一。(彩野)
再編し直しました。
編入生が来るという噂が流れた。術師育成機関という性質上途中編入は珍しい。
性別は不明故に周囲は余計騒がしく浮き足立っていた。
術師としての適性開花が遅れた者が時折やって編入するくらいだが、噂によるとそうではないらしい。
情報通は、私に教えてくれた。編入試験知識試験は軽々突破。どこかで専門知識を持っているものだと。
それ以上は教えてくれなかったがそれで充分だった。戦闘知識かどうかはしらない。私よりも1つ上の者だと聞く。
全体回復が出来るかどうかだった、私が知りたいのは。それ以外はどうでもよかった。性別も性格も適性も何もかも。
夏休みの現在、秋が来るまでその真偽は確かめられない。
私は長いはずの夏休みのうち極僅かな時間だけ家に戻ることを許された。
だが一度何か異変があると即学院からの迎えがやってくる。窮屈すぎてため息が出る。
それも仕方がない。大学受験中の3年に1人。2年は0人。1年は私のほかに留学している者が1人。
今自由に動けるのは私しかいない。だからこそ、学院は何かあったときのことを考えて私から自由を奪う。
先日の紅月調査の際に媒体を1つ使い回収できずにいる。
自分が持つ媒体の中では一番優秀で手放したくなかったものだが、紅月に単体で挑むわけにも行かない。
あの時その場にいたものが拾ってくれるのが一番だが、距離が遠すぎて気配を追うことすらできない。
新しい媒体はまだあるが、あそこまで私の術を施した物は他にない。
後数日で新学期が始まる。そうすればまたあの巨大な檻の中で私は過ごすことになる。
終焉は来る。確実に。
紅月探索の日、空は澄んでいてとても綺麗だった。土地柄乾いた場所で真夏日だったが。
空色の潤いは大地には届かず、その中で異質な存在はとても目立った。
舌なめずりをし、久しぶりに餌にありつけるという興奮が気持ち悪かった。
既に報告してある為。どのように動くかは上の判断待ちだった。
このまま穏やかに時間が過ぎて欲しいと願いつ、このゆっくりとした時間をどのように使うのか悩んだ。
空を見上げる。今日はなんて澄んだ青なのだろうと。
無駄に流れていきそうな時間を止めるかのように連絡が入ったことに安堵した。
「待っていて。今から行くから」
適当に開いていた本を閉じ、準備して向かう。無駄な時間が消えたことに感謝した。
待ち合わせは道場。手合わせは剣道ではなく、剣術。礼儀を重んじるのではなく、ただ強さを求めるひとつの形態。
連絡を寄越した相手は既に準備万端といった様子でこちらを見ている。
「待たせてしまってごめんなさいね。手合わせ願うわ、偲珂」
体格差というほどの差はない。あるのは年齢差と持ち合わせている潜在能力の差とだろうか。
剣術とはいえど、真剣でやりあう心算はない。竹刀の方が軽いけれどもここはあえて木刀。
防具は一切つけない。
危険を痛みとして身に知らしめておく必要があるから。実際に痕が残ったときの言い訳は…何にすべきか。
そこまで考えて思考を切り替える。すべきは後々の誤魔化しではなく目の前の相手を屈服させること。
裸足になって袋から木刀を取り出す。毎回手入れしている馴染み深くなったその獲物をしっかりと構える。
「手加減不要…といいたいところだけれど。剣は苦手なのよ」
知っているだろうが。それでも尚、やる必要があるならやらねばならないと、周囲は語る。
手を拱いているだけの時間はとっくに失われているのだから。
「では、いざ…」
私の一言で、相手が動く。
それを何度も繰り返し、気がついたころには夕方になっていた。何時から始めたか。昼過ぎは確かだったのに。
「骨折しない程度の怪我をありがとう」
痣になるのは避けられないだろうが、それでも力いっぱいに振り下ろされているわけじゃない。
骨折も捻挫もなしだから、流石。と、内心称えるしかない。
「冷やさないと動けなくなるよ?水瀬」
「それもいいのだけれど…ねぇ、偲珂。貴方今月末まで時間ある?」
察してくれていたのかもしれない。
肩をすくめながら苦笑いをしつつ、あるよ。と答えてくれる。
ああ、私は何時までこの相手に頼ってばかりいるのだろうかと、己の不甲斐なさを嘆くことを繰り返している。されどそれが一向に改善される兆しもない。
それはまだ、私がこのままでありたいと思っている証拠なのだろう。
なんて嘆かわしいものか。
久しぶりに時間を有意義に使えそうだと思うと少し心が逸る。
相手が口端を上げて笑う。それがとてもうれしかった。
時間とは、最大の敵である。
剣の手合わせもほぼ毎日入れられてしまったが、それでも収穫としては大きなものがあった。
私が見せられるもの。相手に渡すことのできるもの。
相手が私に見せてくれるもの。私に与えてくれるもの。
それらの会得にはまだ時間はかかるけれども、例え極小の欠片とて得られるならばそれは至上の褒美。
「ありがと、偲珂。感謝しているわ」
強制的にでも充実した時間を過ごせてもらえたことに感謝する。
それ以外にも色々と感謝すべき事項は沢山あるのだけれども。
夜遅くに帰宅する。
身体はくたくたになるほど疲れていて、最低限の準備をして寝るので精一杯だった。
けれど、翌朝にはすっきりと目覚める。偲珂はなんてすごいんだろうといつも思う。
気分一新ではなく続きの日常が始まる。
休みというよりも苦痛の無理やりな長期休暇よりも、毎日授業を受けていたほうが気楽。
毎日時間で区切られて、時間をこなしていくということがどんなに楽なことかと本当に思う。
それがまた始まる。新学期。
うわさの人も来るのだろう。それが誰であれ、敵ということでなければ問題ないはずだから。
始業式。終わってHR。
久しぶりの顔に挨拶をして後は適当にサボる。
部活は入ってないから気楽とはいえ、人のいないところへ向かう。
茶道部・華道部といった、和の道を行う和室の建物がある。その建物の縁側に面して小さな池がある。
池の淵に座って裸足になって水につける。
ここの池は澄んでいるから。少なくとも、何かしらの影響を受けて澄んだ状態を維持することができるのだと思う。
のんびりと空を見上げる。
偲珂から連絡を貰ったときもこんな空じゃなかったかと、思い出す。
感じる水は冷たく流れていないが澱み自体は余り感じられない。
空の小瓶を取り出して水を汲む。これは単なる水。変哲も何も無いただの水。
栓をして逆さにしてもこぼれないことを確認する。角度を変えてもさらさらと流れるただの水。
「惜しいことをした」
あのときの気配は、何か楽しそうだった。むかついた。だから殺した。
獣の癖に。そう思ったのは確かだ。だからといって、新しいものから投げればよかった。
一番なじみのある物を投げてしまうのは本当に痛かった。
噂の編入生は、どうやら付術科に入ったらしい。
在学中のコース変更は認められているから、専修の違うクラスと情報交換が盛んなのはありがたいこと。
性別は男。体術・法術・付術・神術の4コースがあるうちの付術。
つまり、器用さに長けており、攻撃・防御の両側面を併せ持った能力の持ち主 もしくは、そちらの方向をめざしているということになる。
防御の面では神術と近く、攻撃に関しては体術と近い。
体・技・心で、身体を磨き、それに伴う学能を身に着ける。そのための4コースなのだと聞く。
元々必要最低限の情報は、幼等部~中等部でベースを作っておき、高等部からは専門コースに分かれていく。
専門コースも、在学中留年なしで3年の間に2回までならコース移動が可能になるという。
実際的に移動は行われているらしいが。
「攻撃なんて、他の人に任せればいいのにね」
所属しているのは神術だからか。水に近い液体を使わねば攻撃することが叶わない己の未熟さを思うのか。表向きは防御よりも回復に長けた人物 という評価を貰っている。
それだけで、現存は問題はない。
付術コースの友人は、攻撃しかり、回復しかり、そして付術独自の俊敏な立ち回りというものを学んでいる。
満遍なく行えるのは、コースの特徴でもあるがそれが時に羨ましく思える。
そのコースに通っている友人の1つ上の先輩ということなら。
学年別の試験という物がない限りは、可能性として同一の学外実習に参加する可能性があるということだ。
「変化は望まないのに」
バチャバチャと脚で水をかきまわし、体の後ろで手を突いて空を見上げた。
このままゆっくりと寝てしまったら、いったい何時ごろ起きることができるだろう。そんなことを考えた。
眠い…そう思ったから、淵に横になって目を瞑る。
どうせ、今日はこのまま寮に帰るだけだ。何か不都合があるわけじゃない。
まだ夏の季節だ。暦の上では秋になったとしても。
冷たいとは言い難いが気持ちよさを得られるならば、これが不快感に変わるまでそうしていようと思った。
目を開ければきっと青い空が広がっているだろう。それが夕方になればやや朱が交わるかどうかだろうか。どの時間帯でも晴れてさえいれば空は綺麗なものだと思っていたかった。
うとうととする。
ああ、やはりここ数日は気持ちよかったのと同時に疲れていたんだなと実感して眠ることを選んだ。
これで目が覚めたときには夕方で何事もなく一日が終わればいいのに。