活水準は確かに日本の方がいいだろう。『塀』の意味は外敵から身を守るためだ」
「危険レベルは明らかに上がるのかぁ。古巣以外の世界に行くという選択肢は?」
「早死にしたいのか?」
ユークレースは驚いて目を瞠った。
「……え?」
「君の魂は色濃くディールの影響を残している。対して体は地球産日本カスタマイズ。君の体は、魂に引きずられて以前にいた世界の性質が出てきてしまった。……自分が他と違う自覚が、本当はあっただろう?」
「…………………」
心当たりは───あった。
指を切った程度のちょっとした怪我だったら、半日で痕もなくなるようになったのは、いつの頃だったろうか。少なくとも小学生の頃は、ごく普通の治癒速度だったと思う。うかつに外で怪我ができないと注意して生活を送るのは、なかなか気疲れするものだ。
そして、もうひとつ。
雫は16歳にして月のものが来ていない。
体が小さいせいなのか、それともどこか悪いのかもしれないから調べようかと母親に言われたことがあるが、拒否した。自分が他と違う自覚なんて、つらいだけだ。特にこれは、他人に体を見られると思うだけで気持ちが悪かった。
石のように固まる雫に、ユークレースは視線を外して溜息を洩らすと、すまない、と謝った。
「………今のは意地悪な質問だった。私も存外人の考え方に毒されたようだ。いっそのこと約束が違うと悪し様に罵ってくれれば、少しは気が楽になるかと」
雫は思わず、ユークレースの苦笑の浮かんだ顔を見つめた。本気で言っているらしいと分かって、意外の念を強くする。
本当に、なぜ、親切に接してくれるのだろう。
「……最初に言ったけど、君に会うのは初めてじゃない。けど、君と会うのはあと五十年以上先だと思っていた。それくらいは体も持つはずだった。君の願いで以前の記憶を封印しているのに、君にとっては約束も何もないのだろうけれど、今の状況は、契約不履行で訴えられても仕方がないんだ」
ユークレースは雫の心の声が聞こえたように言った。実際分かるのだろう、そもそも最初に声をかけられた時がそうだった。
「訴えるって、どこに」
くすっと雫が笑うと、ユークレースの顔もほころんだ。
「よかった。笑ったね」
近寄りがたいまでの空気が、少し柔らかくなる。
「君はおかしくないよ。ただ、ちょっと人より成長が遅かっただけだ。怪我の治る速度が速いのも、魔力が強い者なら普通のこと。……魔力が強いものは成長が遅く、身体能力も高いと言ったよね」
「……あ!」
「そう、君の成長が遅いのは魔力が強い証だ。これから顕著になる病の原因は魔素。……君は魔素中毒に罹っている」
魔素中毒とは、器より多くの魔素を取り込みすぎたり、取り込んでもうまく魔力に変換できなかったり、逆に取り込んだ後、放出できなくなったなど、体と魂と魔力のバランスがうまく取れない状態をいう。体が未発達の子供によくある病気で、魔力の強い種族の子供はよく罹りやすい病だった。軽い場合は時間とともに解消されることもあるが、重篤な場合は命に関わる。
「君の場合は、魔力を使わないから循環が悪くなっている上に、さらには魔素が枯渇して体の維持が出来なくなってきている。決定的になったのが、今日の事件」
体の維持が精一杯だったのに、本当は死ぬはずの衝撃を、雫は魔法を使って防いだ。自覚は全くないけれど。
「君の体は無傷だったけど、魔素中毒で死ぬか、魔力枯渇で死ぬか、どちらが早いだろうって有様なんだよ。今日魔力を使ったことを考慮しても、一応、魔素中毒で死ぬ方が早そうだけどね。ぶつかった衝撃で気絶したんじゃなくて、無理して魔法を使ったせいで体が限界を訴えた」
ディールに戻れば病気を治す手立てがあるから死なないけれど、ディール以外の世界に行くと、病気が治るわけじゃないからいずれは死ぬ、ということだ。
だから余命一年なのか、とようやく分かった。
「こちらは魔素が極端に少ない世界だからね。普通に暮らしている分には問題なかったんだが、魂に引きずられて、体は常に魔素を欲していたはずだ。食物の中にも魔素は含まれているから。でも、いくら食べても、お腹がいっぱいにならなかっただろう?」
篠原家は本来、朝はパン食なのだが、雫にはどんぶりご飯に味噌汁、納豆に卵に焼き海苔といった正統派和食の朝ご飯が推奨されていた。食パンだったら一斤は食べないと昼食まで持たないので、主にエンゲル係数的な問題でだ。
さらに学食だけだと足りないから、弁当持参だ。おかずとは別にソフトボールくらいのおにぎりを三つは持って学校に行っている。一日の摂取総カロリーは、同年代男子の五食相当くらい。いつも一緒にお昼ご飯を食べる董子に「フードファイター?」とからかい混じりに笑われたこともあるが、駅前のラーメン屋で『ラーメン五人前を三十分で完食できたら御代はタダ!さらに賞金三千円』のチャレンジメニューを成功させているから、「賞金もらいましたが、なにか?」と、堂々と返してやった。後悔はしない。
毎日こんな状態でも、実は遠慮して腹七分目くらいでやめていたのだけど。
そうか、これも別におかしなことじゃなかったんだ。ただ、私は地球……生まれた世界から嫌われただけで。
「その代わりに、ディールは君を愛しているよ。何もしなくていい、ただそこに居てくれればいいんだ」
それではだめだろうか?
綺麗な顔というのは、本当にどんな表情をしても美しいと思う。憂いを秘めた眼差しを向けられて、雫は溜息をついた。なぜか自分がいじめたような気がするのが、凄く嫌だ。
「……だめと言ったって、もう遅いんでしょう?」
自分の行く道は選んでしまった。たった一つしかなかったけど、それでも自分で選んだものなのだ。後悔したくない。今は無理でも、いつかそう思えるようにしたい。
世界に嫌われた自分の、せめてもの意地だった。