7 騎士団長
場を混乱させてしまうからこちらへと言うと、少女は怒りのあまり魔力が漏れていたのにようやく気付いたようで、自分に注がれるいくつもの眼差しに驚いていた。そんな表情を見ていると年相応に幼く見えるが、押さえられていても漏れる魔力の波長は重い。人ではないな、と思いながら先ほどまでいた衛士の詰め所に案内した。
「改めて、私は王国第三騎士団、団長のアークトゥルスと言う」
「ティアじゃ」
騎士団長の肩書きに対して、先ほどの激昂は何処にも見あたらない。内心では本当に騎士だったのかと思っているだろうが、淡々とした声音で返答してきた。
敵意がなくなったとはいえ、少女の尋常ではない力量に対する備えのために、通常通りに部屋の入口に騎士を立たせた他に、少女と自分の背後にも一名ずつ部下を立たせ、務めて平静を保って椅子を勧めると、改めて仮証明書発行申請書を渡した。
「わらわはあれよりも古い言語しか書けんが、そのままでよいか?」
古代イルカンシュ語も既に廃れた言語になりつつあるが、それ以上に昔の言葉となると完全に専門家の研究水準となるので「勿論、結構だ」と言うと、少女はペンを手に取り迷いのない運びで文字を書き始めた。
小さな手だ。そして傷一つない手だった。爪も綺麗に整えられて、荒れた様子はない。
長く真っ直ぐな黒髪は珍しい色ではないが、爪同様つややかでちゃんと手入れがされている。体は小さいが、栄養が不足しているとも見受けられない。黒い瞳で見える範囲に獣相はなし。あまり見かけない象牙色の肌。顔色も悪くないどころか、貴族の婦女子が見たら肌の手入れ方法を聞き出したいくらいだろう。顔立ちは子供らしくかわいらしいが、この近辺の種族と顔立ちが違う。着ている服も靴も上等で、何らかの付加魔法が掛けられている気配がした。となれば、恐らくは少女のために誂えられたもので、とても庶民の着る服装ではない。
肩の上に留まっている鳥は、主の文字を目で追っている。文字が読める程の従属獣は高位の筈で、見た事のない種類の美しい鳥は形こそ小さいが、並みの小鳥ではないと分かる。
とても金に困っているようには見えない上に、高度な教育を受けていると思われ、言葉遣いが古めかしいのは少女の周りの教育者がそのように教えたから……つまりは、最近の世情に疎い相当な長命種に、長年教えを受けていたのだろう。少女が見かけ通り幼いとして、だが。
どちらにしろ、つくづく規格外れの存在だった。
「どうかしたか?」
手を止めた少女が申請書を眺めている。記入した内容を確認しているというよりは、紙自体を観察するような目だ。
「……先ほど、この紙は高いと言っておったが、なるほどこれは高そうだと思うただけじゃ」
「分かるのか」
「わらわは項目名は読める。だが、あやつはわらわの書いた字が読めなかった。その差は何じゃと思うておれば、先ほどは気づかなんだが、この紙には魔法がかけられておるな」
少女はぴんと紙を弾いた。
申請書は字が書ける者は自分で記入し、書けない者は受付担当が代わりに記入するが、最後に申請者本人の血でもって血判を押してもらう。
紙自体に、氏名欄に書かれた人物を対象にした解析魔法と、立場を利用して必要な項目以上の内容を聞き出すことのないように翻訳魔法、さらに組合で使用されているものと同じ識別監査魔法がかけられている。ここに偽りを記入していた場合、血に反応して色が変わり、さらに血に含まれた魔力波形を元に広域の探索が可能になる仕組みだった。
「嘘偽りを記入しなければ、魔法は発動しない仕組みになっているし、この申請書はあくまで仮のものだ」
書類が残っている限り魔法で追跡できるが、何もなければただ保管されるだけ。本物の身分証明書を手にするときは、もっと高度な解析魔法にかけられることになるし、記入すること自体を拒むようであれば、問答無用で拘束することができる。まあ、そこまでの馬鹿はそうはいないが。
少女は用紙をアークトゥルスに差し出した。
ティア、十六才。
種族、不明。
出身地、不明。
目的、療養の為。
どこから突っ込んだらいいか分からない記述に無言になっていたら、少女は見たことのない形の封筒をこちらに差し出してきた。
「とりあえずそれを見てたもれ」
眩しい程白い封筒をひっくり返すと、表書はなにもないが、あきらかに何か魔法がかかっている気配がする。軽く探知系の魔法をかけてみるが、どんな魔法がかかっているかよく分からない。
「そこにも騎士殿がおられるのじゃ、害意なぞありはせぬ。それは我が師からの書状。診断書のようなものだと申しておった」
「診断書?」
「まずはご覧あれ…と言っても信用出来ぬか。わらわが開けてしんぜようか?」
出された小さな手のひらに、首を横に振った。ここで怖じ気づいてもいられない。
短剣で封を切り、中の書面を広げると、またもや古語で書かれた文字が目に入ってきた。
流麗だが教養の高さも伺える筆跡は、少女の物とは違って男性特有の力強さがあり、別人が書いたものなのは間違いがなさそうだった。
内容は、自分の弟子であるティアが魔素中毒に罹っていていること、現在十六歳だが、捨て子だったので正確なところは不明だということ、同様に種族もはっきりとしたことはわからないこと、また、このままだとあと一年で死ぬということが書かれていた。
最後には記入した本人のものと思しき署名が書いてあるが、文章から伝わるのは弟子の心配をしている師の思いやりだけで、特に変わった点やそれ以上に読み取れるものはない。
「署名のジョン・ドゥーが師匠の名前か」
とアークトゥルスが言うと、ティアは途端に眉根を寄せた。
「ジョン・ドゥー?本当に書いてあるのかえ?」
少女の方に書面を見せると、少女は困り顔をしたまま確認をしたあと、
「まったく仕様もない……」
と呟いた。
「どういう意味だ?」
「ただの戯言じゃ。我が師は人嫌いで、他人に呼び名すら教えるのが嫌だったのだろうよ。ジョン・ドゥーとは遥か彼方の異国の言葉でな。名なしという意味じゃ」
「名なし……」
「お主の名もその国の言葉では、空に輝く星の名とされておるが、知らぬか?」
自分の名前を引き合いに出され、はてどうだっただろうかと首をひねった。いや、自分の事よりも少女のことだ。
「魔素中毒と言うのは本当か?」
あれほど魔力を垂れ流しにしておいて?
「調べてもらえばすぐに分かるし、手紙に使用されているのは一応、真実のみを申し立てる宣誓書類等に使用される術式だから、嘘を記述すると書いた本人が傷つく。署名は仮でもな。……そういう風に問われるということは、今は残っていない魔法なのかえ?」
「いや、残ってはいるのだが……」
魔力の残滓から魔法をかけた本人の情報が読み取れるのだが、まったく感じられない。
極限までに抑えられた気配と、両手のひらを広げた程度の大きさの紙に施されたという事実から、少女の師という人物の力量が伺えて、少しばかりうそ寒いだけだ。
「内容は承知しているのか?」
「もちろん」
「余命の事も?」
「一年といわず、半年で体がうまく動かなくなるだろうと言われておるよ。魔力の制御がほとんど出来ぬから、危険と思われても仕方ないが、暴発は既に済ませている」
この世界に生きるものと言えど、生まれてからすぐに魔法は使えない。魔素が十分に体に蓄積され、あふれ出る際に起こる暴発を経て初めて魔法が制御できるようになる。種族によって違うが、大概は六歳から七歳までには暴発が起こるとされていた。
問題はその暴発が、本人の力量において威力が変わることで、当然のことながら魔力が強いとされている種族の子供は、暴発の際の被害が激しくなる。
暴発を済ませているのなら、少なくとも危険だという理由で入都の拒否はできない。
「魔力の制御が甘いのは中毒のせいで、制御用の方策をいくつか施してもらっておる。方策の内容は話せぬ。わらわの身の守りをも兼ねておるのでな」
魔道具の類かと当たりをつけ、理に適っている言葉に一つ頷くと、さらに問いを重ねた。
「出身地が不明だというのは?」
「森の奥深くに住んでいた上に、訪ねてくるものは滅多になし、ここへ来る途中までは師匠が転移魔法で連れてきてもらった故、どこからどこに移動したのかわらわはさっぱり分からんのじゃ」
転移魔法の使い手か。やはり、まともな相手ではないな。
転移魔法の使い手は非常に少ない。時空属性に適合する者自体が少ないこともあるが、転移可能な距離がそのまま魔力量に比例するため、短距離転移を繰り返すか、魔法陣を使用した転移のどちらかになり、陣を設置してしまえば属性持ちでなくても利用可能なため、後者の方が主に使用されている。
少女の口ぶりでは、魔法陣なしで単独で一国を跨いで転移できる使い手だということで……この国で比肩する可能性があるのは、宮廷筆頭魔導師くらいだろうか。
隠者の様な生活をしているのも、なんとなく頷ける。一人で暮らしていくには全く不自由がなく、また士官するつもりがないからなのだろう。無理にこちらから仕掛けようものならば、振り切って逃げられる程度の実力持ちということだ。
「師匠がこの国を療養の地と選んだということなのだろうが、王都は決して魔素の多い場所だとは言えない。医療に従事する者達は多いが、魔素中毒には効果がなかろう?」
少女は、ひらひらと手を振った。
「住んでいた森は魔素が濃い場所であったので、過剰供給による魔素中毒なのじゃ。故に、沢山魔力を使って、魔素を食事によって取り入れようと思うておる。それが最も効果がありそうなのでな。じゃが、この国に滞在するにあたって十六歳は一人前扱いで、職がなければいけないのであろう?療養目的ではあるが、傭兵組合に登録し、身銭を稼ぐつもりじゃ」
国からの保護を目的にするのならば、年齢をもっと下に偽る筈だ。金に不自由していないことは身なりからも分かる。この上なく怪しいが、入都の目的に嘘はないようだ。
「確かめさせてもらっていいか?」
魔素中毒ならば、当人に外から魔力を通せばすぐに分かる。
少女の両手を握り、右手から少女の体を通って左手に戻す感覚で魔力を流してみる。……が、まるで手ごたえなく、砂が水を吸収するように全く動く様子もない。
「わらわの方から魔力を出そうとせぬと無理なようだが……制御ができずに沢山流し込んでしまうやもしれぬ。それでも良いか」
「脅しのようにしか聞こえんが……無理だと感じたらすぐに手を放すから、やってみてくれ」
流れてきた魔力を感じた瞬間、アークトゥルスは両手を振り払っていた。
「……とんでもないな」
予告されていた通りに莫大な魔力が流入してきて、もう少しで文字通り体が弾けるところだった。一瞬で全身に冷や汗が湧き出ている。
「……魔素中毒に間違いはない」
ないが……。
魔力を水に例えるならば、少女の体の中は停滞して淀んだ水で満たされていた。流れぬ水は腐る。腐った水に少女の体は侵されていて、確かに今のままでは長くはもたないだろうと思われた。同時に、少女の体の中に巨大な氷の塊があることも感じた。永久凍土のように、全く溶ける様子もない固く巨大な魔力の塊。先ほど漏れた魔力は少女にとって本当にわずかなものだったのがわかって、最初感じた特級魔獣に相対したような重圧は間違いがなかったのだと実感した。
特級魔獣は天災級に落ちるが、脅威なのは間違いがない。入国を拒む理由がない以上、ここを通すほかはないし、これほどの実力者に喧嘩を売るような命いらずな真似はできない。せめてこの国に益をもたらす者となってほしいと祈るばかりだ。
そう思った瞬間、ぽっと軽い音を立てて封筒が燃え上がった。後で精密な解析魔法をかけようと思っていた証拠が、一瞬で灰になる。
呆然としているアークトゥルスに、弟子は少しも慌てなかった。
「師匠は人嫌いだと言ったであろう」
と。




