9 宿の夜 – 1 –
「もしかして、きゃんきゃん吠え立てるので威嚇したら、途端に尻尾を股の間に挟んでぷるぷる震え出した子犬が息子ですか?それならば、確かに世話したことになるかもしれないですね」
狼を睨み上げながらそう言うと、相手の金色を帯びた茶色の目の光が少し強くなった。静かな威圧が込められた眼差しに目をそらさないでいると、
「何やってんだい」
バキッという音と共に、目の前の狼の頭が盛大に揺れた。
「悪かったね~、家の馬鹿息子と馬鹿亭主が」
痛みで後頭部を押さえてうずくまる狼を尻目に、三角の耳をへんにゃり伏せてこちらに謝ってきたのは、濃茶色の髪と瞳をした二十代後半に見える獣人の女性だった。
豊かな胸とくびれた腰を見る限り、とても騎士団に入るくらい大きな息子がいるように見えない。一般的に獣人の成長は他の種族より早いが、それでも姉と言って十分通じる。毛むくじゃらの亭主に比べ、こちらは一般的な人の容姿に耳付き……というか、かなりの美人だった。美女と野獣を地で行っている。
借金で首が回らなくなって、身売り同然で後妻に入ったと言われば素直に納得できるが、件の馬鹿息子と顔が似ているので、実の親子なのだろう。父親に似ていれば、それなりに威嚇できてよかったのにと思わなくもない。
とりあえずティアは、
「お盆が壊れましたけど、いいんですか?」と突っ込んでおいた。
「気にしないでいいよ。どうせいっぱいあるんだから」
いや、そんなに強く叩いて平気なのかと言いたかったのが。
ぱっくり二つに割れた木の盆は、厚みもあってそれなりの威力がありそうだった。殴った本人は、殴られた相手が未だに痛みで悶絶しているのに、ひらひらと手を振って笑っている。
「私はダーナ。そこの宿六はジグラッド──ジグっていうんだ。あんたはティアちゃんだね」
「ええ。いつまでお世話になるか分かりませんが、よろしくお願いします。この子は青です」
肩にとまる青を紹介しつつ、日本人の性で反射的に頭を下げたら、また腹の虫が大きな音を立てた。ここで長引くようなのは御免なので、意図して哀れっぽい表情と声を出した。
「朝からろくに食べていないんです。ついでに水も飲んでないので、お腹も空いていますけど、喉も乾いています。申し訳ありませんが、先にお水をいただいてもいいですか?」
事情聴取やら手続きが予想外に長かったせいだが、水を飲ませてくれる訳でもなく、ひたすら説明を求められた。
出された飲み物に細工をされる恐れがないわけではなかったから、たとえ出されても手をつけるつもりはなかったが、半分くらいはわざとだと思う。尋問のテクニックのようなものだ。
喉が渇いたのなら、早くしゃべってしまえば水をやるぞ、もしくは解放してやるぞ、というやつだ。あの時は喉がそんなに渇いていなかったので苦にならなかったが、串焼きを食べたせいでやたら喉が渇いていた。
今すぐ食事をお願いしたとしても、ファミレス並みに早く出てくるわけではないのだろうから、とりあえず水だけ欲しい。
そう思ったのだが、ダーナの眉間に皺が寄った。
「全く、こんなにちっちゃい子に何も飲ませないで長時間引き止めていたのかい」
ダーナはぎろりとレイランドの方を睨みつけるが、本人は悪びれずに肩をすくめるだけだ。なかなか面の皮が厚い。
傍らにあった水差しと木の杯を渡されて、厨房脇のカウンター席に座るように促された。
「すぐ食事も用意するけど、従属獣は食堂への立ち入りを禁止しているんだ。ここで食事をしてもらってもいいかい?」
「もちろんです。ありがとうございます」
にっこり笑ってお礼を言うと、ダーナは「ほら、最優先で作ってやって」ジグラットを厨房に追いやった。
狼は厨房担当か。確かにあの強面では愛想良くしても無駄だと思うので、適材適所と言えるだろう。大体、宿の名前が「狼の巣穴亭」って、油断したら食ってやるぜって言っているようなものだもんね。
妻には大人しく従っている狼の獣人の背中を横目で見ていたら、レイランドが近寄ってきた。
「そういえば、あなたはいつまでここにいるんですか?」
「ひどいよティアちゃん。女将さんに対する態度と全然違うよね」
わざとらしく嘆くレイランド。本当に嘘くさい。
「そりゃあ、礼には礼で返すのが基本ですから。……で、なんなんですか?」
「明日の待ち合わせの話があるから残っていたんだよ」
「組合は隣で案内なんかいらないのに、なんで待ち合わせ?」
「入るのに、試験があるんだ。詳しい事は明日説明するけど、俺は立会人なんだよ」
「は?」
騎士団の人間が、なんで立会うのかさっぱり分からない。
「推薦人代理だから。……まあ、とにかく明日七時に迎えに来るからね」
それまでに朝食を済ませているようにと告げると、ティアが不満の声を上げる前に出て行ってしまった。
ちゃんと説明して行け!と思うが、罵った手前もある。仕方がない、明日詳細を聞こうと思っていると、ダーナが食事を運んできて来てくれた。思っていたよりもずいぶん早い。
念願の山もりの肉とサラダ。スープにパン。ティアは「いただきます」と手を合わせてから食べ始めた。
「さて、食べている間に宿の説明をしよう……と思ったけど、後にした方がいいかい?」
物も言わずにひたすら食べているティアに、これは今話しても無駄かもしれないと思ってダーナは声をかけたが、意外にも少女はちゃんと聞いていたようだ。
「大丈夫じゃが、先にお代わりを頼みたい。よいか?」
「有料になるよ」
「構わぬ。とりあえずあと三人前……いや、四人前、同じ物でなくてもよいので、腹一杯になりそうな物を希望する」
「はいよ」
適当に注文を通してからティアの所に戻ると、従属獣の鳥にも少しパンを分けてやっている所だった。次が来ると分かって少し落ち着いたのかもしれない。礼儀作法は悪くないどころか、しっかりとした教育をされていたと見えて、そこらの組合員よりはよほど綺麗に食べているが、おかしいのはその速度だった。一口がとても大きいというようにも見えないのに、山盛りだった食事の半分が既に腹の中だ。
種族が違うとたまにこんなに大食いの人間がいるが、大抵はそれに見合った体躯の持ち主だ。そういう意味では少女は異常だが、ダーナは先にティアの事情やこの口調のことを聞かされていたので、驚きはまだ少ない。
そういえば、魔術特化の戦い方をする奴が魔力切れ寸前まで戦ったりした後、こんな食べ方をしてたねぇ。魔素の濃い場所で暮らしていて魔素中毒になったって聞いたけど、今は逆に魔素が薄いから、食べ物をたくさん食べないと体の均衡が取れないんだろう。
余り物が出たらなるべく回してやろうと思いつつ、もう一度少女に声をかけると、説明してくれとでも言うように頷いたので隣の席に座った。
「うちの宿は一泊二食付きで半銀貨一枚。これは新人の間だけの料金で、階級が上がったときの値段とはまた違うから、覚えといてくれ」
何人来るか分からない新人達のために部屋数を確保しようと、二階は一部屋が狭くなっているのも安い理由だ。
「朝食は朝の六ノ鐘から二時間の間、夕食は夕の六ノ鐘から三時間の間食べられる。後で渡すけど、部屋の鍵を見せると食べられるから。昼食は、食堂は休みだけど、前日の夕食が終わるまでに依頼してくれりゃあ一食銅貨五枚で弁当を作るよ」
少女は思案顔をした。
「鐘というのは?」
「ああ、朝の六時、昼の十二時、夜の六時に国のあちこちにある鐘楼の鐘が鳴るんだ。国の人間はそれを聞いて生活している。夜の時間帯だけ食事や酒飲みの客も来るから、夜は飲み物も注文を受けるよ。別途料金だけどね。因みに、夜の食事はどれも銅貨十枚だから」
ちょうど食べ終わった食器を、追加注文した食事と入れ替えてやる。大の大人でも一食で十分お腹いっぱいになる量なんだが、ティアは最初と変わらない速度で食べている。つまりは、まだお腹が空いている訳だ。
「出かける時は鍵を宿に預けること。夜の九時を過ぎると宿の扉を閉めるから、それまでに帰ってこない場合は締め出されるからね。連絡なしに連続して十日間宿に帰ってこない場合は、死亡したと判断してお金が払ってあっても部屋に残った荷物は宿の物になる。新人は部屋の掃除は有料で銅貨三枚だから、鍵を預ける時に希望を申し出ること。それから、ティアちゃんの従属獣は小さいから料金はいらないけど、さっき言った通り食堂に入れないから、部屋に置いておくか今後もここで食べるか、どっちかになるね」
「ふむ。一人で食べるのもなんだし、妾はここで食事をしたいが、構わぬか?」
「こっちはどっちでも。決めてかからないで、その時々で変えたって構わないさ。……ああ、今後、騎乗用の従属獣なんかを手に入れた場合は裏に厩があるから、そっちに置いてもらうことになる。まあ、新人の間はそんなもん手に入れられないだろうけどね。……ざっと説明したけど、何か分からないことはあるかい?」
「とりあえず宿に関しては思い浮かばぬが……レイランドが言っておった推薦人とは何のことか分かるかえ?」
「ああ、推薦人ね。組合に入っていると優遇措置が受けられるんだが、それを当てにして仕事をするつもりもないのに入ろうとする輩が多くなったことがあってね。公布したばっかりのあの法令よりも前の話なんだけどさ」
以前、組合の加入に必要な金額は銀貨一枚だった。それでも宿に泊まる、買い物をするなどに対して割引してくれる額を考えるとそう高いものではない。元々、月に最低これだけの仕事をしなければならないという一定の基準があったが、余禄への恩恵を浴するのが目的の、やる気のない……つまりは能力の低い者が大勢いたのだ。
結果、仕事の成功率が落ちたため、加入基準を厳しく変更し、仕事量の最低基準も見直されることになった。
現在、加入に必要な金額は銀貨三枚。入都の際必要な仮身分証発行手数料と違って、お金がなければ組合が一年間無利子で貸し付けするので、元手がなくても加入ができるようになっている。
「明日説明されるだろうけど、今は試験があってそれに合格しないと組合に加入ができないんだ。だけど推薦人がいると、いくつかの試験が免除になるのさ」
試験は座学と実技。その二つに合格した後に受ける、総合という実地試験の三つだ。
騎士団と組合は持ちつ持たれつの関係で、あくまで個人、騎士団の任務に支障が出ない限りという制限はあるものの、実戦で腕を磨くという観点において、騎士団員でありながら組合にも属している者が多くいるのである。
職業軍人である彼らに実技試験は勿論のこと、魔獣や植物の見分け方といった座学も必要がない。騎士になる以前に当然学んでいるからだ。また、実際に討伐と採取の依頼を試験官付きでこなす実地試験も、行軍訓練がてら街道に出没する盗賊や魔獣の類を退治している彼らにとっては今更の事。
「腕試しにって騎士見習いも登録させることがあるから、試験のどこまでが免除になるかは推薦人次第なんだけどね」
大きく違うのはその後だ。
推薦されると、最低基準の仕事量に達しなくても彼らは組合から除籍されない。組合としても、最低基準の仕事をこなせないので階級こそ低いものの、能力は十分な彼らを安い依頼料で仕事をさせることができるという利点がある。騎士団員にとっても、国からの俸禄以外の小遣い稼ぎになるので、悪い話ではないのだ。
「……騎士団員ではない妾を推薦できるのか?」
「するんじゃないのかねぇ、あの調子だと」
馬鹿息子のしたこと。少女の事情。騎士団の思惑。そんなものを見聞きして、夫であるジグは何かしらの対応を求められたようだったが、自分は違う。
そこまで警戒する相手だとは思えないし、例え警戒されるに足る相手だったとしても、後から知られるよりは腹を割って伝えてしまった方がいいと思ったのだ。
そんなつもりはないが、周りが敵ばかりだと判断されてしまえば信頼関係も成り立たないだろうから。
「試験に合格するかどうかすら、定かではなかろうに」
「合格できないのかい?」
魔素中毒に罹っているとはいえ、少女の実力はかなりなものだと伝え聞いている。辺境で暮らしていたのなら、討伐はともかく採取は簡単なのでは?と思うのだが。
「……まあ、万が一があったとしても、どうとでもするつもりなんだろうさ」
だから立ち会う。だから推薦するんだろうと言うと、ティアはものすごく嫌そうな顔をした。
「それは、妾を取り込みたいと声高に叫んでいるのと同意なのではないか?」
「そうだね。だから気を付けるんだよ」
ティアははっと目を見開いてダーナを見詰めた後、ふわりと笑った。少女本来の素直な心情が現れた笑み。
「──ありがとう」
「どういたしまして」
ダーナはその笑みが見れたことに満足した。




