2 世界を「創り出すもの」と「異物」
ストックがここまでなので、以降は不定期となります。よろしくお願いします。
ユークレースはゆっくりと話し始めた。
「君を轢いたあの男は、君のお兄さんである篠原恭介君と同じ大学、同じ学部に通っている、典型的な金持ちの道楽息子。君が狙われた理由は、逆恨み」
雫の兄、恭介は頭の出来が非常によろしく、旧帝大と呼ばれる学校の法学部に通っている。弁護士になるべく勉強中で、この間、法科大学院試験に合格したお祝いをしたばかりだ。
父親に似た子犬系な雫と違って、兄は外見も中身も一流企業の管理職をやっている鉄火な母親によく似ている。きつく派手な顔立ちの母は、美人だと言われるが、実は部下から『うっかりすると喰われそう』と肉食獣扱いをされているらしいと聞いた。兄が女装すると母になり、母が化粧を落とすと兄になる。そんな母子だ。
試験に受かる前から有象無象から擦り寄られていたが、合格した今はさらに拍車がかかってうんざりしていると本人から愚痴をこぼされた。これで司法試験に受かったら……と頭を抱える兄に、「取らぬたぬきー」と笑ってやったことを覚えている。
「弁護士までの道程には確かにお金がかかるけど、能力がなければどうにもならない。お金に群がっていた女の子も、試験に落ちた男を見限ってお兄さんになびいた。お兄さんは一顧だにしなかったけど、自分のものが盗られたと思った男には関係なかった」
「で、妹の私を?ついでに恭兄の弟分の静を傷つけようとした?」
「そう。頭の悪いやり方だよね」
「ものすごく」
仮にも法学部に在籍する学生のやることだろうか?呆れる雫に、ユークレースは「でもね」と続けた。
「君が死なない場合、あまり大きな罪には問われない」
男の両親が金に飽かせて優秀な弁護士を何人も雇うと、弁護士たちは、まず手首の骨を砕いた静を過剰防衛で訴えた。障害が残る怪我だったのだ。雫の意識がすぐに戻ったこと、無傷だったことも考慮された。さらに、男が包丁を持ち出したのは、まともな判断ができない錯乱状態──つまりは心神耗弱を装うためだったが、事件を起こす前に精神科に通っていたこともあり、情状酌量の余地あり、と判断された。
「殺人未遂の罪を問われるはずが、過失致傷止まり。執行猶予は…今のままだとつくかもしれない」
「なにそれ……」
とてつもなく理不尽な有様に、雫が抗議の声を上げるが、ユークレースは首を振った。
「まだ続くよ。静君はこのことが原因で、空手の選手生命を絶たれる。まあ、ここまではいい」
いや、ちっともよくない。
「裁判に明け暮れた生活で、勉強の時間が取れなかったお兄さんは司法試験に落ちる。そして、君が死んだあと…数年の刑期もしくは執行猶予が明けた頃だね……男は立派なニートになっている」
有罪になって大学を退学させられた男の両親は、息子に愛想が尽きていたが世間体は気にしていた。自分たちの生活から離すようにマンションを買い与え、十分すぎるほどのお金を渡して一人暮らしをさせていた。
「で、ニート君が、己の現状を嘆いてまた逆恨み。復讐しようと、今度はお金で人を雇う。君は死んでいるから、もう一人の妹分、君の幼馴染の藤見董子君を乱暴しようとして複数人で襲わせる」
「!」
雫の体が震えた。怒りのためだ。そんなの、許さない。
ぎりっと奥歯をかみ締め、ユークレースを睨みつける。
「裁判に付き添ってくれていたせいで、もう一人の幼馴染、三上遼司君の帰国がずれたのも悪かった。海外へ行くことが決まっていた彼は、予定された期間まで帰ってこない。お兄さんは就職活動で忙しくて、董子君を守ってくれる人はいなかったから…」
「やめて!」
雫は悲鳴を上げた。
「もう……いい」
話だけでもそんなことは聞きたくない。現実に起こってしまう出来事なら、尚更。
うつむいて、きゅっと唇を噛む雫の頭に、ユークレースはそっと手を伸ばした。金色の蔦が絡んだ白い手が、雫の頭をなでる。
「……本来、私は一人の人間の生き死にに関わったりはしない。多少のイレギュラーは運命が飲み込む。君は私にとって特別だけど、この世界にとっては特別じゃない。私の個人的な想いはどうあれ、時と運命を司る神としては、今回のことは放置するつもりだった。実際、君が今死んでも死ななくても、一年後に『この』世界は確実に君を殺す。ひどい言い方だけど、そのほうが後々の影響が少ない。……少なかった」
ところが、本来外れることのない予測が外れたのだ。───大幅に。
「負の連鎖は止まらない。このままだと、本来流れていくはずだった時流から大きくずれて、世界規模でよくない事になる」
「……なにそれ。訳が分からない。特別ってなに?そもそも、原因は、私……なの?」
呆然とする雫にユークレースは言った。
「原因の一つは君。流れを阻害するもの、『世界の異物』。もう一つは、君の傍に『世界を創り出すもの』がいる。流れの中心に、この二つがそろっているから過剰反応しておかしくなるんだよ」
水は高きより低きに流れ、山頂から湧き出た水が大河となり海に注がれる。それを塞き止めたり、流れを無理に変えたりすると、周囲の環境に多大な影響が出る場合がある。
時や運命の流れも同じようなものだと、ユークレースは雫に説明した。そんな風に一つ一つの世界が、意思があるように動くことがあるのだ、と。
「この先、世界に多大な貢献をする『世界を創り出すもの』を擁護し、邪魔になる異物を排斥する。世界はそう動いた。それが、今回の事件だった」
ところが雫は、そんな世界の動きを自覚なしに無効化し、ゆえに連鎖が始まった。雫が居なくなるまで、周りにも影響が及ぶ。
「なんで、そんな事に……」
自分は何もしていないのに、なぜ世界中が敵に回ったような扱いをされなければいけないのか。今回無傷だったのだって、単に運が良かったからじゃないの?それに。
「そもそも、『世界を創り出すもの』って……誰?」
ユークレースは雫を見つめた。その中にある『なにか』を見通すように。
「そうだね……君の三人の幼馴染と、君のお兄さんのうちの誰か、と言っておこうか。君が知ってしまうと、また流れが変わるようだ」
「えぇっ???」
二度目の絶叫だった。
確かに、兄と幼馴染の三人は優秀だ。
隣家の幼馴染、生まれる前からの付き合いの里内静は、空手で全国一位になった選手だ。勉強が疎かになるかといえばそうでもなく、いつも上位の成績を修めている。顔も整っている方だと思うのだが、やたら寡黙で身長も高く無表情をしているせいか、怖いという評判を受けてしまっている。必要以上に落ち着いて見られるのが常で、私服で一緒に歩いているときに父子に間違えられたのは、雫にとっても黒歴史だ。
幼稚園から一緒になった三上遼司は、とてつもなく頭が良い。お遊戯などの子供らしい遊びの意味が分からず、同じ動きができない、しゃべらないからと自閉症が疑われた当時、彼が特別に早熟なのだと一番初めに気付いたのが雫だった。
小学校に上がった頃から「天才ってこういうことなのか」と近くにいるだけで分かる言動で、意識することなく大人をやりこめていた。今でも頭が良すぎて何を言っているか分からない時があるが、「子供でいられるうちは子供でいる」と明言し、海外の飛び級制のある大学へ招聘されているのに、出発を遅らせて雫たちと同じ学校へ通っている。
小学校の同級生だった藤見董子は、その頃から誰が見ても目を見張るような美少女だった。同性の雫から見ても女の匂いの少ないさっぱりした性格をしていて、そのせいか同性異性を問わず、本人の意思を置き去りにして絶大な人気を誇っていた。運動も勉強も良くできて……宝塚男役系とでも言えばいいのだろうか、知らないうちに女子ばかりの親衛隊なるものが発足されていたのを知った本人は、心の底から「ウザい」と呟いていた。
兄の恭介は、前述の通り弁護士になる勉強をしている。ただでさえ時間もお金もかかるので、弁護士になるまでの試験が一回で合格しなかったら、すっぱりあきらめると明言していた。有言実行の背水の陣と本人は言っていたが、結局はそれなりに自信があるのだと思う。
───けれど。
全員が、確かに優秀は優秀なのだが……雫の目からすると、どうがんばっても日本規模止まりなんじゃ?というのが正直なところなのだ。世界に多大な貢献をする……つまり、世界を変えるほどの「何か」があるのか?と問われれば、身内の欲目で見ても首を傾げたくなる。
かといって、自分が悪い流れを作り出している元凶だというのも、実感もなければ自覚もないのだから、過小評価に過ぎるのかもしれない。
「勘違いしないでほしいのは、四人とも今回のことに関して一切の関知はしていない。現時点で君が車に轢かれたのを知っているのは、現場にいた静君だけだけど、全員心の底から君のことを心配しているよ」
「そんなの、最初から分かってる」
短い付き合いでも、うわべ上の付き合いでもない。全員が身内と身内同然なのだから当たり前だ。
死ぬのは不可避。それならば、少しでも皆に良いようにしたい。
「────私が今、死ねば。今聞いたことは回避できるのね?」
ああ、とユークレースはうなずいた。
「一連の負の連鎖は、本来は更に続く。最初が小さいから転げ落ちるように大きくなるんだ。アレルギー反応を起こしているといえば判りやすいかな?アレルゲンは君。攻撃無効で抗体ができた。急激な反応はアナフィラキシーショックを起こしたようなもの、死ぬまで続く」
いや、アレルギーが怖いのは知ってるけど、アレルゲン扱いってどういうこと。……でも、『世界の異物』なんてご大層な名前がついたのなら、まさに自分は原因物質なのか。
「別の世界で『世界を創り出すもの』だった君は当然、地球の『世界を創り出すもの』と、在りかたが似ている。だから君だろうと『世界を創り出すもの』だろうと、あたりかまわずに攻撃するんだ。排除対象の君が、最初にすべてを背負ってこの世界からいなくなれば、確実に変わるよ」
────ん???
「君が『世界の異物』になってしまったのは、私が君の素質を図り間違ったせいだ。他の世界の者を転生させたくらいでは、ここまで大きくならないのに」
「…………ちょっとまって」
今、聞き捨てならない言葉が入っていなかったろうか。
「……ほかのせかいのものをてんせいさせたって、なに? 」